第38話 ソロモンの『レメゲトン』
「ところで、ムッシュー、どうして、『ソロモンの鍵』って、〈大〉と〈小〉とに分かれているんすかね?」
教え子の雷太が、ふとした疑問を口にした。
「『ソロモンの小さき鍵』の英語タイトルは『レッサー・キー・オブ・ソロモン』なんだけれど、そのタイトルの中の〈レッサー〉って形容詞が〈キー〉を修飾しているからだよ」
「それって、レッサーパンダとか、レッサードラゴンとか、レッサーデーモンの〈レッサー〉っすか?」
「そうだよ」
「ところで、そもそも、その〈レッサー〉って、どおいった意味なんだろう?」
「おいおい、サンダー、多分、スペルを見たら一目瞭然だぜ。〈レッサー〉のスペルは〈l・e・s・s・e・r〉な」
「あっ! 比較級の〈モア・レス〉、劣等比較のレスの形容詞かっ! だから〈小さい〉って訳されてるし、造語も多いんだ。気付かんかったわ。は、恥ずかしいいいいぃぃぃ〜〜〜」
「つまり、そゆこと。
ところでさ、大小の区別をせずに『ソロモンの鍵』って言った場合、本来は『ソロモンの大いなる鍵』の方を指すんだけれど、『ソロモンの大いなる鍵』って邦題の英語タイトルは、『ザ・キー・オブ・ソロモン・ザ・キング』ってなっていて、マグレガー・メイザースが編集・出版した英語原題には、そもそもの話、邦題にある〈大いなる〉って形容詞は付いていないんだよ。
でも、日本では、『レッサー』の方を、『ソロモンの鍵』だと思い込んでいる人が、本当に多いらしんだよね」
「どうしてですかね?」
「その理由は、実は、サンダー自身が既に言っているよ」
「自分、何て話してましたっけ?」
「ソロモンを知っているかって僕が尋ねた時に、七十二柱の悪魔召喚について語っていたじゃん」
「そうでしたね」
「つまり、ソロモンを日本で有名にしているのは、この悪魔召喚なんだけれど、その事が言及されているのが、『レッサー』の方なので、『小さき鍵』を、『ソロモンの鍵』だと勘違いしている人が多いんだよ、きっと」
「なるほど。
ところで、ムッシューは、『ソロモンの(大いなる)鍵』の事を既に話して下さいましたが、『小さき鍵』の方って、どんな内容なんすか?」
「そうだな……。『小さき鍵』の方は『レメゲトン』と呼ばれてもいるし、混同を避けるためにも、今からは、『レメゲトン』って呼称の方を使う事にするか」
「なんか、〈レントゲン〉みたいっすね」
「『レメゲトン』な。でも、たしかに、一字置き換えて、文字順を入れ替えたら、〈レントゲン〉だな」
「でしょ」
「で、その『レントゲン』……、あぁ、もおおおぉぉぉ〜〜〜う、うつっちまったじゃんかよ。
『レ・メ・ゲ・トン』は、五本の専門的な魔術論を一冊にまとめたものなんだよ。歴史的には、四つの本もあったらしいけれど」
「なんか、論文集や短編集みたいっすね」
「たしかに。それ、言い得て妙だな」
「ムッシュー、その五つの魔術論って、それぞれ、どんな内容なんすか?」
「まず一つ目は、『ゴエティア』だな。『ゴエティア』は、この論考単独で、『レメゲトン』、あるいは、『ソロモン王の小さき鍵』と呼ばれる事もあるほどで、多分、これが『レメゲトン』の中で最も知られているグリモワールだよ」
「ゴエ……何すか?」
「〈ゴエ・ティア〉な。語源は、古代ギリシア語で、〈呪術〉を意味する〈ゴエーテイア〉で、それが、ほとんどそのままの形〈ゴエティア〉で、ラテン語に入っているんだよ」
「なるほど、元々、古代ギリシア・ローマでは,呪術を意味する普通名詞だったんすね」
「そっ。
で、ギリシア・ローマの復興にして、原典主義であるルネサンス期には、〈ゴエティア〉は、呪術一般というよりも、〈悪霊に力を借りる儀式魔術〉って風に意味が限定されたんだよね」
「これって、自分らがイメージする黒魔術の悪魔召喚っすね」
「まさしくな。
で、グリモワールである『ゴエティア』は、もっと内容が具体的で、そこには、ソロモン王が、どのようにして、七十二柱の悪魔を召喚し、己が願望を叶えたのか、そして、それらの悪魔の使役法、例えば、魔法円、印章の模様とその作成法、悪魔召喚の呪文などが記されているんだよ。
さらに、七十二柱それぞれの爵位、容姿、性格、特技、さらには、一柱ごとの印章も詳細に書かれていて、いわば、悪魔事典にもなっているんだよね」
「『ゴエティア』、面白そうっすね。他の魔術論は、どんなんなんですか?」
「二つ目は、『テウルギア・ゴエティア』だな」
「あれっ? これにも〈ゴエティア〉って語が入っている」
「良い気付きだな、サンダー。
〈テウルギア〉は、元々は、古代ギリシア語で、日本語では〈降神術〉って訳される事もあるんだけれど、つまり、神霊を召喚する儀式魔術なんだよ。そして、これも、そのまんま、ラテン語に入っている分け」
「神の憑代になる巫女さんみたいな感じなんすかね」
「かもな。
とまれ、この『テウルギア・ゴエティア』は、題名が直接的に表わしているように、神と悪魔、その両方の召喚・使役法について書かれているらしいよ。
まあ、細かく言うと、悪魔の呼び出しは〈喚起魔術〉で、神霊の呼び出しは〈召喚魔術〉って区別するんだけれど、とりま、ここでは、便宜上、耳慣れた〈召喚〉に呼び方を統一しておくことにするか」
「ウイっす」
「三つ目は、『アルス・パウリナ』で、〈アルス〉は、ラテン語で〈術〉、〈パウリナ〉は聖パウロの事で、直訳すると〈聖パウロの術〉ね」
「その聖人、なんか関係あるんすか?」
「この書を発見したのが聖パウロって伝承があるらしいよ」
「その〈パウロ術〉って、どんな内容なんすか?」
「黄道十二宮、その三六〇度の一度一度には精霊が宿っていて、そこに在る惑星や、それぞれの惑星を支配している精霊についての書で、ざっくり言うと、精霊が宿る星に関する魔術書らしい」
「なるほど、さっきの『大いなる書』の時に、惑星と対応する精霊の召喚って話が出てきて、何のことか分かんなかったんすけど、個々の惑星に聖霊が宿っているって事が前提なんすね」
「そっ。
星に宿っている霊だから、〈星霊〉って漢字を当てるのが適切かもしれんけど。
とまれ、『パウロの術』は、善なる星霊の〈召喚〉魔術を扱っているので、『ソロモン王のテウルギアの書 第一章』とも呼ばれているんだよ」
「第一章があるって事は、第二章もあるって話っすよね」
「まさにその通りで、それが、四つ目の『ソロモン王のテウルギアの書 第二章』、『アルス・アルマデル・サロモニス』なんだよね。
「〈アルマデル〉って何すか?」
「分からん。ただ、〈アル〉って語が頭にあるので、アラビア由来が指摘されているんだよね。ただ、アルマデルが何かは謎のままだけどさ」
「まあ、分かんないものは仕方ないっすね。じゃ、その第二章の内容は?」
「第一章と同じく星霊と魔術を扱ってんだけど、こっちは大星霊についての書らしいよ」
「陰陽術もですけど、魔術と天文って関連深いんすね」
「そして最後の五つ目が『アルス・ノウァ』」
「〈ノウァ〉なら、自分も知ってます。〈ノヴァ〉って語学学校もあるし、これって、もしかして言葉についての術なのかな?」
「〈ノウァ〉は〈新しい〉って意味な」
「って事は、〈新しい術〉ってことっすか?」
「そっ。
この書は、新しき術を意味する『アルス・ノウァ』以外にも、〈名高き術〉を意味する『アルス・ノトリア』、〈書記術〉を意味する『アルス・ノタリア』って呼び名もあるんだよ。なので、〈言語術〉って、サンダーの直感は的外れじゃないかもな」
「そうなんすか、メルシーっす、ムッシュー。で、その〈新術〉は、どんなグリモワなんすか?」
「伝説なんだけれど、ある時、〈大天使ミカエル〉が現れて、一般的な魔術と聖なる知識が記された書を、稲妻と共に、ソロモン王に授けたらしいよ。そして、この書を携えて、神殿の祭壇で祈り続けたソロモンは、やがて〈名高き知恵〉を得るに至ったって話」
「だから『アルス・ノトリア』、〈名高き術〉なんすね」
「そゆこと。
『アルス・ノウァ』は、現世にはない、新しい知識を求める人のために書かれた魔術書で、この書を〈読破〉し、その上で、厳しい修練を重ねる事によって、普通の人間が持ってはいない、新たな能力や知識が使えるようになるそうなんだよね」
「たとえ、能力の顕現には修行が必要だとしても、とりま、本を読んだら、天使や精霊から〈異能〉が授けられるのって、異世界転生や異能力バトルもののラノヴェやアニメのネタになりそうっすね」
「だな。
もちろん、ソロモンの〈原典〉も、写本の〈原本〉も失われてしまっているけれど、その原本は、十二世紀後半の北イタリアのボローニャで書かれたって説があるんだ」
「やっぱ、イタリアなんすね」
「そして、写本の大半はラテン語で書かれているんだけれど、現存する写本は、少なく見積もっても五十はあるそうで、それらは、ヨーロッパや北米といった、世界各地の図書館に所蔵されているらしいよ。
そして、印刷本は、十七世紀前半のフランスのリヨンで出版されたラテン語版が最初で、十七世紀半ばには、イングランドで英訳版も出たらしいよ」
「それだけの数があったら、中世・近世のヨーロッパは異能者だらけっすね」
「でもな、『アルス・ノウァ』の原典には高い効果があったみたいだけれど、原典が写され、原本が写され、その写本が写され、やがて印刷本が流通してゆくうちに、能力の付与の効果は薄れていったみたいだよ」
「やっぱ、オリジナルじゃなきゃ、駄目って事なんすかね」
「かもな。
でも、写本や印刷本、あるいは、翻訳本にも、『アルス・ノウァ』の原典なみの効果があったとしたら、現代の中世ヨーロッパの研究者の多くは異能力者って話になっちゃうよ」
「ハハハ。違いないっすね」
「ドン・シンイチの話だと、有栖川さまは大学の先生らしいけれど、先生の話、ほんとうに面白いな。俺も、学生時代、こんな講義を受けてみたかったよ」
有栖川哲人と有木雷太と同じ車両に無銭乗車していた黒服の日本人は、二人の近くに見付けた、キャンセルされたと思しき空席に座って、哲人の講義に耳を傾けていたのであった。
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