第30話 呼び出し

 部屋に戻ったが、瑛華の姿がなかった。少しして部屋に入ってきた。手が少し濡れているのを見るに、お手洗いに行っていたらしい。いかめしい顔を浮かべているということは――


「ぶっといのが出たか?」

「サイテー」

 と瑛華は声を低くし言った。


 おれは旧神社で起こったことの報告をした。瑛華は声に出し驚き、おれの話を興味深そうに聞いていた。


「犯人だったのかな……」

「かもしれないな」

「でも本当に遭遇しちゃうなんて。怪我はないの?」

「それは大丈夫だ。瑛華に怒られるずに済んだ」

「失礼なことを言ったことに関しては怒るけどね。……でも、旧神社に人がいた気配はなかったんだよね? 目的はなんだったんだろう」

「おれをつけていた可能性もある」

「もし犯人だったらさ、結愛ちゃんはどこに捕らえているのかな?」

「そうだなぁ……」


 おれは下を向いた。おれが男に追いつき、または尾行に成功すれば、隠れ家を見つけ出し結愛を救えたかもしれない。悔やまれる。


「無事だったらいいけど……もしかしたら――」


 続きの言葉を、瑛華は飲み込んだ。口に出すのは憚られた。


 最悪の事態も想定しているのだが、村人たちに緊張感がなく楽観視しているからだろうか。結愛は無事であるという、確証もない確信めいた考えがあった。


 昼食を取り、部屋で瑛華に足を揉んでもらい疲れを癒していると、香織が中に入ってきた。恥ずかしくなり、おれと瑛華は慌てて離れた。ダッシュして酷使した心臓にまた負担をかけてしまった。


 香織は気にする様子もなく言った。

「宮司の小笠原さんが来てね、用があるんですって。玄関で待ってるから、会ってあげて」

「はあ、わかりました」


 用とはなんだろうか。よそ者により神隠しが起こったため、村から出て行って欲しいとお願いされるのかもしれない。いや、禁止事項の中に、村の外に出てはならないとあったな。追い出される心配はなさそうだ。


 玄関を出ると、小笠原統司が背筋を伸ばし立っていた。ぺこりと頭を下げられたので、おれと瑛華も会釈した。


「母が――巫女が呼んでますので、少しいいですか」

 おれと瑛華は顔を見合わせた。ますます用件が気になるが、会わないわけにはいかないだろう。わかりました、とおれは言った。


 宮司が歩き出し、後ろをついていく。一の橋を通り、左エリアへと向かった。神社へ行くためだ。

 無言の時間だった。統司はお喋りな性格ではなく寡黙で、なにを考えているがわからないところもある。おれと瑛華の二人で話すわけにもいかず、統司に話しかけるのも躊躇われた。

 勇気を出さなければならない。旧神社に行くことはあるのかと、訊かなければならないからだ。


 尋ねてみると、

「たまにですけどね」

 と統司は答えた。

「おれ、さっき旧神社に行ったんですけど、不審な人物がいたんですよ。心当たりはありませんか?」

「いえ、ないですね」

 えらくあっさりとした回答だった。ぴしゃりと言われてしまったので、それ以上はなにも訊けなかった。おれと瑛華はもう一度、顔を見合わせたが、統司についていく他ないのだった。


 段々と狭い道になってきた。道は狭く建物が近いため、日が当たらずジメジメとしている。右手に石ブロックが積まれた斜面が見えてきた。神田川家の住まいが視界に入った。神社まであともう少しだ。


 先日訪れた手順で建物内に入った。巫女は座布団に正座し、前には二つの座布団が置かれている。挨拶すると、勧められおれたちも座った。


「いきなり呼び出して悪かったねえ」

「いえ、そんなことは。それで用とは?」

「実はね、あんたに頼みたいことがある。芸をしてもらいたいんだ?」

「へ? 芸、ですか? 芸って言うと……」

「ネタだね、ネタ」


 おれはいまいち理解できず、視線をさ迷わせた。芸をしろ、ネタをしろ。どうして?

 心を読んだように、和恵は答えた。


「この村で神隠しが起こったね。神様はきっと退屈しておられるんだ。だから、芸事をすれば神様も喜ぶとは思はないかい?」

 思はない、と断言したかった。ネタをしたからといって喜ぶはずはないし、むしろ面白くねえじゃねえか! と激昴する可能性だってあるのだ。

「村のものも楽しめると思うし、どうだい?」

 辛いことを言ってくれる。笑える雰囲気にはならないだろう。劇場でも、客の空気が重ければウケ辛く難しいのだ。お笑いに環境は大事なのだ。

 瑛華は心配した様子で、おれの方を窺っていた。瑛華も女優、舞台にも出ることも多々ある。出役であるためおれの気持ちを理解してくれているのだ。


 逡巡した。逡巡しない輩などいないだろう。おれ自身がネタをできる体調ではない。


「――わかりました」

 迷いに迷ったが、和恵の真剣な表情を見ていると、依頼を受けないわけにもいかなかった。それに結愛にも、ネタをして欲しいとお願いされていた。あのときは受け流したが、結愛のためでもある。ここで約束を果たそう。


 和恵は頬を綻ばせた。

「ありがとうねえ、悪いねえ。場所はそうだね、この神社じゃ人は入れないから公民館でどうだい」

「ええ、わかりました」

「夜にやってもらうことにしよう」


 和恵は統司に顔を向けると、目でなにか合図した。統司は立ち上がると、外へ出ようとした。場所の確保に向かうらしい。


「けれど、あまり期待しないでくださいよ」

 とおれは言った。

「ええ、わかってますわかってますよぉ」

 と和恵は答えた。それはそれで癪に触った。

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