第17話 惑乱の亡霊

「ねぇ、ちょっとワクワクしない?」


 と、レイラが横に並ぶ二人に言った。


「分かるけど、私はさっきからドキドキしてて、うまく罠に掛けられるといいね」


 少しそわそわしながら、真ん中のタルトはそう答え、


「二人ともダメだよ。盗賊って怖いんだから」


 と、緊張感の足りない二人をメエムが叱る。


「メエムは盗賊に遭ったことあるの?」


 レイラに聞かれたメエムは「ないけど……」と言ったが、


「盗賊は子供を攫って売りとばす怖い人達だって、聞いたことあるの」


 と、そんな話を二人にする。


「大丈夫よ。お爺ちゃんが守ってくれるわ。お爺ちゃんに勝てる人なんて、お婆ちゃんしかいないんだからっ」


 レイラは勝気な笑みを浮かべている。

 その顔からは、祖父への信頼が見て取れた。

 タルトもアルバークの力は信頼していた。

 何せ元とはいえ宮廷魔術師であり、何より顔が怖いから。


 衛兵のグラーセルはというと、頭は良いが、アルバークのような怖さがないせいか、とても強そうには見えず、窮地に陥った場合、その二人、どちらの方に駆け出すかなど言わずもがなであり、ただ、一応念のため、ヨハンから魔力を多めに引き出して、いつでも魔法が打ち込めるように、タルトは準備した。


 そして、さぁ準備万端、何処からでも掛かって来い。の意気込みで、彼女は鼻息荒く周囲を見渡していたが、盗賊らしき怪しい人物はちっとも見つけられず、しかも歩いているうちに周りにいる人間が減ってきて、ついには一行以外には、誰もいなくなってしまう。

 タルトは、拍子抜けと感じて気を緩めたが、その瞬間、違うと思って一気に緊張する。

 白昼堂々、それも人前で犯行に及ぶ者などいる訳がなかった。

 なら、周りに他の人がいなくなった今が一番危うく、挟む二人に小声でそれを伝える。


「多分、そろそろ盗賊が襲ってくるから、気を引き締めて」

「周り、誰もいないもんね。来そうだよね」


 と、言うレイラは勝気な笑みを浮かべていたが、メエムは不安そうな顔で周りを見ていて、


「なんか、ちょっと怖いね。タルトは怖くないの?」


 そう聞かれ、多少怖くはあったが、それよりも今は楽しさの方がずっと勝っていて、「平気」とタルトは答えると、後ろにいるアルバークの方に目を向ける。


 すると力強く頷かれ、ヨハンを持つ手に力が入った――――その時だ。

 急に先頭のグラーセルが足を曲げ、狭い路地に入って行った。

 

 キタ、とタルトは思った。

 賊というものは、そういう誰かに見られにくい所で襲ってくるのが、物語のセオリーであり、よし来いと、自身も浮き浮きで曲がった直後、ドキリとしてしまう。


 建物に挟まれた、目の前に細く伸びる狭い路地は、薄暗く、何とも雰囲気があって、歩を進める度に緊張感も増していき、半ばまで来たところで案の定、路地の先から三人の男が姿を現して、前を塞ぐ。

 やっぱり出たと思ってタルトがちらと後ろを見ると、そちらも二人の男に既に塞がれていた。


 即座に先頭のグラーセルが無言で剣を抜き放ち、勇ましく構える。

 その姿は思いのほか様になっていて、恰好良いとタルトは思ったが、同時に残念に思うことがあって、今度こそ拍子抜けと感じていた。

 

 五人の賊は、どいつもこいつも一般人にしか見えない奴ばかりで、ちっとも怖さを感じられなかったからだ。


 もっと真面目にやって欲しいという気分であり、グラーセルに魂を傷付けない程度に彼らを切り刻んて貰って、捕まえたらそこへんをお説教してやろう。なんて物騒なことをタルトが考えていると、


「グラーセル。捕縛したいお前さんには悪いが、早々にけりをつけさせてもらうぞ」


 後ろのアルバークが言い、振り向くと、彼は片手を掲げており、


「我に竜の力を授けよ――――」


 と、そこまで言ったところで口を動かすのを止めた。

 不思議だった。口を途中で止めたことがではない。

 時が止まったように静止した彼の左胸から、剣の刃が飛び出ていたことがだ。

 その刃が引かれ、


「はい、さようなら」


 とグラーセルの声が聞こえて、次は斜めに刃が走って、アルバークが膝から崩れ落ちる。

 その後ろにはグラーセルが立っていて、いや、立っていたということを認識した瞬間だ。タルトの視界は物凄い速さで動き、

 

「おっと。みんな動かないようにね。手荒な真似はしないからさ」


 静止と同時、首筋に冷たいものが当てられていて、何が起きたのかまったく分からず、彼女は両目をパチパチと瞬き、

 

「お爺ちゃんっ!」


 とレイラがアルバークに駆け寄ろうとして、その前を刃が塞いだ。


「動かないでって、言ったよね?」


 突然レイラの髪がバサリと切れて下に落ち、「ひっ」と小さな悲鳴が上がった。

 その直後、視界から掻き消えるように刃が姿を眩まし、また冷たいものが首筋に当てられて、自身に添えられたそれに静かに頭をもたれ掛けて、タルトは甘える。


 ちょっとそういう気分だったから。抱いていて欲しかったのだ。

 安らぎの死をくれた、あの剣とよく似た、鋭くて、硬くて、ひやりと冷たいそれに。


 それで少しの間、そうしていると、頭が今の状況を理解する。

 グラーセルが裏切った――――いや違う。

 彼は最初から向こう側、言葉巧みにこちらを騙し、ここまでおびき寄せた誘拐犯の一人で間違いない。

 罠に掛けられたのは、こちらの方だった。


 頼みのアルバークは既に討たれ、グラーセルに剣を教わっていたメイルでは、師である彼に勝てないだろう。現に、メイルは一歩踏み出したところで彼を睨み付けているだけ。メエムはただ呆然と立ち尽くし、レイラも怯え切っている。

 タルトは、私がどうにかしないとと思い、魔法を使おうとしたが、


「タルトちゃん。その魔導書を放り投げてくれるかい」


 後ろのグラーセルに言われて、素直に従い、ヨハンを前に放った。

 犯人の指示に従わなければ皆が危ない。 

 ヨハンを持っていないと魔法が使えなかったが、皆の命の方が優先だった。

 

「それともう一つ、魔法は使うなよ。使ったらどうなるか、分かるよね?」


 自明の理。「――分かります」と、タルトは正直に答えたが、今度はメエムの髪がバサリと落ち、「分かった?」と再度確認されて、頭に血が上るのを感じた。


 いくら何でも横暴が過ぎると思った。

 話を聞かないばかりか、何度も女の子の大事な髪を切り落として、そもそも剣をそんなことに使って欲しくはなかった。

 伸ばしていた髪を無理矢理切られ、救われる子なんかいないというのに。


「やめて。髪を切らないで」


 それでタルトはそう言うが、


「僕は、分かったかどうかを聞いているんだけど?」


 風を感じ、バサっと自分の髪が落ちるのを見た瞬間だ。

 頭の中で何かがぷつりと音を立てて切れて、その途端、心に寒風が吹き荒れて芯まで凍てつき、彼女は極寒の凍土と化す。

 このような感覚は初めてであり、ただ思う。

 ――――許さない。


「まぁいい。これで分かっただろう。妙な真似をすれば、躊躇なく首を刎ねる。おい、もういいぞ。さっさとこいつらを袋に詰めろ」


 グラーセルの指示で賊の男達が寄ってきたが、それに構わず、タルトは一歩、足を踏み出し、当然、首筋に刃が深く食い込み、しかしすぐに退けられ、


「いかれてんのかガキっ!」


 肩を掴まれて、ぐるんと振り向かされた時には、タルトの右手にはヨハンが収まっていて、彼女は肩を掴む手にそっと左手を添え、低い声で唱えた。


「お前は人形、魔女の思うまま動け〈残酷なるパペット〉」


 グラーセルの魂を糸で絡め取った感触がきて、タルトは即座に彼を操り、近くの賊達に剣を振るう。

 一切当たりはしなかったが、警戒するように距離をとられ、タルトは彼らにこう問うた。


「貴方達も、魔女の傀儡にされたい?」


 返答はなかったが、賊達はそこから更に一歩下がり、


「さっさと消えて」


 そう言うと、彼らは退散して行き、「爺さん!」とメイルがアルバークのもとへと駆け寄り、レイラも祖父のもとへと駆け寄って、


「お爺ちゃんっ! 嫌よ、消えていかないでっ!」

 

 と悲痛な声を上げる。

 アルバークは、既に全体を透けさせていて、魂を視認できる状態であり、ぼやぼやしていると彼は直ぐにでも消えていってしまいそうで、タルトも直ぐに駆け寄り、糸が伸びる左手にヨハンを持ち替えると、右手に魔力を集めた。


 同時発動出来るかは、分からない。しかし今は、一刻を争う状況だ。

 それをヨハンに聞く時間も惜しく、駄目だったら駄目でその時考えようと思い、タルトはアルバークに触れて魔法を唱える。

 

「朽ちゆく魂に泡沫の火を灯そう〈人魚泡のキャンドル〉」


 右手に泡のような光が灯り、吸い込まれるように移動していって、魂にへばりつく。

 魔法を使うことには成功した。成功したが、アルバークの透けた体は未だ戻らず、


「どうしてっ――――!」

「タルト……。何やったの? お爺ちゃんは?」


 レイラは既に平静を失っているようで、タルトもここにきて動転した。

 メエムの時は直ぐに戻ったというのに、一体何故。

 いや、それは恐らく、魂を傷付けられていたからで、頭では理解していたが、ここまでとは思っておらず、アルバークは嫌だろうが、秘術を掛ける以外の方法では、彼は助からないように思えた。

 

「お爺ちゃん、お爺ちゃんっ! 何か言ってよ!」

 

 とレイラが祖父を揺すっている。

 あれで泡が割れたら大変だ。件の魔法を使うための時間すら稼げなくなる。

 タルトがその行為を注意しようとした、その時、 


「揺するなっ!」


 とメイルが鋭い声を上げ、レイラが動きをピタと止める。


「怒鳴って悪い。でも聞いてくれ。揺すったら、タルトが掛けた魔法が解けちまうんだ。爺さんの魂を、泡が包んでいるのが見えるだろ?」


 レイラが僅かに頷くと、メイルの視線はタルトへ。


「タルト。今使った魔法は魂を回復させる魔法であってるよな?」

「――違う。魂の、崩壊を、防ぐ魔法。効果は一晩、のはずだけど、待って、今、全然頭が回らなくて」

「落ち着け。一先ず時間は稼げたわけか。なら、まずはここからどうにか移動しないとな」


 メイルは、もう一人の妹の方を向き、「メエム、おいメエム」と呼びかけるが、何故かメエムは一切反応を示さず、「メエムも駄目か」と舌を打つ。


「タルト。ヨハンを放して先に確認させてくれ」


 何を、とは思うものの、タルトはヨハンを放し、


「ヨハン。俺達を吸い込んだ場合、中の俺達はどんな状態になる?」


 ヨハンの返答は、今のまま。


「そいつは朗報だ。俺達を吸い込んで、安全な場所まで運べそうか?」


 ヨハンはパタンと閉じ、彼に頷く。

 それを見たメイルは目を閉じて安堵するような息を吐き、両手で軽く髪を整えると、「よし」と言い、視線をまたタルトへ。


「タルト。操ったグラーセルをどこまで移動させられる?」

「やってみないと、分からなくて」

「そうか。まぁできるだけ遠くにやってくれ」


 言われた通り、タルトは傀儡を操り路地から出して右に走らせたが、直ぐに限界が来て、そこまで遠くへは行かせられなかった。

 それでも、見えなくなったのは心理的に大きく、動揺がおさまってきて、タルトが少しだけ平静を取り戻した、その時だ。

 

「メイルは――――」


 と言ったレイラが、次の瞬間声を荒げた。


「メイルはどうしてっ、どうしてそんなに冷静なのよ! お爺ちゃんが消えちゃうかもしれないっていうのにっ、どうしてっ!」


 レイラは、両手で顔を覆い、泣き崩れ、タルトは戸惑い、メイルに至ってはそんな彼女を面倒がるように頭を搔いていたが、直ぐにちょっと疲れたような顔をして溜め息のようなものを吐くと、徐に彼女の後ろ側に回り込み、その小さな背を抱き寄せていた。


「泣くなレイラ。大丈夫だ、爺さんはきっと助かる。俺を信じろ」

「――――信じるから、助けてよ。お爺ちゃんを助けて……メイル」

「ああ、絶対に助けてやる。約束――――そうだな、約束しよう。爺さんを一人にはしないってな」


 そんなことを言って微笑を浮かべるメイルの横顔は、寂し気に見え、


「悪いな、こんな兄で。メエムの言うこと、ちゃんと聞くんだぞ」 


 その顔を向けられたタルトは、今の言葉がまるで別れの言葉のように聞こえて、メイルがどこか遠くへ行ってしまいそうな感じがして、無意識に手を伸ばす。

 その、瞬間だった。


「ヨハン、頼む」


 とメイルが言い、ヨハンが体を開いた。

 そして、そこから魔力が溢れ出てきて渦を巻き始め、皆を吸い寄せ始める。

 タルトは、心がもやもやしていて、このまま行くのが嫌で、一人それに抵抗し、考えていた。

 アルバークのことをだ。

 生まれ変わらせるドッペルを使えば、恐らく彼は助かるだろう。助かるだろうが、うまく助けられたとしても、魔法などに変えられてしまった彼は、その時どう思うだろうか。きっと、恨む。

 考えるだけで恐ろしく、逡巡しているうちに皆先に行ってしまった。

 状況は最悪で、心が鬱屈としていて、苛立ってもきて、瞳に涙まで浮いてきて、


「誰か――――助けてよっ!!」


 と、大声で叫び、タルトは今の気持ちを表に出す。

 直後、ピシ、ピシィと周りの建物が音を立てて亀裂を走らせ、突然の出来事に彼女は驚いて身構え、そんな彼女の前に地面に横たわっていたヨハンがすっと来て、


『殺す気かバカ』


 と書き、タルトは眉尻を下げて「ごめんね」と言ってヨハンを両手で掴むとパタリと閉じ、そっと胸に抱き寄せる。

 どうしたらいいのか分からなかった。本当に誰かに助けて貰いたかった。

 八方塞がりのように感じていた。

 そんな彼女の腕に、尻尾の鞭が幾度も振るわれ、

 

「痛い、痛いよ」


 と言ってタルトはヨハンを放し、本が開かれて魔力が渦巻き、今度は抵抗せずにその流れに身を委ね、魔導書の中へ。

 初めて入ったその場所は、雪原を思わせる真っ白な世界で、タルトは思わず息を呑む。



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