第6話 幻のボス
「綺麗なお皿。親方さんって――ああ、そっか。領主なんだから、お貴族様ですよね」
「そりゃ人間達の階級制度だろう。まぁ似たようなもんだが、俺達は色で位を分けてる」
「そうでした! それ読んだことあります、ヨハーン!」
タルトは、相棒を呼び、開いて読み始めたが、食事前にそんなことをし出した彼女の手から、すかさずモニカがヨハンをひったくり、迫力のある笑みを向ける。
「タルト。あとでね」
「――ご、ごめんなさい」
「ヨハンもよ。言葉は理解しているんでしょう。お行儀よくしてなさい」
ヨハンを解放したモニカが数回手を叩き、
「みんな、そこの長い箱に座って」
と言う。
それで自然と子供組と牧場組で分かれるように向かい合って腰を下ろし、料理とホークを乗せた皿が各々に配られていくのだが、給仕をしていたモニカがヨハンのところで足を止め、タルトにこう聞いた。
「ヨハンの分も作ったけど、食べられる?」
「何でも食べるよ。というより本の中に吸い込んじゃうかな」
「そう。じゃあ召し上がれ」
と、モニカはヨハンの所にもコトリと皿を置く。
皿の上にあるのは、調理された卵だった。
スクランブルエッグにされて、沢山積まれ、うねうねした葉っぱが脇を彩っていた。
凝った料理ではなかったが、バターの良い匂いがしていた。
「おい、俺の分は?」
そんなことを言ったのはマンモンだ。
彼だけ何故か配られておらず、自分の分はしっかり持ったモニカは既に彼の隣に腰を下ろしており、すっとホークで卵を掬って、彼の方に持っていった。
「そんな腕じゃ持てないでしょ。私が食べさせてあげるわよ」
マンモンは眉間に皺を寄せ、それはもう見事な「 は?」を口から放つ。
「何、嫌なの?」
「いや、待て待て。そんなこっぱずかしいこと、いや、待てぇっ! お前の分は?」
「私は食べたくないからいいのよ」
「あのさぁ……」
と、メイルが、どこか疲れたような顔で、そんなやり取りをしている二人にこう言う。
「お二人さんよ。いちゃついてないでさっさと祈って食おうぜ。俺はもう腹ペコさ」
「どこもいちゃついてねぇだろうがっ、いじめられてんだよ! そもそも好きに食えってんだ。こんな風になっ!」
メイルにニカっと笑い掛けたマンモンは、モニカの持つ皿に頭から突っ込んだ。
そして一部を口に含み、頭を戻して咀嚼をし始め、一連の行為を間近で見ていた女が、目をパチクリさせていた。
「――呆れたわ。手があるんだから、手を使って食べなさいよ」
「もうこっちに慣れちまっててな。お前の助けなんざいらねぇってこった」
すると、「あら、そう」とモニカは皿を床に置き始め、「俺は犬じゃねぇぞ」とそれを見たマンモンが眉根を寄せ、
「俺達もさっさと祈って食おうぜ」
勝手にやってろと言わんばかりに言ったメイルの言葉で、子供三人、仲良く皿を膝に置いて、それぞれ違う動きをして祈りを捧げ始める。
それを見ていたモニカが、タルトの両手を組む祈り方を真似ていた。
終わると、皆が食事を始め、ヴィッセが前に座るメイルにホークを向け、こう切り出す。
「それな。街中じゃ、あんまやらん方がええぞ」
「なんでだ。街じゃ祈っちゃいけないのか?」
「いや、こっそりやる分には問題ねぇ。人前ではやめとけってだけだ」
「人前でか、揉めるからか?」
「おめぇ達も、やっぱり揉めてたか」
「ああ、ちょっとだけな」
と言った彼の言う通り、三人は初めて囲んで食事をする時に、ちょっとだけそういうことがあった。
三人の出身地が違い、各々が、他の二人が知らない神様に祈っていたのが、原因だった。
もしそれで、三人の中に一人でも敬虔な信徒がいれば、火種が燃え上がっていたかもしれないが、三人が三人とも信仰心など欠片ほどもなく、ただ習慣で祈っていただけだったので、火の手が上がる前に消えたのだ。
「子供同士だとそんなもんか。でも大人同士だと喧嘩どころか戦にまでなることがしょっちゅうあってな。どこの国も公の――って分かんねぇか。人がいっぱいいるとこじゃ、祈るのを禁止してんのさ」
「俺の見た目は確かに小さな泣き虫だが、子供扱いすんな。宗教、宗派での対立を防ぐために、神に祈る行為そのものを禁止したってことだろ」
「難しい言葉知ってんな。メイルおめぇ、そんななりで実は結構年行ってんのか?」
ヴィッセは、冗談半分といった顔をしているが、
「さあな。動けるようになるまでの記憶は曖昧なんだ。そもそも俺の記憶なのか、俺に宿る戦士の記憶なのか、混ざってる感じがしてよく分からないんだよ」
しかし、そんなことを言われ、彼はゆっくりと首を横に倒していく。
何を言っているのか分からない、そんな顔だ。
「あの」とタルトが横から言う。
「メイルは元は鎧なんです。私が魔法で人間にしたんです」
「――魔女様、見習いでなかったんか!?」
ヴィッセは驚愕の表情をし、同じ顔のマンモンの口からは「驚いたな」と零れる。
「その歳でドルドール様の秘術を使いこなすか。タルトちゃんが力を隠していたようには見えないが、そんなに凄い魔法だと聞かされずに教わったのかい?」
マンモンに聞かれ、タルトはさっと頭を振った。
「違うんです。私はその人に会ったことなくて、魔法は全部、ヨハンに教わりました」
一番に食べ終わり、パタリと寝ていたヨハンに幾人かの視線が集中した。
「ドルドール様の魔導書にか。相当波長が合うんだな。でなきゃ不可能な芸当だ」
「波長が合うって、相性が良いとか、そういう意味ですよね?」
「ああ。そういう意味で間違いない」
タルトは、なるほどと納得し、マンモンは、うーむと唸り、その二人が同時に、「あっ」と声を揃えて上げ、モニカが、「二人ともどうしたの?」と聞く。
「俺はお前の正体に察しが付いただけだ。何がずっと此処に居ただ。節穴だのなんだの好き放題言ってくれやがって。おう、魔法を掛けられた
「――ほんっと失礼な人」
モニカの細腕が大羊の突進さながらの唸りを上げ、マンモンが天井に突き刺って会話は一時中断。
しばしあと、席に戻ってきた彼はどこか染み入るようにこうぼやく。
「いってぇな……、雌羊のパワーじゃねぇぞ。ドゥバンといい勝負だ。ボスとまともに遣り合えるような雌羊なんてうちにいたか? タルトちゃんの魔法の効果か?」
「違うわよ。私がその――」
モニカが慌てて口を両手で押さえ、タルトも冷や汗をかくような思いをした。
ぼかしてではあるが、自身が何者であるかを伝えらえていたから。
「その、なんだ?」
「その――、そのね? 私がボスを倒したから、今は私がボスなの。分かる?」
「分からねぇ、という分かりたくねぇ。あのドゥバンをか?」
「――そう。それで、そのー、泣いて逃げちゃったわ」
「無理があるだろ。外を見たら分かることだぞ」
「だったら見てきたらいいじゃない」
マンモンは訝し気な顔で席を立ち、外を軽く見回すと何度か目をこすり、ぐるんと振り向き「ほぉい……」と声を震わせる。
「ドゥ、ドゥバン、どっち行った?」
「あっちよ」
と指差された方角を見て「あっちか、あっちなのか」とマンモンが途方に暮れるような顔をしている。
その姿を見て黙っていられない男が二人、素早く外を見に行き同時に声を上げた。
「いねぇっ!」と。
その隙に、こっそり話し合う女が二人。
「まずい状況になったわね。いきなりのことで頭が真っ白になっちゃって。呪いを侮ってたわ……」
「私もぼんやりしてる時に鏡見て言い掛けたことあるから。んー、どうしよっか?」
その時タルトはピンときた。自分がここにいるわけを考えたら、うまく切り抜けられそうな気がした。が、
「二人でこそこそばなし? 何話してるの?」
メエムが入ってきて、彼女は慌てた。
「何でもないっ、何でもないよ。ねぇモニカ!」
「えーとね、その、お料理のことを相談していたのよ。メエムちゃん、味はどう、美味しい?」
「葉っぱは美味しかったけど、卵はちっとも美味しくなくて困ってるの。でも、残すのはダメだから、お兄ちゃんが全部食べ終わったら、食べて貰おうと思ってて」
丸々残っているようなスクランブルエッグに対し、添えられた葉っぱの方は綺麗に完食されている。
「やっぱり葉の方が美味しいわよね。私も一口齧ってみたけど吐きそうになって、卵駄目だったのよ。味見させたマンモンは旨いって言ってたけど、タルトはどう?」
「私は美味しいって思ってるよ。メエムがモニカと同じように葉っぱの方が好きなのは、羊同士だからだと思う。同じ魔法を掛けたね」
「そうだったの。メエムちゃんも羊だったの。でもタルト、そういうことはもう少し早く言ってくれる? てっきり人間だと思ってたから、悪いことしちゃったわ」
頬に片手を当てて、モニカは溜め息を吐き、タルトは二人に謝罪した。
「ごめーん。メエムもごめんね?」
「何でタルトが謝るの? それより、あなたも羊なの?」
「え、ええ。羊のモニカよ。よろしくね、メエムちゃん」
「わたしと一緒だねっ! モニカは玩具? それとも置物?」
「えーとねー……、ちょーっと、待ってくれるー?」
ニッコリ笑ってそう返していたモニガが、さっとタルトに耳打ちした。
「タルト、どういうこと」と。
しかし、タルトは応じず、高らかと嘘を吐く。
「玩具っ! 玩具だよメエム。モニカはメエムよりずっと大きい玩具なの」
「へぇー、確かにモニカ大きいもんねー」
「悪い大人」とぼそっと言われたような気もしたが、面倒の二文字を顔に貼り付けて、タルトは素知らぬ顔で皿の上の残りをヨハンに流し込むと、何やら相談事をしている男衆の方に向かう。
子供の相手はいつでもできる。こっちの方が、彼女にとっては重要だった。
「あの、お話し中失礼しますね。私がドゥバンを捕まえてきますので、その間に、モニカに前に逃げた大羊を捕まえてもらうというのは、どうですか?」
「タルト。正直信じられないが、お前が実は凄腕の魔女っては聞いた。でも一人じゃ危険だ。俺達が盾になって、その間にドゥバンを倒したモニカと一緒に捕まえてもらうのが最善だとは思うが――――男として、ちょっと思うところがあってな」
しかし、提案すると先ずメイルにそう言われ、マンモンも「ああ、女子供に頼るというのがな」とその案に難色を示し、
「これなんですよねー、この人ら。小さかろうと魔女様は魔女様、親方ぶっとばすような女もそういうのにカウントしちゃいかんでしょ。そもそも、初めに頼りにしたドルドール様も女なのに、都合のいい考え方というか、魔女様も何か言ってやってくだせぇ」
と肯定的だったのはヴィッセだけだった。
「バカヤロウ。ドルドール様は奈落の六賢者の一人だ。例外だ例外。お前も知ってるだろうが、六賢者様の力を受け継ぐ者の力量を、骨身に染みるくらいにな」
「親方ほどじゃねぇや。おらの左腕は木に変えられてねぇ」
マンモンの左腕は、彼が羽織るコートの長い袖に隠されて見えない。
ただ、曲がることなく真っ直ぐ伸びていて、「腕を……木に?」とタルトは彼に聞く。
「ああ、俺が領主をやっていた頃に厄介なのに目を付けられてな。翼と尻尾をもがれて、左腕は木に変えられちまった。今思い出しただけでも身震いしたくなる。あの高笑いを忘れた日はねぇ……」
「あーあー、言わねぇでくだせぇよ。床に生えた親方の翼と尻尾を思い出しちまった」
「傑作だったな。頭がおかしくなるくらいには。変なもんと混ぜられちまったせいか、治りもしねぇしよ」
混ぜる、覚えのない言葉ではない。誰しもが知っている。しかし、タルトにとっては意味合いが変わってくる。魂を混ぜる彼女にとっては。
「私の魔法みたいに、魂から混ぜられたんですか? でもさっき秘術って」
「ドルドール様の秘術のことか? あれは魂を与える魔法だろう、混ぜる?」
この時、マンモンが表面的なことしか知らないのだと、タルトは初めて気付く。
秘めた術なのだ。当然そんなものの詳細を知っている人間は極少数、いやたった一人という可能性もあり、マンモンが知らないのは当然のことで、だからこそ、彼と同時に「あ」と声を被らせた時だった。彼女はあることに気付いた。
自身も扱うその秘術を使う人物を知っていたから。言わずもがなの、奈落に落ちる前に出会ったあの老婆だ。
店の先代でもあるドルドールなる魔女は、その老婆である可能性が非常に高く、会ったことないなどと言ってしまったが、こればかりは、知らなかったのだから仕方なく、今はそれよりも大事な事柄があって、先ずそれを解決しようと、タルトは話を進める。
「はい。あの魔法は、新しい魂を与えると同時に、古い魂を混ぜて、生まれ変わらせる魔法なんです。こういうのって、人に言っちゃいけないような気もするんですけど、ご迷惑もお掛けしましたし……」
「タルトちゃんに迷惑なんて掛けられちゃいないさ。だから気にするな。それと、確かに誰かに言っていい事柄ではないな。俺も言わん。お前らも言うな。全員早めに忘れることだ」
「――あの、もう少しだけ。親方さん、相当無理してませんか?」
「無理なんざしてるつもりはないが、タルトちゃんから見て、俺におかしなところでもあるのかい?」
「魂から混ぜられた箇所は無理ですけど、そうでない箇所は、どんなに大怪我に見えるものでも、ここだと簡単に治るはずなんです。魂を傷付けられてなければ、ですけど。その治らない右腕、絶対無理してますよね?」
タルトがそう指摘すると、マンモンは頭を掻き、バツの悪そうな顔をした。
「すまん、言い忘れてたな。この腕はわざとなんだ。実はな――――」
モニカが普通に喋っていたのだから、当然といえば当然なのだが、大羊達が話せることを知っていたマンモンは、そこからばれるのを警戒し、逃走羊に黒焦げにされた腕が治っていないように見せかけていたそうで。
そうやって逃走羊を油断させ、餌でも食いに戻ってきたところを捕獲する気だったようだ。
が、まったく戻ってくる気配がなく、困り果てて、ドルドールに助けを求めて今に至る。
この話の最中、タルトの頭には一つの考えが浮かんでいた。
それをやれば、今見えている難題を全て解決し、皆で最高のハッピーエンドを迎えられる気さえしていて――――、
「親方さん。私なら親方さんの体を全部元に戻せます。そしたらっ――――」
言うが、「待ちなさい」と途中で遮られた。
「それはあの秘術を使う、ということであっているかい? いや、あってなくともだ、そんな魔法を、おいそれと使うものじゃあない」
「どうして、ですか?」
「必ず危ない目に遭うからだよ。幼い子供が、ドルドール様の秘術を使えることが知れ渡れば、悪い奴らがタルトちゃんのところに沢山来るようになる。だから、もうその秘術を絶対に使ってはいけないよ。タルトちゃんは賢い子だから、分かるだろう?」
その瞬間、タルトは「私は――――」と声を詰まらせて、
「私は体が不自由なことがどんなに辛いかっ、苦しいことかっ、よく知ってます! それをもう使うなって……、見ていられないんですっ!」
と叫んだが、
「タルトちゃんは、本当に優しい子だね」
と、大きな手で頭を撫でられて、泣きそうになる。
無力さを、感じていたから。
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