第16話 ワクワクの予感


「――こ、ここって!」

「見ての通りだよ」

 

 思わず息を呑むタルトの眼前には、大きな市場が広がっている。

 袋に入った香辛料、吊るされた魚や肉、色取り取りの野菜や果物なんかも並べられていて、料理を提供している店や、お菓子のような物を売っている店まである。


「凄いっ、初めて見た!」

「喜んで貰えて何よりだよ」


 タルトは、パっと瞳を輝かせ、一気に上がったテンションで溜まった疲れを吹き飛ばし、躍りだす心のままに駆け出す。 


「こらタルトっ!」


 と、慌ててメイルが手を伸ばしたが、人垣に阻まれてその手は空を切り――――、身体の小ささを利用して人垣の隙間を縫うように移動していた彼女は、グロテスクな料理を提供している店を見つけて思わず引いてしまい、その店の前で足を止めていた。


「この町名物、血骨スープだね。見た目はアレだけど味はいいよ。飲んでみる?」


 離されることなく、ぴたりとついていたグラーセルがタルトに言う。

 タルトは、思い切り頭を振って返す。

 名前通りの沢山の骨が刺さって浮かぶ赤いスープは気味悪く、味が良かろうと、そんなものを口にしたくはなかったから。


 タルトは、気を取り直して、また市場の中を鼠のように這い回り始め、皆を引っ張り回しながら、目新しい物を見つけては、あれは何だ、これは何だと沢山質問し、その度に、この街に住む既知の三人が代わる代わるで彼女に答え、その兄や姉はというと、そんな彼女を微笑ましい目で見ている時もあったが、頻繁に商品名を口に出しては、品名が書かれた板に指を差したり、じっと見つめたりしていた。


 タルトは、その行為が何であるか、ピンときていた。

 文字を覚えようとしている。

 彼女もまた、生前の頃とはまったく違う奈落で使われている文字に、慣れてはいなかったが、文字に触れると、何故か頭に流れこんでくるようにその意味が分かるので、そのことを特に苦にはしていなかった。

 

「伝わってくる感じある?」


 タルトはメエムの手を取り、品名が書かれた板を触らせてみたが、分からないといった感じの顔で首を傾けられた。

 やっぱり、魔女じゃないと出来ないのかな。とタルトは思ったが、


「何やってるの?」

「これだよ。これ」


 と聞いてきた同じ魔女であるレイラにもやってみたが、不思議なことに、彼女の反応もメエムの時とまったく同じであり、その時気付いた。

 文字を読み取る力は、他の人にはない自分だけが持つ特別な力なのだと。

 

 その自分だけという特別感がタルトに少しの優越感を齎し、何故か同時にもっと多くの寂しさを与え、どうしてだろうと彼女は思い、なんか違うとも思った。

 一人だけというのは嬉しくなかった。仲間外れというのは嫌だった。


 また一つ悩みを抱えたような気がして、タルトは頭を振って忘れようとし、気を紛らわすように、周りに目を向ける。

 飴やチョコといった菓子類を置いてある店が目に留まり、タルトは吸い込まれるようにその店へ。

 そして、奢って貰って食べていた。


 お金を出して貰うのは少々気が引けたが、今は無性にそういうものが食べたい気分であり、レイラが率先して、子供等の分を出すようアルバークにねだり、手渡してくれていたので、むしろそれを遠慮するというのは彼女に失礼であり、であるなら、有難く頂戴して腹に収めるのが筋というもので、小腹も満たせたところでタルトが一行を引き連れて次に向かったのは、細工品を並べている店である。


 それらは買って貰っていた菓子類と比べるとずっと高いが、売値の桁が三つも四つも変わるものではなく、自分の商品が売れていたら、買っていたのになと思いながら、タルトが花のついた髪飾りを見ていると、後ろから皺のある手がすっと伸びてきて、 


「この髪飾りを三つくれんか」

「毎度ありー。色はどうされます?」

「――ふむ。どれがいい?」


 とアルバークに見られたのは、無論女の子の三人。


「赤にしましょうよ」


 とレイラが同じ色の髪飾りを三つ手に取り、さっさと全員分の色を決めてしまう。

 

「わたしは同じのにするつもりだったから、それでいいけど。タルトは?」


 タルトは、メエムの顔を見て、次にレイラの顔を見て、淡い笑みを作り言う。

 

「――うん。同じのでいい。みんな同じがいい」


 それは偽らざるタルトの本音であり、何種類もあったチョコを選ぶ時、ずらりと並んだ色取り取りの果物を包んだ飴を選ぶ時、逐一同じにしてくれたレイラにタルトは好印象を抱いていた。

 仲間外れはなし、皆同じというのが堪らなく嬉しく、会計が終わり髪飾りを手渡されると、タルトは二人と一緒に、同じものを、同じ個所にパチリと留める。


 が、直ぐに可愛いかどうかを問うように、レイラがくるくる回って見せびらかし始め、直ぐにメエムも続き、タルトは衝撃を受けた。

 そんな真似、出来る気がしなかった。

 自分の容姿に絶対の自信がある者だけに許された、離れ業のようだった。


 女の子としての格の差、みたいなものを感じつつ、しかし自分だけしないのも何か嫌で、気恥ずかしさで一杯の中、タルトは、一回だけ、一回だけと思って、くると一回転する最中に無難な人物を選び、回り終えた直後に上目遣いでその人を見る。


 見られていたのはメイルだったが、彼は腕を組み、うんうんと二回ほど頷くだけで、終始無言である。

 いや何か言えと、本当に一言でいいから言って欲しかったタルトは、顔が茹ってくるのを感じ、顔を隠すように頭を抱えて蹲る。


「いやー、みんな可愛いですねー。僕も子供が欲しくなりましたよ」

「今は高いぞ?」

「ええ。需要に供給が追い付いてませんからねー」


 まるで、子供を何処かから買ってくるかのような、妙な言い方を二人がしていて、タルトは、顔を上げて二人を見る。

 

「あの、子供ってコウノトリっていう鳥が、愛し合う夫婦のもとに届けてくれて、生まれてくるんですよね?」


 アルバークが、タルトをまじまじと見つめて、すっと目を横にずらし、凄い形相で考え込むようなポーズを取る。

 グラーセルはというと、子供に向ける微笑ましい顔をしている。


「残念なことに奈落にはコウノトリさんはいなくてね、子供を届けてはくれないんだよ。だから奈落では、愛の結晶っていう石に夫婦で愛を込めて子供をつくるのさ」


 それは想像してみると何処かロマンチックで、タルトは淡い結婚願望を抱くものの、良い相手もおらず、そもそも今は子供だ。

 当分先のことになりそうで、口から溜め息が漏れている。


「なぁ、今の話って子供向けの作り話か?」


 と言うメイルの目はグラーセルに向いていたが、アルバークがこう答えていた。


「いや、事実じゃ。愛の結晶なる水晶のような石に、夫婦で子供が欲しいと祈っておるとその石が子供に変わる。あれは何とも不思議で、神秘的な光景じゃった」


「なるほど。で、そいつの需要に供給が追い付いてなくて、子攫いなんて事件が起こってる訳か」


 グラーセルが驚くように目を開き、メイルに言う。


「おや、分かるんだね。前から思ってたけど、メイルくんは聡明だね」

「何、他の子供よりちょっと長生きしてるだけさ」

「そういうところがだよ。まるで自分は大人だと言っているように聞こえてくるのが不思議だね」

「馬鹿言うな。見りゃ分かんだろ」

「そうだね。でもここには、見た目があてにならないのもいてね」

「例えば、悪魔とかか?」


 メイルがニヤっと笑って言うと、グラーセルは片手を軽く払う。

 

「悪魔は知らないけど、天使はそうらしいよ。なんでも神話の時代からずっと変わらぬ姿なんだとか」

「そら超常の存在だからだろ。俺は、ただの人間さ」


 嘘吐きと思うものの、タルトは口を挟まない。

 メイルの素性バレは即ち、秘術に繋がるのだ。

 使えることを極力隠さなければいけない都合上、今の嘘は仕方ないと思えた。


「僕だってそうだよ。でも、長い時をここで過ごしてきたけど、ちっとも姿が変わらなくてね。大人はみんなそうなんだ。子供は大きくなるけど、奈落は狭いようで広いから、一人くらいは体だけ大きくならない子がいても不思議じゃない。あとは――――何でもないよ」


 何を言おうとして、隠したのか。

 メイルはそれを分かっているような顔だった。ニヤニヤしていた。


「俺は別に、人に化けてなんかないぜ」

「僕は何も言ってないんだけど。メイルくんは本当に賢い子だね」


 メイルは肩を竦め、何処吹く風といったところだが、タルトは彼の行いを咎めたくて仕方なかった。

 怪しまれるような言動は控えるべきだ。疑われると、碌なことにならない。

 しかし、そこでハっとする。


 アルバークが彼女のことを子供ではないと確信した理由の一つに、口調の切り替えというものがあり、それは幼少期より高度な教育を受けられた、つまるところ貴族階級の子でもなければ、彼女くらいの年頃の子にはまず出来ないことらしく、タルトは浮世離れした顔付きこそ貴族らしいが、態度やマナーがちっとも貴族然としておらず、元々ちぐはぐなようには思われていたらしい。


 では、どうするか。どうしようとタルトは思い悩む。

 貴族でもないのに、貴族然とするのは嫌で、かといって誰に対しても子供っぽく話すのは、それはもう子供らしくというより幼子っぽくて嫌だった。

 

 とりあえず、そういうことに詳しそうな爺にちょっと相談してみようと、タルトは怪しまれぬようさっと周りを見て、足音を立てぬように気を付けながらスライドするように横に滑り、こっそりとアルバークに近寄って行く。


 アルバークが、ローブの袖に手を入れた。

 そのあと、肩でも凝っているように首を動かし、袖から抜いた手を自然な動作で下ろすと、タルトに一枚のメモ書きを見せる。

 ――――怪しまれる。今は待て。


 タルトは、愕然とし、思った。

 何も言ってないどころか、おかしな動きひとつしていないのに、爺はどうして聞こうとしていることが分かったのか。流石は宮廷爺、凄いと。

 口を開けて固まっていると、メイルが傍にきて、肩に腕を回してきて、


「良かったなー、タルトー。綺麗な髪飾りを買って貰えてー」


 それ今いうこと、とタルトは思ったが、


「こら、変な動きすんな」


 小声でそう注意され、――――そんなに分かりやすかった?

 と心の中で彼に問い掛け、そのまま見ていると、突き飛ばされるように背を押されて、レイラにまで潜めた声でこう聞かれる。


「こっそりお爺ちゃんに寄ってって、どうしたの?」


 それで、タルトはやるせない気持ちになり、天を仰ぐ。

 完璧な隠密行動だと思っていたのに、子供のレイラにまでバレてしまうとは。

 情けなくて気が滅入り、口から、はぁと溜め息が漏れて、

 

「ほんとどうしたのよ急に」

「――何でもないから、ちょっと、そっとしておいて」

 

 タルトはレイラに手のひらを向けてそう言うと、メエムのところに行き、横から静かに抱き着いた。

 

「落ち込んでるんだねー。よしよし」

 

 と頭を撫でられて、タルトは、癒されるのを感じ、「ありがと」と礼を述べる。

 

「タルトはいつも一生懸命で、頑張ってると思うよ」

「――どうだろ。自分じゃよく分からなくて」

「わたしは分かってるから。勿論お兄ちゃんもだよ」


 メエムの視線の動きに合わせて、タルトも同じ方を向いた。

 そこにいたメイルは、俺は思ってないとばかりに肩を竦めたが、


「まぁ、なんだ。あんま考えんな。楽しく生きろって」


 そう言われ、――――楽しく、楽しくか。とタルトは思う。

 そして空に目をやり、広いと思った。

 今の自分は、もう閉じ込められてなんかいないのだ。

 広い所に出てきている。行きたい所に好きなように行ける。

 それはつまり、自由ということであり、そうだったと、忘れていたと、そう生きようと決めていたではないかと思い出し、


「――そうだね。私は私っ!」


 急に大声を上げた彼女に周りの視線が集中したが、今の彼女はもう、周りの目など気にしておらず、その後は意気揚々と市場を回り、その終わりが見えてきて、そろそろ帰るかという時だ。


 グラーセルが片方の靴を脱ぎ、中を手で丁寧に、それはもう緩慢に見えるほどの動作で丁寧に払い始め、皆が何となしにその光景を見ていると、急に彼は腰の鞘に払っていた靴をぶつけ、「あ」と声を漏らす。

  

「いけないいけない。私としたことが」

「お前さん、子供達を連れ出した本当の目的はそれか」


 アルバークが、恐ろしい笑みを浮かべていた。

 人を金縛りにする、あの強烈な笑みだ。 

 しかし、対するグラーセルは肩を竦めてその蛇睨みを飄々と受け流し、

 

「ここで一網打尽にできれば、今後安全になります」


 そんなことをアルバークに言う。

 

「儂もおるしのう。しかし、先に話しておくのが筋ではないのか」 

「言えば、アルバーク殿は協力してくれましたか?」


「レイラは無論、この子達もマンモンから預かっておる身でな。危険な目に遭わせたくはない。協力どころか反対しておったじゃろうな」


「でしょう?」


とグラーセルが微笑を浮かべる。

 

「ですが、もう目を付けられてしまいましたからね」


 アルバークがぎりと歯を噛み、そんな彼を睨んだ。


「この借り、高くつくぞ若造」

「いやー、本当に助かりますよ。アルバーク殿」


 ニコニコとした顔でそう言われたアルバークは、溜め息を吐き、直ぐに屈み込んで子供等を手招きした。


「皆すまんが、悪党につけられておる。衛兵がついておるから、襲ってこない可能性もあるが、グラーセルは見ての通り、腕は立ってもあの見た目じゃ。儂もこの通りの爺じゃしな。指一本触れさせる気はないが、少々怖い思いをさせてしまうやもしれん。いけそうか?」


 それで女の子組は顔を見合わせ、


「多分としか言えないが、つけてんのは二人だな? しっかし、こっちは賊まで手練れ揃いなのかよ。ほとんど分からねぇ……」


 腕を組んだメイルがそう言う。


「メイルくんは、流石じゃな」


 その言葉に、レイラが乗っかった。


「メイルやるじゃない。今度はもうちょっとマシな服着て来なさいよ」


 確かに彼は頭一つ抜けて小汚い恰好をしていたが、今は割と小奇麗な服を着ていて、さらりとした頭髪に大人しい顔立ちも相まって、今はまるで良いとこのお坊ちゃんのようである。

 タルトとメエムも、シックなデザインのワンピースに着替えていた。 

 それらはアルバークからの詫びであり、メイルとメエムが着ていた衣服を見て、不憫に思った家族からのプレゼントでもあった。

 

「今言うことか。レイラ、爺さんの傍を離れるなよ」

「分かってるわよ。タルトとメエムも離れちゃ駄目だからね」


 メエムと共に頷くタルトは、少し震えていた。

 ただその震えは怖いからではなく、戦前の武者震い。

 楽しみでならなかったのだ。

 これから皆で協力し、悪党を打ち倒すというのが。

 頼もしい味方がついている、というのもあり、怖さなんてものはなかった。


「あぁっ! そういえばメイルくんはー、剣を欲しがっていたねー。この先に安くて良い店があるんだよー。いやー、給金の安い『新入りっ!』の僕なんか、そこで買ってばかりだよー」


 今発言したグラーセルを、男二人がジトリとした目で見ている。

 

「うわ……。グラーセルの野郎、釣る気満々だな」

「ちとわざとらし過ぎんか? あれで釣られるようなら、大した相手ではないのう」

 

 今使われた釣るは、罠に掛ける、という意味で、それを知っていたタルトは、グラーセルの演技の意味が分かり、言った。


「分かった! アルバークさんは全然ヨボヨボじゃないけどお爺さんで、ついてる衛兵も新入りなんだって分かったら――――」

「簡単にやれちゃいそうに見えるから、悪党は絶対に襲ってくるってことね!」

「そうっ!」


 タルトはレイラとハイタッチをかまし、よく分かっていない顔のメエムに作戦内容を耳打ちし、今度は三人でハイタッチをする。


「はしゃぐのは構わないが、賊に向かって犯人だとか言って指差したりするなよ」

「そんなことしないわよ。タルト以外は」


 呆れ顔のメイルにグサリと釘を刺され、味方だと思っていたレイラにまで後ろから刺され、ひるむタルトの頭にメエムがポンと手を置いた。


「タルトは賢いから、大丈夫だよ」

「メエムお姉ちゃん……」


 タルトは、うるっときた。

 勿論そんなことをするつもりなどなかった。

 あの時誓ったのだ。もうしないと。

 うまく演技して、悪党共を罠に掛けてひっ捕らえねば。

 タルトは、無性に円陣を組みたくなって、すっと手を前に出す。

 それに姉と友が頷いて手を乗せ、溜め息を吐いたあとに兄、そして爺も続き、


「アルバーク殿。気取られます」

「変わらんよ。お前さんの下手くそな演技で釣られるような相手ならな」


 グラーセルは肩を竦めたが、そのあと手を乗せてきたので、


「頑張ろーっ!」


 とタルトは掛け声を上げる。

 おー、と続く声は大きいのもあれば、小さいのもあって、ちっとも揃わずばらばらだったが、そういうのも楽しくて、「ふふっ」と笑い、


「ヨハーン」


 と知らぬ間に何処かに隠れた相棒を呼び寄せる。

 露店の上からヨハンが顔を出し、何も言わずにタルトの両手に収まった。


「ヨハンも頑張ろうねっ」


 尻尾を振られ、ヨハンを撫でていると、「こっちだよ」とグラーセルが先導を始め、彼の後ろにはメイル、その後ろには女の子三人で仲良く並列に並び、最後尾はアルバークの布陣に自然となり、皆は賊を懲らしめに出陣する。


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