4

少しお洒落なイタリアンレストラン。

女が必死に取り分けしてるのを見て、私は気分が悪くなるようだった。合コンでもないのに、何をそんなに必死にサラダを取り分けているのか、私には分からなかった。


そして案の定、合コンでもないのに女たちが熱い視線を送る先には新島がいて、私はどこを見ていても不愉快な状況だった。


飲めもしないお酒を隣の知らない男(プロジェクトメンバーのひとりだが、会議の時にまともに周りを見ていなかったため、うちの会社の人以外は全然分からない)に注がれて、不愉快という理由だけでなく、普通に気分が悪くなりそうだった。



「新島さん、これ食べますか?」


「新島さん、何飲みます?」


「新島さん、」


「新島さん、」


「新島さん、」


「新島さん、」


「新島さん、」



私はグラスを置いて、鞄を持って外に出た。


猫撫で声で連呼する「新島さん、」が頭から離れなくて、おかしくなりそうだった。


新島がそんなに好きなら、お持ち帰りでも何でもすればいいじゃない。


プロジェクトが終わるまでこれが続くと思うと、気が狂いそうだった。


慣れないお酒のせいで、頭も痛いし、胃もムカムカしてて、やっぱり新しい風は悪い運が巡ってるとしか思えなかった。


深呼吸をして外の空気を取り入れた。


ああ、夜の空気ってこんな感じだったっけ。


久々に夜に外に出た気がしたのだ。

会社以外は引きこもりも同然だったからな。


さっきまで降っていた雨の匂いと、夜の匂いが混ざり合う。


どっちも暗いものなのに、嫌いじゃない匂いなのは何故なんだろう。


暫く店の前でぼーっとしていると、店の扉が開いて新島が出てきた。



「雨、止んだんだね。」



新島は自分のポケットから煙草を取り出した。箱から一本取り出して、私にライターを渡す。



「はい、点けて。」



この人、何様なんだろう。


私がライターを灯すと、新島は咥えている煙草を火に近付けて、煙が上がるのを見ていた。


私は火を消してから、新島が吐き出した煙をぼーっと見ていた。


煙草を吸う横顔は、昔ドラマで見た推しの喫煙シーンに少し似ていた。


横から見ると、本当に線が細くてお肉なんてものは付いてないんだろうなと思った。


スタイルが良くて、でも猫背で姿勢が悪い。それなのにカジュアルスーツが似合うのは顔がいいから許されることなんだろうな。



「俺、見え見えの女苦手。」



新島は苦い顔をした。


そうなんだ。得意そうに見えるけどな。

一日に3人とか余裕で相手しちゃうみたいな。


それにさっきも、満更でもなさそうな顔をしてた癖に。



「朝日、お酒飲めないだろ?」


「え、」


「知ってるよ。俺らの新歓の時に、お酒飲んで顔真っ青にして早めに帰ったの。会社の飲み会も来ないし。本当はお酒飲めないんだろうなって。」


「ああ、そう。」


「さっきも、飲まされてただろ?大丈夫か?」



意外と人のこと見てるんだな。


私の顔を覗き込んできた新島は、お昼の会議後に私に頼み事をした時と同じ顔をしていて、私は目を逸らした。



「大丈夫。会計は経費で落とすの?」



私はこれ以上自分に踏み込まれないように、話題を逸らした。



「うん。最初だから落としてくれると思うから。」


「じゃあ、私がやっておきます。」


「俺が払っとくから領収書後で処理しといてもらってもいい?」


「分かりました。」



新島はまた私の顔を覗き込んで、ニコッと笑った。


もう少しで、煙草が終わる。


私は煙を手で払って、顔を顰めた。

ずっと隣に居たけど、煙草の煙は正直あまり得意ではない。



「流石、俺の左腕だな。」



新島は前に向き直ってから、

左手で私の頭をポンっとした。


どうやら機嫌がいいようで、恐らく女たちにチヤホヤされて、そこそこいいお酒を飲んで、いい感じに酔っ払ってるからだろうなと思った。


今、気が付いたことだが、新島は私の右側にいることが多い。つまり、新島の左側に私がいるということだ。


だから彼は頻りに、

俺の左腕

というのだろうか。


何にせよ、私にとっては少し迷惑なことでもあった。


勝手に左腕にされても困るのだ。


仕事は仕事で、私生活とはまた別。


そして、今は仕事。仕事なのだ。


右腕に付けている、腕時計を見ると、長い針が10で短い針が9を指していた。


こんな時間まで外にいたのは本当に久し振りだ。


いつもなら、ベッドの上で寝転がってテレビから聞こえてくる音を、スマホをいじりながら聞いているところだろうか。


右肩にかけている鞄を背負い直して、

もうそろそろ帰ってしまおうかな

何て考えていた。


ああ、でも領収書貰わないと。

まだ仕事が終わらない。


隣から煙が消えて、一本、吸い終わったようだった。



「朝日、もう大丈夫?」


「へっ?」


「何その声。」



思ってもいなかった言葉をかけられて、驚いてしまった挙句、言葉通り変な声が出てしまって、私は赤面しそうだった。



「体調。俺、朝日が心配で来たの。」


「私の体調の心配してくれるなら、隣で煙草なんて吸わないでよ。」


「それもそうか。」



何故か嬉しそうに笑っていた。


私にはそれの意味が分からなくて、呆れた顔をした。


勿論のことながら、頭は痛いし、残念ながら吐き気もする。さっさと帰って眠ってしまいたい。


胸やおなかの辺りを締め付ける服たちを早く脱いでしまいたいのだ。


新島は私を置いて、店の中に戻った。


きっともうそろそろお開きになるのだろう。


私の右手には、新島に返しそびれたライターがある。


左腕になることは嫌だけど、本当はそんなに嫌ではないんじゃないかな、とも思っていた。


そもそも、プロジェクトに参加することに否定的なのであって、新島のことは昔から嫌いではない。新島は私とって唯一の同期だから、お互い色々なことを話してきた仲でもあるからだ。


私はライターを鞄のポケットに入れた。


煙草は好きじゃないけど、煙草に付き合うのは嫌いではない。


私はもう一度深呼吸をして、静かに吐き気を抑えていった。


新島が店に入ってから、ほんの数分で、 また新島が外に出てきた。



「はい、領収書。帰ろうか。」



新島から会社の名前で切ってある領収書を受け取った。


店内をちらっと見ると、まだ他の人たちは中にいて、楽しそうに飲んでいた。



「いやいや、帰っちゃダメでしょ。飲み会って言い出したの、新島じゃん。」


「いいんだよ。朝日は俺の左腕だから。使いものにならなくなったら困るんだよ。」


「そういうことじゃないでしょ。」


「だから大丈夫だって。俺が体調悪くなったって言っといたから。」



店から少し歩いたところで新島がタクシーを拾った。早く乗り込むようにと急かされて、私は溜息を吐いてからタクシーに乗り込んだ。


新島がタクシー運転手に伝えた場所は、紛れもなく私のマンションで、何で私のマンションを知っているのか、動揺した。


私は何も言えずに、窓の外を眺める。


車内はとても静かで、気持ち悪さを紛らわすものが無かった。


この微妙な揺れが、私の体の中を刺激する。



「しんどい。」



小さな声で呟くと、左の手が握られた。


流石に驚いて左側を向くと、新島も窓の外を眺めていて、右手だけが私の方にあった。新島の右側の横顔は久し振りかもしれない。



「もう少し我慢して。」



ああ、聞こえたのか。

この人、お酒強いんだな。


新島は結構飲まされてた。

女たちにグラスが空く度に、何飲みますか、と聞かれ、お皿が空く度に、何食べますか、と聞かれていた。新島はそれを、嫌な顔一つせず捌いていて、そういう所だけは尊敬出来るポイントだった。


まだ車の通りが多い時間なのに、思っていたよりも早く家に着いた。


私が財布を取り出した時にはもう、新島がお金を払っていて、また乗り込んだ時のように、早く降りろと言わんばかりに私のことを急かした。


というか、新島も降りるんだ。



「お金、」


「また後日でいいよ。玄関まで送ってく。」



車から降りて、やっと外の空気が吸えたと思った。とても窮屈だった車内では息苦しくて、しんどかったのだ。


セキュリティを解除して5階までエレベーターで上がる。


新島は可もなく、不可もない距離感で私を見ていて、そんなに心配しなくてもいいのにと思うくらいだった。


エレベーターを降りて自分の部屋の鍵を開ける。



「もう、大丈夫。」


「そう。無理させてごめんな。」


「無理なんてしてないから、大丈夫。」



私は玄関を開けて自分の家に入った。


すると、思っていた以上に気が抜けたようで、一気に胃酸が上がってきた気がした。


靴を脱いでから急いでトイレに駆け込んだ。


ああ、シャンパンは苦手かも。


最悪。久々にやってしまったなぁ。


落ち着いてからトイレの床に座り込んだ。



「朝日?大丈夫か?」



玄関の方から新島の声が聞こえた。


私は開いたままのトイレの扉から玄関の方に顔を半分だけ覗かせた。


家には上がらずに靴を履いたまま心配そうな顔をして立っている新島が見えた。



「朝日?上がってもいい?」



私は無言で頷いてから、トイレの水を流した。


流石にいい歳した女が同期の男に、こんな汚い部分を見られるのは無しだと思った。


新島に手伝ってもらって、何とかリビングのソファーまで行くことが出来た。



「朝日、ひとりで大丈夫?」


「大丈夫じゃないって言ったら、どうするの?」


「朝まで一緒にいるけど?」


「新島、チャラいな。」


「紳士って言えよ。朝日が心配だから朝まで一緒にいるんだよ。」


「大丈夫、ひとりで。心配無用。」



新島を追い出そうとして立ち上がると、立ちくらみでフラっとして、またソファーに座ってしまった。


新島は急に倒れた私に驚いて、慌てて支えようとしてたが、その前に私がソファーに座り込んで、そのまま倒れてしまったため、さらに慌てていた。


こんなに慌てた新島を見たのは初めてだったかもしれない。


酔っ払っても体調悪くても、意識はちゃんと持てている。



「心配なんだけど。」



新島のその声を最後に、そこから先の記憶は無かった。

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