第1話 店を営む女の子
冥界の下方、深い大地の底には、神々すら忌み嫌うほど暗く淀んだ場所がある。
その場所の名は奈落。穢れた魂、または穢された魂が集う場所だ。
まぁ、そんな所にも統治者というのは居て、堕ちてきた一人の天使がその者を打ち倒し、新たな王として君臨すると、自身の強大な力を用いて、淀んだ奈落を一変させた。
今の奈落は、明るい光が地を照らし、見渡す限りの緑の平野で、草花が吹く風に葉を靡かせ、時に手のように動かし、隣同士でヒソヒソ、ヒソヒソと噂し合う。
「ねぇ、――知ってる?」
「聞いた聞いた」
幾重にも上がる小さな声は、静かな騒めきとなり、波音となって平野を駆け、孤島に寂しく立つ海小屋のような、こじんまりとした店で跳ね返り、緑の水面へ帰っていった。
「またあの子でしょ」
「そう、あの子」
ドルドール魔法商店と大きな看板を掲げた店の中、試験管のようなものに入った七色の液体が数本並べられたカウンターの所に屈みこみ、奈落に落ちた女、タルトはうんうん唸り、手を動かしていた。
その店の左の棚には古着が積まれ、右の棚にはジャンルまばらな本が詰まり、軒先には兜や短刀、高いところには目のついた草がいくつも吊るされ、彼女に視線を向けていた。
手のひらサイズの実に差し込まれた花がくいくい曲げられ、下に沈み、上に浮き、
「――よし、こんなものかな?」
と納得いったような顔でタルトは顔を上げ、カウンターの上に頭を出し、
「ヨハン見てよ――あれ?」
と首を傾げる。
店の中には誰もおらず、なら先に今調整を終えた物の出来を確かめようと思い、店の外に出て、花の刺さった実を、タルトは思い切り投げた。
花弁がくるくる回って実を高く持ち上げ、調整を掛ける前よりそれはよく飛んだ。
「おぉー」
と思いのほかうまくいったことに自分自身で少し驚き、黒いローブをはためかせて、投げた実をタルトは取りに向かう。
が、その途中で、空に浮かぶ雲の一つが気になり足を止めた。
紫色の空で泣きっ面を浮かべていたはずのその雲は、今は満面の笑みを浮かべていた。
何か良いことでもあったのかな、良かったねと思ってそんな雲に笑い掛けたあと、投げた実を手に取り、急ぐように店に戻ったタルトは声を上げる。
「ヨハーン! ヨハーン!」
本棚のところから、一冊の本が独りでに落ちてきて、ふわと浮き上がって彼女の前まで飛んできた。
その本は表紙についた大きな両目をパチパチ瞬き、三角の耳をぴょこっと動かし、毛深い尾を揺らしていた。
「ヨハン見てよ。どうこれっ! 結構飛ぶようになったよ」
大喜びでタルトがそう報告すると、ヨハンは表紙についたペンを尻尾で握り、本の体を開いて白いページにこう書いた。『頭悪い』と。
「バカなのは仕方ないじゃん。学校行ってないんだからさ」
不貞腐れたような言い方だが、タルトは不機嫌な顔をしてはいなかった。
ヨハンの口の悪さには慣れっこだったから。
「次は何作ろうかな。もっと沢山商品を並べたら、お客さん来てくれるかな?」
ヨハンは、やめろと書くが、タルトの視線は既に他所に向いていた。
その視線の先にあるのは兜。手に取り、彼女はよく飛ぶ花を摘みにまた外へ。
花を根本から千切るように引き抜くと、小さな悲鳴が上がるが、彼女はそれを意に介さず抜き続け、沢山摘んで、脇に置き、兜の上に付いていたトサカを外して空いた空洞に、飛ぶ花を詰め込めるだけ詰め込み、草で束ねた。
しかし投げてみると、兜が重いせいかこれがまったく飛ばず、もっと浮力を得ようと、花を増やすことを思い付き、一度突っ込んだ花束を抜いて、それの外側に沢山の花を巻きつけていたところで疲れを感じてきて、小休止。
何かもう面倒になって、余りは全部上に乗せ、立派な花束が完成すると、それを空洞にねじ込んで兜を持ち上げ、「おぉ」とその完成度に驚き、満足いくものが出来た感じがしてその顔からは笑みがこぼれ、
「どうこれっ!」
と足元で被害者の会を結成していた花々にタルトは聞く。しかし、
「このど鬼畜」と彼らに言われてしまい、
「直ぐに生えてくるんだからいいじゃん」
とそんな彼らに文句を言い、上機嫌な顔で奇抜な見た目の兜を店に飾りに戻り、店頭にそれを置いた時だった。
「ただいまー」
「たっだいまー!」
と少し前に出掛けていた、彼女と一緒に暮らしている二人が帰ってくる。
「おかえりー」
「まーた変なもん作ってたのか。ヨハンをあまり困らせるなよ」
ボロを纏う男の子が、ショートボブの銀髪を掻きながら呆れたような顔で言う。
「でもタルトの作る玩具って面白いよ。今度は何作ったの?」
継ぎ接ぎの多い古着を着た、くるくる回る癖の強い栗毛の女の子が、パッチリ開いた無邪気な目を彼女に向けていた。タルトは、作ったものを順に指差し、
「空飛ぶ草の実と、飛ばそうと思って飛んでくれなかったこれ。商品名はまだ決めてないけど、結構良くない?」
と二人に品の出来具合を聞くが、「どこがだよ」と男の子に言われ、
「もう、お兄ちゃんは直ぐにそういうこと言う」
「俺だけじゃないっての。ヨハンにも聞いてみろ」
その子に親指で差されたヨハンがさっと書いたところには、ぷんぷん、という文字に怒りマークがついていた。
「ご、ごめんね? 兜は駄目だよね。今度からは別のもので作るから」
言うと、ヨハンは溜め息でも吐くように耳を折り曲げて体を傾け、直ぐにペンを握ってふざけんなと書き、そんなヨハンを、女の子が腰に手を当てて「こらっ」と叱り付けた。
「ヨハン。タルトをいじめないのっ!」
「別にヨハンはいじめてないだろー。メエムはタルトに甘いんだよ」
「違うよ。お兄ちゃんとヨハンが辛いんだよ」
妹のメエムに睨まれ、その兄は面倒臭そうな顔をしていた。
三人の中で一番背が低く、その兄妹に妹のように思われていたタルトは、自分のことでよく言い合いをする二人に辟易した顔をし、子を叱る母のように立って、
「メイル、メエム」
名を呼ばれた二人が視線を向けてくるのを見て取ると、
「ごはん作ってくるから、外の井戸で手を洗って待ってて」
二人に言い、店の奥にあるキッチンに向かおうとした。その時だ。
遠くの方で土煙が上がっていることに、タルトは気付いた。
目を凝らせば、馬車がこちらに向かってきているのが分かり、驚いて、外を指差し声を上げる。「ちょっと二人ともアレ見てっ!」と。
「おぉー、こっちに来てるな。まさか客か?」
「え、どれどれ――ほんとだっ!」
と二人も興味津々といった顔でその馬車を見始め、
「途中で引き返したりしないよね? あれ絶対お客さんだよね?」
タルトは、少し不安になって、二人にそう聞いた。するとメエムに小首を傾げて見られ、
「そうなんじゃない? 真っ直ぐこっちに来てるもん」
「うし! 俺が相手してやるか」
とメイルが威勢よく言い、自身の手のひらを拳で打つ。
今から喧嘩でもしに行くような彼の服を後ろから掴み、タルトは止めようとした。
止めようとしたが、引っ張られていることに気付いてないのか無視をされ、彼女は溜め息を吐いてから、一歩彼の前へ。
「こらタルト。俺がやるから後ろいってな」
直ぐに彼にそう言われたが、タルトも引く気はなかった。
「私が店主なんだから、私がお客さんと話さなきゃ」
「小さいタルトにできるのか? いいから俺の後ろにいろって」
「駄目だって! 私がやらないとメイル喧嘩しそうだし……」
「なんでだよ。まぁ、むこうが喧嘩を売ってきたらするとは思うが」
「ほら! じゃあ駄目!」
と両者譲らず、そうやってやいのやいのと言い合いをしているうちに、馬車が店に到着してしまう。
シャツにオーバーオール、頭には麦わら帽子。そんな恰好をした男が御者席の所に座っており、
「子供が沢山いるなぁ。飴、食うか?」
彼はそこから降りると開口一番そんなことを言い、ポケットから包み紙を取り出して広げた。その中にあったのは、ミルクを連想させる白い飴だった。
「おう。ありがとよ。二人にやって――――こらっ!」
メイルが礼を言っている途中で、横から手が伸ばてきて、その飴を口の中に放り込んでいたメエムが、「んんーっ、これ美味しいっ!」と満足そうに顔を綻ばせる。
「メエム。行儀の悪いことをするなよ」
「男がそんくらいのことで目くじら立てんな。それより坊や、ドルドール様は奥か?」
そう言う男の視線は、店の看板、そして店内に向けられていて、腕を組んだメイルがムスっとした顔を彼に向けている。
「誰が坊やだ。俺は一人前の戦士だぞ」
言われた男は軽い感じで「そりゃ悪い」と片手を前に出し、
「で、ドルドール様は?」と聞くが、
「婆さんか。それが結構前にいなくなっちまって、帰ってこないんだよ」
そんな返答を貰い、困り顔になり、被る帽子を撫でていた。
「留守なのか。参ったな。どこ行ったかは知らねぇか?」
「すまんが分からん。あの時は話せなかったしな。ヨハンは婆さんから聞いてないか?」
メイルに目を向けられたヨハンがこう書いた。タルト、と。
「タルト? タルトが店に来たのは婆さんがいなくなってからだろ」
言われた通り、タルトは店の先代であるドルドールなる人物と面識がなかった。
譲り受けたという訳ではなく、奈落に落ちた時にこんな辺鄙な所に落とされ、人を探して歩き続けていた時にこの店を見つけ、誰かいませんかと中を探していると、奥にいたヨハンと偶然出会い、軽く意思疎通したのち、
『この店は魔女のもの。タルトが魔女になるならタルトのもの』
とヨハンがそんなことを書き、興味本位で魔女になりたいと答えて、 彼女は魔女になり、この店を手に入れただけだった。
「困ったなぁ。どうすっか。ドルドール様がいねぇんじゃなぁ」
「婆さんはいないけど、婆さんと同じ魔女ならいるぜ。タルトがそうさ、 俺達を動かしてくれたんだ。なぁメエム」
メイルに目を向けられたメエムがこくりと頷く。
「うん。タルトは魔女だよ。わたし達を動かしてくれたの」
「動かしてくれた? タルトっていうのは、その子だよな?」
と、男は一度タルトをまじまじと見たあと、びっくりするように上半身を引く。
「お嬢ちゃん――あ、いや、お嬢さん。お嬢さんは、魔女なんですかい?」
「魔女は魔女なんですけど、あまり自信がないと言いますか――――」
魔女としての歴が浅く、自分を未熟に思っていたタルトはそう言うと俯き、頭の中で今の自分に適しているような言葉を探し始め、
「そうっ! まだ見習いなんです、私」
良い言葉があったので口に出してみると、これが案外しっくりきた。
今の自分には、その言葉が一番だと思った。
「見習いの、魔女様ですか。背に腹は代えられねぇし、頼むべきなのかぁ?」
そう迷うように言う男に、メイルがこう尋ねた。
「あんた、客ってわけじゃなさそうだな。婆さんに何を頼みに来たんだ?」
「ああ、うちで飼ってる大羊の一匹が逃げ出してな。困ってんのさ」
羊を誘導したいのなら、何か叩いて音を立てるか、大きな声でも上げ、後ろから追い立ててやればいい。
実際にやったことはないが、本の中の羊飼いはそうやって羊を誘導していた。
外の世界を知らずに育ったタルトには、それはとても簡単なことのように思え、
「羊だったら、捕まえられると思いますよ」
と深く考えずに言うと、羊飼いの男がパっと明るい顔になって言った。
「そうか、捕まえられるか! 見習いといっても魔女様は魔女様だなぁ。凄いもんだ」
「タルト、本当に捕まえられるのか? 羊は結構逃げ足速いぞ」
と、メイルに怪訝な顔で見られて、大丈夫だってと、タルトは言おうとしたが、
「大羊はそれだけじゃねぇ、毛を擦って雷とばしてくんだよ。名前の通り体も化け物サイズでなぁ、おらじゃ絶対捕まえられねぇからほんと困ってたんだよ。ありがとうございます、魔女様」
そんな話を聞かされ、血の気が引くのを感じ、言葉を失った。
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