第5話 扉の家
結局一睡もしないまま、晴れ渡る朝を迎えてしまったが、タルトは特に眠気を感じてはおらず、モニカと二手に別れて皆を起こしに行くことになった。
「二人共起きてっ。もう朝だよ」
彼女に揺すられ、寝たりないのか、うんうん唸ったのち、兄妹はぼんやりとした顔で体を起こし、
「明るいな。しまった、俺は寝坊したか?」
と、寝ぼけ眼を擦るメイルが言った。
「寝坊はしてないよ。でも、綺麗な朝焼けは見逃しちゃったかな」
「やっちまったなー。澄んだ空気の中でする素振りは最高なんだけどな」
空が晴れているからといって、別に空気まで澄んでいる訳ではなく、そもそも彼が素振りをしていたところなど見たことがなかったが、とりあえずタルトは謝った。
「ごめんね」
「いいさ。タルトが謝ることじゃない」
二人がそんなやり取りをする傍ら、メエムがまた、無言で横になっていた。
「こらメエム。朝食を食べ損ねるぞ。昼まで寝るつもりか?」
「別にいいよ。干し草美味しいし」
メエムは、そう言うと寝ながら敷かれた草を食い始め、そんな妹をメイルが引っ張り起こし、呆れ顔を向けていた。タルトはというと、くすくすと笑っている。
「メエム。そんなの食うな。腹を壊すぞ」
「もう、羊は草を食べてもお腹壊さないよ?」
「メエムはもう人間だろー。干し草なんて食べるなよ」
「ええー、美味しいのに……」
とメエムがぶーたれる。
「美味しくても駄目だ。もっと栄養のあるものを食べないと、大きくなれないからな」
「そうなの? なら、タルトに沢山食べさせてあげないとだね!」
「ああ。店の周りは獲物もいなくて、飯は草や花ばっかりだったからな、タルトは見ての通りさ。もっと栄養のあるもの食わしてやらないとな」
「タルト、大きくしないとだもんね!」
そんな会話のあと、二人に目を向けられたタルトは、今の姿に不満など一切無いものだから、曖昧な笑みを作って、笑い返していたが、その時、無意識に指輪を摩っていて、
「その指輪、キラキラで綺麗だね」
「ああ。綺麗だな。そんなの持ってなかっただろ。誰かに貰ったのか?」
ばっちり二人に見つかって、慌てて両手を後ろにやり、指輪を隠す。
「えーとね。二人が寝てる時に困ってる人がいて、助けたら、そのお礼にって」
ずるいとか、頂戴とか、言われないかと冷や冷やしながら、タルトはそう言う。
しかし意外なことに、偉い偉いと二人に褒められて、安堵したが、同時に変にも感じていた。
子供は何でも欲しがるものと思っていて、二人共欲しがらないというのが、本当に謎だったから。
「しかし兄の俺としては思うところがないわけじゃない。そうだよな、二人共女の子だし、そういうの欲しいよな。俺が用意してやらないとな」
「お兄ちゃんが指輪をくれるの?」
「それはメエムが大きくなった時に結婚する相手に貰え。もっと別なもんさ、ほら、キラキラな髪飾りとか、メエムは欲しくないのか?」
「欲しいけど、お兄ちゃんそんなの買うお金持ってるの?」
持ってはいない。店の主であるタルトもそう。店に品はあっても金は無かった。しかし、
「今はないけど、貯まったら買ってやるさ」
「本当? 約束だよ」
「ああ、任せておけ」
とメイルは謎の自信をみせて自身の胸を右拳で打ち、
「この身が滅び、魂崩れようとも約束だけは必ず守る。俺はそういう戦士だ。二人共、俺の背中を見て大きくなるんだぞ」
そんなことを言って、二人に背中を向けた。
その背は子供の小さなもののはずなのに、何故か大きく見え、今の話でその理由を何となく察したタルトは、彼の背をポンと叩いた。
「メイルを着てた人は、頑張ってたんだね」
メイルは元は鎧であり、彼を着ていたのは子を想う泥まみれの戦士だった。
人に生まれ変わらせる際に、宿る魂に触れて、タルトはそのことを知っていた。
「ああ。毎日毎日俺を汚しまくって、泣き虫泣かせてな。そいつの最後を看取った時、俺に魂が流れ込んできて、俺はその遺志を継いで戦士になろうと思った。でも体の動かない俺じゃ無理で、タルトが動かしてくれるまで歯痒い思いをしてたさ。でも、なんでタルトは俺をそいつみたいな戦士じゃなくて、泣き虫にしたんだ?」
「私じゃないよ」
と タルトは言い、両手を胸に置くと目を閉じて、彼にこう言った。
「メイルがその子のことを想ってたから、強く、強くね」
「確かにこれで泣き虫を守れるとは思ったが――、そのせいなのか!?」
驚くメイルにタルトは頷くように一言。
「多分」
「あー……、なんか疲れた。もう一眠りしようかな」
「駄目だって。モニカがごはん作ってくれてるから、皆でそれ食べに行こうー!」
タルトは拳を突き上げる。
メイルが首を傾げて彼女を見ていた。
「モニカ? そんな奴ここにいたか?」
「女の人にいきなり飛び掛かるような、メイルには分からない人だよ。私も怒ってるんだからねっ。もうやっちゃ駄目だよ!」
「――いや、俺がそんなことするわけないだろ。誰と勘違いしてんだ?」
「どうだか」
誰か気付きもしない、メイルが可笑しくて、タルトは笑う。その時だ。
明るくても分かりにくい扉が開き、ヴィッセが顔を覗かせて、皆のところまでくると、切迫した表情で、言った。
「魔女様、助けてくだせぇ。別嬪さんがいきなり来て親方ぶっ飛ばすわ、楽しそうに料理しだすわで、大変なんだ。親方には言いにいくなって言われたんだが、あの別嬪さんは魔女様の知り合いだって、お願いだ、何とかしてくれぇ」
確かに魔女様はその別嬪さんのことを知っていたが、残念なことに別嬪さんの味方であり、彼に素気無くこう返していた。
「ぶたれたのは親方さんが悪いし、料理をするのは悪いことなの?」
「――え、いや、悪いことじゃねぇのは確かなんだけども、家を引っ掻き回されてる方はたまったもんじゃなくてだなぁ。えーと、落ち着かねぇんだよっ!」
「ふーん。で? 私知らないし」
そう言う魔女様はさながら氷のようで、凍てつく冷気まで幻視したヴィッセは、これは確かに駄目だと思い、間合いをはかりながら彼女の後ろに回って、何とかしてくれそうな少年を手招きする。
しかし、それで来てくれたはいいが、潜めた声で「おい、バカ」と先ず罵倒され、
そのあとにこう言われる。
「あんなおっかないタルト初めて見たぞ。どうしてくれんだよ」
「そう言われても、おらにも何が何だか」
どうにかして欲しかったのはヴィッセも同じであり、両手を合わせて摩り、彼は少年を拝み倒しにいった。
「助けてくれよー。な? 頼むよー」
そんな彼にメイル少年は呆れていたが、
「しょうがない奴だな……。俺が何とかしてみるから、お前はもう喋るなよ」
そう言い、しかめっ面で腕を組むと脳細胞をフル稼働。
これだっ、こう言うしかないというものが頭に浮かび、いざ氷の
「あー……、その、なんだ」
と言い淀んでしまい、何やってんだと思って頭をがしがしと掻いたあと、彼は腹を括り言う。
「腹、減ったな。たまには良いものでも食いに行かないか。毎日毎日、料理も大変だろう?」
まるで、家事に疲れている嫁にでも言うような台詞に、タルトはきょとんとしてしまい、直ぐに吹き出して、メイルにこう言った。
「良いものって、モニカの料理のこと? 料理をするのは楽しいから、気にしないで」
「あ――ああ。旨いといいな」
「そうだね。美味しいといいね。私が作るのは、あんまり美味しくないから」
その発言に気に入らないところでもあったか、ふざけるなと言わんばかりの勢いでヨハンがペンを握って書き始め、タルトに見せつけた。クソ不味い、と。
「そこまで言わなくてもいいじゃん! ヨハンのバカっ!」
酷い言われように当然タルトは怒ったが、自分で言ったように料理の味がよろしくないのは自覚していて、「確かに美味しくないけどさー……」とへこみもした。
「そうだぞヨハン。少なくともメエムは旨いって思ってるぞ」
「そうだよヨハン。タルトが作る料理は美味しいって。お花のスープはほろ苦くて、葉っぱのステーキはくたっとしてて。あとアレ、『真緑のハンバーグ』」
メイルが「うっ」と小さく漏らし、口を押さえて他所を見る。
「ま、まぁ。ヨハンの気持ちも、分からんでもない」
その発言は、既に涙目になっているタルトには衝撃的だった。
メイルは、いつも残さず平らげていてくれたから。
「メイルも……、私の料理、クソ不味いって、思ってた、の?」
「あ、味の感想は控えさせてくれ……。で、でもな!」
とメイルが両肩に手を乗せてきて、目を見つめてきた。
「俺はいつも料理を作ってくれてるタルトに感謝して食べてる。俺が食べ終わった皿は、いつも綺麗だったろ?」
何とも優しい気遣いであり、嬉しい言葉だった。
タルトは、癒されるのを感じて、淡い笑みを作る。
「そうだったね。いつも綺麗に平らげてくれてたから、メイルは私の料理が好きなのかと思ってたよ」
「好きなのは好きさ。なんて言うのかな、ほっとする。ほら、行くぞ」
「うん、いこっか。ヨハンもおいで」
皆で広過ぎる厩舎を出て、巨人の住む扉の家の方に向かう。
いや、その家に住んでいるのは、巨人でないことをタルトは既に知っていた。
モニカが言うには、失礼だけど優しい悪魔とのこと。
あまり怖がらないであげて、泣いちゃうからとも言われていた。
そんな風には、一切見えなかったが、どう接すれば良いものか、と迷っているうちに到着してしまい、深呼吸を一回、もう当たって砕けろと腹を括り、昨日の失態を取り戻すように、タルトは、いの一番に声を上げる。
「親方さーんっ! 開けてくださーいっ!」
聞こえていないのか扉は開かず、何とも言えない間が降りる。
その間が、彼女に強い緊張感を与え、鼓動を早めるばかりか、声に粘性を帯びさせた。
そのせいで、いくら声を出そうとしても、喉に引っ付いた声が上がってこず、これでは、昨日の二の舞になりそうで、
「親方ーっ! いるんだろーっ! 開けてくれーっ!」
「親方さーんっ! あーけーてーっ!」
やきもきしているうちに加勢が入り、彼女は自身を情けなく思った。
子供に出来ることが、何で大人の自分に出来ないのかと。
その途端、緊張感が薄れてきて声が喉から離れるのを感じ、自分が一番しっかりしなければとの思いから、彼女は、それはもう全力で声を張り上げた。
「ぉぉぉおおお、やあああ、かあああ、たああさあああん!!」
親方さん、と叫んだだけだが、しかしその声はあまりに大きく、その衝撃で前方の扉が粉々に砕け散り、中で片脚を突き出す奇妙なポーズを取る、もとい扉を開けようとしていたであろう巨大な悪魔が、目をパチパチと瞬いていた。
ただ、彼女の近くにいた連中はそんなものでは済まず、メイルは両耳を押さえて蹲り、メエムの頭の上ではピヨピヨと鳴くひよこが三羽も回っていて、
「タルト――、声が大き過ぎる」
「頭がくらくらするー」
殺す気かっ、とヨハンに至っては猛抗議だった。
しかし、その時一番驚いていたのは、喉から迫撃砲を撃ったタルトだった。
目が点になっていた。
「凄い声だったわねー……。思わずとび上がっちゃったわ」
モニカが中から顔を覗かせて、そう言う。
タルトは謝るしかなかった。
「――えと、ごめんなさい。私、そんなつもりじゃなくて」
「分かってるわ。マンモン、貴方がさっさと開けてあげないからよ」
「俺のせいなのか?」
「じゃあ誰のせいよ。それと、いつまで大きくなってるの」
巨大な悪魔は、モニカに脚をつねられて「いってぇ!」と飛び上がり、天上に頭をぶつけて建物を軋ませ、直地と同時に脳天を押さえ、悶絶していた。
その直ぐあと、巨大な悪魔は背を縮め、小さくなった。
とはいえ、普通の人間よりはずっと背が高く、彼が大男であることに、一切変わりはなかった。
「そう、それでいいの。もう落ちぶれてるんだから、いい加減、悪魔の威厳なんてもの手離したら?」
「馬鹿言うな。そいつまで手離したら、俺に何が残る」
「子分のヴィッセがいるでしょ。あれ? タルト、ヴィッセはどうしたの?」
「あ――置いてきちゃった」
タルトが厩舎の方を向くと、ヴィッセは思いのほか近くにいた。
が、目が合ったら後退りされてしまい、向きを戻して、
「後ろからついて来てたみたいだけど、冷たくしちゃったせいかな。私に怯えてる感じ……」
とタルトは微妙な顔で言う。
「こんなに可愛いタルトに怯えるなんて、呆れた男ね」
「ヴィッセは女にトラウマがあるからな。どら――」
と、親方が外に出て、怒鳴った。
「こぉらヴィッセーっ! さっさとこっちに来んかっ!」
「い、今行ってるとこでねぇかっ!」
ヴィッセはそう言うものの、その足取りは重く、タルトは少し可哀想に思って、
「あの、親方さん。ちょっと可哀想というか、あんまりヴィッセさんを怒鳴らないであげてくれると――」
そう言ったら、親方は頭を掻き、こう言ってきた。
「ああ。あいつにはあれくらいで丁度いいのさ。そんなことより、昨日は悪いことをしてしまったな。すまん」
「いえ、いいんです。いいんですって!」
とバタバタ両手を振り、タルトは慌てた。その理由はこう。
「私の方こそごめんなさい。昨日は勘違いして、その――怖がっちゃって」
「それは俺のせいだろう。お嬢さんが謝ることじゃないさ」
「え――でも」と困り顔のタルトを見かねたように、「まぁまぁ二人とも」とモニカが間に入る。
「お互い様ってことでいいんじゃない?」
「いやいや、それでは俺の立つ背が」
「はいはい。その前に自己紹介でもしたら?」
親方は、流すなよと言わんばかりの目をモニカに向けていたが、直ぐに目を戻して、自らはこういう者だと語る。
「俺としたことが、言うのが遅れたな。今でこそこんな見てくれだが、昔は小さいながらも領地を治めていた、高貴なる青のマンモンだ。子分のヴィッセには親方って呼ばれちゃいるが、何て呼んでくれても構わないぜ」
この人領主なんだとちょっと驚きつつ、「私はタルト――あ、待って」とタルトは途中で言うのを止めた。
それは、ちょっとしたイタズラ心が湧いたからだった。
「領主様、私はタルトと申します。以後お見知りおきをお願いします」
彼女が裾をつまんで広げて言うと、モニカが吹き出し、親方ことマンモンが渋い顔をした。
「悪い気はしねぇが、言わせてるようでこっぱずかしいから、そいつだけは勘弁してくれると助かる」
そうやってどこか楽しそうに会話している三人の傍らで、蚊帳の外にいた兄妹が冷えていた。
いや、腹を空かせていた。ぐぅー、と虫が鳴いている。
「あー、そろそろいいか? 良い匂いの中で待たされてる、こっちの身にもなってくれよーったく」
「お腹空いたねー。お腹と背中がくっつきそう」
そう言う二人は、大人達の騒ぎに取り残された子供のようで、ハっとそれに気付いた三人から、美味しいところを掻っ攫ったのは、遅れてやってきた男。
「ほれ、行くべ行くべ。沢山食べて、大きくなるんだぞ」
「おい、押すなっての。ヴィッセの癖に生意気だぞ!」
「生意気かな? 優しいと思うけど」
二人の背を押し歩くヴィッセは、この中の誰よりも大人の風格を漂わせ、まるで自身が勝者であるかのように、誇らしげな顔をしていた。
「なんか、ヴィッセさんに全部持ってかれちゃったね」
「ええ、ちょっとだけ見直したわ」
「俺は何も言いたかねぇ!」
それで三人も奥に向かい、完全に忘れ去られている一冊もあとに続く。
扉の家の中は、広いわりに殺風景だった。
家具と呼べるものはなく、細長い箱が二つ横倒しで置かれ、石が沢山積まれたキッチンらしき場所があるくらい。
しかし、その石場の上には、この場にそぐわない派手な食器類が並んでいて、初見の者達の目を引いた。
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