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「もう、私毎日、小休憩してるよ。今まで一度もなかったのに絶対みんなおかしいと思ってるよ。てか、禁煙するんじゃなかったの。」


「なんだよ、文句ばっかり。昨日の商談、凄い上手くいったじゃんか。俺も朝日も、馬鹿みたいに褒められてるよ、今。」


「そういう問題じゃないんだよ。」



あの日があってから、仕事はなんとか上手くいっていて、お互いの関係も付かず離れずという感じで、何となく全てが上手く進んでいた。


だけど私の、小休憩が増えたことには、やっぱり納得のいっていない女性社員が多くいた。


それもそのはず。


小休憩は私自身の意思ではなく、大勢がいるオフィスで、私のデスクにわざわざ来て、私を強制的に連れて行く。その男が会社一のモテ男、新島陽向だからだ。



「大丈夫だって。朝日がなんか言われるようなら、俺が言い返す。」


「女って怖いんだよ。」


「知ってる。でも、俺モテるからある程度なら対処出来るポテンシャル持ってる。」


「モテるのは関係ないと思うけどね。」



いつも、新島に呼ばれて、喫煙所に連れて行かれて、ライターを点けたらあとは新島が美味しくもなさそうな煙草を吸ってるのを見てるだけ。


いつか私はこいつの副流煙で死ぬんだと思う。



「禁煙は。」


「プロジェクトが終わるまでは無理かな。」


「何で。」


「これが無かったら、朝日との時間無くなっちゃうもん。」


「こんなところに呼ばなくても、いつでも時間作るっての。」


「本当?」



あ、まずい。


今のは完全に無意識で返してしまった言葉だ。


新島は子犬みたいなキラキラした嬉しそうな目で私を見ていて、やってしまったと後悔した。


これじゃあ、私から誘ってるみたいじゃない。


新島は、ずっと私の方を見ていて、私の返事を待っているようだった。


私は溜息を吐いて、返事をした。



「うん、いいよ。」


「まじで?じゃあ、今日の夜家来る?」


「へ?」


「だって、この間約束したじゃん。今日おいでよ。」


「い、いやいやいやいや、」



自分で自分の体温が上がっていくのを感じた。


無理だよ。展開が早いよ。


確かに約束はした。


あの時もさっきと同じ子犬みたいなキラキラした嬉しそうな目をして指切りをしてきた。


でも、いきなり今日なんて言われたら、流石にびっくりする。


私が変なことを言ってしまったのが運の尽きだったな。



「ねぇ、顔赤過ぎない?」


「えっ、」


「どうしたのさ、」



新島は笑っていて、私は、

この人嫌いだ、

と思った。


多分、自意識過剰の自信たっぷり男だから、また自分のいい方向に考えているんだと思う。


だとしたら、まぁ、間違ってはいないんだけども。


それを分かってて私に聞いてくるのは、



「やっと俺に惚れてくれた?」


「は、」



また体温が上がるのが分かった。


ああ、なんか遊ばれてる気がしていい気がしないな。


私は下を向いて、赤いと言われた顔を隠そうとした。



「今日は、残業になると思うから。明日休みだろ?」



俯いたまま、頷いた。煙草を消す音がしてから、いつも通り私の右隣から、私の頭に左手が乗った。



「残業、付き合ってな。」


「はい?」


「やっと顔上げた。」



新島は私の前に立って、にこっと笑ってから私の頭を撫でた。


なんか、手のひらで転がされてるな。


そのまま喫煙所を出て行こうとした新島を追いかけて、私も喫煙所を出た。


喫煙所のことは、休憩中のこと。


顔色を戻して、小休憩に入る時にダミーで持って行ったファイルを両手に抱えて、新島の隣を歩いてオフィスに戻る。



「切り替えがしっかり出来てる。流石、俺の女だな。」


「あんたの女になった記憶はない。」



私はオフィスに入って、すぐに自分のデスクに座った。


もう午後になったのに、いつもの仕事が終わっていない。このペースだと、また仕事を持って帰ることになりそう。


新島が残業するなら、ついでに残業してもいいかな、なんて気の抜けた考えをしてしまっている私自身を、私は嫌いになりそうだった。





残業だ。


初めての残業だ。


うちの会社は基本的に土日出勤は無いのだが、先週、新プロジェクトの先方の都合で土日出勤になってしまったため、今週のどこかで2日間休みを取っていいということになった。


正直、鬼のような7連勤で私は死ぬかと思った。


まだ新入社員の時に、1度だけプロジェクトに参加させてもらった事があった。その時はリーダーの補佐とかではなく、やるからちょっと参加してみない?くらいの感じで上司に誘われて、ほとんど何もせずに参加していたが、そのプロジェクトがとてもしんどかった。何度も逃げ出そうと思ったくらい。だから今までずっと、プロジェクトには参加しないで会社の基本資料の作成などに徹してきた。


なのに、あいつのせいで。


私ともうひとり、残業しているあいつに向かって私は睨みつけた。


気付いてないから大丈夫。


気付かれたら今度は、

仕事中に俺のこと気になっちゃうほど好きになっちゃった?

とか言われそう。むかつく。


私は最後の資料を作り終えて、印刷をクリックした。


これで終わり。


私はプリンターの前で紙が出てくるのを待った。


オフィスを見回すけど、本当に私と新島しかいなくて、残業ってこんなに暗いんだなと思った。電気は最低限だし、多分廊下も電気が点いていない。


音を立てたプリンターが、私が作った資料を出して、私はそれを鍵の付いた自分の引き出しの中に入れて、鍵をかけた。


PCの電源を落としてから、資料のファイルを持ってオフィスを出た。


案の定、廊下は暗くて、少し怖かった。


こんなに暗くなるもんなんだな。


窓が多くて助かってるようなものだった。


誰もいない廊下に私の足音だけが響いていた。


目的地は資料室、ではなく、喫煙所。



「今日は無理だろ。」


久々じゃない?


「こんなことになるのが久々なのよ。」



白い箱から煙草を一本取り出して、新島のライターで火を点けた。


前は強いものを吸っていた。苦いから嫌になって辞められるかなと思っていたが、結局頻度が減ってからは女性向けってくらい吸いやすいのに替えた。20歳を迎えてすぐの時は、一日一箱くらいの勢いで強いものを吸っていたが、一年経った頃にはもう一ヶ月に一回に減っていた。よく減らせたね、周りには言われるけど、多分私にとって煙草は差ほど大切なものではなかったんだなと感じた。臭いも、味も。好きじゃない。



「もう、不味いよな。」


昔はあんなに吸ってたのに。


「若気の至りってやつだったな。」


もう歳、取ったね。


「やだなぁ。でも、もう20代も後半だからね。」



窓から入る外のわすがな明かりだけで、それ以外は真っ暗の喫煙所で、自分の声を響かせる。


久々だと減りが遅い。

やっぱり美味しくない。



「もう辞めようかな。お腹いっぱい。」


今日の夕飯はビールでも飲んでみたら?


「それだけは無理。ご馳走様でした。」



そう言って、煙草の火を消した。


最後の一吐きをしてから、ファイルを抱えて喫煙所を出た。


あとは資料室に資料を置いて終わりだ。


長い廊下の突き当たり、元々暗い場所が、この時間にはより一層暗く見えた。


重い扉を開くと、奥の方の電気が点いているのが見えた。


中に入ると、重い扉が閉まる音がした。

そして、ついでに鍵が閉まる音も。


意味が分からなかった。


振り返って扉の方を見ると、やっぱり鍵が閉まっていた。


とりあえず落ち着いて、私は電気が点いている方に向かった。


私の靴の音が響いて、少し煩いくらいだった。


そして、私の心臓の音も。



「新島、」


「あれ。朝日、先に資料室から出たのかと思ってた。」


「ねえ、誰かが鍵閉めてった。」


「は?でも、内側から開くよね。」


「開くけど、ここの戸締り出来ない。多分誰かが鍵持ってった。」


「何それ。俺ら、いじめられてんの。」



私は自分が片付ける資料をしまってから、新島と扉の方に向かった。


そう、いじめられてるのだと思う。


確かに、今回のプロジェクトは新島も言ってた通り成功していて、偉い人にかなり褒められた。


そのせいで、私はかなりの女社員から新島の補佐の座を奪った何も出来ない糞女、みたいな感じでかなり悪い噂が流れてると聞いた。


虐められる原因は十分に持ってるふたりだった。



「ああ、面倒くさい。こんな歳になってまで餓鬼みたいなことするなよな。しかも、俺らのことずっと見張ってたってことでしょ。趣味悪すぎだろ。そんな暇あるなら仕事しろよ。」


「凄い言うじゃん。極悪陽向出てるよ。」


「え、あ。今、陽向って言った。」


「お人好し過ぎだろ。今そんなこと言ってる場合じゃないじゃん。」



キャラがコロコロ変わる新島を見て、少し面白かった。


扉の前に立って、新島が鍵を開けると、またすぐに閉まった。外に誰かいる。



「は?意味分かんない。」


「私たちこれ、遊ばれてるよ。」


「あー、早く帰って朝日と遊びたかったのに。」


「あんまり大きい声でそれ言わないで。」



苛立った様子の新島が、扉を少し強めに、

ドンッ

と叩くと、鍵が開いた。


それはそれで怖い。


だって、扉を開けたら誰かがいるってことでしょ?


新島が扉を開こうとしたのを見て、私は思わず新島の左の袖口を掴んだ。



「大丈夫。」



新島は小さい声で私に言った。


新島が右手で恐る恐る扉を開けると、私が見えたのは、



「先輩、」



あの、例の上司だった。

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