第9話 山拝む人骨

 解体ショーの決定と、その後、荷売りに行くと話したマンモンに、街を見に行きたいという理由から、ついて行って良いかと尋ねると、快い返事を貰い、厩舎の方で、スプラッタ劇場が繰り広げられる最中、タルトはメエムと共に大羊達と戯れていた。


 今は、見晴らしの良い大羊の上。

 見上げる空には、もう沢山の雲が浮かび、手を振ると、雲は大きな手を形作って振り返してくれた。

 奈落のこういうメルヘンなところ、タルトは嫌いではなかった。

 とはいえ、今の彼女に出来るのはそれだけ。あちらを手伝うことなど出来ない。

 

 モニカが言うには、バラされたくらいでは大羊は消滅せず、元気に活動出来るそうだが、それはそれで恐ろしく、その時がくると、彼女は身構えるように胸を抱き、顔を引きつらせる。

 空洞の両目に青い光を宿す、不気味な骨の羊が、厩舎からのそのそ出てきていた。


「骨だけなのに動くなんて、大羊は凄いね!」

 

 一緒に乗るメエムが言った。

タルトは、それを凄いの一言で片付けられる、メエムの方が凄いと思った。


「あ――お兄ちゃんが呼んでるよ。行こっか」


 厩舎横、馬車が停まっている所から、メイルが手を振っていた。

 売り物の肉や羊毛を乗せ終わったようだ。

 タルトは、大羊に屈んでもらい、メエムと一緒に尻で上から滑り降りると、隠れるように彼女の後ろについて行き、皆と合流して馬車に乗る。

 

「しっかしこれ、魔法の馬車だったのには驚いた。馬が何処からともなく出てくるんだもんな」 

「メイルは魔法の馬車を見るのは初めてだったか。こいつは派手さは無いが、速度は出るし、頑丈に出来てる上等品だぜ?」

「派手なばかりで、実用性のないのよりずっと良いってことか?」

「おう、その通りよ。メイルは分かってんな!」


 ガッハッハと、楽しそうに笑い合う男二人に混じるタルトは無言であり、ただただ後ろを見ないようにしていた。化け物がいる。


「大丈夫、寒くない?」


 と、メエムがそいつの頭を撫でている。


「寒いッス」

「メエムちゃん。甘やかしちゃ駄目よー。自業自得なんだから」

「ボスは厳しいッス……」

「いっぱしの おすが弱音吐かないの。外側を剥がされただけなんだから、食べてれば、直ぐに元に戻れるでしょう」

「そうなの? 戻れるの?」


「ウッス」と短く答え、大羊ならぬ骨羊は去って行く。


「普通の羊は、骨になったら土に埋められるだけなのに。大羊は変わってるね?」

「私達が変わってる訳じゃなくて、今いる所が変わってるだけよ」


 そう言うモニカの視線は、扉の家の入口に向けられていた。

 粉々にされたはずの扉が、縁の方から独りでに直ってきていた。

 

「最初は薄気味悪くて仕方なかったけど。どんな場所でも、住んでるうちに都に見えてくるのだから、不思議だわ」


 と続けた彼女の言葉に被せるように、手綱が打たれて馬が走り出し、一行は西へ。

 目指すは白翼の国にある北の町。

 今いる所は何処の国のものでもないらしく、マンモンが強いてとつけて言ったのは、ドルドール個人の所有地というもの。

 緩やかというほどではないが、揺れ少なく、風に波打つ緑に車輪の線を引き続け――――、空に雲が渦巻き始めた辺りで、前方に、禍々しく伸びる樹木が立ち並ぶ鬱蒼とした森が見えてきて、ヴィッセが右の手綱を引いて、進行方向を北に変える。


「嫌な森だな」

「見ての通りさ。森に入って行ったっきり、二度と戻っては来なかった。なんて奴は結構いるみたいだぜ?」


 外に顔を出していたメイルが、ヒューと口笛を吹く。

 ――――迷いの森なのかな?

 そう思うと気になり、タルトもこそっと頭を外に出して、直後ドキリとするものを見てしまい、慌てて引っ込めた。

 一瞬ではあったが、木に人の顔のようなものが見えたのだ。

 それは森に消えていった者達の怨念が宿ったものか、はたまた、ただの偶然か。


「どうしたの?」


 と、聞いてきたメエムに、タルトは思わず抱き着く。

 幽霊のようなものになろうと、幽霊は怖かった。


「タルトは急に甘えん坊さんになったね。よしよし」


 とタルトの頭を撫でるメエムに、メイルが優しい眼差しを向けており、


「メエムもお姉ちゃんが板に付いてきたじゃないか。というか、タルトは何にびびってんだ? 怖い話を聞いたからか?」


 ただ彼は余計なことを言い、メエムに睨まれていた。


「もうお兄ちゃん! タルトを怖がらせないで!」

「お、おう……悪い」


 そんな軽いやり取りがあってから、どれくらい経ったか――――、


『草の海を渡れば、次は終わりの見えない森が遮る。進めど進めど周りの景色はちっとも変わらず、皆疲れた顔をし、まだ着かないのかと口々に言う』


 ヨハンがそんなことを書いていた。

 口々のところだけは創作だが、それは概ね事実であり、


「いい加減うんざりしてきたな。果てた荒野の方がまだマシだ。もっと短い旅だと思ってたんだが、それ、大丈夫なのか?」


 辟易した顔のメイルが、そう言って生肉を指差すと、マンモンが、「なんだ。メイルは奈落に来てから浅いみてぇだな」と言い、ニヤニヤした顔を彼に向けた。


「浅かないっての! ただ、俺は店の中でずっと動けずにいたからな。奈落のことは、あまり知らないんだ」

「ほう。つまりは箱入りの坊っちゃんってわけだな」

「その言い方はよしてくれ。へこむ」

    

 とメイルが項垂れ、そんな彼を他所にマンモンが食材というか肉についての講義をし始める。

 その内容を要約するとこう。

 肉は、奈落では加工しなければ新鮮な状態を保ち、今積んでいる大きな塊であれば、だいたい一日はもつとのこと。

 ただ、奈落の一日は、日によって長さが大分違い、そのことに関してはこうである。


「時計で測れねぇから、どうしても体感になっちまうが。一日経つのに短い日でひと月くらいか。長い時はそりゃもう分からねぇ。これくらいの大きさの肉なら、短い日であればもつな」


「長い長いとは思ってたが、ここの一日は随分長いんだな。つーか、時計で測れないってのはどういうこった? ――――そういや、うちの店に時計なかったな。誰も気にしないもんだから、すっかりそいつを忘れてた」


「ごはんの時間でだいたい分かるし、時計って必要?」

「私は元々時計のないところで暮らしてたから……、なくても気にならないというか」


 マンモンが頭を掻いている。

 彼は、時計なんか必要ない。そんな風に言う三人の子供に、微妙な顔を向けていた。


「逞しいこって。今の奈落は時が狂わされててな。時計の針が突然逆方向に進み出したりしてよ。当てに出来ねぇからって、みんな時計を捨てちまったはいいが、慣れるまでほんと苦労したんだがな。六賢者様達が時を狂わすまでは、ここの時計も正確に時を刻んでくれてたからなぁ」


「婆さんたちがやったのかよ。なんでそんなことをしたんだ?」


 その回答が出る前に、タルトがすっと片手を上げる。

 そして、直ぐに頷き返された彼女はこんな茶目っ気を見せた。


「一度これやってみたくて。ありがとうございます、マンモン先生!」


 途端にマンモン渋い顔をして、隣のモニカが吹いていた。


「似合わないわねー」

「うるせぇ」

「へぇ。タルトは知ってたのか」


 メイルの言葉にタルトは頷き、ピンと一本、指を立てて言う。

 

「えーとね。混沌の王タルタロスに施した封印は、日数で解けてしまう不完全なものだから、それを少しでも遅らせるために、やったんだったかな」


「正解だ。時間を稼いでその間に力を蓄えておこうって寸法だ。もっとも、不完全とはいえ、やわな封印でもねぇらしい。解けるのはまだまだ先みたいだぜ」


「しっかし、封印されるなんざ、その王様は相当な手合いなんだな。いや、化け物って呼んだ方がいいか?」


「ああ。悪魔も恐れる、な。俺は遠目からしか見たことはないが、お近付きにはなりたくない雰囲気を出してたぜ。最高位の、天使と悪魔を、カクテルしたような感じだったな」


「凄く分かりにくい例えをありがとよ。俺は天使になんて会ったことないし、悪魔とお近付きになったのも最近さ。思ってたのとは真逆の気の良い奴で、死ぬほど驚いたけどな」


 マンモンが豪快な笑い声を上げ、前に目を向ける。


「悪魔にも色々いるのさ。なぁヴィッセ」

「ああ。怖ぇのもいるぞー。おら達みたいなのばっかじゃねぇさ」 

  

 前を向くヴィッセは気付いてはいないが、お前も悪魔だったのか、というような微妙な空気に馬車内はなっていた。


「まぁ、なんだ。ヴィッセも俺と同じで翼と尻尾を混ぜられちまっててな。悪魔の尊厳てのを狂い姫に奪われてんだ。人間と間違われても仕方ねぇさ。あいつも尊厳を持ってた頃は、もっと品のある奴だったんだがな。失ってからというものだらしなくなるわ、変な喋り方をするようになるわで。ま、そうやって別人になり済まさなねぇと逃げ延びられなかったんだけどよ」


 その時だ。ヴィッセが「尊厳をっ――――!」と、唐突にらしからぬ凛とした声を上げる。


「あの狂い姫に一矢報い、領主様が尊厳を取り戻した暁には、私も――――」

「分かってらぁ! 急に戻んじゃねぇよ、そういうのは全部終わったあとだ。俺も、お前も、生きてたらだけどな」


 それから少しの間、馬車の中は静かになり、唐突にメイルがぼそりと言った。


「その、なんだ、こっぱずかしくて言いたくないな」


 いったい何を、疑問の視線を向けられる中、メイルは腕を組んで他所を見た。

 マンモンだけがその行為を理解し、少しだけ口の端を持ち上げていた。


「メイル。お前も不器用な野郎だな。ありがとよ、気持ちだけ受け取っておく」

「おう。精々腕を磨いといてやるさ」

「いらねぇっての」


 妹達から説明を乞われ、メイルは隠したことを結局言わされるはめになり、それから、あーだこーだと皆で騒いでいるうちに、ゴトゴトと馬車が揺れ始め、いったい何事かと、乗り入れ口の方に目を向ける、初見の者達の目に映ったのは、地面に転がる白骨だった。


 しかも、それは一つや二つではなく、進むほどにその数を増していく。


 幸いだったのは、この馬車が、そのような悪路をものともしないほど、頑丈だったことと、血痕のようなものがなく、凄惨さがなかったこと。

 マンモンが、不思議なものでも見るように、骨道に目を向ける、モニカを含むタルト等初見組に、こう言った。

 

「そっちを見るより前見てみな。面白いもんが見えるぜ」


 揺れる中、四人は、沢山積まれた荷を支えにして前へ。

 いくつもの山が連なる山脈が見え、そこに奇怪なものが混じっていた。

 周りの山々と遜色ないほどの大きな人骨が、こちらに尻を向けて頭を垂れている。

 背骨の上には街が広がり、どうやらあそこが目的地のようで、


「あんなところに街をつくるなんて、随分悪趣味ね」

「同感だ。いかれてる」


 と、そこを見ながら、モニカとメイルが眉根を寄せていて、

 

「おいおい、俺も思ってるが街中でそれを言うなよ。もし聞かれでもしたらことだ。ここの領主は変わり者で有名でな。とにかく神出鬼没なんだよ。短い間しか滞在しねぇ俺らも、一度同席したことがあってな。それもやっすい飯屋でな!」


 マンモンが諭すように愚痴を零すと、御者席のヴィッセが、ハッハッハと大きな笑い声を上げる。


「あん時は、目が飛び出そうなほど親方は驚いてやしたねぇ」

「当たりめぇだろうがっ! 嫌な気配が近付いてきたと思って態々中に入ったのに、なんで野郎まで普通に入ってくるんだよ。もっと高級な店に行けってんだ。仮にも領主だろうがっ」

「面白そうな奴だな。でも、マンモンが嫌な気配に感じたなら、近付かない方が良さそうか」

「ああ、そうじゃねぇ」


 とマンモンは手を仰ぎ、溜め息でも吐くように言う。


「悪魔の俺らにとっては、ってやつだ。野郎は天使なんだよ。翼を見た限り堕ちてはいたが、気色悪い感じは変わらねぇな」

「相容れぬ仲ってやつか」


 メエムが、タルトの耳元に口を近付け囁く。「仲悪いんだね」と。

 しかし、「天使と悪魔だからね」とタルトが小声で返すと、彼女は首を傾げていた。


「なんで?」


 なんでって、天使と悪魔は相容れぬものだと相場が決まっているから。

 両者が出てくる本、全てでそうだったから。

 そして、それら全てにおいて悪魔は悪く書かれていたのに、現実の悪魔はそうではなかった。

 つまりそれは、本に書かれていることは全部デタラメだったか、あるいは、悪魔全員が悪い人という訳ではなかったということ。

 なら、きっと魔女もそうであり、魔女たる者かくあるべしと考え、そうあろうとする必要なんてなくて、

 ――――自分らしく生きよう、せっかく生まれ変われたのだから、思うまま、自由に。

 と、そう思った瞬間だ。

 囚われていた檻を抜け出したような奇妙な感覚を覚え、タルトは、きょとんとしながらも周りを見る。

 先ほどまでと何も変わらないようで、確かに何かが違った。

 しかし、それが何なのかは分からない。

 分からないが、今は不思議と、とても気分が良くて、

 

「歌――、うたってもいいかな?」


 自然と口からそう零れ、口々に歌えと言われてタルトは深く息を吸い込んだ。

 そして、遠くまで届けと手を伸ばし、澄んだ声を上げ始める。


 ガタゴトと体を揺らしながら、楽器のように歌を奏でる馬車は進む。

 町はもう見えてはいたが、空の色を映して全体的に緑にぼやけ、まだ遠い。

 日誌のようなものを書いていたヨハンが、こんな言葉で締めくくっていた。


『旅は長く、されど険しくもなく、案外楽しいものである』



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