第15話 思わぬ人材と魔界の住人

 アルバークの自室の前で、ヨハンが、誰にも聞かれぬよう見張りに立っている。

 部屋の中では、メイルがムスっとした顔で壁に背を預けていて、熱を感じられない不思議な火が燃え立つ炉の傍で、タルトは、やつれ気味のアルバークと話しをしていた。

 歳のことや、何者であるか等。必要だと思うことを少し付け加えて。

 今のアルバークに、タルトは怖さを感じてはいなかった。

 むしろ、少し同情していた。あんなに怒られて、可哀想、と。

 

「――――ふむ、あい分かった。まだ腑に落ちんところもあるが、もうよい。儂はもう疲れた」

「勝手に脅して、勝手に疲れて、良いご身分だな」

「悪かったと思っておる。金輪際しないと誓おう。この名に懸けて」

「――おい、クソジジイ。いつまで宮廷魔術師やってんだよ」

「メイルお兄ちゃんっ!」


 メイルが、「チッ」と舌打ちをし、タルトは驚いた。

 ここまで不機嫌なメイルを、初めて見たから。

 、 

「お前はもう、ただの一人の男だろうが。御大層な名に誓ってんじゃねぇよ」


 アルバークが、驚くように目を開き、直ぐに閉じて、


「そうじゃな。その通りだと今更ながら気付いた。儂も耄碌したものよ、未だに過去の栄光を忘れられずにいるとは」


 と言い、二人に頭を下げた。


「すまん。もう二度とあのような真似はせん。すまん!」   


 タルトはそれに戸惑ったが、「いいだろう」と言ってメイルは壁から背を離し、思い詰めたような顔をして、自分の手のひらを見る。


「カッとなって偉そうなこと言っちまったが、俺だって、今の自分を何も分かっちゃいなかった。俺、子供だったんだよ。こんな小さな手で本当に剣を振れるのか、誰かを守れるのか――――」


「剣とは、心で振るものと聞いたことがある。メイル殿にはその心があるように思うが、子供の体で大人に勝つのは至難の業じゃろうな」


「分かってる。あと今まで通り『くん付け』でいい。今の俺は小さな子供なんだ。爺さんが俺のことをメイル殿なんて呼んでたら、レイラが混乱しそうだしな。そうだろ?」

「――すまないな、メイルくん」


 子供扱いされるのを嫌っていたメイルが、自らそのようなことを言い出すとは。

 タルトはそれを意外に感じたが、同時にこうも思った。

 皆、今のままでは駄目だと思い、変わろうと、成長しようと頑張っているのだと。

 そして、彼女は負けられないと思った。 


 あの老婆には、誰もがお前の顔を羨むようになると言われたが、未だ羨ましがられたことは一度もなし。


 モニカに似たようなことを言われた記憶もあるが、彼女が羨ましがっていたのは女の子らしい見た目であり、お姫様然とした、綺麗な顔を羨ましがっていた訳ではない。


 いくら美しくとも、子供の顔では、誰も羨ましがってはくれないのだろう。

 ――――早く、大人になりたいな。

 ふと、子供のようなことを思ってしまい、タルトは吹き出しそうになり、思った。

 もう大人なのにと、何を馬鹿なことをと。

 その瞬間――――いや、違うとタルトは思った。


 今の自分は子供、小さな子供ではないか。もう大人ではないのだ。

 なら、子供の様に思っても別におかしくはない。

 それに、子供からやり直すのも、そう悪いものではない。

 今は人に疎まれるような姿ではなく、お転婆で、皆に愛されていたお姫様の姿をしているのだから。

 悩みが一つ解消出来たように感じ、何かすっきりしたタルトは、「はいっ」と元気良く片手を上げ、アルバークを見る。 


「――ふむ。何かな?」


 と聞くアルバークは、不思議そうな顔だ。

 

「私も今まで通り『ちゃん付け』でお願いします。私も今は子供なので」


「あい分かった。そのようにしよう。しかし、タルトちゃん――――いや、二人とも、体に違和感のようなものを感じてはおらんか?」


「別に? 人間の体にもう慣れちまって、今は特に感じてないな」

「私は元々人間なので、本当に最初の方だけ、ちょっとだけ」

「そうか。感じてはおらんのか――。ふむ」


 と言うと、アルバークは考え込むように、手の甲に顎を乗せる。


「なんでそんなこと聞いたんだ。隠し事はなしで頼むぜ」


 それはタルトも感じていた疑問であり、聞きたいことだった。

 

「言ってよいのか? 儂が言われる立場であれば、寝込みたくなるような話じゃが」

「そんなにか。メエムにはあとで知りたいかどうか聞くとして、俺はいいが、タルトはどうする?」

「ちょっと怖いけど、知っておいた方がいい気がするから」


 二人が言うとアルバークは頷き、話し始める。その内容は、こう。

 魂というものは多かれ少なかれ魔力を生成し、その魔力と狂わされた魔力は反発しあい害になるそうで、普通の魂では狂わされた魔力を取り込み、それを操るなんてのは不可能であり、それを解決しようと思ったら、もう魂そのものを根本的に作り変えないと無理とのこと。

 その話を聞き、タルトが思ったのは、だから彼は苦しんだのかと、あとは拍子抜けに感じていた。

 が、次の言葉で彼女は大きなショックを受けることになる。


「それはもう、普通ではなくなるということ。魔法生物に生まれ変わったと言えばいいのか、魔法そのものに変わってしまったと言えばよいのか……」


「普通の人間じゃ――、ないってことですか?」


「平たく言えば、そうじゃな。あの狂人め。自らのみならず、タルトちゃんまで巻き込み、肝心なことを伏せて、恐ろしい魔法を教え込むものよ」


 魔法を教え込んでくれたのはヨハンだが、今そんなことはタルトにとって重要なことではない。そんな恐ろしい魔法を使ってしまったという事実の方が、ずっと重く伸し掛かっていた。


「私……、使っちゃいましたっ。話せないのをいいことに、メイルお兄ちゃんとメエムお姉ちゃんに、良かれと思ってモニカにも。マンモンさんにも、もう少しで……」


 俯き、震え始めたタルトの頭を、アルバークが優しく撫でる。


「悪いのはあの狂人であって、タルトちゃんではない」


 タルトは、そんな風にはとても思えなかった。自分が――、自分が悪い。

 と自責の念に駆られ、「まぁ、その、なんだ」と、恐ろしい魔法とやらを掛けられた張本人のメイルが、彼女に言った。


「そもそもだよ、俺もメエムも元々人間じゃない。魔法に加工されたからって、何も思わないし、動けるようにしてくれて、感謝してるくらいだぜ。タルトはさ、俺らの魂に込められた想いに、応えてくれただけだろ?」


 アルバークが手を離したタイミングで、今度はメイルがタルトの頭を撫でる。


「モニカだってきっと感謝してるさ。タルトは違うのか?」


 いいや、感謝していた。泣いて喜ぶくらいには。

 タルトは頭を振り、顔を上げ、真っ直ぐな視線をアルバークに向ける。


「私も――、私を生まれ変わらせてくれたお婆さんに、感謝しています。だから、お婆さんのことを、狂人だなんて、言わないであげてください。お婆さんは――、ドルドールお婆さんは、私の初めての、大切な友達なんです」


「謀られていたというのに、怒るどころか感謝を述べ、大切な友達とまできたか。メイルくんに注意される前の儂であれば、あの魔女め、うまくやったものだと思い、それではいけないと言っておったと思うが、今は不思議と言う気にならん。何故じゃろうな」

「そんなの簡単だろー」


 と、メイルが呆れたような顔をしている。


「爺さんも、心の奥底では今のままじゃ駄目なように感じてて、変わっただけだろ」


「長く生き、魂だけになっても尚長く生き、石よりも硬くなっていた頭を、叩き割られたというわけか」


「俺も爺さんに叩き割られたからな、お互い様さ」


 と、そう言って肩を竦めるメイルに、アルバークは微笑を浮かべ、この場が旨く収まったことにタルトも安堵の息を吐き――――、そうやって分かり合うことができた、後のことだ。


 アルバークに教えて貰いながら、魔法の練習をする傍ら、タルトは一人やきもきしていた。

 一向に売れないのだ。店頭に並べさせてもらった魔法商店の商品が。

 二つは力作だというのに、その原因は皆目分からない。


 ごはんの後、練習の後、一段落つくタイミングで毎回確かめに行っては、がっかりし、どうして売れないのか、家人に聞いて回っても、そのうち売れると思う。のような、曖昧な回答ばかりであり、タルトは今、商売に関わりのない衛兵のグラーセルに、藁にも縋る思いで相談しに来ていた。


「どうしてだと思います?」

「そうだねー」


 と考え込むような仕草を見せたグラーセルの傍で、メイルが棒きれを振っている。

 彼は一人、アルバークではなく、グラーセルに稽古をつけて貰っていた。

 魔法を覚えるよりも、こっちの方が性に合うそうだ。


「そもそも、ここは肉屋だからね。肉を買いに来た客が、タルトちゃんが並べた玩具まで買おうとするかな。タルトちゃんだって、玩具を買いに肉屋には行かないよね。玩具屋に行くはずだよ。違うかい?」


 タルトの目から、ぽろと鱗が落ちる。

 考えてみればそう。

 薬屋に行くのは薬を買うため、服屋に行くのは服を買うため、肉屋に行くのは無論、肉を買うためだ。であるなら、


「なんか、分かりました。そうですよね。お肉屋さんで玩具を売っても、誰も買ってくれませんよね。お肉を買いに来てるわけですから」


 とタルトは言う。


「そうだね。でも、絶対に売れないわけじゃない」

「え――、そうなんですか?」


「そうだよ。それが何であれ、魅力的な品であれば客は手に取るものなんだよ。ああ、並べ方も大事だね、売り文句も書いてないよね。これはここでしか売ってないとても良い品だから、早く買わないと大損するぞって、言い方は悪いけど客を遠まわしに脅してやるのさ」


 タルトは感心し、拍手を送りたい気持ちになった。

 グラーセルは藁などではなく、商売に精通した御仁だったようだ。

 ただ、言われたことを実行するには問題もあり、


「あの、ありがとうございます。でも、売り文句っていうのが分からなくて。並べ方は手伝って貰いながらやったので、多分大丈夫だと思うんですけど」


 言うと、グラーセルはこんな提案をしてきた。


「だったら、僕と一緒にこっそり他の店を見て回るかい?」

「こっそり、ですか?」

「ああ。正直に伝えてしまうと、ここのやり方じゃ商品が売れないから、他の店を参考にするって言ってるようなものだからね」


 確かに。ありのまま伝えれば、あらぬ誤解を生みそうだ。

 こっそり見て回らなければならない理由に納得したタルトは頷き、


「分かりました。こっそり見に行きましょう。いつ出発します?」


 と周囲を警戒するように見ていたが、「黙って見に行くわけじゃないよ」とグラーセルに笑われてしまった。

 なら、どうやってこっそり見に行くというのか。その答えは割と直ぐ分かり、タルトは彼に言った。


「あの、嘘吐いて見に行くっていうのはちょっと……、嘘はもう吐きたくないというか、吐かないって決めてて」

「嘘なんて吐く必要はないよ。それに僕も嘘を吐くのは好きじゃない」

「――じゃあ、なんて言ってお店を見に行くんです?」

「タルトちゃんはまだ、この街を見て回ったことはないよね。見て回りたくはないかい?」


 言われてみると、興味はあった。今の今まで商品の売れ行きばかりが気になり、そちらに意識が向いていなかった。 


「――見て回りたく、なりましたけど。それとこれとは関係が……」


 あったと、タルトはハっとした。


「街を見に行きたいって言って、お店を見て回るんですか? でもそれって嘘を吐いてるような……」

「嘘なんて吐いてないよ。街を見て回るのは本当さ。そのついで、ついでに沢山の店に立ち寄るだけさ。僕は何一つ嘘なんて吐いてないと思うけど?」

  

 言いくるめられているような気がしないでもないが、確かに嘘を吐いているようには思えず、もやもやしたものを抱えつつも、タルトは口をつぐむ。


 グラーセルとは頭の出来が違うように感じた。相当なキレものだとも思った。

 少し面倒で、怖い爺と渡り合っていただけのことはある。 

 その爺も彼を一流と評していたし、ちっともそんな風には見えないが、もしかすると彼もまた、元は大人物だったのかもしれないと思い、

 

「グラーセルさんって、存在感――じゃなくて、アルバークさんみたいな独特な気配はありませんけど、どこかの国の英雄だったんですか?」


 とタルトは聞いた。すると、グラーセルは、きょとんとした顔になり、直ぐに吹き出して、言った。

    

「僕が英雄? そんな大そうな人間じゃなかったよ。僕はただの――――」

「ただの?」

「そうだねー。僕はよく昇る朝日を隠していただけだよ」


 意味が分からず、タルトは小首を傾げる。

 

「分からないよね。でもそれでいいんだ。さて、行こうか。善は急げって言うしね。メイルくんも一緒に行くかい?」


 聞かれたメイルは棒きれを振るのを止め、言った。


「ああ、俺も行く。メエムも行きたいって言うだろうし、呼びに行かないとな」

「じゃあ、みんなでアルバーク殿のところに行こうか。一緒にいるだろうしね」


 それで伝えに行くと、レイラも行きたいと言い出し、


「では、儂も付き合うか。一人で四人も護衛するのはしんどかろう」

「いやー、少々負担が大きく困っていたところで。助かりますよ、アルバーク殿」


 ニコニコと笑みを浮かべ、グラーセルはそんなことをアルバークに言っていたが、どうするつもりか。

 アルバークがいては、偏った道案内など期待出来ない。

 道すがら、彼にどうするつもりかこっそり尋ねてみれば、


「心配は要らないよ。打って付けの所を案内するから、面白そうな店を見つけたら、立ち止まって見てくれるかい?」


 そうすると、それとなくそこに案内してくれるわけか。

 タルトは、そう思って頷き、周囲に神経を張り巡らせていたが、この街の道は斜めの急勾配になっており、まず山登りのようなきつい上り坂を歩かされて、体力をごっそり持っていかれて、周りを見る余裕などなくなり。

 そんな疲弊しきった状態で下ることになって、今度は足を取られ、店を見るどころではなかった。


 ただ、そんな状態でもよく覚えている場所はあって、しゃれこうべのトンネルに骨の滑り台とブランコ、血飛沫のような赤い水を噴き出す噴水まであった、何とも禍々しい公園だ。

 親子連れが沢山いたが、あれらは恐らく魔界の住人達だろう。

 まともな神経をしていたら、あんな場所に好き好んで居られない。

 居たくない、というのがそんな公園を目にした時の彼女の率直な感想だった。


「あの、もういいです……」


 と疲れ、うんざりした顔でタルトが言うと、「次で最後だから」とグラーセルは言い、それで彼が案内したのは、多くの露店が立ち並び、人だかりができていた場所だ。

 大勢の口から漏れ出る声で辺りは煩く騒めき、「らっしゃい!」と威勢の良い声なんかもそれに混じって聞こえてきて――――、


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る