トレーニングその十 物語論の学習

 映画監督のジョージ・ルーカスが映画スターウォーズを制作する際に、ジョーゼフ・キャンベルの千の顔を持つ英雄を基にシナリオを書いたという、もはや伝説の様なお話があります。

 千の顔を持つ英雄は比較神話学の論文で世界各地の神話や民話には一定のパターンがあるというところに着目して、英雄神話の骨格、その物語構造を抽出した理論です。


 この理論に肉付けすることでストーリーを創作するという手法、その後ハリウッドのスタンダートな創作法となり、数々の世界に届く作品に応用されながら、一方ではハリウッド映画のストーリーが均一化してしまったという批判も招きました。

 そのことの是非はとりあえず置いておきまして、こういった民話研究や比較神話学がもたらした成果を利用するというのは、ストーリー制作の助けになります。そんなベタなストーリーなんか書きたくないよと言う人も、一度物語論を学習してみると良いと思います。もちろんお話の型を知らずに型破りをすることはできない……と僕は思います。


 まず代表的な物語論を紹介しましょう。*21 (Joseph Campbell (1949) The hero with a thousand face (ジョーゼフ・キャンベル (2015)倉田真木 斎藤静代 関根光弘 訳 千の顔を持つ英雄(新訳版) 早川書房)

 英雄神話の骨格を出立、イニシエーション、帰還と三幕構成にして、さらにその三幕を冒険への召命とかクジラの体内と言ったような英雄神話によくみられるモチーフに分割して、一つの成長譚を書くステップを提示しています。

 千の顔を持つというだけあって、このモチーフは様々な形の様々なエピソードになり、理論上そのバリアントは無限です。スターウォーズの様な英雄神話的なエピソードにもなれば、タイタニックやショーシャンクの空にの様なドラマ的なストーリーにも、ソードアートオンラインの様なラノベ的なストーリーにも、その構造は見え隠れします。キャンベルの理論は特にその後半、宗教的な悟りの境地に達するヒーローを描いていて、この悟りは現代的な物語にはやや大仰です。そう言った意味ではこの後紹介するボグラーのヒーローズジャーニーの方が幾分使い勝手が良い印象です。


 次に紹介するのはウラジーミル・プロップの書いた「昔話(民話)の形態学」という論文です。勉強不足で申し訳ないのですが、僕はこのプロップの論文の翻訳や原書を読んだことがありません。ここでは参考資料として*8の『神話の練習帳』をあげておきます。また*10の『物語の法則』にもプロップの論文に対する詳しい説明があります。

 このプロップの理論はロシアの魔法民話と呼ばれる昔話を分析した結果、これらのお話は三十一種類のパーツを任意に組み合わせたバリエーションで出来ており、このパーツの一つとは物語の登場人物が成す一つの行動だとした理論です。

 加害、欠如だとか家族の誰かが家を留守にする不在、とか闘争するとか、今のジャンプ漫画とかにも通ずる理論で、例えば鬼滅の刃でも家族が鬼に襲われる時、炭次郎は家を留守にしてますよね、これはプロップが言う不在のパーツに相当し、禰豆子が鬼にされ、家族が殺されてしまうのが加害、欠如に相当します。この理論に独特と言うかロシアの魔法民話に独特な要素として、偽の主人公と偽の主人公が嘘の成果をでっちあげ、それを見破るなんて要素があるんですが、これなんてソードアートオンラインオルタナティブ・ガンゲイルオンラインのアニメ版の最後でレンがピトフーイの正体を見破るシーンなんかに相当します。こんな感じに古い理論でも現代的な物語の中にその要素は脈々と受け継がれています。


 キャンベルの理論を基に、ハリウッド式のストーリーツールとして、実用性を高めたマニュアルを書いたのがクリストファー・ボグラーです。*22 (クリストファー・ボグラー (2002) 岡田勲 訳 神話の法則 ストーリー&サイエンス研究所)

 著者のボグラーはストーリー担当のスタッフとしてディズニーのライオンキングの制作に参加したキャリアを持つ人物です。彼はともすればやや難解で現代的なストーリーにはやや大仰になるキャンベルの理論を分かりやすく使いやすく作り替え、誰でも使える一本のマニュアルにしました。キャラクター類型をヒーローやメンター、シェイプシフターと言ったユング心理学由来の彼がアーキタイプと呼ぶ形にまとめ、ステージオブザジャーニーとして、ストーリーの骨格を12のステージにまとめました。この神話の法則はストーリーテリング系の本の中では世界的なベストセラーです。プロップやキャンベルの原書に当たるよりは、はるかに分かりやすく、特にラノベ的なお話にはすぐ応用できると思います。


 他にも物語を分析した研究で創作に役に立つ理論はいくつもあります。一応キャンベルとプロップとボグラーが一番に基本的で応用が利く理論だと僕は思います。

 理論にまとまってなくても、例えば神話や民話を読むといった方法でも、物語論を学ぶのと同じような効果があるとも言います。大塚英志氏も物語の骨格を学ぶのに民話を読む事を勧めていたりします。

 これらの物語論は知識として身に付けてもあまり意味はなく、話し方の様に技術としてトレーニングしなければ実用性は薄いと大塚英志氏は言っていますが、どんな技術にも座学はあるように、ストーリーテリングの技術を身に付ける初期段階で、物語論を知識的に知るという段階もあって良いと僕は思います。*20のキャラクター小説の作り方の中で大塚英志氏は他人の創ったお話を見たりしたときに、このエピソードはこんな物語の法則が使われているなと実感できることが、作家の才能と呼ばれるものの一部を成していると言っていました。


 また物語論とは一番縁遠いように見える作家の保坂和志氏も、*3の『書きあぐねている人のための小説入門』の中でアマチュアだったサラリーマン時代にロラン・バルトの『物語の構造分析』などの物語論に触れ、その応用でみるみる小説っぽい物語が書けるようになったと回想しています。そしてその反動から構造的な物語に反発しストーリーの見えない反物語的な小説を書くようになったと言います。これなんかが所謂、型を知っての型破りだと僕なんかは思います。

 こういった型破りが出来る様になる前に、愚直に構造に従った物語をまず語れるようになることはとても大事なことだと思います。作家の村上春樹氏も『羊をめぐる冒険』でそのような構造に従った物語を書いています。


物語論は言語で言えば文法、音楽で言えば楽典に相当し、特に母国語の文法を細かく知らなくとも文章が書けるように、楽典の音楽理論を知らなくても作曲が出来るのと同様、これら物語論の知識がなくても物語は書けます。母国語の文法の様に自然と身に付けている人がいることも事実です。しかし僕もそうですし、大塚英志氏に言わせれば村上春樹氏もそうだというのですが、物語を語る物語論を外国語の様に文法から後天的に学習しないと、上手く物語が書けないという人も一定数います。そしてここが大事なのですが、先天的に物語が書ける人と後から物語論を学習した人との違いは優劣ではありません。どちらの人も優れた物語を書ける可能性があると言います。どうもプロットの段階で構成が上手くいかない、お話が小説っぽくならないという人は、是非物語論を勉強してみて下さい。もしかしたらみるみると小説が書けるようになるかもしれませんよ。

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