第12話 鎧は奈落の深さを知る
見覚えのない部屋の中、寂しさを感じていた。
視界の端に映るベッドの上には、炭のあと。
そうだった、自分とよく遊んでくれた女の子は、病気に掛かり炭になったのだ。
それからというもの、来る日も来る日も外を眺め続けていた。
今日は青色の空、それが段々と茜色に染まり、日が沈み切って、部屋が真っ黒になる。
いつもと同じだ。
待っていれば、そのうち明るくなる。
しかし、今日は思いのほか、それが早くきて、いけないと思った。
部屋を明るくしたのは日差しではなく、囲む火だったから。
直ぐに体を焼かれ始め、逃げ出したかったが、何処かに行くわけにはいかなかった。
みんなのことをお願いと、女の子に頼まれていた。
一番体が大きくて、強い自分が、小さい子達を火から守ってあげないと。
その間に、――――早く逃げて!
しかし、動かない視界に、皆が逃げていく姿は映らなかった。
そうだった、みんな動けないのだった。
『ごめんね、守ってあげられなくて。体が動いたら、守ってあげられたのに』
焼け落ちていく中、強く思い、そして願う。
動きたいと。あの女の子のように――――。
そこでタルトは目を覚まし、目元を拭った。
鮮烈な夢だった。しかし、記憶にはないもので、ふと横を見ると、自身が寝かされていたベッドにメエムが突っ伏しており、寝息を立てていた。
あの夢は、何となく彼女の記憶のような気がして、タルトは毛布を出ると姉の髪をそっと撫で、ベッドから降りて靴を履く。
今いるのは子供部屋、そこにはメイルとレイラもおり、
「ああ、タルトちゃん。少し魘されておったが、気分は悪くないか?」
言ったのはレイラの祖父、名はアルバークだったか。
タルトは頭を振り、長椅子に寝そべるヨハンの隣にいる彼に「大丈夫です」と答える。
「それなら良いが。タルトちゃんもこちらへ来て、一緒にどうじゃ」
レイラが、一本の糸で人形の手足を動かす練習をしていた。
背中を向けているので顔は見えないが、「んんー」と唸り必死な様子。
メイルはというと腕を組み、タルトを見ていた。
ちょいちょいと手招きをされ、タルトは彼の傍に行く。
「タルト。魔力ってのが全然分からなくて困ってるんだ。何かいい方法を知らないか?」
「魔法を使いたいの?」
「ああ、まぁ、そうだな。覚えておいて損はないみたいだから」
とメイルは言って、目を移し、その視線の先にいたアルバークが、彼に軽く頷いて、
「体を強化する魔法を覚えれば、飛躍的に強くなれる。まぁ、奈落では体は魂の一部、いや魂を守る薄皮とでも言った方が良いか。血肉に効果を与えるのとは訳が違う。普通の魔法を覚えるよりもずっと難しくはあるが、肉体の制限がない分効果も高い」
「とはいえだ。まったく覚えられる気がしなくてな」
「そうだねー。私がヨハンにやってもらった方法で試してみる?」
「頼む」
とお願いされ、タルトは左手に魔力を集め、メイルの手を握る。
「手のひらに、熱みたいなものを感じない?」
「あー、すまん。このやり方はもうやって貰ったあとなんだよ」
アルバークが、愉快愉快と言わんばかりに笑っている。
「魔法に縁遠かった者の秘めたる才能を視る際には、そうやって視るのが普通じゃからのう」
「で、俺には才能が無かったわけだ。でも、使える可能性まで無いわけでもないらしくてな。俺と同じ状態だった爺さんの嫁さんが、今では魔法を使えるそうだ」
才能が無いとの烙印を押されていたにも関わらず、メイルが魔法を覚えようとしていた理由はそれか。
なるほど、とタルトが納得していると、「ふぅ」と一息ついたレイラが彼女にこう言った。
「タルトは才能あるんだから、私と同じ練習よ」
しても良かったが、その前に、メイルの方をどうにかしてやりたくもあり、
「ちょっと待ってね。試してみたいことがあるの」
と言って、タルトはメイルの背中に手を当て、魔力を流し込む。
すると、「おぉ?」とメイルが反応を示し、上手くいったと思って、タルトは入れた魔力を操り、体を巡らせるようにすいすい動かす。
「お、おぉ。分かる、これが魔力か!」
メイルが忙しなく首を動かし始め、体の中を移動する魔力を、目で追っていた。
その姿がもう本当に可笑しくて、つい笑ってしまったタルトの気付かぬところで、
「――メイルくんの魔力を、操っておるのか?」
と聞いた。当然、タルトは彼にこう返していた。
「操ってませんよ。メイルお兄ちゃんは私と同じで魔力がないから、ヨハンの魔力を流し込んで、それを操ってるんです」
そして、「どう、自分で動かせそう?」とメイルに聞く。
「自分でか。ちょっと待ってろ」
ふん、とメイルは気張った顔をするが、ちっとも魔力は動いておらず、タルトはくすくす笑いながら、「全然駄目だよー。動いてなーい」と彼に言う。
「難しくてな。魔力がそこにあるのは分かるのに、くそっ! 動かねぇ」
「魔力が消えるまで、練習してるといいよ」
「ああ、絶対に動かしてやる。兄の威厳ってのを見せてやらないとな」
今度は、ふんぬと声を上げ、メイルは動かそうと必死な顔だ。
これで自分のことに集中できそうで、タルトは窓の所にある人形を取りにいき、戻ると直ぐに、
「私は魔法を使わないと魔力を糸にできなくて。やり方を教えてくれない?」
そう、レイラに教えを乞う。
「普通はそういうのがバッチリ出来るようになってから、魔法を教わるものなんだけど、よく暴発させずに魔法が使えるわね」
暴発させた回数は数知れず、それで怪我をした回数も数知れず、そういう魔法の教わり方をしたタルトは、当然ヨハンを見る。
知らん知らん、という風に尻尾を振られ、タルトは、カチンときて、
「ヨ~ハ~ン~」と睨み付ける。
「ヨハンがどうかしたの?」
「私はヨハンに魔法を教わったから、ちょっとお話ししたいと思って」
タルトは、ニッコリ笑うとカっと般若のような顔をして、ヨハンに飛び掛かった。
が、ひょいと避けられ、そこからは部屋の中を追いかけっこ。
手が届くかどうかの高さを維持しながら、嘲笑うかのように飛び回るヨハンに、タルトが苛立ちを募らせていると、メイルがヨハンを捕まえ、「ほら」と彼女に手渡す。
「部屋の中を走り回るな」
「だってヨハンがっ!」
「そうだな。ヨハンも悪い。でもタルトもだからな」
何故、危険な方法で魔法を教えられた被害者の自分まで、怒られなければならないのか。
理由が分からない訳ではないが、理不尽にも感じ、そんな思いを、そのままタルトが顔に出していると、メイルは腕を組み、言った。
「手を上げるつもりはなかったが、拳骨をくれてやった方が反省しそうだな」
それでタルトの心はすぐに折れた。
ぶたれるのは本当に嫌だったのだ。痛いから。体のみならず、心まで。
「ごめんなさい」
「――いや、俺も悪い。タルトにあたっちまった。何やってんだか」
小さな声で言うと、メイルは頭を掻きながら離れていき、また練習をし始める。
あたっちまった。なんていう言葉と、彼が向けた、少し辛そうな横顔が印象的で、この時タルトは、何か引っ掛かるものを感じていた。
非常に既視感のある感覚だった。メエムの時とまるで同じ。
つまり、前までのメイルと、今のメイルは何かが違う。
ただ、今回はすぐに解けた。拳骨のくだりだ。
これから暴力を振るうという脅し言葉など、彼の口から初めて聞いた。
何故言ったか、無論あたられたのだ。
そんなことをしてしまう時など、タルトの中では決まっていた。
「もういっていいよ」
と言い、ヨハンを解放するとメイルの服を後ろから引っ張り、顔を向けさせる。
「どうした?」
「メイルお兄ちゃん、何か悩んでるよね」
「――いや、別に?」
「嘘! 嘘を吐いたら駄目って言ったの、私はちゃんと覚えてるからね。白状なさい」
「待て、タルト。落ち着け。男には、いや二人の兄として、妹達には知られたくないこともあるんだ。タルトは賢いから、分かってくれるよな?」
頭を撫でようとしてくる手を払い、タルトはキっと睨み付ける。
それでメイルは、冷や汗を流すような顔をしたが、それでも尚隠し事を言わない彼に、
「二人の兄として、不甲斐なさを感じ、いや痛感しておると言った方が良いか」
アルバークが言い、咎めるように、「爺さんっ!」とメイルが声を上げた。
「人知れず努力をしておるだけじゃよ。そう焦ったところで、何か変わるものでもなく、若いのう」
「それでも――――俺は」
何を隠しているのかと思えば、タルトは正直、そんなことという気分だった。
「メイルお兄ちゃん。それもう知ってるから。隠しても今更だよ」
「いや、まぁ、そうだな。そんなこと言ってた気もする。でも、あの時とはちょっと違うんだ」
何が違うのか、その答えはアルバークが知っていた。
「一人前などと、自惚れておった時とは、か?」
「ああ、そうさ。俺は自分のことをもっとできる奴だと思ってた。けど、ここじゃ半人前どころかそれ以下さ。奈落の底は深い、か」
奈落の底は深い。初めて聞く言葉だが、会話の流れから何となくその言葉の意味が分かり、それであっているかどうか、「上には上がいるってこと?」とタルトは聞いて確かめる。
「ああ。かつて剣聖とまで謳われた男や、宮廷に仕えていた魔術師が、辛酸をなめるくらいにはな」
剣聖に宮廷魔術師、数々の物語を読んできたタルトには、馴染みのある言葉だった。
どちらも大人物を現す言葉だが、疑問なのはメイルが、何処でそんな者達の情報を仕入れてきたのか。
ただ、察しはついていた。この場に一人、気配の違う人物がいた。
老いを感じさせない引き締まった体と、力ある太い眉、何より魔法使いが好んで着るローブを羽織っている。タルトは彼の方を向き、
「宮廷に仕えていた魔術師って、多分ですけど、アルバークさんのことですよね?」
聞いてみれば、頷かれ、得心がいった。
そんな大人物に教えてもらっていたのだから、レイラが凄いわけだと。
「タルトもやっぱり分かる? お爺ちゃんって他の人とは気配が違うわよね。なんか風格があるっていうか」
「分かる分かる。こう言うと失礼な感じだけど、ちょっと怖いというか」
「あーそれ分かる! お爺ちゃん怒ると本当に怖くて、体が全然動かなくなるの」
「え、怖っ! ごめんさい! でもそれ本当?」
「ほんとほんと。タルトも一度怒られてみるといいわ。私の言ったことが嘘じゃないって、よく分かるから」
「ええー、嫌だって。態々怒られたくなんかないし」
きゃいきゃい二人で騒いでいると、アルバークが「少しいいか」と聞いてきて、目を向けられていたタルトは「――えと、何ですか?」と彼を見た。
「タルトちゃん、ひとつ儂に魔法を見せてくれんか。使えるのだろう?」
「使えますけど……。どれがいいかな?」
タルトが使える魔法は、
パペットかキャンドル。
魔法として分かりやすい前者か、レイラの知らない後者を見せてあげるか、悩みどころであり、
「私はまだ一つも魔法を教えて貰ってないのに……、タルトはいくつ魔法が使えるのよ」
レイラに恨みがましい目を向けられて、「あはは……」と曖昧に笑い返しながら、タルトは意外に思っていた。
あんなに凄いことが出来るレイラが、まだ一つも魔法を教わっていないというのは。
「どれ、と選んでおる中に、力を奪う魔法は入っておらんか?」
「力を、ですか? ありません、けど……」
そう答えると、アルバークにじっと目を見られ、
「では、質問を変えようか。相手を石ころに変えてしまう魔法は使えんか?」
今度はそう聞いてきた。
答えは、使える。
ただ、それはこんな場所で使うわけにはいかない、前述の危険極まりない魔法であり、使えると口に出してしまうと、何か取り返しのつかないことが起こりそうで、呼吸まで止めるように、タルトは強く口を引き結ぶ。
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