第32話 出発

「おえぇ、すっげぇ気持ちわりぃ」

「だから昨日飲みすぎないでねって言ったじゃない……えっ、何でこんな所で吐いてるの!? 最悪なんだけど!」

 

 日が昇って間もない頃、宿を出た俺たちはメラーキの馬小屋に居た。朝方の涼しいうちに出発して、昼前までにはここから少し離れた所にあるタラ―ナ湖まで行こうとしていた。が、俺は見ての通り二日酔いでそれどころではなかった。

 俺はシャルに渡された水で口をゆすぎ、気を取り直して、厩舎に訪れた。厩舎では数十頭の馬が飼育されていた。メラーキは王国から認可された調教師で、馬を売る他にも馬車馬の世話なども請け負う事が出来る。交易が盛んなミトレアにおいて、それが出来る事は莫大な利益に繋がる。恐らくメラーキは相当稼いでいるだろう。と、つい商人目線から物を見てしまった。悪い癖だ。

 厩舎の奥に進むと、メラーキと鞍がつけられた四頭の馬がいた。四頭の馬は左から白、黒、焦げ茶色、灰色の毛並みで、ずっしりとしたその身体はスピードを求めたものというよりも、運搬用の持久力のある種類なのだろう。特に黒い馬は一際大きい。


「おはようカシス」

「ああ、おはよう」

「これが君たちの乗る馬だ。それぞれに名前もあってな、左からミュー、オミクロン、タウ、プシーだ。皆大人しい性格だし、王都までの道も舗装されてるから慣れていなくても乗っていけるだろう」


 俺は乗馬の心得はあるが、彼女たちはどうだろうか。シャル達に馬に乗れるかと尋ねてみると、シャルとセレンとルーイが乗れるという。シャルは分かるが、まさかセレンとルーイが乗れるとは思ってもみなかった。奴隷として買う以前の事はあまり知らないが、何かしらの経験があったのだろう。何はともあれこれで出発する事が出来る。

 馬は四頭しかいないので、セレンがエチュードを、ルーイがクロリスをそれぞれ乗せる形となった。また、乗る馬は俺がオミクロン、シャルがミュー、セレン達がタウでルーイ達がプシーとなった。

 厩舎を出て、荷物を取り付け、馬に跨った。オミクロンはかなり大型の馬だからか、跨った瞬間目線がかなり高くなった。その高さに最初は少しビビったが、すぐに慣れた。


「ヴェネス西部地区に住んでいるナラートという金髪の男が俺の弟だ。既に手紙は送ってあるから訪ねるだけで大丈夫だ」

「わかった。馬を貸してくれて本当に助かったよ」

「いいんだ。カシスが居なければ俺たちは勝利の栄光を掴めなかったんだ。恩返しのために少しでも旅の役にたちたかったんだ」


 俺のおかげじゃなくて皆の頑張りとアイナスの作戦のおかげだと思ったが、ここで謙遜してしまうとメラーキの好意を無下にするような気がして、あえて否定する事はしなかった。

 そんな事を話しているうちに、町の方から見覚えのある人たちがやってきた。俺と共に戦ったヒッポスのメンバーだ。


「カシスよ、もう行ってしまうのか」

「ああ、俺はまだまだこの世界を見て回りたいんだ」

「そうか……」


 アイナスは名残惜しそうにしている。俺もこのミトレアの人々の温かさと仲間たちとの友情から離れてしまうのは残念だが、それに縛られて旅を止めてしまう事は出来ない。このミトレアでの楽しかった日々もまた、旅の思い出の一つとして留めておくとしよう。

 

「さて、そろそろ行くとするよ」

「カシス!」


 出発しようとすると、アイナスが呼び止めた。そしてアイナス達は手の平を上に向ける形で右手を高く掲げた。優勝商品である金のブレスレットが太陽の光で眩しく光り輝いている。


「お前の旅路に幸運と安全、そしてロドの加護を!」

「みんな……ありがとう!」


 思わず涙ぐみそうになるも、何とか耐えた。そして俺も彼らに応えるように金のブレスレットを掲げた。彼らと再び会う機会があるかは分からない。もしかしたらふとどこかで会うかもしれないし、二度と会えないかもしれない。だからこそ、この別れの瞬間を大事に噛みしめていたいと思った。

 俺たちはアイナス達に別れを告げ、王都ヴェネスへ向けて出発した。


◇◇◇


 王都ヴェネス、その中心部にあるカフェのテラス席で紅茶を片手に優雅に新聞を読む女が居た。燃えるような赤く長い髪に、白く艶のある肌、芸術品の様な美しさを持つ女であった。横に置かれた大きなとんがり帽子は彼女が高位の魔女である事を示している。

 彼女が読んでいる新聞には、世界情勢やアケーシュ王国の政治問題などが記されていた。この新聞社は反政府の立場を取っているため、現政権と国王を批判する内容の記事が多く掲載されていた。中でも王国が王都ヴェネス近郊に建設している王立魔力実験所建設に対し、環境汚染の点から鋭く批判をしている。


「きっちり新聞社を絞めておかないからこうなるのよ……いや、絞めれば絞める程その隙間から彼らは分裂して這い出てくるわね。全く、メディアという存在はつくづく恐ろしいわ……でも」


 彼女は掲載されていたある写真を見ていた。その写真は海を背景に屈強な男たちが並び記念撮影をしている写真であった。その真ん中に、彼らに比べれば少し細身の男が居た。彼女は男をシルクの布を触るかの様に指でなぞり、不敵な笑みを浮かべた。


「思わぬ所でこういう情報も得られる所はとっても魅力的ね」

「失礼します、アルメハ様。国王陛下がお呼びです」


 彼女、アルメハの後ろに立派な鎧を着た兵士がやってきて、王城へ来るように伝えた。


「あら、もうこんな時間なのね。お勤めご苦労様」


 アルメハは兵士に対しウィンクをした。兵士はその美しさに顔を赤らめ、思わず目線を外してしまった。

 席を立ちあがり、とんがり帽子を被ったアルメハは紅茶の代金を机の上に置くと、カフェを後にしたのだった。


 

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