1-41 願い叶える力

 ルアネの黒槍がしなり、化け物ザフールの腕を打ち据える。

 鈍い音とともに化け物ザフールの腕がひしゃげる。

 化け物ザフールはひしゃげたままの腕を力任せに振るうが、ルアネは涼しげな顔でそれをいなす。


 ルアネと化け物ザフールの激しい戦いが繰り広げられる。一見すると、ルアネが有利を握っているようなのだが。


「お兄ちゃん。どうするの? このままじゃ、ルアネーチャンが負けちゃうよ!」


 クロベニが心配そうに声を上げる。

 それは間違えではない。


 ルアネの振るう黒槍、その穂先は丸く潰れていた。

 壊れたのではない。

 元々はルアネの黒いもやで造られた武器。欠けたり、潰れたりしたのであれば瞬時に作り直せるはずだ。だが彼女はそうしない。

 だとしたら、潰れている状態が普通なのだ。


 死神は人の生死に直接関われない。

 その制約は本人の意思に関係なく、破ることはできないようだ。

 ルアネは黒槍を潰そうなどと微塵にも思っていないだろう。勝手に潰れたのだ。


 自身で造った武器でさえ、無意識にそうなる。

 その事実からわかることはただ一つ。

 ルアネは化け物ザフールに決して勝つことができない。


「何故ルアネは一人で人間に戦いを?」


 ノワールが困惑した声でつぶやく。彼女には理解し難いようだ。

 ……俺にはなんとなくわかる。

 ルアネは勝てないことを承知で戦いに臨んだ。

 それはなぜか。

 きっと俺に時間を与えるためだ。


「繧ッ繧ス螂ウ縺! 縺雁燕繧よョコ縺励※繧?k!」


 人ならざる言葉を吐く化け物ザフールを視る。

 全身から黒いもやがにじみ出だしている、もはや死の塊だ。


 恐らくだが、俺が無策のまま化け物ザフールと戦ったら勝てない気がする。


 あくまで予感でしかない。一回、攻撃を受け止めただけだ。まだしっかりと戦ったわけではない。

 だがルアネにはその一回だけで、俺と化け物ザフールが普通に戦った場合の決着が見えたのだろう。俺が負けるという結果を。

 だからこそ、彼女は勝てない戦いにあえて挑んでいるのだ。

 全ては時間を稼ぎ、俺が勝機を見出す何かを見つけるために。


 そこまでルアネがしてくれたのだ。

 俺も期待に応えなければ。


「ノワール、クロベニ。頼みたいことがある」


 ◇


「かしこまりました。上手くいくようお祈りしております」

「注意してね! さっきの攻撃でカインの刻印の障壁が破れかかってるからー!」

「わかった。二人も頼む」


 俺はポーチと閉じながらそう告げると、二人の元から離れる。

 向かうはルアネと化け物ザフールの戦いの場だ。


「ルアネ! 下がってくれ!」


 そう叫ぶと、ルアネは槍で攻撃をはじき、俺の隣へと跳躍する。


「おやぁ。別にいいけれど、キエル一人で大丈夫なのかい?」

「わからない……けどコイツを止めるには死神の武器が必要なんだろ? なら戦死の死神に造ってもらいたいしな」


 勿論、ノワールとクロベニの二人でも作れるのだろうが、ルアネが携わったほうがいいのは間違えないだろう。それに二人には任せていることもあるしな。


「ふむ……」


 ルアネが一瞬、逡巡の表情を浮かべ、次の瞬間には槍を霧散させる。


「それもそうだね。まぁそれに、これから英雄になるんだろう? ならこれくらいの敵、一人で倒すぐらいの気概は持ってもらわないとねぇ」


 いきなりの無茶ぶりをかましてくる。


「はは、手厳しいな」


 思わず渇いた笑いが出るが、ルアネは本気のようだ。


「そうかい? 時間も作ってあげたんだ。きっとキエルなら策の一つや二つ、用意してきたんだろう?」


 やはり、時間稼ぎのために戦ってくれていたのか。


「あぁ。一応な。一つだけだが」

「ふぅん。ま、頑張って勝ちたまえよ。英雄といえど、剣を握る以上は戦士の一人なのは違いないからね。勝つことが何よりも大切なのは変わらないさ」


 それだけ言うと、ルアネはクロベニとノワールがいる後方へと下がっていく。


「ほっほっほ。恐れをなして、逃げたか。無駄なことよ。貴殿を捻りつぶしてから、いたぶることにしようぞ」


 ギルド長が下卑た笑いを浮かべると、指を振る。


「繧ュ繧ィ繝ォ縺雁燕縺梧?縺??縺??縺」


 それに呼応するかのように、化け物ザフールが俺目がけて襲い掛かってくる。

 ここからしばらくは俺だけの戦いだ。

 短剣を構える。


 ◇


 黒いもやをまとった腕が迫る。

 少し顔をのけぞらせ、避けた。


 ルアネから得た力で高まった集中力を駆使し、攻撃を避けていく。

 ついでに短剣で切りつけるが、傷は瞬時に塞がってしまう。

 生命力の塊というのは間違えないようだ。


「ほっほっほ! 貴殿の攻撃ではものともしないわ! こやつこそ最強の存在よ」


 ギルド長に同意するのは癪だが、そうかもしれない。

 一撃で命を刈り取る力。

 傷をものともしない回復力。

 確かにこういう存在を最強というのかもしれない。


 巨体に黒いもやをまとわせ、押しつぶさんと突っ込んでくる。

 横に跳び、避けた。


 ……それが何だというのだ。

 一撃で命を刈り取る力?

 当たらなければいいだけだ。

 どうということはない。

 最強なんて所詮その程度。


 思わず。それをはっきりと自覚した。

 きっとスケルトン討伐の時にルアネの提案を断った時も俺は同じように笑っていたのだろう。

 だってそうだろ。

 最強になったところで何になる。


“その、強さって一概に言えないものだろう?”


 ルアネの言葉を思い出す。

 間違えない。

 最も強い。だからなんだ。


 手だけでは当たらないと思ったのか、足蹴りをしてくる。

 当たれば肉が裂け、骨が砕ける致命の一撃。

 その場で跳躍し、避ける。


「ぬぅ。小癪な。ちょこまか動き回りおって!」


 ギルド長が悪態をつき、腕を慌ただしく振る。

 新しい命令を下しているのだろう。

 だが、化け物ザフールの動きに変化は見られない。相変わらず、デカい図体を使って攻撃を繰り出すだけだ。


 恐らくだが、それ以外の攻撃方法を持ち合わせていないのだろう。

 なぜなら、すでに限界値を迎えているからこその最もたる強さ最強なのだから。そこには成長する余裕も、改善できる余地もない。

 最強とは限界のある力でしかない。

 いつかは折れる強靭な力だ。


 俺に攻撃が当たらず苛立っているのか。

 化け物ザフールが大声で叫びながら、腕を振るう。

 そんな力任せの攻撃当たるはずがない。冷静に一歩下がり、避ける。


 俺はルアネに感謝しなければならない。

 最強な力ではなく、相手の強さに応じて伸びる力をくれたことに。

 勿論、最強ではないゆえの弱点はあるだろう。

 それこそ初めの化け物ザフールとの力の競り合いでは、勝つことができなかった。

 敵に一歩引けを取るかもしれない能力。

 だがそんなもの創意と工夫でどうとでもなる。


 俺が得られたのは諦めない限り限界のない力。

 決して折れない柔軟な力。

 英雄になりたいと願った俺の背を押してくれる力。


 化け物ザフール貫手ぬきてを繰り出す。

 一発一発が槍のように鋭い。

 しかし、それは俺の髪を数本断ち切っただけに終わる。


 目の前のかつての仲間――ザフールを視る。

 今ならコイツの申し出を断ったのもわかる。

 俺とコイツとは目指す方向が違ったのだろう。

 俺は人助けがしたく、コイツは名声や金が欲しくて、冒険者になった。

 そのズレは俺に戦う力がなく、罠を解除するしかできなかったから問題にならなかったのだ。


 だが力を手に入れた今となっては、そのズレは許容できるものではなくなっていた。

 確かにザフールの元に戻っていれば、冒険者としては大成していたかもしれない。

 けれどそこには何の価値もない。

 だって俺は冒険者ではなく、英雄になりたいのだから。


“縛りになっている君”


 ルアネはザフールをそう形容した。

 なるほど、言い得て妙かもしれない。

 目の前の化け物ザフールは、俺の諦観ていかんの象徴そのものだ。

 俺をただただ『冒険者』という枠組みに、縛りつけていた鎖。

 だからこそ俺は化け物ザフールに打ち勝たなければならない。


 ゆえに俺は化け物ザフールと戦い続ける。

 視て。

 避けて。

 回避して。

 死線を踊る。


「ぐぬぬ。こざかしい! みっともなく避け続けたところで何になるというのじゃ!」


 忌々しそうにギルド長が叫ぶ。

 勿論、このままでは勝てないことはわかってる。

 だがこれでいい。

 なぜなら、俺は策を待ち続けていたからだ。

 そしてついにそれは起動する。


「お兄ちゃん! いくよー!」


 クロベニの合図とともに、部屋に変化が起きた。

 あたり一面が白い湯気に包まれる。

 一寸先も見通すことができない。

 化け物ザフールを囲い、最後には砕かれ散らばっていた氷塊を、魔法で溶かし、湯気にしてもらったのだ。


「なんじゃ! これでは何も見えないではないか! ザフール! ワシの元に戻れ! ワシを守るのじゃ!」


 ギルド長が切羽詰まった声で命じるが、化け物ザフールは右往左往するのみだった。

 奴も周りが見えていないのだ。


「勝つためには使えるものは、使っておけ……か」


 思わずルアネの言葉を呟く。

 俺が仕掛けたのは、なんてことはない。

 これまで解除してきたスケルトン討伐の際の罠の真似事だった。

 どうやら上手くいったようだ。


「よし、行くか」


 だが、それも長くは続かないだろう。

 この大量の湯気が消えるまでがリミットだ。

 それまでに決着をつける。

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