第2話 巨人か悪魔か

 そんな変な羊、捕まえられないと思うタルトの横で、メイルがワクワクしたような顔で指を鳴らしており、そんな兄の袖を妹のメエムが摘み、引っ張っていた。


「面白そうな羊じゃないか。腕がなるぜ」

「お兄ちゃん、羊は雷とばしたりできないよ。大羊は羊じゃないの?」

「さあな。行ってみりゃ分かるさ」

「おめぇ達も来るんか。まぁええ、早く馬車に乗ってくれ。うちの子がよそさまに迷惑掛ける前に捕まえねぇとな」


 言うや否や、羊飼いの男は馬車に飛び乗って手綱を握った。

 ――――ど、どうしよう!

 と心の中で、あたふたしていたタルトの手をメイルが引く。


「ほら、早く行こうぜ」


 行きたくありません、とは言えず、そのまま連行されて馬車の裏手に回るが、子供の背丈にはアーチ状の乗り入れ口が少しばかり高く、メイルが跳ね、片手をついてそれを軸に体を回すと、先に滑り込むように乗り込み、中から手を伸ばして二人を引っ張り上げていた。

 そして、三人仲良く団子になって座ると、あとからヨハンが来て床に寝そべった。

 

「馬車に乗るのは久しぶりだなー」

「お兄ちゃんは乗ったことあるんだね。わたしは初めて。タルトは?」


 タルトは真っ青な顔で「へ?」と声を震わせる。

 すると、「タルト、大丈夫?」と、メエムに心配そうな顔で覗き込まれ、


「あー、タルトは乗り物酔いするのか。前を見ずに後ろの景色でも見てな。でも後ろには行くなよ、揺れて危ないからな」


 メイルにはそう言われ、頭が真っ白になっていた彼女は言われるがまま後ろを向いた。景色が横に回り始めていた。

 そしてそのままゆっくりと、丁度反対側までくるりと回ると、


「とばすからなーっ! 舌噛まねぇようにしろよーっ!」


 手綱が打たれて馬が走り出し、その時、あるはずのものが無いことに、タルトは気付く。

 ドルドール魔法商店が、忽然と姿を消していた。

 ただでさえ、一杯一杯の状況に、混乱する事態が重なり、揺れる中、忠告されていたにも関わらず彼女は後ろに駆け出す。

 その瞬間、メイルが慌てて彼女の服を引っ掴んだ。


「こら! 危ないから行くなって言っただろ」

「待って、違うのっ。お店がないのっ!」

「あ、ほんとだっ! お店がないよ、どこ行ったの?」

「なんで――――なくなってんだ!?」


 ヨハンが尻尾で床をぺしぺし叩いて音を立て、三人の視線が向くのを見て取ると、ペンを握って書いた。本の中、と。

 ヨハンは、物を本の中に仕舞うことが出来た。

 ただ、店のような大きな物まで吸い込んでしまえるとは誰も思っておらず、


「お前、店まで吸い込めるのか……」


 と言うメイルは、驚き半分呆れ半分といった顔だ。


「勿論出せるよな?」

「お兄ちゃんは見てなかったの?」

「何をだ?」

「ヨハンが本の中から色々出してるとこ」

「俺は前に飾られてたからな」


 メイルはそう言うと、どこか昔を懐かしむように目を細くし遠くを見た。


「ずっと外の景色ばかり見てた。ここらって本当に何もない所だろ。だから、ほんとに退屈だったな」

「遊べなかったもんね。でもタルトが動かしてくれて、沢山遊べるようになって良かったよね」

「そうだな。泣き虫の人間にされたのは思うところがあったけどな」

「お兄ちゃんは、虫の人間なの?」

「違う。そうじゃなくて……」


 と腕を組み、頭を悩ませるように「うーん」と唸っていたメイルだったが、突然何か閃いたような顔をし、妹に言う。


「あれだ! 俺は鎧の人間さ。泣き虫の人間はよく泣く虫を飼ってる人間のことさ。ほんと、めそめそ泣いてばっかりで、こっちの気分まで沈んでくる」


「お兄ちゃん。ねぇ、よく分からないよ。もっと分かるように言ってよ」

「そうだなー……、俺は泣かない虫を飼ってる鎧の人間ってことさ!」

「もっとよく分からなくなった!」


 とメエムにぽかぽかぶたれ、「やめろ、やめろって」とメイルが声を上げる。

 そんな風にじゃれつく二人の傍で、タルトは一人、思い詰めた顔で、考えていた。

 馬車がでる前ならまだ間に合ったのに、なんで言わなかったんだろうと。

 それを見かねたように、ヨハンがペシっと床を叩いて彼女に読ませた。

 

「任せて、おけ? ――――ヨハン、な、何とかできそうなの?」


 ヨハンはそれに一言書いて返した。任せろ、と。

 その短い返答が何とも頼もしく感じられ、タルトはヨハンを抱きしめ、


「ありがとう、ヨハン」


 と礼を言う。

 思わぬところから助け船が来て、救い出された彼女の心はふわと浮き上がり、歌でも、うたいたい気分になった。

 が、その時、ゴツっと音が鳴って尻まで少し浮き、歌などうたえる状況ではないことに気付く。

 馬車はかなりのスピードを出していた。

 後ろを見れば、見知った景色などもう遠い向こうのように思え、

 

「どこまで、行くのかな」


 と、そう呟くと、タルトはその後お喋りに興じたり、内装を見たり、馬の尻尾を眺めたりして揺られ続け、行く先に、まるで巨人が住んでいるような大きな木の家が見えてくると、馬車の速度がしだいに落ちていき、


「もうすぐ着くかんなー!」


 と羊飼いの男が大きな声で後ろの三人に告げる。


「でっかい建物だな。でもまだ大分手前じゃないか。なんで速度を緩めたんだ?」


 そんな疑問を投げかけるメイルに、羊飼いの男はこんな話をする。


「走らせていったら群れのボスのドゥバンが怒んのさ。みんな静かにしててくれよ。ドゥバンは普段は大人しいんだが、喧しいのが嫌いでな。怒りを買うとえらい目に遭うかんなぁ」


「へぇ」とメイルがニヤついていた。喧嘩したいとその顔には書いてあった。


「ちなみに、どんな目に遭うんだ?」

「ま、だいたいは穴掘って生き埋めにされちまうな」

「埋めて静かにするわけか。おっとろしい羊だな。着いたらちょっとそいつと遊んできていいか?」

「好きにしたらええが、絶対に怒らせるような真似はするなよ」

「分かってるさ。遊ぶだけ、遊ぶだけさ」


 と肩を竦め、嘘くさいことを言うメイルを、メエムが揺する。


「ええー、お兄ちゃんだけずるいよー。わたしも遊びたい」

「二人で行ってくりゃええ。用があんのは魔女様だけだ」


 羊飼いの男に目を向けられたタルトが、おずおずと彼に聞いた。


「あの、歌をうたったも、ドゥバンは怒りますか?」


 羊飼いの男は、きょとん、とした顔になったが、直ぐに笑みを浮かべて彼女に言った。


「ドゥバンは喧しいのが嫌いなだけで、歌は好きなんでさ。ですんで好きなだけどうぞ。旅に歌はつきもんさ」

 

 それを聞き、ほっと胸をなでおろしたタルトは早速後ろに行き、乗り入れ口のアーチを掴んで外の様子を見る。

 絡み付く風に小麦色の髪が棚引き、カラフルで少し奇抜なフルーツタルト色の瞳に変わり映えしない緑が映った。

 

「ヨハーン」


 と呼ぶと、ヨハンが傍に来て、何、と書く。


「ヨハンは知ってる? 空って本当は青いんだよ」


 慣れる、とヨハンが書き、それが可笑しくてタルトは笑った。


「そうだね。慣れちゃったね。奈落の空の色はいつも変だけど、明るい色の時なんか結構綺麗だよね?」


 ヨハンの返答は、いやまったく、と分かり合うことはできなかったが、タルトは体を揺らし始め、歌をうたいだす。

 その澄んだ歌声にある者は体を揺らし、ある者は何処か遠くを見て、しばしの間続いた小さな魔女の独唱会は、馬車が静止するのと同時に終わりを迎え、


「いやぁー、なんか心が洗われました。魔女様、良い歌をどうもです」


 羊飼いの男に褒められ、照れくさそうにする彼女の横をすり抜け、メイルが外へ。

 下から手が伸びてきてタルトは抱っこで降ろされ、続いてメエム、最後にヨハンがふわふわと浮いて出てきて、


「ねぇ見て見てっ! 大きな羊が沢山いるよ」


 メエムの言った通り、周りには、その名に相応しい象と見紛うほどの大きな羊が沢山いた。

 小さいのでも、大人の背丈くらいは優にある。

 それに比べて囲う柵の低さときたら、タルトよりも低く、子供が入るのも簡単そうで、メイルが一際大きな羊を指差し、

 

「あいつがボスのドゥバンだな。見りゃ分かった」


 と言う。そんな彼に羊飼いの男は再度こう忠告していた。


「ああ、でもくれぐれも怒らせるなよ。触るだけだからな」


 しかしそれを聞き流すように、メイルは片手を軽く払って返していた。


「分かってるさ。メエムもいるんだ、そんなヘマしないっての」

「わたしね、自分より大きな羊達と遊ぶのは初めてなのっ」

「そうなのか。なら沢山遊んでもらうとするか。行くぞメエム」

「うんっ」


 無邪気に喜ぶ妹の手を引いて、メイルは羊達のところへ。

 子供はそっちに行けていいなと、二人の背中をタルトは見ていたが、


「魔女様はこっちに。親方が待ってますんで」


 言われ、羊飼いの男についていく。

 横手に巨人の家。しかしいつまで経っても、羊飼いの男はそこに行こうとはせず、通り過ぎてしまう。

 不思議に思っていると、もう一つ大きな建物があって、羊飼いの男はどうやらそこに向かっているようだった。


 その建物は、玄関戸らしき扉はとても大きいのだが、それに対しての奥行が凄く乏しく、そのことを変なの、くらいに思ってタルトは下草の上を歩いていたが、近付くにつれ、中にいる相手が気になり始め、声を潜めて、ヨハンに話し掛ける。


「あっちの大きな建物ほどじゃないけど、こっちもかなり大きいよね。中にはやっぱり、巨人がいるのかな?」


 そうだったら良いなと考えていたが、そんなのいない、とヨハンに素気無く返され、タルトは口を結び、ムっとした。夢をぶち壊された感じがしたから。


 ヨハンは奈落に詳しく、その本の体の中には奈落のことが沢山記されていた。

 そんなヨハンが『いない』と書けば、まずいない。

 

「ヨハンのバカっ。ぼかしてもう少し盛り上げてよ」


 それに対する返答は、もっと怖いのがいるだった。

 怖くなって、タルトは歩みをピタと止め、


「何が、いるの?」


 問うてもヨハンは答えてはくれず、開いていた体を閉じ、からかうように周りを飛び回ると、背中側に回ってぐんぐん押し始め、


「待ってヨハン、押さないで、心構えがっ!」


 急にそんなことをされて焦るタルトの後ろで、ヨハンがペンを握ってこう書いていた。『悪魔だよ』





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