第3話 奈落の羊は夜空を見上げる
近くで見ると思った以上、城門のように大きかった扉の前、
「親方ーっ! おーやーかーたーっ!」
着くと同時、羊飼いの男が大きな声を上げていた。
「入れ」
と、どこか威厳を感じさせる低い声が返ってきた。
しかし、羊飼いの男はそれに従わずにまた大きな声を上げた。
「親方ーっ! 開けてくれねぇと入れねぇよーっ!」
そこで妙な間が空き、バァンっと物凄い音を立てて大扉が開いた。
激しい風圧に髪や衣服を乱されながら、タルトが目にしたのは、天を衝くとまでは言わないが、彼女など一飲みにしてしまえそうなほどの大男であった。
その巨体たるや、腰を下ろした状態で二階建ての家くらいはあり、筋骨も隆々で、髭を蓄えた顔は厳つく、その大男は物語の中から迷い込んできた巨人そのもので、口を開け、彼女がその佇まいにただただ圧倒される中、
「親方っ! 魔女様をお連れしましたっ!」
と羊飼いの男が嬉々としてそう報告し、この方がそうです、と言わんばかりに両手を使ってタルトを紹介した。
が、巨人は「はぁー」と疲れたような息を吐き出し、包帯でぐるぐる巻きにされた自身の右腕を見たあと、
「ヴィッセ、ちょっとこっちに来い」
と羊飼いの男ヴィッセに言う。
ヴィッセはそれに少し不思議そうな顔で「へぇ」と返事をしたが、
「あ、ちょっと待ってくれ! おらにも言い分が」と急に慌てふためき、
「いいから来いっ!」
しかし問答無用とばかりに呼ばれ、諦めたような顔をして、巨人の傍までとぼとぼと歩いて行く。が、
「そこじゃねぇっ!」
とまた大きな声で怒鳴られ、とび上がるように後退した。
「そうだ。そこでいいんだ。じっとしてろよ」
巨人が、どでかい自身の頭を振り下ろし、彼は床に埋まった。
「バカヤロウが。ドルドール様はお婆さんだって言っただろうが」
穴から這い上がり、頭を出したヴィッセは、自身の言い分を巨人に言う。
「ドルドール様は、いなくて。だから、代わりに、この子を――――」
しかしそれは言い訳に聞こえたか、彼はまた頭を振り下ろされて床に埋まっていた。
「ふん」と荒っぽい鼻息を吐いた、巨人の視線がタルトの方に向いた。
身を守るように両腕で胸を抱き、タルトは怯えた目をしていた。
彼女は本で読んだことがあったのだ。
暴力を振るう粗暴な悪い巨人は、家を壊し、人を食べると。
「頭も掻けねぇ、髭も摩れねぇってのは不便だなぁ。お嬢さん、そう怯えんでくれ。辛いものがある」
しかし、その言葉ではタルトの心を開くことは出来ず、効果が無かったのを確認すると、巨人は顔の筋肉をひっきりなしに動かし始め、次々と変な顔をし出した。
その様はまるで、泣く赤子に笑顔を浮かべて貰おうと頑張る親のようで、そんな健気なことをしている巨人を、穴から顔を出したばかりのヴィッセが、訝し気な顔で見ていた。
「親方、なーに不細工な顔してんだ?」
すっと巨人の表情が戻り――――次の瞬間、「てめぇのせいだろうがぁっ!」と大きな怒鳴り声が上がり、建物全体が揺れ軋む。
「お前がお嬢さんをこんな所に連れて来ちまって、怯えられちまって、震えられちまって、どうすりゃいいんだこん畜生がっ!」
「――――耳鳴りがひでぇや、もう少し声を抑えてくれ」
言われた巨人は顔をムスっとさせて、詳しい事情を話せとばかりに顎をしゃくった。
「えーとだな。店に着いたら、ドルドール様は結構前から留守にしているみてぇで、偶然居合わせた同じ魔女様のこのお嬢さんに聞いたら、大羊なら捕まえられるって言うもんだから」
「ドルドール様の代わりに、このお嬢さんを連れてきた、と」
「親方ーっ! 聞こえねぇんだって!」
「うるせぇっ!」
巨人が頭を振り下ろし、彼はみたび埋まる。
その少しあと、怯え続ける女の子に巨人が渋い顔をして頭を悩ませていると、外にいたメエムがこちらへ駆けてきて、
「タルト! 大変なのっ。お兄ちゃんが、お兄ちゃんが――――えっ、おっきいー!」
と巨人を見上げて言った。
「お嬢ちゃん。そんなことよりお兄さんがどうかしたのかい?」
「え、あ、そうっ! お兄ちゃんが埋められちゃったの!」
「ドゥバンにちょっかいを出したのか。おう、ヴィッセ」
しかし、言われたヴィッセはまだ耳が回復しておらず、穴から頭を出したばかりということもあって状況が分からず、「へ?」と間の抜けた返事をしてしまい、
「へ、じゃねぇっ! 俺が出られねぇだろうがっ!」
と割と理不尽に怒鳴れていたが、大慌てで穴から這い出てきて、二人の手を引き道を開けていた。
巨人は腹ばいになり、芋虫のように這って扉の外へ。
そして、左腕を支え棒にして立ち上がると、ズシン、ズシン、と大きな足音を立てて、柵の方へと歩いていき、
「ドゥバン、埋めてる子を返してもらえるか」
一番大きな羊の前で屈みこみ、巨人は言う。めぇー、と大羊が鳴いた。
「よしよし、いい子だ。それじゃ、返して貰うからな」
そうは言うが、巨人は何もしようとはしなかった。
少し盛り上がっているところをただ見続け――――、突然ぐるんと顔を後ろに向け、怒鳴った。
「こぉらヴィッセーっ! お前が掘り起こすんだよーっ!」
「なんでいっつも急に怒鳴んだーっ! それにいっつも一言少ねぇんだよーっ!」
「てめえーっ! 親方に向かってなんて言い草だーっ!」
「うるせえよーっ! 親方はやっかましんだよーっ!」
大声で文句を言いつつも、ヴィッセは向こうに駆けていく。そして、
「わたし達も行こう。お兄ちゃんを掘り起こしてあげないと」
メエムもタルトの手を引き走り出す――――が、タルトはその瞬間、無性に苛立ち、繋いだ手を振り払いたくなった。
恐ろしい巨人のいる所になど、行きたくなかったのだ。
彼女は今すぐにでも逃げ出したかった。
しかし、『逃げよう』という言葉は巨人の大きな耳に届きそうで、怖くて口から出せず、だからといって、二人を置いて一人だけ逃げる訳にも行かず。
どうしようと思い、どうすればと考え、しかし何も良い方法が浮かんでこず、ただ焦燥感だけを募らせながら、引きずられるように足を進め、巨人のところまで来ると棒立ちとなり、慌ただしく動き回る周りを他所に、メイルが掘り起こされていく様を、彼女は一人眺めていた。
メエムとヴィッセが二人で一生懸命土を掘り、巨人が「頑張れ、もう少しだ」と応援している。
やがて、メイルが発掘されて地中から出てくると、彼らは喜び合い、輪を作っていた。
タルトは、当然その輪には入っておらず、何も知らずに無邪気に喜ぶメエムと、恥ずかしそうな顔で礼など言い出すメイルに、何とも言えない気持ちになり、何も疑わず、騙されてこんな危険な所に連れてこられた自身の考えの足りなさを悔しく思い、そしてそんな馬鹿な自分は、もうじき食われるのだと思うと、涙が込み上げてきて――――
――――そこからの記憶は妙に曖昧となり、気が付くと、彼女は干し草の上で膝を抱えていた。
自身を挟み込むように、兄妹が寝息を立てていた。
そのことにほっと安堵したその時、三人共無事であることへの疑問が頭に浮かび、もしかすると自分は大きな勘違いをしていたのではなかろうか、と冷静になった頭が導き出し、彼女はがくりと項垂れて、はぁー、と徒労の息を吐く。
「何やってんだろ、私――――」
虚脱感に襲われていた。何もやる気が起きなかった。
ただ何となく、それではいけないように思い、少し気分を変えようと立ち上がり、その時初めて、周りが暗いことに気付く。
「――夜、なのかな?」
奈落の空は太陽もないのにいつも明るく、暗くなることはなかった。
とはいえ、夜が来ないわけではないという事は、ヨハンから前に聞いていて知っていた。
今が正にその時のような気がして、空を見て確かめようと思い、彼女は足を踏み出し、暗がりを進み始めた。
そんな彼女の夜目に映るのは、足元の地面とだだっ広い空間。そしてそれを囲む木の壁とその隙間から差し込む光。
更に、そこら中に毛や干し草が散乱しており、柵の仕切りまであるときたら、とても人が住むような場所とは思えず、彼女は自分が今何処にいるのか、それらを見て察しがついた。
ここは大羊の厩舎で、巨人の家のように見えたあの建物の中だろう、と。
歩いていると、彼女はふと差し込む光の大元が気になり、太陽のように光だけがあるのか、実のところ普通に月が浮かんでいるのか、それとも異質な、昔読んだ物語に出てきた、髑髏の月だったらどうしよう、と一抹の不安を感じつつ、広大な厩舎の出口をひたすら探し続ける。
が、一向にそれらしい所が見つけられず、不安になってきていた。
あの巨人なら、大きな屋根を持ち上げて、中に人を放り込むことなど容易い。
つまりは、端から人間が出入り出来る所などなく、家畜のように中で人を飼い、餌を与えて太らせて――――食べるつもりだ!
ここは厩舎などではなかった。いや人を飼う厩舎だった。
それで間違いないと確信したタルトは、大慌てで兄妹を起こしに行こうとして、すっ転び、「いったぁ……」と顔を歪めながら、起き上がろうと壁に手をつく。
すると、そこがすっと外に開き、ヨハンが顔を覗かせて、何やってんのと言わんばかりの顔で見られ、
「ヨハン……、外にいたんだ」
と言うタルトの口からは、変な笑い声が出ていた。
さっさとヨハンを呼べば良かったと、どうしてそこに気が回らなかったのだと、そこらへん少し悔しく思いつつ、彼女は起き上がり、こけた時に出来た擦り傷を摩り、立ち所に消してしまう。
そして、綺麗になった手をヨハンに引かれて外に出て、空を見上げれば、そこには輝くお城が浮かび、それが向かい合うようになんと二つもあった。
片方は星々を散りばめたようにキラキラと光り、もう片方はまるで月のように黄色い光を帯びており、それはそれで神秘的で、思いもしない夜空の光景に目を奪われ、
瞳輝かせ、思わず駆け出してしまい、躍るようにくるくる回って、タルトは大はしゃぎする。
その後、落ち着きを取り戻したタルトは、「綺麗だね」とヨハンに言い、ヨハンがそれに頷いた時だ。
「お嬢さん」
と女の声が聞こえてきて、タルトは驚き周囲を見回す。
闇の中で青く光る目があった。間違いなくこちらを見ていた。
まさか幽霊――――とドキリとしたのは一瞬、相手の体が見えると、そこに向かい、「こんばんは、大羊さん」と、タルトは挨拶をした。
動物が当たり前のように言葉を喋る本もある。動物が話すなんてのは、彼女にとっては当たり前のことだった。
「こんばんは。私はモニカ、貴女のお名前は?」
「タルト。よろしくね、モニカ。触ってもいい?」
「ええ。好きに触っていいわよ」
タルトは「やった!」と喜び、モニカの毛を撫で、直ぐに体ごと埋めた。
柔らかくて、何とも肌触りが良くて、
「タルトちゃん。貴女の歌とっても良かったわ。素敵な歌だった」
ずっとこうしていたい気分になっていたところに、そんな言葉を掛けられ、恥ずかしくなってタルトはもっと埋まった。
「――その、ありがとう。あんなので良かったら、いつでも歌えるから」
「そう。なら歌ってもらおうかしら。と、言いたいところだけど、もうすぐ戦が始まるから、今はお預けね」
戦、タルトはそれを非常に好いていて、それが今から始まると聞けば埋まっている場合ではなく、パっと体を離して聞き返した。「戦? 戦が始まるの?」と。
「そう。空の上でね。ここなら安全だから、見ていくといいわ。綺麗よ」
「――そうかな? 綺麗とは思わなかったけど、誰かが救われるんだね。戦は救いを齎すから」
「救い? 空の上の戦はそうじゃないけど、普通の戦は怖いものよ。誰も救われなんかしないわ」
「私も昔はそんな風に思ってたんだけどさ、実際の戦はそうじゃなくて、戦は剣を持った救世主を連れて来てくれて、私はそれで救われた、だからここに落ちてこれて、こうして生まれ変われた」
「――――辛い思いを、していたのね」
と戸惑うように視線を彷徨わせるモニカに、タルトは笑い掛ける。
「あの時は辛さよりも、退屈さが勝ってたかな?」
「そう――。ここでは楽しく生きるといいわ。でも、ここでも剣を持った救世主さんに救い出して貰おうと考えては駄目よ。今度深手を負えば、と言っても分からないわよね。とにかく大きな怪我をしては駄目よ」
子供言うような言い方されて、タルトは思わず苦笑してしまい、
「知ってるって。魂にまで傷が達すると、消滅するかもしれないんだよね。信じられないとは思うけど、私こう見えて、大人なんだよ?」
と言ったところでこの見た目、信じてはくれないだろうなと思っていたが、
「あら、ごめんなさい。私てっきり、小さいから子供とばかり……。そうよね。体の大きさで決めつけるのは良くないわよね」
モニカは割とあっさり信じてくれて、意外に感じつつも嬉しくあった。
「ありがとう。モニカは信じてくれるんだね。この見た目だから、信じてくれない子達もいてさ。別に困ってはいないけど、ちょっともやもやしてて」
「私のところに来た子達?」
「そう!」
今の話に何か引っ掛かるものを感じつつも、タルトは空を見上げ、奈落を思う。
「ねぇ、モニカ。ここは不思議な場所だよね。魂の世界にいるはずなのに、生きてた時とあんまり変わらなくて、ごはん食べたり、遊んだり、うとうとしてきて、お昼寝したりさ。時々思うんだ。私は本当は死んでなくて、別の世界に来ただけなんじゃないかって」
「あの世だろうと、世の理というものは変わらないものなのよ」
「なんか難しい話だね。世の理かぁ……、全然分かんないや」
本当に分からなくて、分からないことが可笑しくて、タルトが少し笑うと、
「世の理っていうのはね。そうね。食べなければ飢えてしまうとか、痛みを感じなければ危ないことが分からないとか、そういう当たり前のことだと私は思ってるわ。それには体が必要だから、魂は自分の体を被っているでしょう? 不思議よね。もう滅びたはずの体があるっていうのは、それで生きてた頃と同じ生活をしちゃうっていうのは、ね」
そんな話をされ、少し気になったことがあって、彼女はモニカに尋ねた。
「モニカはさ、生きてた頃からそんなに大きかったの? 幼い頃の記憶だから、曖昧なところがあるんだけど、私の知ってる羊は、もっと小さかったような」
「そうでしょうね。実際私もこんなに大きくなかったわ。それに人と話せもしなかった。かつて、この奈落の全土を支配していたタルタロスという王が振り撒いた混沌の力の影響らしくてね、彼の狂王はありとあらゆるものを狂わせたそうだから」
しかし、その振る舞いが災いして、『奈落の六賢者』なる奈落で大そう崇められている者達に封印されてしまった。
あとはそう、その王様は醜い女を花嫁にしようとしていた。
タルタロスという王について、タルトが知っているのはそれくらいだった。
「変な王様だよね、色んなものを変にして。でも変な王様に狂わされてなければ、モニカは話せなかったんだよね? 話せるようにする代わりに、体を大きくしたのかな?」
「話せるようにだけして欲しかったわ。今の私は大きな雷まで落とせるのよ、歩く天変地異になった気分、いいえ、雷雲かしら?」
モニカが頭と手足をふわふわの毛の中に引っ込め、丸くなった。
その姿は本当に雲のようで、可笑しくて、くつくつと、タルトは笑う。
「本当に雲みたい。モニカは、大きな雲の魂と混ぜられたんだね」
「雲の魂? 雲に魂なんてあるの?」
「あるよ。だってここは魂の世界。砂の一粒一粒にすら魂が宿る――――あれ? 砂に宿ってるのは地上から零れ落ちてきた魂の残滓だっけ?」
タルトはヨハンに目を向け、頷き返されて、目を戻す。
「みたいらしくて、砂を固めて一つの塊にすれば、魂も大きな一つの塊になり、バラバラに崩すと魂も分かれるんだって。だから奈落に魂のないものは一つとしてない、であってると思うけど、実際のところはよく分からなくて」
「難解な話だわ」
魂に関連することで何度かやらかしたことがあり、タルトは、その言葉に頷き、同意を示した。
「ほんとに難解で、摘み取ったままの食材はそこそこ持つんだけど、切って分ける時に魂まで傷付けちゃうと直ぐに消滅しちゃって。魂が小さくなると長持ちもしなくなるし、結構不便な感じ。料理をする時なんか特に」
「料理を作る時は、愛情を込めればいいって聞いたことあるけど」
「あー……、言われてみると楽しんでばかりで、愛情はあんまり込められてなかったかも」
「だったら、次からは食べる人のことを考えて作ればいいのよ。そうすればグッと楽になると思うから」
「そうだね。今度からそうしてみるよ」
「なんだか私も料理がしたくなってきたわ。私にも人の手があればね」
「モニカは、人になりたいの?」
そう問うた時だ、辺りが少し明るくなり、モニカが上を向く。
タルトもそれにつられるように視線を空へ。
左にある煌めく城からは星々が、右にある黄光の城からは沢山の月が出てきて互いに隊列を組み、どちらが夜空を輝かすに相応しいかを比べるように、輝きと輝きをぶつけ合っていた。
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