三章 消失
第14話
五月三日。
瑛華に肩を揺すられ、起こされた。瑛華も寝起きらしく、声は掠れ寝癖がついていた。どうやらよく眠れたらしい。
なにか夢を見た気がするのだが、かけらも思い出せなかった。ただいい夢でないことはわかった。
まず瑛華が顔を洗いに行き、帰ってくるとおれが向かった。鏡に映る顔はとても眠たそうで、赤い髪に一本白いものがあった。おれは憎しみを込め、思いっきり引っこ抜いた。容赦はなかった。
部屋に戻ると、瑛華はメイクをしていた。おれは鏡を貸してもらい、コンタクトを入れた。
「腹立つことに白髪がいやがったよ」
「そうなんだ」
瑛華はこちらをちらりと見ると、
「鼻毛も出てるけどね」
「え、うそ」
鏡で確認してみると、鼻毛も朝の挨拶をしていた。気づかなかった。白髪は囮(デコイ)だったのか……。
鼻毛も無慈悲に引っこ抜き、瑛華もメイクが終わった頃、香織が朝食ができたと呼びに来てくれた。外に出てみると、家が濡れていたことに気づいた。瑛華曰く、早朝に降ったのだという。山が近いため、雨が降ったときに下りてくる、湿っぽいような独特のにおいがあった。
リビングに入ると、結愛以外はお揃いであった。香織も亜美もちゃんと化粧をし、男性陣も寝ぐせの一つもなかった。
「よく眠れたましたか」
と村長はにこにこして言った。おれは引きつらぬよう注意し、笑った。
「ええ、ぐっすりと」
「それは良かった」
他のものもおれの様子に気づいていなかったが、瑛華だけは不思議そうに横顔を見ていた。
「あれ、結愛ちゃんはいないんですか?」
と瑛華は言った。香織が答えた。
「そうなの、勉強したいからって、朝食をパンで済ませて部屋でこもってるの」
「頑張り屋だなぁ」
瑛華は感心していた。おれも同じ気持ちだった。勉強は心底嫌いだったため、部屋にこもることがあってもそれはゲームのためだった。
朝食は味噌汁とたくわんと鮭という日本人の朝だった。食事を終え、少し沢村家と会話した。今日はどうするのかと尋ねられ、取材とコラムの作成に勤しむと答えた。
「佐田さんにお話を伺いたいんですけど、応じてくれますかね? 難しい人ではありませんか?」
「佐田さん? ああ、確かに物知りですからねえ」
と村長が答えた。
「難しい人なんかじゃありませんよ。ああ……ただ伺うのならですね、お昼を過ぎてからがいいかと。佐田さん、起きるのが遅いから。それまで部屋で作業に当たられては?」
「それもそうですね」
瑛華も協力すると息巻いていた。拓海は楽しみにしているとまた興奮していた。
部屋に戻ってくると、頬を叩き、やるぞ! と発破をかけた。ペンを走らせ、構想を立てる。まず初めは、落神村の説明から入ろう。名前の由来、三つの禁止事項、村長が幼少の頃に体験したエピソードも入れる。だがまだまだ神隠しの知識がない。やはり佐田から話を聞かなければ。
しばらく作業に取り掛かっていると、瑛華は機嫌良さそうに言った。
「頑張ってるね」
「まあな。仕事なのに手を抜けないだろ」
「プロだね」
「おれは芸人だけどな」
とおれは笑いながら言った。瑛華もくすりと頬を緩めた。
「ちょっと空気を入れ替えてもいい?」
「ああ、いいぞ。少し部屋の中もむっとしてるしな」
「ならちょっとももちゃんも風に当たれば?」
瑛華は立ち上がると言った。
「それもそうだなあ」
ペンを置き、少し伸びをした。瑛華はカーテンを開け、窓を開けた。心地良い風が、かすかに迷い込んできた。おれは立ち上がると窓に近づいた。
「あ、結愛ちゃんだ」
と瑛華は言った。
一号棟を見ているようだった。瑛華の隣に立ち顔を向けてみると、ここから真正面にある結愛の部屋が見えた。窓は開いており、部屋の真ん中に結愛が立っていて、こちらに手を振っていた。おれと瑛華も手を振り返した。
縁側に村長が出ていて、ノートパソコンを弄っていたのだが、手を振るおれたちを不思議そうに見上げた。すぐさま自分に手を振っているのではないと気づき、視線をパソコンに戻した。
「結愛ちゃんも勉強頑張るってるんだね」
「そうだな、おれも頑張らないと」
そろそろ手を下げようとしていると、それは突然起こった。窓枠についた雨水がぽとりと落ちたと同時、結愛の姿が消えてしまったのだ。魔法でも使われたかのように、ぱっと一瞬にして消えた。
自分の目を疑った。頭を振り見間違いではないかと確認した。けれど結愛はいない。消えた。一瞬だった。
瑛華ははっと息を飲み、言葉を発せないでいた。瑛華にも、結愛は見えていない。
そんなまさか。人が消えるなどと……。
神隠し。これが神隠しか――
目眩がしそうだった。現実感がなかった。だが体をすくませている場合ではない。急いで結愛を探さなければ!
「村長さん、神隠しだぁぁ! 結愛ちゃんが消えた!!」
おれは窓から体を乗り出し叫んだ。村長はぽかんと口を開け、首を傾げた。状況を飲み込めていない。当然の反応だろう。冗談と思われても仕方がない。おれだってそう思いたい。
「放心してる場合じゃない、行くぞ!」
おれは瑛華の背中を叩いた。瑛華は白い顔をして、かすかに頷いた。
部屋を出ると階段を下り、靴を履くと、足が絡まりそうになりながら外に出た。縁側にいた村長はただ事ではないと気づき、パソコンを置き急いで立ち上がった。おれと瑛華は玄関まで走り、勢い良く戸を開けた。心臓の鼓動はうるさく吐きそうだった。
階段を上っていると、洗濯カゴを持った香織がいた。慌てた様子を見て怪訝そうにしている。立ち止まることなく、神隠しが起こったんです! とだけ言い上った。一秒でも惜しかった。
廊下を進み、結愛の部屋へ入った。
二号棟とは左右対称なっており、八畳の部屋は襖により区切られていた。襖は開き、手前側も奥側も見えているのに結愛の姿は見えない。誰もいない。一見、部屋に異常は見当たらない。静寂だけがそこにはあった。
奥側にある窓からは、二号棟が見えた。おれたちの部屋も望める。皮肉にも爽やかな風が吹いた。先ほどまであの部屋にいて、結愛に手を振っていたというのに。あんまりじゃないか!
村長が部屋に入ってきた。その後ろには、拓海、香織、慎太郎の三人がいた。亜美の姿はない。二号棟にいるため騒ぎに気づいていないのだろう。
四人は青い顔をし、恐怖しているものもおれば、信じられないといった様子で引きつった笑みを浮かべているものもいた。
「結愛が消えたって本当か!」
と拓海は言った。
「ええ、この目で見ました。ぱっと一瞬にして消えてしまったんです!」
「そんな、まさか……」
拓海は打ちのめされたように頭を抱えた。誰かが神隠しと呟いた。おれもそうとしか思えなかった。まさか本当に起こるとは。どうして結愛が……?
だがこうして突っ立っているわけにはいかない。結愛を探さなければ。
「捜索に向かいましょう!」
「そうだね、そうしよう! 玄関側はわしが見てたから、この裏を確認してみよう!」
おれと村長と瑛華は、裏手側へ向かうことにした。拓海と慎太郎は一応、表側を探してみると言った。香織は、二号棟にいる亜美を呼びに向かった。
玄関を出ると、裏へ回った。辺りを見渡してみる。砂利がびっしりとひかれ雨で濡れていた。山が近く、フェンスなどはない。砂利を過ぎると、土があり鬱蒼と生えた木々は目の前だった。人影はどこにもない。
「さあ、早く!」
村長に急かされ、山の方へと向かった。
砂利と山の境い目に立ち、地面を確認してみても、足跡らしきものはまったくなかった。
山に足を踏み入れ、ぐんぐんと進んでいく。目を凝らし、結愛の姿がないか探した。人の気配はなく、斥候の知識などないが、足跡や草が踏まれたような痕跡も発見できなかった。
村長は結愛の名前を叫んだ。目を瞑り耳をすます。返事を待ったが、戻ってきたのは鳥のさえずりだけだった。
もう一度、村長は叫んだ。瑛華も一緒になって呼んだ。けれども、何者も死んでしまったと錯覚してしまうような静けさだけだった。
いない。結愛はこんなところにはいない。
どのようにして消えたというのだ? どこに、隠されたというのだ?
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