第18話 雪空に降るガーネット

 白と黒、色の違いはあれど、広がる空間にタルトは既視感を覚えていた。

 ふわりふわりと浮くような感じが、老婆と出会ったところによく似ていた。

 

「タルト。こっちだ」


 とメイルの声が後ろから聞こえて、タルトは振り向く。

 先に吸い込まれた皆がいた。

 ドルドール魔法商店まであり、ここは本の中なのだと、実感できた。その時だ。

 うつ伏せになっているアルバークの口から「ぐっ――っが」と声が漏れる。


「お爺ちゃんっ!」

「待て待て。先に爺さんを仰向けにするぞ。泡を割らないように、ゆっくりと、慎重にだ。出来るな?」


 レイラが頷いている。タルトも駆け寄ってその作業を手伝う。 

 それで三人で、頭、体、足、と分担し、アルバークをひっくり返そうと力を込めたが、重くて返せず、メイルが舌を打ち、直ぐに一人呆然と立ち尽くしているメエムに言った。


「メエム。お前が手伝ってくれないと無理そうだ」


 しかし、メエムは一切反応を示さず、


「ほんっと重症だな」


 とメイルはがしがし頭を掻くと、歩いていき、メエムを引っ張ってきて、アルバークの体をその手に握らせる。


「おいっ! メエムっ! お前お姉ちゃんなんだろ。タルトに情けない姿を見せていいのか?」


 メイルがそう言った直後、「――――そう、だったね」と、やっとメエムは言葉を発し、それからタルトの顔を見て、目を戻し、自身に言い聞かせるように言う。


「そうだよ。わたしはもう、誰かに動かして貰わないと動けない置物なんかじゃない。お兄ちゃんの妹で、タルトのお姉ちゃんなんだから」

「今更何言ってんだよー。しっかりしろっての」

「ごめんね」

 

 と言って淡く笑み、メエムが「さぁ、起こすよ」と言った直後、楽にアルバークが返り、タルトは少し驚いた。

 姉がここまでの力持ちとは。今の今まで知りもしなかったから。


「――ぐっ、すまんな。迷惑を掛ける……」

「勝手に消えていかないでよっ。お爺ちゃんは、勝手よ」

「――レイラ。今話せておるのが奇跡に近い。奈落でなければ、言葉を交わすことなく逝っておったろうな」

「背中から心臓を一突き、おまけにバッサリ斬られてたからな。タルト、お前も無茶すんじゃねぇよ」

「あいつ許せなくて、カっとなって」


 すっと目を細めたメイルからデコピンを頂戴し、タルトはおでこを摩る。

 

「だからってお前、あの状況で普通踏み込むかぁ。まぁ、予想もつかない行動を取らなきゃ、魔法なんて使わせて貰えなかっただろうが。あの野郎が咄嗟に剣を戻さなかったら、お前、首と胴体が離れてたんだぞ。分かってんのか?」


「胸にある魂が傷付くわけでもないし、首が飛んでいってもまたくっつければいいじゃん」


 メイルが、信じられないものでも見るような目を向けた。「ふっ」とアルバークが笑い、「ぐっ」と直後に顔を歪めて胸を押さえた。

 

「怪我人笑わせてんじゃねぇよ。笑えねぇっての」

「――いや、ここでなら不可能なことではない。しかし、多くの者がそうする前に、自ら死を受け入れて魂を崩壊させてしまう。心がもたんそうじゃ」


「いやいや、でも出来ることは出来るのかよ。首刎ねられても生き返るなんざ、どうなってんだよここは。そんな奴らばっかじゃ、医者の商売あがったりつーか、医者――いるのか?」 

「心に巣くう病を治す医者ならばおる」

「魂を診てくれる医者はいないのか?」

「この深い奈落といえど、そのようなことが出来るのは、この街の領主様か、ドルドール。あとは――――」


 と、アルバークはタルトを見る。

  

「なるほど。それで爺さん、レイラと約束してんだ。絶対助けるってな。多分いけると思ってるだけで、保障なんて出来ないが、とびっきりの魔女の弟子に賭けてみないか?」

「あれか――――」


 タルトは元よりそのつもりであり、口を引き結び、頷き返す。

 しかし、アルバークは目を閉じて、拒否するように緩く首を振る。


「やめておこう。無論、信じられんというわけではない」


 やっぱり。とタルトは思い、メイルも同じ考えだったのか「やっぱりか」と口から零す。

 

「言うと思ってた。でも、一人じゃ寂しいだろ。これから伸びる男はいらないか?」

「馬鹿を申すな。儂は恨まれたくはない」

「それも言うと思ってた。参ったなぁ、俺は死んでも約束だけは絶対に守り通したかったんだが……、代わりに俺が恨まれてやるかぁー」

「――すまん、迷惑を掛ける」


 アルバークは、最後の頼みの綱を握りはしなかった。

 ならもう、奇跡が起こるのを神にでも祈るしかない。

 しかし、神は何もしてくれないことを、タルトはよく知っていた。

 そいつに救いを求め、祈ったことなど数知れず。


 天に座す偉い神様は、上から見下ろすだけで、ずっと何もしてはくれず、結局救い出してくれたのは、戦に馳せ参じてきた救世主であり、彼の持つ安らぎの剣 であった。

 そして魔女と出会い、生まれ変われた訳だが、積もりに積もった恨みは未だ消えず、タルトが天を睨み付けていると、突然空から、ひらひらと一枚の羽根が舞い落ちてきて、彼女はその光景に目を奪われてしまう。

 その羽根は赤く、白い空に映えて、宝石のように美しく見えたから。

 

「とりあえず入れと言われ、入ってみれば、肉屋の爺様が大変なことになっているではないか。ドルドールはあの店の中かね?」


 背後から、急に聞き覚えの無い男の声が聞こえてきて、タルトは驚き振り向いた。

 黒を基調とした高そうな服を着た、長身の男が立っていた。

 ただ、その男の背からは一対の赤い翼が伸びており、堕天使だと、タルトは男を見てそう思う。


「領主様……」


 という言葉がアルバークの口から漏れ、


「――天使様っ!」


 とレイラが声を上げて駆け出し、その男に縋りつく。


「天使様。どうかお爺ちゃんを救ってください」

「ふむ。君は私の後ろにいなさい」


 男はそう言うと、レイラを後ろに隠し、タルトに近付いて行って彼女の前で屈み、目線を合わせてこう聞いた。


「まず君だ。随分変わった魂をしているね。何者かね」


 男は、驚くほど顔が整っていて、まつ毛が長く、鼻筋も通り、顎もしゅっと細く、色気のある切れ長の目に間近で見つめられることになったタルトは、頭がどうにかなりそうで、


「――あ、あの、そその」


 と上擦った声を出して顔を真っ赤にし、目を四方八方に泳がせる。

 直後、男がふっと笑い、そんな彼女の頭を撫でる。


「助けを求め、叫んだのは君かね。あまりの大声に尻が浮いたぞ」

「――ご、ごめんなさい」

「何、構わない。私も君達三人を少しばかり疑っていたからね」


 疑われることなど何一つしていないのに、何故。

 その理由を、メイルがぶっきらぼうな態度で言う。


「俺達がやったんじゃねぇよ。爺さんに聞いてみろ」

「そうするとしよう」


 男はすっと立ち上がると、「肉屋の爺様、何があった」と歩みながら言い、また直ぐにタルトの傍で横たわるアルバークの前で屈み込む。


「衛兵のグラーセルは、子攫いをしていた賊の一味にございました」

「ほう。で、奴にやられたと。あやつは確かミラドの紹介で入隊していたな」

「考えたくはありませんが、可能性はあるかと」

「愚直な男にしか見えなかったが、奴が入隊を志願した時の動機に不審な点もある」


「ええ。亡霊の千騎士という身分を捨て去り、この国にまで来て衛兵などになったのですから。しかしやはり、考えたくはない。ミラドは、儂の――――」


 アルバークは、今にも泣きそうな顔をし、すっと立ち上がった男が「ふむ」と顎を摩り始め、

 

「状況は理解できた。危ういところをドルドールに助け出された訳か」


 そんなことを言ったので、「違う」とメイルが即座にそれを否定する。


「でもそんなのはあとだ。あんた天使なんだろう、まずは爺さんを助けてやってくれよ」

「天使とて、出来ることと出来ないことがあってね。そこの爺様を救うには、ドルドールの力が必要なのだよ。分かったらさっさと連れて来てくれたまえ」

「悪いが婆さんはここにはいねぇよ。行方不明になってんだ。今いるのは、弟子のタルトだけさ」


 メイルがタルトの方に顎をしゃくり、


「あのドルドールが弟子をとったか。興味深い」


 と男は言い、タルトを見て、唇を指で撫で、蠱惑的な表情をする。

 タルトは見ていられず、直ぐに目を逸らし、言った。

 

「――あの、違うんです。弟子っていっても、ドルドールお婆さんから魔法を習ったわけではなくて、ヨハンから魔法を教わっただけなので、その」

「子細無いことだ。往年のドルドールは魂の深淵を覗き、時に魂そのものを生み出したと聞いていたが、君も覗けるのだろう?」


 男の視線がアルバークの魂を包む泡に向かう。


「爺様の魂を、修復は出来ないのかね?」

「――出来ます、けど。駄目で」

 

 タルトがそう答えて俯くと、「この私が――、拒絶をしたのです」とアルバークが言い、男を見る。


「私は――――、人のまま死にたい」

「ほう。あやつの魔法で修復すると、人ではなくなるのかね」

「領主様、ここでは。この老い先短い、爺の頼みをどうか――――」

「聞き入れよう。しかし参ったね。そうなるともう、打てる手立ては一つだけ、か。奇跡を起こして貰うしかあるまい」


 その言葉にレイラが反応する。

 

「天使様っ! 神様にお願いしてくれるんですか!」


男は、「いや」と素気無く首を横に振って返したが、


「悪いね。そのようなことは私には出来ない。尾ひれのついた私の噂を信じているようだが、天使とて、出来ることと、出来ないことがあるのは理解しておいて欲しい」

 

 言い聞かせるようにそう言うと、少し屈んでレイラの頭を優しく撫でた。

 そしてまた、タルトの方に目を向ける。

 

「奇跡は君に起こして貰おうか。どうにかこの爺様の魂を、くっつけたまえ」


 ――――む、無茶言わないで!

 そんなタルトの心の声など露知らず、いや我関せず、男はレイラの頭から手を離すと、タルトの前で屈み、彼女の両肩を掴んで言った。


「今は君だけが頼りだ。やりたまえ」と。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る