2
出勤はいつも少し早め。
余裕を持たないと完全に遅刻するから。
そう、私は時間にとてもルーズ。
仕事以外の待ち合わせは、時間に間に合ったことがほとんどない。間に合う時間に起きてるのに遅れるという特技を持っている。
仕事だけは遅れないようにと、いつも早めに時間をみているから、凄く早く着いてしまうことが多くあって、その時間に前日の残った仕事をやるのだ。
決して朝方という訳では無い。
寝れなさ過ぎて朝の4時に寝て、8時に出勤、なんて時もある。
生活のリズムがどうなっているのか、と人から問われることがあるけど、そんなことは私が一番知りたいことだった。
今日もいつも通り雨で、朝一で昨日の残りの仕事を終わらせてから、服を脱ぎたい衝動に襲われる。
デスクワークは嫌いではない。
嫌いなのは、あの一番偉い席にいる人。
「顔が険しい。」
後ろから急に声がして驚いた。
振り向くと、同期の新島陽向が立っていた。
こいつは機転が利く奴で、
上手いこと上へ上へといっている。
私は上に行くのを
拒んで、拒んで、拒み続けて、
今のポジションを確立している。
向上心のある男はモテるんだよな。
「余計なこと言われないように、大人しくしてよう作戦。今日も実行中?」
「実行しない日なんてない。」
「この資料、ありがとう。凄く見やすく纏まってた。朝日に頼んでよかったわ。」
その資料は、
私がさっきまとめたばかりのやつで、
こんなので褒められるならいくらでもするわ、って得意げになってしまいそうだった。
新島は私の肩をポンっと叩いて、
その資料を偉い人のところに持って行った。
あー、怖い。
あの言葉、言われたらどうしよう。
私は肩を竦めながら聞きたくない会話に
耳を傾けていた。
「これまとめたの、朝日くんか?」
「はい。朝日はいつも見やすく作ってくれます。」
「朝日くん、ちょっと。」
私は偉い人の方を見た。
嫌な予感が当たった気がした。
名前を呼ばれてしまった。
しかも、手招きまでされてしまった。
新島が余計なことを言うから。
私はデスクから立ち上がって、
偉い人の席まで重い足取りを隠しながら、
新島の隣に並んだ。
「はい。」
「資料、よく出来てるよ。次のプロジェクト、君に任せたいくらいだけど、きっとまた断られるだろうから、新島の補佐として参加してくれないか?」
まさかの言葉だった。
補佐。しかも、新島の。
新島の補佐なんて、
他に狙ってる人がいっぱい居るだろうに、
なんでよりによって私なの。
そう、驚き過ぎた。
きっと顔にはあまり出ていないだろうが、
体内では頭のてっぺんからつま先まで、
驚きという感情が駆け巡っている。
「え、えっと、」
「いいですね。朝日に頼みます。」
「えっ、」
「よし。じゃあ、よろしく頼んだよ。」
「はい、失礼します。」
隣で勝手に突っ走って頭を下げた新島を見て、
私も慌てて頭を下げた。
自分のデスクに戻る前に、
新島と話をするのが先だった。
偉い人のデスクに背を向けてから、
私は新島に小さい声で、
給湯室
と言った。
「会議室でいいだろ。」
新島の後ろを付いていくと、
オフィスから少し離れたところにある、
小さな会議室に連れていかれた。
確かにここなら
誰にも見られないかもしれなけど、
あまり慣れない場所で、落ち着かなかった。
新島が会議中の札をかけて、扉を閉めた。
私は適当に椅子に座って、
その隣に新島が座った。
「ダメなの?」
「あまりにも勝手すぎる。」
「まぁ、いいじゃん。俺が言ったことやってくれればいいだけだから。」
「嫌だ。」
「何でよ。俺、朝日と仕事したい。」
「仕事なら毎日顔合わせてやってるじゃない。」
「あーもう、そういうことじゃなくて。」
新島は必死に私と一緒に仕事をしたい理由を色々述べていたけど、どれもしっくりこなくて、一向にやる気にはならなかった。
責任も、期待も、そして失敗も。
私にとっては全部同じ意味で、
全部怖いことだった。
だから、社内でのデスクワークが
一番無難でいい仕事なのだ。
毎月同じことの繰り返し。
新プロジェクトがあれば、同じ型で名前を変えればいいだけだ。そんな私が、なんで評価されるのか、なんで新プロジェクトのチームに入らないといけないのか。
「一緒にやろうよ。俺の左腕になってよ。」
「それは、自分の左腕が不器用過ぎて使い物にならないから、お茶碗を抑えるのとかを、やって欲しいってことでいいのね?」
「なんでそういうことの頭は回るわけ?」
新島は呆れた顔で私を見ていたけど、
それでも食い下がろうとしなくて、
諦めの悪い奴だな、と思った。
「とにかく、俺が言ったことをやってくれるだけでいいから。これが上手くいけば、俺も朝日も給料アップ。がんばろうぜ。」
そう言って、強めに私の肩を叩いてから会議室を出て行った。
「痛っ、」
ため息も一緒に出た。
今日は運が悪い日だ。
スマホを取り出して、今日の占いを調べた。
かに座は、第2位。
「新しい風で運が巡ってくるかも。」
私はスマホの画面を消した。
もう二度と、占いは信じないことにした。
席を立って、会議室の電気を消してから部屋を出た。会議中の札を外した時、私の方に向かってくる足音が聞こえた。
「朝日さん、新島くんの補佐になるんですって?」
上司、というか、先輩というか。
前回のプロジェクトで新島と一緒にやってた人。
「そう、みたいですね。」
「朝日さん、補佐やったことある?」
「いや、無いです。ずっとそういうのからは避けてきたので。今回も、勝手にそうされてしまっただけで、」
「そうよね。じゃあ、私変わってあげる。新島くんとは、前回一緒にやった仲だし、私の方がよくわかってると思うから。」
ん?この感じは、
もしかして私、ライバル視されてる?
先輩は得意げな顔をして、
私に任せて
と言った。
仕事を代わってくれるのはありがたいが、
これは少し厄介だな。
面倒臭いことに巻き込まれそうだ。
「上司には私から言っておくわ。じゃあ、今日もこの資料、よろしくね。」
渡されたのはいつもの仕事。
私は思わず笑顔になって、
はい
と返事をした。
先輩は気分が良くなったように、
私の横を歩いてオフィスに戻って行った。
私は顔を顰めた。
これは本当に面倒臭いことになりそうだ。
こうなったらもう、
占いの結果を恨む以外無かった。
オフィスに戻る途中に見えた窓からは、
青くて濁った色の光が薄く入って来ていた。
天気予報では、明日も明後日も雨だった。
暫くは続くだろうな、この色。
今の私みたいな色だった。
私は溜息を吐いてから自分のデスクに戻ってさっき渡された仕事を始めた。
偉い人の方をちらっと見ると、
さっきの先輩が偉い人に新プロジェクトの交渉をしているところだった。
「実は、朝日さんから代わって欲しいと言われまして、」
言ってないけどな。
「朝日さん、嫌々やるのもあれですし、」
そうね、嫌々やってもいいものは出来ないと思うわ。
「私は前回のプロジェクトで一緒にやってますし、補佐の仕事も慣れてますので、」
新島のこと好きみたいだしな。
「私にやらせて頂けないでしょうか?」
「僕はいいんだけどね、新島くんがなんて言うか、」
そこは、いい、って言ってやれよ。あの人は誰の気持ちも察すことが出来ないのかよ。
私はやりたくない、
そして先輩はやりたい。
それがわかってるのになぜ、
いいと言ってくれない。
そんなことばかり考えていたから、気付いた時にはEnterを押しすぎて、PCの画面の左端に矢印がズラーッと並んでいた。
deleteでひとつひとつ消していく。
早くしないと今日も仕事が残るってのに。
今日は朝から嫌なことがあったせいで、全く集中出来ない。
「先輩。申し訳ないですけど、僕、朝日と頑張りたいんです。朝日とは同期なので、大丈夫です。お互い、仕事ではちゃんと分かってるつもりでいるので。」
あーっ!!!
今度は新島の声。
本当にいいことなんてないな。
今度はdeleteを押しすぎて、今まで打った文が、半分くらい消えてしまった。
ああ、今日は本当についてない。
もう二度と占いなんて見ない。
私は周りを
全てシャットアウトすることにした。
無になるんだ、無に。
目の前のお昼ご飯に向かって突っ走るんだ。
自己流の無敵状態に入ってから、私は無心でいつもの仕事を今までにないくらいのスピードでこなしていった。
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