第17話 現場へ

「最近、結愛ちゃんの様子はおかしくありませんでしたか」

「特におかしなところはなかったよ」

 と香織は断言した。

「カリカリしてたとか、時折悲しそうな顔を見せたりなんてこともありませんでしたか。家族の前では、心配をかけてはならないからと隠す子も多いですから」

「そう言われると絶対とは言えないけど、あの子はなにかあったら私たちに言うと思う。そういう性格の子だから」

「では最近、悩み事を打ち明けられませんでしたか? 例えば人間関係のこととか」

「いえ、なかった。そんな様子もまったく」


 友達や村のものと揉めたことがあるのなら、当たってみようと思ったが外れらしい。では、親には言えない悩みはなかったのだろうか。年頃の娘であれば、森に生えた草のように散見できそうだ。


「お付き合っていた人はいなかったですか」

「いなかったと思うわ。いたらお父さんには言わないでしょうけど、私になら教えてくれたと思う」

「素直な子なんですね。……じゃあ反発したこともないんですか」

「小さなことなら、幾らでもあるよ。例えば靴下を脱ぎっぱなしにして怒ったら言い返してくるし、お手伝いしなさいって言ったら、今から勉強してくるって、テレビを見ていたのにそそくさと部屋に戻って行ったり、他にも――」


 香織はかすかに口を開けたまま止まった。結愛との思い出が甦り、改めて消失したことを思い知らされてしまった。遠くを馳せていた瞳を辛そうに閉じると、顔をゆるりと振った。感情を抑えようとしていた。禁止事項に従うためだ。無理をしている香織を見ていると、胸が痛くなった。


 香織は目蓋を開くと、おれを見た。


「大きな反発はありませんでした。大喧嘩になるようなことは、なにも」

「そうですか。なら、家出をしたこともありませんよね?」

「うん、ないよ」

 香織はまた言い切った。

 家族との喧嘩や、この特殊な村から出たいという願望で、家から飛び出さないとも限らない。可能性はもちろん低いが、結愛は行動に移すタイプだろう。

 ただ家出したとしても、なぜ神隠しに見せかけたのか、という疑問は残る。


「この村で、結愛ちゃんと歳が近い子は何人いますか」

「二人だけかな。小さい頃から通う学校も同じだから、仲もいいよ」

「その二人の名前を教えてもらえます」

「神田川優花ちゃんと、中条(なかじょう)律(りつ)くん。優花ちゃんは一つ下の中学生で、律くんは一つ上の高校生。中学までは同じだったけど、今は通ってる高校は違う」


 神田川優花のことは知っている。結愛に連れられ公民館に向かったときに会った。瑛華のことを羨望の眼差しで見ており、結愛と同じく人懐っこかった。

 中条律にはまだ会ったことはない。結愛と仲がいいのなら、優花も含め話を聞かなければならない。親しい友達にだけ話す悩みや不安、トラブルなどもあるだろう。


「外に出たあと、結愛ちゃんの部屋へ入った人はいますか」

 尋ねたが頷くものはいなかった。


「じゃあ部屋を確認してきます」


 おれが立ち上がると、瑛華も続いて立った。しんと静まり返り、居心地の悪い空気だった。リビングを出ようとしていると、香織は言った。


「――人に攫われた可能性って、本当にあるの?」


 ぎょっとしてしまった。神隠しは疑問に思わず、人攫いは疑問なのだ。喉で声が詰まりぐるぐると鳴った。本当に神隠しだと思っているのかと、言葉を返したかった。どのような返答かは聞かなくともわかる。


「あります」

 おれは一言だけ言い、リビングから出て行った。


 結愛の部屋に一歩踏み入れ、首を動かし確認した。誰も部屋に入っていないと言っていたが、信じても良さそうだった。先刻と変わりなかった。

 部屋は手前側と奥側に別れている。戸を開けてすぐ左に勉強机があった。数学のプリントと、幾つかの教科書が置かれていた。傍にはアコースティック・ギターがスタンドに立てかけられている。右手の壁際には本棚が置かれ、漫画本や小説が並んでいた。女子高生らしく、恋愛小説の読み手だった。

 奥側を見てみる。左端にはドレッサーと小さなチョストがある。ぬいぐるみなども幾つかあったが、女子高生にしてはあまり個性のない部屋だった。小物などを飾ることに興味はなかったのだろう。


 結愛が立っていたのは、真ん中あたり。襖のレーンより前だ。つまり奥側に立っていた。

 襖はおれたちの部屋と同じように三枚立てだ。レーンは三本通っており、三枚が合わさるように揃え、開けることができる。今、左側に三枚が揃えられているのだが、真ん中の襖だけがなかった。昨日、襖を交換しなければいけないと、確か話していた。そのため真ん中の襖だけないのだろう。


「弦が落ちてる……」

 と瑛華は言った。振り向くと、瑛華は手前側におり、勉強机の隣にしゃがみ込んでいた。おれは近づいた。

「どうした」

「いや、ギターの弦が落ちてたからね、特に意味はないんだけど」

 ギターの傍に、とぐろを巻いた弦が一本落ちていた。どうやら使用済みだ。交換のときに捨て忘れたのだろうか。

 おれは立てかけられているギターの弦を指で弾いてみた。チューニングしていないため、綺麗な音は鳴らずビビっていた。


 気のせいかもしれない。気のせいかもしれないが、おれたちの部屋からこの部屋を見たときと、少しばかりギターの向きが変わっているように思った。微々たるものだ、右へ少しずれている。だが確証は持てないため、これは気のせいと処理してしまってもいいだろう。


 おれは開けっ放しになっている窓から外を眺めた。空はまだ灰色がかっており、遠い向こう側には晴れた青が見える。おれたちの部屋の窓も開いている。閉める余裕すらなかった。慌てふためき、あっという間に今に至る。コラムの作成だけだと思っていたのに、まさか本当に人が消えてしまうとは。人生なにがあるかわからない、という言葉が浮かんだのだが、少し合っていない気がした。

 ぱっと一瞬にして消失し、おれたちがこの部屋にやって来るまで一分と少し。犯人はそのあいだに逃げたことになる。しかも結愛を抱えてだ。結愛を消すように攫った方法もさることながら、成せるものなのだろうか?


 おれはかすかに見える、木の板で作られた橋に目を向けた。

 橋の先は土の道。目を凝らしじっと眺めた。ふと、足跡は残っていないだろうかと思った。朝、雨が降ったため道はぬかるんでいるはずだ。犯人がその上を通ったのなら残る。沢村家は山に囲まれているため、足を踏み入れるのなら三つの橋のどれかを通らなければならないはずだ。必然的に土の道も通る。

 小川の中を通らずにやってきたという前提だが、確認してみるべきだろう。


 おれは瑛華に提案し見に行くことにした。

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