第8話 妹思いの胸の内

 交わされる言葉もなく、ただ睨まれ続けて、どれくらい経ったか――――。

 土煙を上げながら、帰って来る大羊の群れが視界の端に入り、タルトは救いを求めるように、そちらに目を向けた。

 先導をしているのは、無論というべきか騎乗したモニカであり、親善大使を除き、投げ飛ばした連中も、彼女の周りにいる大羊達に乗っていた。

  

「人を乗せてる子達は止まってー!」


 その掛け声で指示された羊達だけ止まり、皆が降り、全員集合したところで、モニカがタルトに聞いた。「何があったの?」と。

 しかし、それに答える前に、メエムが喚くように言う。


「タルトがいっぱい嘘吐いたの! お兄ちゃんからも言ってやってよ!」

「こらタルト。嘘吐いちゃ駄目じゃないか。それでメエムに説教くらってたのか。俺も説教してやるから、ちょっとこっちに来いっ」


 タルトは、不満を叫びたくて仕方なかったが、悪いことをしたのは理解しているので、何も言えず、扉の家に連行され、メイルにもお説教をくらった。

 が、思っていた展開と大分違っていて、彼は怒った顔ではなく、心配そうな顔でこう叱ったのだ。


「タルト。お前が俺達のことを思って、遠くに行かせたのは知ってる。俺達がドゥバンに怪我させられないように、除け者にしたんだろ? 腕の立つタルトから見れば、俺達は頼りにならないどころか、邪魔になる足手纏いだったんだろう。でもな、俺が、俺達がどれだけお前のことを心配したか分かるか?」


 タルトは、投げとばした連中が文句を言ってきたら、魔法をちらつかせて黙らせる腹づもりだった。

 先にメエムに怒られたことで、そんな気は疾うに失せていたが、本物の魔女になるには、嫌でもそうしなければいけない。と考えていた。

 しかし、今はその考えが誤りであり、浅はかなもののように思え、


「――――私は、間違えてたみたいだね」


 と、声を落とす。


「ああ。間違えてた。もう二度と俺達を除け者になんかするなよ。分かったな?」

「うん、ごめんね……」

 

 泣くつもりなどなかったのに、目に涙が浮いてきて、タルトは指で拭う。

 

「あー、言い過ぎたか。マンモン、昨日のあれ頼む」

「お、おう。分かった」


 とマンモンは頷き、タルトに指を向けた。


「これは高貴なる青の慈悲、汝に孤独の安らぎを与えよう〈静寂の夜〉」


 魔法だと認識した瞬間、意識が遠くに誘われるのを感じ、タルトは反射的に片手を振って、魔法を構成する魔力を乱して跳ね除ける。

 誘われるまま行ってしまうのは、逃げるようで嫌だった。


「しっかり向き合いたくて……、ごめんなさい」

「そ、そうかい? しかし、やはり俺より魔法の腕は上か。そうだとは思っていたが、実際に突きつけられると、こう、結構くるな。お、俺の威厳が……」


 マンモンが膝から崩れ落ち、メイルがそんな彼にこう言った。


「俺も小さなタルトが凄腕ってのは信じ切れてなかったから、仕方ないさ」

「あの魔法を見たら、普通は信じると思うけど?」


 そう言ったのはモニカだ。彼女は更にこう続ける。


「メイルくんも、私と同じように魔法を掛けて貰ったはずよね?」


「掛けられた時、俺の意識が曖昧だったってのもあるが、魔法の腕をはかる基準が婆さんだったからな。あの婆さんと比べると、気配も含めて、タルトはそこまでには見えなかったんだよ」


「それ、ドルドール様のことよね? それはしょうがないわ。あの方と遜色ない力の持ち主なんて、他の六賢者様くらいじゃない?」


「そうでもねぇさ」とマンモンが動かない左腕を右腕で摩った。

 彼の右腕に、もう包帯は巻かれてはいなかった。


「俺の腕を木に変えやがったルージュ王女殿下は、奈落の六賢者に勝るとも劣らない力の持ち主だって言われてるぜ。狂い姫って聞いたことないか?」


「聞いたことないけど、嫌な呼ばれ方。貴方の故郷では有名みたいね」


「ああ、紅蓮の国で知らねぇ奴はいないさ。第一王女のスカーレット様と、バチバチ遣り合ってたからな。俺がどちら側だったかは、言わなくても分かるよな?」


「貴方がへまやって罰を受けたのでなければ、スカーレット王女の方ね」

 

「狂い姫に会っちまったのがへまと言えばへまだが、話しが逸れた。他にもここの西にある、白翼の国の天使共も、かなりの力を持ってるみたいだぜ。あとは――――」


「もういいわ」と彼の話を遮り、モニカはタルトに目を向けた。


「それよりタルト、ボスには逃げられたの?」


 ヨハンが捕まえたと言えば丸く収まる気はしたが、タルトはもう嘘を吐きたくなくて、何も言えず、そんな彼女の代わりにヨハンが答えていた。

 捕まえた、と。

 自分が答えなかったせいで、ヨハンに嘘を吐かせてしまった。

 タルトは、自らを卑怯者だと思う。

 しかし、どうしようもないことのように思え、口を開けようとはせず、言えば言うだけ話がこじれそうで、これ以上引っ掻き回したくなかったのだ。  


「本当にあのドゥバンを捕まえちまったのか! で、そのドゥバンは、どこだ?」


 問うマンモンに、ヨハンが本の中に描かれた一匹の羊を見せる。

 動いていた。まるで生きているかのように。


「驚いた。ヨハンに吸い込ませて捕獲したのか」


 メイルのその言葉に、マンモンとヴィッセが目を見開く。


「まさか――――食わせちまったのか!?」

「はぁー、見習いとはいえ流石は魔女様というか、恐ろしいことするもんだぁ」

 

 食べてない、とヨハンが否定し、メイルが二人に説明した。


「あー、ヨハンはな。吸い込んだものを吐き出せるから。問題はないさ。ヨハン、ドゥバンを出してくれるか?」


 しかし、本の中の羊はそれを嫌がるように、頭を振る。


「出たくないのか?」

「俺もそう見える」

「おらもだ」


 不思議そうな顔をして、三人仲良く覗き込む男衆から、目を逸らしていたモニカが、突然こんなことを言った。


「ドゥー、さんはね! 今傷心なのよ。無理に出さずに、そっとしておいてあげるべきだと私は思うわ。いなくても、特に問題はないでしょ?」

「馬鹿言うな。ドゥバンは群れの頭だぞ。いるに決まってんだろ」


 とマンモンに見られたモニカが、顔をキリっとさせる。


「今は私が頭なんだけど?」

「お前が――――いや、確かにお前は群れを纏めてたな。なら、少しくらいはいいか。ドゥバンは乳も搾れねぇ おすだしなぁ」


 バチバチっと、稲妻走る裏拳が振るわれ、マンモンが骨を露にして没す。


「こえぇ雌羊 めすひつじもいたもんだ。くわばらくわばら。親方、成仏してくれ」


 ヴィッセが、両手を擦り合わせて焦げた骸を拝み、

「勝手に、殺すんじゃねぇ……」と亡者と化した死体が呻く。


「何言ってんだ。おらたちはもう幽霊みたいなもんでねぇか」

「そうね。みんな一度は死んでるものね。マンモン、ヴィッセに一本取られたわね」

「うるせぇっ!」


 ヴィッセの冗談から始まったやり取りで、場が緩く盛り上がっている中、タルトは一人、その中に入れていないのを肌で感じていた。


 ただ、孤独には慣れていた。昔からそうで、寂しさは特に感じてはいない。

 彼女の胸中にあるのは、諦めに似た感情だけだ。

 醜い姿に生まれてしまい、ずっと孤独だった。

 今は、醜い心を持っていたから、孤独になった。

 そこに大した違いは、あるように思えず、生まれ変わった気になっていた、自分は馬鹿だと思い、小さく呟く。


「私は、あの頃のまま、醜いまま、何も変わってない」


 吐露と同時に輝きを失い、暗い目になったタルトの両肩に手を置く者がいた。

 メイルだ。


「なんて顔してんだ。タルトは自分なりに考えて、一生懸命やったんだろ? なら、そう自分を責めるな。タルトはよくやったよ」


 とてもそうは思えず、彼女はさっと頭を振り、静かにそれを否定する。


「やれやれ。メエムに怒られたのが相当堪えてんな。しかし、メエムがタルトを叱るなんて、珍しいこともあったもんだ。いつもは俺がタルトを叱ると、庇ってくるのにな。メエム。タルトはどんな嘘吐いたんだ?」


「違うの。嘘を吐いてただけじゃなくて、みんなも騙そうとしてたから。わたしにも、ドゥバンはモニカだとか言って」


 そこで、はぁと溜め息を吐く者がいて、事情を察したような顔でそいつは言う。


「タルトは嘘を言ってないわ。私が咄嗟に嘘を吐いてしまって、それがバレないように、動いてくれただけなのよ。だから、全部私のせいなの。ごめんなさいね」


 どういうことだっ、と男衆が騒つき始めた。

 タルトが嘘を言っていないのであれば、この場にドゥバンが二匹いることになる。


「昨晩、行方知らずになった大羊が一匹。今朝増えた女が一人。その女が羊から人になったのはみんな知ってるでしょう。まだ分からない?」 


 私が本物だ。そう言わんばかりのモニカの発言に、男衆は顔を見合わせる。

 皆、察したが、信じたくないような顔をしている。

 そんな中、一人分かっていない顔の子が、兄の袖を引いていた。


「ねぇ。タルトは嘘を言ってなくて、モニカが嘘を吐いてて、全然分からなくて。お兄ちゃんは、分かった?」

「あー、少し待ってくれ。俺は合点がいった。なるほどな、だから俺が女に飛び掛かる奴だって言ってたのか。分かるかそんなの、頭が痛ぇ……」


 そう言うメイルは頭を抱え出し、マンモンも難しい顔で鬚を摩り言う。


「モニカのパワーをドゥバンと良い勝負だと俺は言ったが、まさかの本人か。今の話から察するに、魔法で おすからめす にって訳じゃなく、元々雌だったみてぇだな。あの体のデカさでか……」

 

「おい猫っこ。おめぇ、その動く絵は実はただの絵か?」


 ヴィッセに聞かれたヨハンは、堂々と、それはもう太々しく書いていた。

 そうだよ、と。

 はぁー、とそれはもう疲れたような顔で、男衆は揃って息を吐き、


「お兄ちゃん!」


 とメエムが兄の袖を強く引く。早くかみ砕いた説明をしてくれ、彼女はそんな顔だ。


「そうだなー。タルトは間違ったことをしたけど、それは俺達を思ってやったことなんだ。分かるか?」

「そういうことじゃなくて、なんて言えばいいんだろう?」

「深く考えるなって。要は、タルトを許してやれってことさ」


 メイルに頭を撫でられたメエムは、少しだけ悩むような表情をしたが、そのあと直ぐにタルトの傍に行き、


「ねぇ、タルトは嘘吐いてなかったの?」


 と問う。当然、タルトは頭を振った。


「嘘を吐いたよ。それに、吐こうともしてた」

「――分かった。もう嘘吐かないって、約束できる?」


 タルトは頷き、小さな声で謝罪した。「ごめんね」と。


「いいよ。反省してるみたいだし、許してあげる」


 メエムがタルトの頭を優しく撫でた。

 ついさっき、兄からして貰ったように。


「タルトは、しょんぼりさんだよね。私まで悲しくなってくるから、ほら、元気出して」

「なんで、私ってこうなんだろうね。変われたはずなのに、何も変われてないや」

「そんなもんだろ」


 と言ったメイルは、優しい笑みを浮かべていた。 


「変わったつもりでも、人間中々変われないもんさ。でもな、自分を変えたいって思ってるなら、そのうち変わってくる。だから焦るな、ゆっくりやろうぜ」


「メイルくん、本当にいくつよ。もしかして、タルトみたいに見た目だけ子供なの?」


「タルトも見た目と年齢が違うってのか――いや、言ってたな。言ってたが、言動が幼いもんだから、信じてなかった。悪い」


 自分が大人だと思っていたタルトには、堪える言葉だった。

 言っても信じてもらえず、子供に見られていた原因は、自分にあったのだから。

 いや、分かってはいたのだ。このがらりと変えた、子供っぽい口調のせいだということは。

 しかし、あの大人っぽい喋り方は、今の自分に合ってなくて嫌だった。

 昔を思い出すから嫌だった。心の中で、人知れず語り掛けていた、昔の滑稽な自分を。 


「道理で賢い訳だ。だったら、こんなこと言わせんなとも言ってやりたいが、可愛い妹だからな。甘やかしてやるさ」

「お兄ちゃんは、タルトに厳しいと思うけど? よく叱ってるし」

「きつくは言ってないだろー」

「言ってるもん!」

「言ってないー」


 そこから、言う言わないで兄妹がいがみ合い、周りがそれを微笑ましい目で見ていた。

 今度はタルトもその輪の中にいて、二人を見ながら思う。

 甘やかしてくれていたのかと。そんな経験は一度もなく、普通の生活とは、

 ――――こうなのかな? くらいに考えていたが、それは大きな間違いだった。


 子供なのは自分の方だった。がらりと変わった環境に浮かれていた。特別な力を手に入れて自惚れていた。

 自らが滑稽な愚か者に思え、気持ちが深くに沈んでいく。

 が、この考え方こそが一番駄目に感じ、それが底に着く前に、タルトは顔を上げ、前を向く。今度こそ生まれ変わるために、心から。

  

「へこたれやすい私は――もう終わりっ」


 そして、気分を浮かせるように腰を上げると、兄弟のいがみ合いに割って入り、


「二人とも。喧嘩しないの」


 と手を広げて両者を離す。


「誰のせいで言い合いになったと思ってんだ? 反省しろっ!」

「もう! タルトのために怒ってあげてたのに」


 二人におでこをつつかれ、タルトは謝りそうになるも寸でのところで止め、自分のために怒ってくれた、いつでも庇い、味方をしてくれていた女の子に、今までの感謝と尊敬の念を込め、微笑み、しかし気恥ずかしさもあって、どこかはにかんでこう伝える。


「ありがとう。お姉ちゃん」


 するとメエムが目を何度も瞬き、一度メイルの顔を見たあと、唐突に瞳を潤ませ始め、タルトを強く抱き寄せた。


「私もごめんね。強く叱っちゃって。心が痛かったよね。ごめんね」


 その横では、メイルが鼻を啜っていて、「良かったな。メエム」と言い、


「うん。やっとタルトが、私をお姉ちゃんって呼んでくれた。私、お姉ちゃんになれたんだね」


 二人で分かり合っていたが、タルトはちっとも状況が分からず、どういうことなのかと問うように「メエム? メイル?」と二人の名を呼び、


「おいおい。いい加減を俺達をそう呼ぶのはよして欲しいな。タルトは俺達の、妹だろ?」


 そんなことを言われ、彼女は押し黙った。

 子供に向けて、お兄ちゃんだとかお姉ちゃんだとか言うのが、意識するとこれが妙に恥ずかしく感じたのだ。 

 しかし、言わねば欲しい答えをくれそうもなく、観念し、深い息を吐くと、


「あ、兄上様! い、妹はっ、事情を聴きたく思っております。は、話して……」


 上擦った声でそう伝えた。

 ただ、変化球を投げてしまったせいか、「いや、兄上ってお前な……」とメイルに呆れ顔を向けられてしまったが、彼は直ぐに頬を緩ませ、事情を話してくれた。

 それは、こうだった。


「タルト。お前、俺達を年下の子供扱いしてたろ。でもな、俺達の方が先にあの店にいたし、長生きもしてる。弟、妹みたいに見られるのはどうもな。だから、俺達もこっそり頑張ってたわけさ。お前に兄や姉として認めて貰いたくてな。メエムなんか、ほんっと悩んでてな。俺によく泣きついてきてて」


「もう、お兄ちゃん! なんで言うの!」


 メエムが、赤ら顔でメイルを睨む。

 そんな彼女の腕に収まるタルトは、この時反省していた。

 自分に認めて貰いたくて、メエムが影で努力し悩んでいたこと、今の今まで知りもしなかったから。

 ――――ごめんね、メエム。ごめんね。

 と心の中で二度謝ってから、タルトは頑張っていた姉の背にそっと腕を回し、もう一度、彼女に謝罪した。

 

「お姉ちゃん、ごめんね。バカな妹で」

「ううん。タルトはバカなんかじゃないよ。私こそごめんね。駄目なお姉ちゃんで」

「俺も不甲斐ない兄で悪い。もっと妹に、頼って貰える兄にならないとな」


 その成り行きを見守っていた牧場組が、顔を向け合い、マンモンが一番に口を開く。


「これにて一件落着、てとこか。おう、ドゥバン。全員に迷惑掛けたお前が、一番反省しろよ」

「分かってるわよ。あと私はモニカよ。次その名前で呼んだら、彼方までふき飛ばしてあげるから」

「おぉー、怖い怖い。それよりヴィッセ、お前は何泣いてやがる」


 ヴィッセは涙がとめどなく流れ落ちる両目を腕で隠し、一人号泣していた。


「おら、こういうのに弱くて」

「血も涙もないマンモンとは違うわねー」

「バカヤロウ。男は人前で泣かねぇもんなんだよ」


 そんな中、一人その場を離れていたヨハンがひっそりと書いていた。

 結果オーライ。と。

 タルトがもし、メエムを引き込もうと考えず、先にヨハンに頼んでいれば、結果はまったく違ったものになっていただろう。

 ヨハンは考えるように上を向き、こう書いてから彼女に見せにいく。


『頭悪い。でもタルトらしくていいんじゃない』

 

 それがいけなかったのかは分からないが、ヨハンは、残飯をさらさらと流し込まれることになり、ついでにもう一匹、悪いことをしていた奴が罰を受けることになった。




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