第23話 夢

 沢村家に帰ってきたのは、日も落ち暗くなってからだった。昼食を取っていなかったので、夕食は沢山食べた。生き返る心地だった。皆は口数は少なかったが、穏やかだった。結愛が帰ってくると信じていた。


 今日一日行った捜査の話を聞くと、労いの言葉をくれた。疲労しているのは、おれたちではないだろうに。


 部屋に戻ってくると、瑛華は言った。

「コラムはどうするの?」

「もちろん書くよ。けど今の状況だと、優先事項がそっちじゃないだろ」

「それもそうだよね」

「場合によっては、書けるかもわからなくなるだろうしな……」

「神のみぞ知るだね」

「……ちょっとややこしいな、神隠し騒動の真っ只中だし……」


 就寝時間になり、寝床についた。ぽつりぽつりと瑛華と話していると、意識が薄れてきた。目蓋が重く、抗うことはできなかった。


 今日は大変なことが起こってしまった。取材に来たのに事件が起き、しかも警察には通報できないと言われた。誰もが楽観視し、結愛が帰ってくる時を待つだけだった。佐田から聞いた神隠しの話しも興味深かった。世の中には不可思議な失踪事件がある。未解決のまま現在に至り、謎だけが居残った。この結愛が消えた騒動も、事件史の中に埋もれていくのかもしれない。数ある未解決事件の一つに、組み込まれるかもしれない。

 解決できなければ、おれはきっと後悔するだろう。探偵芸人と、呼ばれているくせにと。漫才師としては輝けなかったからこそ、ここで成さねばならない。これで解決できれば、芸なのだろうかと悩んでいる自分に、答えが得られそうなのだ。


 おれは夢を見た。


 元相方の中田との最後の別れのシーンだった。三十に差し掛かり、芽が出てこない現状に中田は嫌気がさした。芸人としてではなく、中田という一人の人間としての人生を考え始めた。


 気持ちはわかった。不安定な毎日で、自分たちは面白いと確信しているのに、劇場では思うようにウケない。仕事は少なく、バイトの収入の方が遥かに多かった。バイトで汗を流し、バイトだけの日々を過ごし、なにを頑張っているかわからなくなってくる。

 養成所に入ったときは、夢や希望があった。夜景を見ながら熱い思いを語り、将来の展望を予想した。ネタ作りに励み、切磋琢磨した。笑いが起こらなければ、必死に研究した。先輩の漫才を見て、闘志を燃やした


 気が付けば三十手前。心はすっかり摩耗していた。だからおれは、中田が辞めたいと言ったときも、止めはしなかった。そっか、と一言だけだった。深夜一時、綺麗な満月が浮かんでいたのを覚えている。


 故郷へ帰る始発電車を、おれは見送った。ホームには人がまばらで、みなスマホを触っている。中田は晴れやかな顔を浮かべていた。おれには無理に浮かべているように見えた。もうちょっと頑張ろうぜ、おれが言えば、あいつは頷きそうだった。意識し、これからのことやお笑いの話はしなかった。十年間、喧嘩もあったが、あれほど居心地が悪かったのは初めてだった。

 中田は電車に乗り込んだ。沈黙していた。数々の言葉は浮かび、力なく沈んでいった。ベルが鳴った。中田は口を開いた。元気でな、頑張れよ。泣き出しそうな顔で、必死に笑っていた。ありふれた言葉を残し、扉が閉じ電車は去っていった。ごめん、という言葉がなかっただけ、褒めてやりたい。


 おれは駅から立ち去った。なぜか胸を張り、強気でいる顔をした。頭の中では必死に、一人コント用のネタを考えていた。ここから始まるんだと、強く強く言い聞かせた。

 しかし希望はなかった。

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