第10話 危険な口移し
体感で、一時間か、二時間か。
一行は、それくらいの時間で巨骨の尻の所に着いた。
辺りには霧が立ち込めていた。そして眼前には、傾斜のきつい吊り橋が見え、それは上へと伸びていた。
「下賤が寄るな、我は高貴なる青ぞ〈隔たる壁〉」
橋に乗りガタガタ揺れ出す直前で、マンモンが魔法を唱えていた。
しかし、別段周りに変化はなく、馬車が傾いて、積み荷が後ろに滑り出す。
「おい、やべぇっ!」
「商品がっ!」
メイルが一番にとびつき、三人ほど続く。
そうやって慌てて食い止めようとした面々に、マンモンはこう言った。
「そんなことする必要はねぇよ。手を放して見てな」
あ、と幾人の口から声が漏れ、押さえきれなかった荷が乗り入れ口に到達し、不思議なことにそこでピタリと止まる。
「なぁ、マンモン。ひょっとしてさっきのは結界の魔法か?」
「そんな大そうなもんじゃねぇよ。ただの壁だ。俺みたいな高貴な血筋の者だけが通り抜けられる、な!」
マンモンがドヤ顔で言い、モニカがゴミでも見るような目を彼に向けている。
「聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるから、そういうのやめてくれない?」
「あのな、確かに今の俺は賊の親玉みてぇだが、昔の俺は――――」
「あら、自覚はあったのね」
「うるせぇ、最後まで言わせろや!」
二人がそんなやり取りをする傍ら、メイルとメエムが何とも不思議そうな顔をして、魔法の壁をぺたぺた触っていた。
通り抜けられないんだと思い、タルトも触りにいくが、同じように抜けられなかった。
ただ、魔力をかき乱して魔法を壊すのは簡単に出来そうで、別の突破法にも彼女は気付く。
いや、そちらこそ悪魔の魔法〈隔たる壁〉の正規の通り方なのだろうと察し、物は試しと、「ヨハーン」と呼び、相棒から一定以上の魔力を引き出せば、思った通り、すっと手が通り抜けて、
「おぉ! タルトは通り抜けられるんだな」
「どうやって通り抜けたの?」
「えーと、それはね――――」
とタルトが仕組みをばらし始め、マンモンは顔を右手で覆い、直ぐにその手を開いて、天を仰ぎ見る。
「そんなことだろうと思ったわよ。何が高貴な血筋の者だけが通り抜けられるよ」
「普通はそう簡単に分かるもんじゃねぇんだよ。お、俺の威厳が失われていく……」
「親方は高貴なる青の中でも上の使い手で、おらなんかよりもずっと魔法の腕はいいんだけんども。今回は相手が悪うございやしたねぇ」
「分かっちゃいるんだよ。でもな、男の――いや年長者のプライドってのがあってだな。メイルなら分かってくれるだろ?」
「気持ちは分かるけど、どこの世界にも天才ってのはいるもんさ。タルトみたいな、な!」
「タルトは凄いね! よしよし」
二人に頭を撫でられ、タルトは胸の内に広がる気持ちに戸惑っていた。
嬉しかったのだ。少し前までなら、メイルとメエムに頭を撫でられても、嬉しくなどなかったのに、本当に不思議な気持ちだった。
――――その少しあと、入り口の所に立っていた、二人の衛兵に呼び止められて、ヴィッセが横向きに馬車を停めて、マンモンが何かを握り潰すような動作をして壁を消していた。
「久しぶりだなヴィッセ。急に来なくなったから心配したぞ」
「大羊に脱走されちまって、大変だったんでさぁ」
「そうか。そいつは災難だったな。一応中は確認させてもらうぞ、規則なんでな」
「どうぞどうぞ。好きなだけ見ていってくだせぇ」
外でそんなやり取りが交わされ、衛兵の一人が中を覗き込み、途端に眉根を寄せる。
「子供が三人も……。おい、マンモン。お前は確か、子供はいないと言っていたな?」
「俺のガキじゃねぇよ。ドルドール様のとこの子だ」
「ドルドール様の? お前を疑う訳ではないが、それを証明できる物はあるか?」
「おいおい、急になんだ。めんどくせぇこと言いやがって。証明ったって――――」
マンモンの視線があるものに向かった。
気付いたタルトは言った。
「あの、ヨハンは証明になりませんか?」
「ヨハン?」
「魔導書が浮いてんだろ。そいつはドルドール様の魔導書で間違いねぇ。そんでお前が今喋ってる子は、あれだ、ドルドール様の弟子だ」
マンモンがそう言った途端、衛兵の男は腕を組み、何故か高圧的な態度をとった。
「ほう。それは増々怪しいな。おい、マンモン。俺とお前の仲だ。悪いようにはせん。正直に話せ」
「正直に話せって、お前な……。正直に、話してんだろうがっ! さっきから一体何だってんだてめぇこの野郎っ! いちゃもんばっかつけやがって、あぁ?」
突然、マンモンが熱り立って衛兵に近付けていき、頭と頭が擦れるような位置で睨み合いを始める。
途端に緊迫した空気が流れ始め、はぁと溜め息を吐いたモニカが物怖じせずに割って入り、「はい、ストップ」と二人に待ったを掛ける。
「喧嘩したって、何も解決しないでしょう。タルトはドルドール様の魔法も使えるわ。それは証明になりません?」
「俺はドルドール様の魔法を見たことがないからな。判断が出来ん。ノスレック様であれば分かるとは思うが、そんなことの為に、呼び付ける訳にもいかんしな」
衛兵の男が言うと、マンモンも頭を冷やすように深い息を吐き、男にこう尋ねた。
「そもそもだ。この子がドルドール様の弟子だと怪しいってのは、どういう了見だ」
「ドルドール様は、弟子を取らないことで有名だろう」
「ああ、それはだな――お年を召して気が変わったのさ。お前は知らないだろうけどな」
タルトが魔法を教わったのはドルドールではなく、ヨハンだ。
弟子というならヨハンの弟子な訳だが、彼女は口を挟む気はなかった。
余計なことを言って話を拗らせたくはない。というのが一番の理由だが、ヨハンの生みの親がドルドールであることを彼女は知っていて、であるなら間接的にではあるがドルドールから魔法を習っている訳であり、『弟子』というのも強ち間違えてはいなかったから。
「そう言われると、言い返せんな。お前は確かにドルドール様と交流がある。正直、今の今まで眉唾ものだと思っていたぞ」
「なんでだよ、と言いたいが、分からんでもない」
「唯一行方知れずの六賢者様だからな。ああ、いや、そう言うと怒るのだったか?」
「あたしは賢者じゃなくて魔女だよってな。で、また行方知れずになって、置き土産として残されていた魔導書に気に入られたこの子が、あとを継いで店にいたわけさ」
「ほう。で、その子を連れてきたと。他の子達は?」
「一緒に店にいた子達だ。いい加減これで満足してくれ。こちとら長い道のりをぶっ通しで来てんだぞ。へとへとなんだよ、分かるだろ?」
「いや、おい、お前まさか――――」
「ああ、しまった!」
何が、と思った瞬間。タルトは、力が抜けるのを感じ、同時、メエムがふらりと揺れて倒れ、全体を幽霊のように透けさせて、宿る魂を露にした。
「メエムっ!」
メイルが、一目見て危険な状態の妹を抱きかかえ、
「この大馬鹿野郎がっ!」
と、衛兵の男がマンモンを怒鳴りつける。
「うるせぇ! それよりお前、何か食うもん持ってねぇか? 生肉食わすわけにもいかねぇしよ……、やっちまったぜ畜生がっ!」
「お前な……」
と呆れた顔をしつつも、衛兵の男はもう一人の衛兵に言う。
「グラーセル。店に駆けこんで何か貰ってこい。ふやかす水も忘れるなよ」
指示された衛兵が中へと駆けていき、モニカが、頭を抱えるマンモンに言う。
「なんであんな状態に……。状況が分からないわ。知ってることを話して」
「――魂だけになろうと。動いてりゃ、いいや、じっとしてても生きてた頃と同じようにエネルギーってのを使うんだよ。だが、魂ってのは肉体と違って意識しねぇと空腹を感じず、そいつを補おうとはしねぇんだ。要は飢餓状態ってこった。お前は平気なのか?」
モニカは小首を傾げていたが、突然驚いたような顔をして、自身の腹を軽く摩った。
直後、幾人かの腹から気の抜けるような音が出て、その一人でもあった彼女は、顔を少し赤くし、軽く咳払い。
「驚いたわ。言われるまで気付かないのが不思議なくらいの、空腹を今感じたわ」
「だろうな。生きてた時と同じようで、ここはまったく別の、魂の世界だ。俺としたことが、失念してたぜ。早く他の魂を取り込ませてやらねぇと、そのままってこともままある。馬鹿なのか俺は、いつもの感覚で馬車を走らせちまって――、クソっ!」
「マンモン、落ち着きなさい。タルト、あれでいけそう?」
目を向けられたタルトは頷き、ヨハンを見る。
パサっと開き、己を差し出してきたので掴み取り、即座に三種類の魔力を引き出して、左手に集めると、彼女は隣のメエムに触れようとして――――その瞬間。
視界が傾き、パタリと倒れて目を瞬く。
メエムのように意識を失い、体を透けさせるほどではなかったが、自身の状態も相当危ういものに思えた。
「タルトっ!」
「平気――じゃないかな。力が全然入らないから、体起こすの手伝って」
タルトは、モニカに体を起こしてもらい、メエムに左手で触れた。
「朽ちゆく魂に泡沫の火を灯そう〈人魚泡のキャンドル〉」
泡のような光が吸い込まれていき、魂にへばりつくと、体が元に戻ったメエムがパチリと目を開け、
「メエム、大丈夫か?」
とメイルに聞かれても彼女はよく分かっていない顔で少し首を傾けていたが、モニカに抱えられて力なく笑うタルトを見た途端、跳ね起きて自身の妹を揺すり始めた。
「タルトっ! どうしたの、何があったの!」
「大丈夫だから、じっとしてて。掛けた魔法が、解けちゃう」
「わたしに、魔法を?」
タルトが答える前に、「ええ」とモニカが言い、こう続ける。
「空腹で倒れたメエムちゃんを、タルトが魔法で起こしたのよ」
その直後、一際大きな虫の鳴き声が響き、メエムが顔を真っ赤にして頬に両手を当てる。
「一先ず安心出来そうね。タルト、次は貴女の番よ。もう一回、今度は自分に掛けられる?」
「自分に掛けても、直ぐに魔法から元の魔力の状態に戻っちゃって、あまり意味なくて」
「困ったわねぇ。マンモン、火を起こす魔法は使える?」
「あ――――ああ! そうだな、それがいい」
マンモンが荷の肉を手に取り、タルトは少し考える。
こんな状態で、重たい肉など食べられるだろうか、と。
「身を焦がされ恐怖しろ、我を誰と心得る〈青の怒り〉」
青い炎が上がり、芳ばしい匂いがあがった。
肉が運ばれてきて、しかしタルトは何故か横に寝かされて、これでは齧り付くのも、咀嚼するのも難しそうで、起こしてと、言おうとした時だった。
マンモンから肉を受け取ったモニカが、意味深なことを言い出す。
「このままじゃ食べられないと思うから、メエムちゃんも手伝って。よく噛んで柔らかくするの、間違えて飲み込みないようにね」
モニカが肉を噛みちぎり、余りをメエムに手渡した。
そして、もぐもぐ、もぐもぐと。二人は、一生懸命、咀嚼し。
あとの展開が容易に想像できたタルトは、思わず白目を向きそうになった。
安らかに死なせて欲しかった。そんなことをされるくらいなら。
大量のパンと水差しが届けられるまで、地獄を見せられたのち、飯の最中にマンモンだけ呼ばれて外に出ていき、しばし、戻ってくると彼は皆にこう言う。
「入っていいってよ。新入りをつけてくれるサービス付きでな」
気弱そうに見える優男が、マンモンの後ろから顔を覗かせて会釈をした。
飯を届けてくれた方の衛兵だ。
「グラーセルといいます。短い間ですが、よろしくお願いします」
彼は声まで大人しく、そんな彼に喝を入れるように、力強く背を叩く者がいた。
やり取りをしていた方の衛兵だ。
その衛兵は、厳ついマンモンと睨み合いをしていただけあって体格が良く、雄々しい顔付きをしていて、漂う風格は歴戦の将。そういう不思議な雰囲気を持った男だった。
「なんだその挨拶は。守る立場の者が下手に出てどうする」
「ミラド隊長、子供もおります。あまり高圧的に言っては怯えさせてしまいます」
「誰が高圧的に言えと言った。もっと、堂々としていろと言っているのだ」
「しかし――――」
「しかしもかかしもあるか。何度言えば分かる。衛兵たるものそれではいかんと」
「ミラド。そのへんにしといてやれ」
とマンモンが口を挟む。
「しかしだな」
「しかしもかかしもねぇんだろ。俺のツレが戸惑ってんじゃねぇか」
親指で差された所を見て、雄々しい衛兵は軽く咳払い。
「ここで隊長をやっているミラドだ。今は少し物騒になっていてな。詳しい話は中に入ってから、こいつかマンモンにでも聞いてくれ」
「新入りは俺らの見張り役でもあるが、護衛でもあるんだ。ま、とりあえずだ」
そう言うとマンモンは馬車に乗り込み、グラーセルという衛兵も中に入ってきた。
そこで妙な間が空き、「おい」とマンモンが前に声を飛ばす。
「だから一言少ねぇんだって」
「分かってんなら、さっさと出さねぇか」
「へいへい。一時はどうなることか思いやんしたが、話が纏まって良かったですよって、このすっとこどっこい」
「誰がすっとこどっこいだこらぁ!」
ひぇ、とか変な声を上げていたヴィッセだったが、直ぐに馬車を旋回させ始め、マンモンがまた壁の魔法を唱えていた。
一行はやっとこさ街の中へ。
積み荷を卸しに行く道中、マンモンが皆に頭を下げたのを皮切りに、グラーセルには各々礼を言い、卸し先に着くと、外で煙を吹かしていた男が煙草を踏み消し、マンモンに怒鳴るように言った。
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