10
資料室の鍵を掛けた。
オフィスはさっきよりも明るくて、先輩だけじゃなかったんだな、と思った。
そんな予感はしてた。
あのプロジェクトに参加することが決まった時から、流れは悪かった。
新しい風が巡り合わせる運、やっぱりいいものじゃなかったな。
薄暗い廊下で、靴の音を立てながらオフィスに戻った。
「で、俺らの鞄を漁って、何がしたかったの?」
ん? 鞄を漁った?
私はオフィスに入って、すぐに声のする方に向かった。
新島の座っている前には5人の立っている女がいた。先輩と、それから、新島陽向親衛隊、と私が勝手に呼んでいる4人。
「あ、朝日。一応鞄の中身、無事か確認しといて。さっき、こいつら凄い漁ってたから。」
「はい、」
ゾッとした。
なんで私の鞄なんか漁るんだろう。
私は自分の鞄を持って、明るいところで自分の鞄の中身をひとつひとつ出して、確認しながら、新島の方の話も聞いていた。
「朝日の鞄から何を取ろうとしたの?」
「新プロジェクトの資料、です。」
「なんで?」
残念ながら、プロジェクト資料は鞄ではなく鍵のかかった部屋引き出し。
あ、その鍵を探そうとしてたのかな。
でも、それは持ち歩いてるから盗まれることは無い。私もそれなりに貴重品の自己管理はしている。
「そんなに俺が朝日を選んだのが気に入らなかった?」
今の新島の言い方は、かなりの苛立ちが聞いて取れた。
私のことでそんなに怒る必要ないのにな。
私は鞄の中身に被害がないことを確認してから、出したものをまた鞄に戻した。
「なんか言えよ。」
「新島、あんまり大声出さないで。」
「でも、」
「いいから。自分の鞄の中身の確認して。」
新島は舌打ちしてから女たちを睨んで、自分の鞄の確認を始めた。
今の一瞬で分かったことがある。
この男、元ヤンだな。
「もう、邪魔しないでください。初めてなりに頑張ってます。新島と一緒だからとか、それ以前に大変なんです。今までやったことなかったから。プロジェクトが終わったら、思う存分私のこといじめてもらって構わないので、今はやめてください。会社の今後のことにも関わってきますし。」
私はなるべく冷静に、それっぽいことを言った。
今までの人生はそれとなく、大人しく、目立たないように生きてきて、いじめのような部類のことをされたこともあったが、こうやって、面と向かって相手に、やめてください、なんて言ったことは無かった。こういうことは初めてだから、何て言ったらいいのか、正直分からないのだ。
私の前にいる女たちは、俯いたままで、主犯と思われる例の先輩に助けを求めているように見えた。
「なんであんたが、」
先輩が私を睨むようにして声を出した。
何でと言われてもな。
私もやりたくなかったわけだし、一度はあなたに譲ってる側だしな。
「それは、私が一番聞きたいので、新島に聞いてください。」
そう言うと、舌打ちをして私から目線を外した。
みんな結構、素行悪い側の人間だったんだな。
後ろで鞄の中身の確認をしていた新島が、大丈夫だ、と言って、私の方に戻ってきた。
「俺が朝日のこと好きだから。」
「はい?そういうのは、」
「俺、朝日と同期だからずっと朝日のこと見てきたし、割と何でも話せる仲だし。朝日は、本当は、やらないだけで出来る子だから。勿体ないなって、一緒にプロジェクトやりたいなって思って。だから俺が上に言って指名してもらった。」
この間私の前でも言っていたことと同じことを言った。
それ、本当だったんだ。
というか、好き、って、
それは言っていいのか?
「申し訳ないけど、こんな陰湿なことして、プロジェクトを邪魔しようとしてくれて、俺がそんなんで喜ぶと思った?自作自演して、俺がお前のこと好きになると思った?」
ん?
自意識過剰出てるぞ。
「新島、今、誰も新島のこと好きなんて言ってない。」
「え、俺のこと好きだから、俺と仕事したくてやったんじゃないの?」
「そうだとしても、今はまだ誰も新島のこと好きなんて言ってないから。」
「好きだよ。」
「ほら、好きだって。」
「言うんだ、」
「俺はこんなことされて、顔も見たくないくらい嫌いになったね。」
先輩からの告白を、ナイフで刺すような鋭い言葉で切り裂いた新島の横顔は笑っていて、本当に性格が悪いなと思った。
モテる男ってこんな感じなのだろうか。
そして、それに好かれてる私って。
今の一連の流れを見てたら普通は新島のこと嫌いになりそうだけどな。
こんな、自意識過剰の男、嫌じゃない?
「このことは上に報告しておくから。動画のデータも送っておく。朝日、警備の人からここのカメラのデータ貰ってきて。」
「無理です。次、出勤の日にしてください。上司には私から連絡しておきます。」
「何で?俺の言うこと聞けないわけ?最初の約束、」
「監視カメラのデータの個人的な持ち出しは出来ないんです。上司の方に、明日監視カメラの映像確認してください、と送っておきますから。」
「分かったよ。じゃあ、よろしくな。」
新島はいつも通り、左手を私の頭に乗せた。
私は女たちに一礼してから、自分のデスクに座って、鍵付きの引き出しの中と、USBデータの確認をした。
何の被害も無いけど、本当に何が目的だったんだろう。
PCをシャットダウンしてから、鞄を持ってタイムカードを切りに行った。
「帰るか。遅くなってごめんな。」
「いや、ほとんど私のせい。私の方こそごめん。」
「朝日は何も悪くないよ。」
私たちはふたりでオフィスを出た。
新島の少し後をついて行くと、喫煙所に入った。
吸うんだ。
電気をつけないまま、窓の外の明かりだけ。
さっきと同じだ。
新島が座った右側に私も座った。ポケットからさっき使わせてもらったライターを取り出す。
「プロジェクトのデータは全部無事でした。」
「それは、よかった。」
火を点けると、すぐに煙草が燃えた。私は煙草の煙が上がるのを見ていた。
「女って、怖いな。」
「言ったじゃん。」
「思ってた以上だった。俺、朝日のこと守れてた?」
私はスマホを開いて、偉い人に送るメッセージを打っていた。
「なかなか上出来じゃない?」
「本当?」
「でも、新島が私のこと好きだって、すぐ回るよ。」
「それは確かにそうかも。困ったなぁ。」
「自分で言った癖に。」
「でも、まぁ。いいか。」
新島の左腕が私の肩に回って、左手が私の左耳に触れる。煙草の臭いと、新島の体温。
多分、私が煙草を吸っていたことには気が付いていないと思う。
メッセージの内容は見返さずに、偉い人にメッセージを送った。最後に、何か聞きたいことがあれば新島まで、と付け足しておいたから、多分もう私のところに連絡が来ることは無いと思う。
スマホの画面を消して、また真っ暗に戻った。
遠くの方に小さな明かりが消えるのが見えて、多分、あの女たちが帰ったんだろうなと思った。
今日は疲れたな。
そうでなくても、残業なんてものを初めてやって疲れてるのに、更にあんなことが重なってくるんだもんな。
でも、ひとりだったらきっと何も出来なかっただろうな。少し新島に感謝かも。
「ありがとう。」
「え、」
「もう言わない。」
何も言わない代わりに、左手が私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
エレベーターの音が僅かに聞こえた。
本当にこのフロアには私たちだけになってしまった。
早く帰らないとな。
私は新島の横顔を眺めた。
月の明かりが照らしていて、イケメンはなんでも絵になるんだなと思った。
「一口、頂戴。」
「いいよ。はい、」
新島は驚きもせずに、右手で持っている煙草を私の口元に持ってきた。私はそれを咥えて、一口だけ吸った。久々に苦いのを吸った気がした。私は顔を顰めた。暗くてお互いの顔があまり見えない。よかった。
「本当は吸うの?」
「苦い。」
「煙草は苦いよ。」
自分の吐いた煙を眺めた。
暗いのに白い煙はよく見える。
新島の煙草はあと少しで終わる。
私は自分のポケットから煙草の箱を出した。
口直し。
やっぱり、苦かった。
あんまり人の前で吸うのは好きではない。女の喫煙はいいイメージがない気がしているからだ。
私は一本咥えて、新島のライターで火を点けた。赤く燃えて、白い煙が上がる。こっちの方が甘い。
「甘い臭いだな。」
「最初は強いの吸ってたの。そしたらやめられると思ったんだけど、そんな事しなくてもやめられた。」
「吸ってるじゃん。」
「月に1回、吸うか吸わないか。」
「そうか。俺もそれくらいになるように禁煙しないとなぁ。」
ふたつの白い煙を眺めながら、右側に感じる温かさは、いつもより優しい気がした。
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