第35話 諦めが悪い
沢村は勢い良くビールを飲むと、音を立てグラスをテーブルに置いた。
「それにバラエティだけじゃないぞ。ワイドショーのコメンテーターとしても使えるだろうな。事件のことを、探偵目線として使える。芸人だし、専門家のような堅苦しもない」
「なるほどなあ。あいつ、昔から謎解きが得意やったんですよ」
「そうなのか」
「ええ、霧島は推理小説が好きで、俺も好きなんですけど、ことごとく解いていきやがりましてね。俺は全然駄目でしたわ。一回、俺がトリックを考え、出してやったんですよ。トリックいうても簡単なやつですが。そしたら俺の説明を終える前に解きやがりましてね、ほんま腹立ちますわ」
「へえ、凄いな。運命だったんだな」
「そうと思います」
「……まあ問題なのが、本人が悩んでるっていう点だな」
「なにを悩んでるんですか?」
「これは本当に芸なのかって。芸人がやることなのかってよ」
「アホやな……気にしやんでいいのに……」
「俺だってそう思う。けどお前だって気持ちはわかるだろ? 当初の憧れとは、まったく違うんだから」
「そうですね……」
沢村が言ったように、ここが踏ん張り時だ。売れるか売れないかの瀬戸際である。無駄な雑念があると足かせとなる。元芸人であるため、悩む気持ちはわかる。芸人としてのプライドがそうさせるのだ。しかし誰がなんと言おうと立派な芸であると、中田は思う。そのまま突き進めばいい。
「で、中田はそんな探偵芸人さんに触発されたんだろ。だからカムバックしたいと思った」
「それもあります。認めますよ。でもそれだけやないんです、ずっともやもやしてたんです。心につっかえがあって、寝ても醒めても夢の中でも、夢を見てるんです……それが辛くて……」
「でも一度、諦めたんだろ? わかっていたことだろうに」
「はい……」
胸に突き刺さった。中田は情けなくなり顔を伏せた。ご尤もだった。諦めたくせに、覚悟を決め離れたくせに、都合良く戻ろうとするなどと。具の骨頂。厚顔無恥。笑止千万。
それでもすがりつきたいのだった。
沢村はため息をつき、ビールをちょびりと舐めた。
「まあ、中田の気持ちもわかるぞ……。俺もテレビ局には憧れと情熱を持って入った、面白いバラエティ番組を作りたくてな。いざ入社したら、腹立つことも思うようにいかないこともあったが、それでも楽しく仕事をさせてもらってる。それを諦めろと言われたら、やっぱ辛いからなあ」
「ありがとうございます」
「といってもなにがしたいんだ? 芸人か?」
「いえ、そこにこだわりはないんです。お笑いに携われたら、なんでもいいんです。面白いことに携われたら」
「例えば?」
「そうですね、もしなれるのであれば構成作家とか、やってみたいですね。ネタを考えるのは好きですし、笑いを作り上げてみたいですね。簡単になれるもんやありませんけど」
「そうだ、簡単なことじゃない。俺はナイススマイルの漫才は好きだし面白いと思うから、いいネタやアイデアがあるなら便宜を図れるんだけどな」
「ありがとうございます」
「あんま期待するなよ! ……他にはなんかあるのか」
「本当になんでもいいと思ってます。劇場のスタッフ、事務所の清掃員、雑用係、携わられるのならなんでも」
「そーか」
沢村は眉間にしわを集め、なにか考えていた。
「それならまあ、所属していた事務所に行ってみるのもいいかもな……」
「それもそうですね。お邪魔させてもらいます」
「相手にされないのが普通だろうけどな。それにやっぱりお前は、一度諦めたんだから、一生懸命働くのも悪くない道だと思うけどな。芸人を諦め、そしてまた戻りたいからって選んだ道を引き返すのか? あまりにも一貫性がないんじゃないか?」
「その通りです……ほんまに自分でも思います……」
忸怩たる思いだった。沢村が正しい。具の骨頂。厚顔無恥。笑止千万。中田は心の中で自分をなじった。
沢村も初めは訓示を言っていたが、酒が入るにつれ、声を掠れさせ目に涙を溜めた。気持ちがわかる、お前の気持ちはわかるぞぉ……と言い、一粒の涙を落とした。苦労していたことも辛い思いをしてるのも知ってる、霧島の人気が出始め、嬉しい気持ちと嫉妬があるのもわかる、諦めの悪いうだつの上がらない自分に腹が立つのもわかる。辛いよなあ、悲しいよなあ、幸せになりたいよなあ、沢村はボロボロと涙を落とし、鼻水もズルズルとすすった。
ありがたい限りだ。気持を理解してくれ、叱ってくれて優しい言葉もくれる。涙を流すのは、親身になり考えてくれている証拠だ。とても優しい人だ。そうでなければ、電話をかけたときも応じなかったはずだ。ありがたい。感謝しきれない。
気がつけば沢村と二人で、泣きながら語らっていた。
居酒屋を出る間際、中田は東京に来ていることを霧島に内緒にしてくれと言った。わかったと沢村は酔いながら頷いていたが、記憶が欠落するほど酒に呑まれていないので安心だろう。
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