第29話 追いかけっこ
サワムラ畳店に行ってみると、村長は入口に鍵をかけ立ち去ろとしているところだった。おれは声をかけ呼び止めると、小走りで近づいた。村長はこちらに向くと、ぺこりと頭を下げた。
「どうしましたか?」
「実はですね……」
おれは旧神社に向かい、そこで不審な男を追いかけたこと、その者の背格好を説明した。
「そんなことがあったんですね……気味が悪いな……」
「そうでしょう? おれはその男が怪しいと睨んでいます」
「犯人であると?」
「可能性はあります」
「はあ、そうですか」
犯人であるとするおれに、村長は懐疑的だった。
「外部の者が侵入したのかもしれません、村で見知らぬ人は見かけませんでした?」
「いえ、知りませんね」
「村で買い物をしていたとか、そういった話は聞きませんでしたか? 不審な人物を見た、怪しげな音を聞いた、とか」
「聞いてないですねえ、すいません」
「ならおれたち以外に、この村へやってきた客っていますか」
「いませんよ」
村長が知らないだけで、誰かの親戚が遊びに来ているということも考えられる。村から出られないため、若い娘が彼氏を呼び寄せ、という可能性もある。そんなものたちが結愛を攫うとも思えないが。
「この村に、観光客が来たりしますか?」
「観光客ですか? いえ、来ないですね……何もありませんからねぇ。ああ、でも、村に遊びに来たわけではないですが、登山者が来ることはありますね」
あの男はただの登山者だったのだろうか? だが格好は軽装で山登りのそれではない。まるっきり別の目的だろう。
「少し前に、登山者が足を滑らせ亡くなったことがありましてね……あのときは大騒ぎでしたよ」
「事故だったんですか?」
「もちろんですよ」
村長は語気を強めた。
「崖際で足を滑らせ、頭を打ったらしいです。山はとても危険ですからね。迷惑な話ですよ……あ、いえ……」
死者をなじったことを咎めたらしく、村長はバツが悪そうに目を逸らした。けれども、おれにも村長の気持ちはわかった。気持ちの良いニュースではないのは確かだ。
「そのおれが説明した人物に、心当たりはありませんか?」
「んんー、難しいですなあ。顔がわかればいいんですが……」
「そうですか……」
「けれど誰なんでしょうね? 宮司や巫女もそんな場所にはいかんと思いますから。わしも気になるなあ。旧神社に、若者がたむろしていたみたいですが、そいつらでしょうか」
「その男は、道ではなくわざわざ山の中を通っていました。やましいことがないのであれば、逃げる必要もありませんからね」
「それもそうですねぇ、ううん……」
村長は腕を組み唸り声を上げた。
人の気配がした。
おれは背伸びし、村長の後ろを覗き込んだ。数メートル離れた通りにある電柱の近くに、若い男がいた。歩いていたが足を止め、電柱に半身を隠しているような格好だ。
痩せ型で、黒い髪で若い男。服装は黒のスキニーパンツに白いシャツといういでたちだったが、おれが追いかけた男と条件は合っている。服は着替えれば済むことだ。
なにより、おれと目が合うとあわあわと逸らしたのだ。
「あの、ちょっと」
おれは村長の横を通り過ぎ、近づいた。村長は、ん? と不思議そうな声を出した。
すると、男はくるりと反対を向き走り出した!
「ま、待て!」
おれは反射的に駆け出した。男は足を止める様子はなかった。
逃げ出したということは、旧神社で追いかけたのはこの男のなのか!? とっ捕まえ、話を聞かなければならない。事件は一気に収束するかもしれない。
おれは歯を噛み締め、両腕を大きく振りスピードを上げた。男はちらりとおれの方を見ると、小さな悲鳴を上げた。相手も懸命に地を蹴った。
山の中とは違い、ぐんぐんと距離は縮まっていった。二回目のダッシュなので足は割れかけの風船のように張っていたが、自分を鼓舞した。
男は角を右へ曲がった。おれは慌てて体の向きを変え、地面の上を少し滑ったが、体勢を立てなおすと喉元に食らいつく勢いで迫った。後ろから村長の声が聞こえてきたが止まるつもりはなかった。
男は草むらの中を走っている。息が切れ、足は踏ん張れていなかった。おれはトウッとヒーローばりの声を出し、飛びかかった。男の肩を掴み、体重がかかったため男は前方に倒れた。草むらの上へどしんとつくと、男はかん高い驚愕の声を上げた。かすかに香水の匂いが鼻腔をくすぐった。
男の体を持ち仰向けにした。おれの方を見ると、泣きだしそうな顔をして悲鳴を出し、カードするように両手を顔の前で固めた。
「お前かおれをつけてたのは!」
「な、なんのことですか!」
「旧神社でおれと遭遇しただろ、とぼけるなァ!」
「ぼく旧神社なんて行ってませんよ……!」
どうにも男の顔を見ていると、嘘をついているようには感じなかった。おれは怯んだ。別人なのか? 思えば、山では追いつける気がしなかったが、この男の足は遅かった。それなら無関係のものを追いかけ、飛びかかってしまったわけだが……。しかし、なぜ逃げ出したというのだ?
村長が息を切らしやってきた。荒い息を二、三度吐くと、
「ど、どうしましたか」
と言った。
「おれをつけていた男かと思ったんです」
「彼は違うと思いますよ。とりあえず退いてあげてください」
おれは男に馬乗りになっており、事情を知らないものが見たら物騒な誤解をするだろう。男はすっかり怯えきってしまっていた。幸い、この辺りに人の姿はない。
おれが立ち上がると、男も急いで立ち上がった。服についた汚れを払っている。飛びかかった場所が草むらだったため、怪我はなさそうだった。
「彼はうちの従業員です」
と村長は言った。
「旧神社にいた男ではないと思いますが……」
「名前は?」
「徳井(とくい)昌子(しょうじ)くんです」
「なぜ違うと言えるんです?」
「さっきまで、仕事を手伝ってくれていたからですよ。なあ、徳井くん」
「ええ、そうです」
徳井は不貞腐れたように言った。おれを睨みたいがそんな度胸もないため、ちらちらと視線を向けていた。
「おそらく霧島さんが旧神社に向かっていた時刻に、徳井くんはわしといましたよ」
時刻を確認し合うと、村長の言う通り時間が被っていた。徳井ではないという結論に至る。
おれは徳井の方へ向いた。
「ならなぜ逃げ出したんですか?」
「追いかけるからだよ、それに怖い顔をしていたいたし……」
反論したかったのだが、ため息しか出てこなかった。色々な意味で体力がなくなっていた。
「ぼくはただ、忘れ物をしたから仕事場に戻ろうとしただけです。そうしたら村長と話しているのを見て」
「立ち止まっていたのはどうしてです」
「真剣な話をしてるようでしたし、それにこう言ってはなんですけど、その……よそから人が来たから神隠しが起こったわけですから、警戒してしまいまして……」
村長は失礼なことを言うんじゃないと、徳井を叱った。徳井は頭を下げたが、謝罪の気持ちはまったくなかった。社会人が得意とする、空っぽの頭の上下運動だ。
おれは途端に肩身が狭くなった気がした。神隠し騒動をおれたちのせいにされても困るのだが、逗留させてもらっている立場であるため、強く反証ができない。よそ者云々は、全村民が思っていることだろう。おれや瑛華は神隠しを起こした疫病神なのだ。
徳井に、結愛が消えた日になにをしていたか、結愛と関わりがあるのかと尋ねたが、怪しいところはなかった。消えた日は友達の家におり、結愛との関わりは挨拶を交わす程度のものだった。
ただ徳井は終始そわそわとし、腕時計を気にしていた。香水の匂いが鼻につき、きな臭さまで匂い立った。
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