第34話 飲みの席

 今回、上京したのは、どこかにしがみつける場所がないか探すためだった。一度諦めた身だが、やはりお笑いが好きだ。お笑いに携わりたかった。芸人じゃなくとも良かった。

 上京したことは、霧島には伝えてない。彼は優しいため何も言わないだろう。諦めた裏切り者に怒りもせず、笑いかけてくれるだろう。もう一度一緒にやらないかと、言ってくれるかもしれない。だがそれだけはできない。霧島はピン芸人として売れかけている。ここで邪魔をするわけにはいかない。霧島は、自分の道を進まなければならないのだ。なにかその手伝いはできないだろうかとは思うが――


 中田は沢村圭太ディレクターと食事の約束をしていた。故郷へ帰るとき、いつでも連絡をくれと言ってくれた。額面通り不躾にも電話すると、二つ返事で会ってくれると言った。

 予約を取ってくれている居酒屋へ向かった。店員に通されたのは個室で、既に沢村はお座敷に座っていた。にこりと笑うと、ひょいっと手を挙げた。


「久しぶりだな」

「今日はすいません」

 中田は頭を下げた。

「いいんだよ。――ああ、店員さん」


 離れようとする店員を呼び止めると、沢村は生ビールを二つ頼んだ。店員はかしこまりましたと言い、今度こそはけていった。

 中田は沢村の向かい側に座った。居酒屋であるため、個室といえど賑やかな雑音が聞こえていた。中田としては、しんと静まり返っているよりも、ある程度、音があった方が落ち着けた。


「ああ、そうだ、ビールで良かったよな。確認も取らず頼んでしまったけど」

「ええ、大丈夫です。むしろビールがええですわ」

 沢村は目を細め笑った。


 ビールがやってくると、乾杯しごくごくと喉を鳴らした。気持ち良かった。アルコールは堪らない。魔法の液体だ。父は、酒を飲めない奴は人生損をしていると言っていた。大袈裟だと思っていたが、今では頷くことができる。そういえば霧島は酒を飲めなかった。もったいない。人生、大損だ。


 沢村はグラスから口を離すと、ぷはぁと美味そうな息をもらした。

「やっぱ労働のあとのビールはうめえな!」

「俺は今日仕事はありませんでしたけど、美味いですよ」

「それもそうだな、ははっ」

 顔を見なくなって半年だが、沢村に変わりはなかった。気さくでよく笑い面倒見がいい。できた人だ。

 あらかじめ料理を頼んでくれていたらしく、運ばれてきた。いただきますを言い、料理を口に運び、ビールも運んだ。このコントラストがまた美味いのだ。

「故郷に帰ってたんだよな。関西になるのか?」

「関西もそうですけど、実家があるのは千葉なんで」

「じゃあ千葉か」

「そーです」

「まだ都会だな。俺の故郷なんてな――」


 沢村はビールを煽り、釣られて中田もちょびりと飲んだ。


「俺の故郷なんてクソ田舎だぞ。なんもありゃしねえ、あるのは自然だけ」

「なんていうところですか」

「栃木にある落神村ってところだ。人口二百人くらいの小さな村だよ」


 落神村。

中田は聞いたことがなかった、稀有な名前のため、一度耳にすれば忘れないだろう。

 沢村から村のことを聞いた。神隠しの伝承があり、ある期間中だけ約束事があるらしい。神隠しの伝承があるとは、これまた珍しい。中田の実家には、そのような言い伝えはなかった。田舎特有だろう。面白いなと思った。

 沢村は村についてビールをやりながら悪態をついていたが、郷土愛があるのはわかった。優しい目つきになっていた。だが仕事が忙しく、なかなか帰れていない。姪っ子に会いたいなともらしていた。


 村の話から、段々と仕事の話になってきた。現在、沢村が携わっている番組のことや、中田が働いているテレビ局について。社会人は苦労が耐えず、会社への愚痴などついつい出てしまった。


「でも霧島の奴は、けっこう順調だぞ」

 と沢村は言った。

「やっぱりそうですか」

 中田は声色を明るくした。

「ああ、売れるかもな。ここで踏ん張り頑張れば」

「髪も赤くして気合いを入れてましたからね」

「あれはやめた方がいいと思うけどな、はは。だが本当に頑張ればいけるぞ。探偵芸人、いいじゃねえか。使いたくなる。ミステリーやオカルト系バラエティに最適だろうしな。霧島を置いておくと、番組が引き締まるんだよ」

「なるほど」

「それに好感度もある」

「瑛華ちゃんと付き合っているからですか?」

「そうだ。本来なら嫉妬の対象だが、幼なじみときて、長く一途に付き合っているとなると、否が応にもいい印象を与えるだろ?」

「ほんまですね」


 中田も二人のことを良く知っているし、微笑ましいとも思う。小さな頃からずっと見てきたからだ。江原瑛華は小学生の頃から霧島のことが大好きで、ことあるごとにくっついていた。その頃、霧島に恋愛感情があったのかはわからないが、嫌がりもせず可愛がっていた。妹のように感じていたのかもしれない。

 友達と一緒になって茶化したりもしたが、霧島は恥じることはなく、大人のように受け流していた。別段、恥ずかしいこととも思っていなかったのだろう。

 付き合うようになり、素直に祝福したのだが、十年以上も交際するとは思ってもみなかった。特に驚いたのが、瑛華には演技の才能があり、今現在めきめきと頭角を現しているところだ。あの愛らしいおチビが、すっかり人気女優である。

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