第4話 焦がれ人のドッペル

「もうすぐ始まりそうね」


 空の上では既に、二つの陣営が放つ輝きが真ん中で混ざり合い、一本の川のようになって両者の間を流れていて、星と月、互いに一番眩しいのが前に出てきて、くるくると回っていた。


「星の王は一番星、月の王は満月。今は大将同士で牽制し合ってるところね。数で勝る星が勝つか、体で勝る月が勝つか。でも、だいたいは月が勝つわ。強力な隠し玉がいてね。文字通り、隠れて見えない月よ。どんな月か分かる?」


 直ぐにピンときて、タルトはこう答えた。


「新月、だよね?」

「正解。新月はね、その見えない体で何処からか忍び寄り、奇襲を仕掛けてくる恐ろしい月よ。それを防ぐ手立ては一つ、先に見つけて倒してしまう他ないわ」

「――見えないのに、どうやって?」

「輝いているんだから、照らせばいいのよ」


 なるほど、と彼女が思ったその時だ、両陣営の間が狭まっていき、ついには接触。

 両者入り乱れての大乱戦が始まり、彼らは一つの大きな光となって、空ばかりか地上までもを眩しく照らすようになり、それはまるで夜に浮かぶ太陽のようで、目を細め、両手でメガホンを作り、


「頑張れーっ! 負けるなお星様ーっ!」


 とタルトは声援を送る。


「タルトは星の方が好きなのね。私はどちらも好きだから、夜が来るといつも迷ってしまって」


 彼女が星に肩入れしていたのは、そういう理由ではなかった。


「――いや、その、弱い方を応援してあげた方が良い気がして、それで星を応援してあげようって、思ってさ」

「強い方を応援しても面白くないものね。なら私も、今夜は星を応援しようかしら」


 それからしばらくの間、二人で応援していると、徐々に、夜の太陽が移動し始め、月の城の方に向かった。


 均衡が崩れたのだ。星陣営が月陣営を押し込んでいた。

 応援している方が勝っている、という状況を、タルトは素直に喜び、はしゃいでいたが、いけないと思って頭を振る。

 それでは、お月様が可哀想だったから。

 しかし、彼女と違って解説のモニカは眉を顰めて見ており、今の戦況をこう解説した。


「今夜も星は負けそうね。攻め込んでばかりで、誰も新月を探しに行こうとしないなんて。罠だって分からないのかしら」


 それで思い出し、「ああっ!」とタルトは声を上げる。


「そうだったね。新月を見つけないと、負けちゃうんだったね」

「ええ。数で勝っているのだから、もっと広がって戦わないと」


 その言葉をタルトは流すように聞いていたが、隣の、本か猫か分からない奴は、


『中央突破を防げるだけの人員を残し、残りは奇襲部隊を探しつつ、外から挟み込んで包囲しろ』


 そういうことかと、独自解釈してその尾を楽し気に揺らしていて、急展開に驚いて、そいつをピンと立てる。

 夜の太陽のど真ん中に、黒穴がぼっかり空いたのだ。


 そこから月陣営が一気に押し返し、響く二人の声援空しく、瞬く間に戦況がひっくり返って、ちらほらと流れ星が降るようになり。

 太陽ではなく、沢山の月明りが辺りを照らすようになると、散っていった数多の星々の、流星群が夜空に降り注いでいた。


「星が負けると綺麗ね。それに平和だわ。月が負けると大地が荒れるのよ」

「へぇー、お月様も降るんだね。やっぱり大きいの?」

「大きいわ。とっても」

「ちょっと見たいかも」


 ――――空を飛べるヨハンに、吸い込んできて貰おうかな?

 とタルトが少し邪な考えを抱いていると、一つの星が彼女目掛けて降ってきて、

 

「いけない――、下がって!」


 と、いち早く危険を察知したモニカが鋭い声を上げたが、彼女は反応することが出来ず、目の前にズドンと星が突き刺さってから、腰を抜かすように尻餅をつく。

    

「ここにもたまに星が降ってくるのよ。危なかったわね」


 本当に、もう少しでぺしゃんこになるところだった。

 ただただ驚き、何度も両目を瞬くタルトの前には想像通りの星がいた。

 ヒトデと同じ形で、白く光っている。

 

「バッサリいかれたようね。これでは空に戻れるかどうか」


 モニカが言うように、星は体に深い傷を負っていた。

 その傷がもし魂にまで到達していれば、このまま消えてしまうかもしれない。

 タルトは直ぐに立ち上がり、自分に出来ることをしようとした。


「ヨハーン!」


 その意思をバッチリ読み取っていたヨハンが、詠唱と魔法名が書かれているページを開いて飛んで来て、タルトは右手でキャッチ。

 触れているところから感じる属性の違う五種類の魔力のうち、三つを引っ張り出した。それらは、 


 火から変化した――――灯と。

 風から変化した――――混と。

 光から変化した――――希だ。

  

 あとはフリーの左手に三つ共集めて使いたい相手に触り、記された言葉をそのまま声に出せばいい。そうすれば魔法が発動した。


「朽ちゆく魂に泡沫の火を灯そう〈人魚泡のキャンドル〉」


 その魔法は、一時の間、魂の崩壊を防ぐ効果があった。

 手に泡のような光が灯り、星の中に移動していく。


「動いちゃ駄目だよ。動くと直ぐに泡が割れちゃうから」


 そのあと、やってはいけないことをお星様に忠告し、「よし」と一呼吸置いてから、目を瞑り、タルトは乱れた心を整え始めた。

 先ほどの魔法は応急手当であり、時間の掛かる次の魔法が彼女の本命だった。しかし、


「問題ないさ。気を失っていただけだからね。地上の姫よ、暖かい光をありがとう」


 いきなり至近距離からそう声を掛けられて、びっくりしてタルトは目を開けた。

 目の前にメイルより少し上くらいの少年がいた。

 その少年は、華美にも見える豪華な服を着ていて、『王子様』そんな言葉が彼女の脳裏を過っていた。


「これは僕からの感謝の気持ちだ。どうか受け取って欲しい。左手を」


 少年はそう言い、右手を前に出してきた。

 タルトは、吸い寄せられるようにその手に左手を持っていき、触れ合うとそっと手を重ねられ、その時、中指の先から奥に向かい、すっと、何かが移動していく感触があって。

 直後、甘ったるいおませな顔をした少年が、耳に絡み付くような声で、


「今は、まだ隣に――――」


 と言って上の手をパカリと開ける。

 すると、中指に煌めく指輪がはめ込まれていて、 

 ――――相手は子供、相手は子供!

 と思いながらも、顔に熱を感じ、タルトはドキドキしていた。

 

「似合ってるよ。ああ、でも今つけたのはまずかったかな。こっそり城を抜け出して来ているんだろう? お供もいないようだし、誰がどこで見ているか分からないから、そのローブに付いたフードで顔を隠しておいた方がいい、君は分かり易過ぎる」


 爽やかで晴れやか、王子様然とした少年はその整った顔で屈託なく笑い言う。

 そんなイケメンスマイルをまったく免疫のないタルトは直視することが出来ず、思わず俯き、


「もう少し話しをしていたいが、皆が私を待っている。僕は次の一番星、ヴィナトリエ。君は?」


 そのまま彼女は、小さな声で今の名を告げた。「タルト」と。


「菓子の名ではないか。いや、あれは色取り取りの美しい菓子だ。君の瞳を見て名付けたか。君に合う良い名だと僕は思う。タルト、次の夜にまた会おう」


 そう言うと、ヴィナトリエ少年はタルトの右手をそっと持ち上げ、甲に口付けをし、さっと身を翻してちょっと名残惜しそうな顔を彼女に向けたあと、ふわと浮き上がって、空へと帰って行く。

 彼女も熱に浮かされていて、ぽけーっとした顔で彼の後ろ姿を見つめ、無意識に指輪を摩っていたが、


「羨ましいわ。私は見ての通り体が大きいから、そんな風にされたことなくってね。私のことを殿方と間違えてるバカまでいるのよ。そういう奴には、めぇーとしか鳴いてやらないの」


 諦めたような顔でそうぼやく、モニカが目に入った瞬間、熱が一気に引っ込んで、

 ――――子供相手に、不覚! でもちょっとくらい、いいじゃん!

 なんてことを思いつつ、軽く咳払いをしたあと、彼女はモニカに優しく笑い掛けた。


「体のことで悩む気持ち、分かるよ。変わりたい? 私なら出来るよ。だって私は魔女だから。貴女に魔法を掛けてあげられる。モニカが望む姿に生まれ変われる、とっておきの魔法をね?」


 しかし、それは冗談に聞こえたようで、モニカは笑っていた。


「なんで笑うのさ」

「――ごめんなさいね。だって、急にそんなことを言うものだから」

「変わりたいの! 変わりたくないの!」


「そうねー。もし本当に望む姿になれるのなら、私はね、人間になってみたいわ。そうしたら、二本の腕で料理も作れるようになるし、バカも引っ叩いてやれる。私は女よっ、てね?」


「――ほ、ほどほどにね? あとさ、時間掛かるから、のんびり待っててよ」

「分かったわ。どうせ暇だもの、のんびり待たせて貰いましょうか。まぁ、お手並み拝見といったところね」

 

 挑戦的な笑みをモニカに向けられ、驚かせてやろうと、よし、やるかと気合を入れ、いつの間にかどこかに姿を眩ませた相棒をタルトは呼ぶ、


「ヨハーン!」


 すーっと下からヨハンが上がってきて、不満気な顔を向けてきた。


「寝てた? ごめんね。ドッペル使いたいから、それだけお願い」


 ヨハンは、両目を閉じて耳を折り曲げ、ゆっくりと体を傾けていく。

 大きな大きな溜め息でも吐くようにそうやったあと、もう好きにしろ、そう言わんばかりにパサっと体を開き、己を差し出してきた。

 タルトは右手で掴み、今度は五つの属性の魔力を引っ張り出す。

 足された二つは、


 水から変化した――――夢と。

 闇から変化した――――穴だ。

 

 それらを左手に集めたあと、タルトは真っ白なページを見ながら、空でこう唱え始める。

 

「魔導書の中で眠る者よ。魔女の声は聞こえているかっ」


 ――――ああ、聞こえているとも。

 と、そこに独りでに文字が浮かび上がり、するとゆったりとした速度で右手に五属性の魔力が注ぎ込まれ始め、それらは左手を目指して体の中を進み、緩い流れを生み出した。

 その流れを乱して魔力が暴発しないように、彼女は目を瞑って意識を集中する。


 次第に、流れが速くなってきて、荒れ狂う急流へと変貌していき、それを乱さないようにするのは骨が折れ、彼女の額には汗が滲んでいた。


 この制御が本当に難しく、慣れるまでに何度も暴発させ、店の商品をいくつ破壊したことか。

 今それをやれば、目の前にいるモニカが、どうなるかなど言わずもがな。 


 タルトは少し緊張しつつも、魔力の流れにひたすら意識を向けながら、根気強く待ち続ける。

 新たな魂が、産声を上げてくるのを。

 

「タルト。聞いてる? タルト」


 とモニカが声を掛けていた。

 既に時間はかなり経ち、もう夜が明けようとしていた。

 空には色鮮やかな朝焼けが広がり、しかし太陽は昇ってこず、曙色の光だけが地を照らし、

   

「タルト。もういいわ。一緒に見ましょう、この綺麗な空を」


 その時だった。タルトがゆっくりと瞼を開き、少し真面目な顔でこう聞く。


「――その、ごめんね。言い忘れてたことがあってさ。一度生まれ変わると二度と元には戻れなくなるし、呪いも掛かっちゃうんだよね。今ならまだ間に合うけど、どうする?」


「どうするって、言われても、呪いでしょ? 呪いはちょっと……、どういう呪いなの?」


「呪いっていっても、そこまで怖いのじゃないけどね。自分の本当の名を口にしてはいけなくなるの。もし、口に出せば、火炙りにされてしまうから。大丈夫?」


 これ、彼女自身一回言われたことだった。

 今から使おうとしている魔法はあの老婆の魔法で、しかし老婆は魔法など唱えてはおらず、それは腕の差か、はたまた彼女が覚えていないだけか、といったところで、きょとんとしていたモニカが「ふ、ふふ」と吹き出し、笑い始めた。


「本当にそこまで怖くない、いいえ、ちっとも怖くない呪いで笑ってしまったわ。本当の名なんて口にしたくもないもの。好きにして頂戴というか、ドンとこいね!」


 そして、そんなことを言ったのでタルトは驚いた。


「え――なら、モニカっていうのは……」

 

「実はね。モニカっていうのは私の本当の名じゃなくて、昔に私の世話をしてくれていた人の娘さんの名なの。その子タルトみたいな綺麗な髪をしていて、野原に咲く一凛の花のようだったわ。だから沢山の殿方に言い寄られてて、羨ましかった。分かる?」


「分かるよ。私もずっとそうだったから」

「今は、違いそうね?」

「生まれ変わったからね。モニカも直ぐにそうなれるよ」

「そう。それは素敵な話ね」


「ええ。とっても素敵な魔法を掛けてあげる。でも、そのモニカさんのようになれるかは、貴女しだい。モニカ、準備はいい?」


 モニカは大きく深呼吸をしてから、「いいわ」と告げてきた。

 

「魔導書の中で眠る者よ。聞いていたかっ! 魂の契約はここに成立したっ!」


 タルトが宣言するように言うと、再び魔導書に文字が浮かび上がる。

 ――――ああ、確かに聞いた。だがもっと深く想わせろ、強く願わせろ。動き喋る相手は面倒だよ。

 この魔法を発動段階まで仕上げたのはこれで三度目だったが、こんな文章を浮かび上がらせたのは初めてで、彼女は心底驚き、同時に理解した。

 今の状態では魔法が発動出来ないと。 


「モニカ――今のままじゃ駄目みたい! もっと想って、もっと願って。なりたいって、生まれ変わりたいって!」

「――そう言われても、難しいわね」

「ううん、簡単だよ。モニカさんの姿を頭に思い浮かべて、祈るように、想って」


 その助言が良かったのか、魔導書が淡く光り始め、 既に二度目にした文章を浮かび上がらせる。これで全てが整った。


「もういいよ」


 と告げてモニカに左手を伸ばし、タルトは魔導書を読む。


「俯くものよ、お前に夢を見せてやろう。希望を与えてやろう。新たな魂を灯し、嫌なところは暗い穴へ、好きなところは混ぜてしまえ。生まれ変われ〈焦がれ人のドッペル〉」


 眩しい光が発せられ、その光が太陽のように空へと昇っていくと、魔法を掛けられた大羊は、綺麗な髪の女に姿を変えていて、

 

「人間のモニカ、生まれ変わった気分はどう?」

「――え、これ、は?」


 その場で、くるくると回り、自身を確かめたあと、着ているブラウスを引っ張りだす。

 羨ましがっていただけあって、今のモニカは、顔は美人で、出るとこが出て、引っ込むとこがきちんと引っ込んでいる。

 本当に綺麗な人になって、何かそれが可笑しくて、くすくすと、タルトは忍び笑いをする。


「もう、笑わないでよ。そんなにおかしい?」

「ううん、全然おかしくなんかないよ。すっごい綺麗な人になって、驚いちゃった」

「――そう? でも不思議な気分だわ。ちょっとすかすかして、気持ち悪いというか、服は毛と全然違うのね?」

「私は元々人間だったから、そこはちょっと分からないけど、気持ち悪いからって、服を脱いで歩いたりしたら、絶対駄目だからね」

「そんな破廉恥なことしないわよ。でも、脱ぎたいのは確かね?」

「早めに慣れること」

「頑張るわ」


 その後、二人は静かに空を眺め始めたが、直ぐに飽きたか、会話を弾ませていた。

 空の色が、綺麗な青に変わるまで。



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