1-40 願望

 突如現れた人型の化け物が、黒いもやをまといながら俺に対して腕を振り下ろす。

 腕と言っても、大人一人ぐらいの長さと太さだ。当たったらひとたまりもない。


「ぐっ!」


 慌てて短剣で受け流す。

 

 ガガガガッ!


 存在ごと押しつぶされるような衝撃だ。

 ルアネからもらった力で、目の前の化け物と同じくらい強くなっているはず。

 だというのに、俺の剣は押し込まれる。

 大切なものが破けるような感覚を覚えた。

 

「突然危害を加えようとするのはいかがなものかと、以前もお伝えしたはずですが」


 パリン!


 ノワールの冷静な声とともに、ガラスの割れる音がする。

 薬品の臭いが香る。

 

「逶ョ縺瑚ヲ九∴縺ュ縺! 繧ッ繧ス縺!」


 白い化け物の顔面に当たったようだ。

 化け物がその醜い腕で顔を覆う。

 その間に俺は距離をとることができた。


「なかなか危ない状況だったね。大丈夫かい?」

「あ、あぁ」

「お兄ちゃん気を付けて! あのままじゃカインの刻印があっても危なかったかも!」


 クロベニが焦った声で、注意してくる。

 さっきの破ける感覚はカインの刻印の障壁だったようだ。

 7倍の戦いの傷までは防ぐといわれているのに、それが破けるとは。

 化け物は尋常じゃない強さを誇っているようだ。


「ほっほっほっほ! どうじゃ。キエル殿。ザフール殿との再会は!」


 ギルド長が気持ち悪い笑みを浮かべながら、変なことを尋ねてくる。

 ザフールの姿などない……まさか。


「ほっほっほ。この神々しい姿。ザフール殿には素体になってもらったのじゃ。素晴らしいじゃろう」


 ギルド長が嬉しそうに眼を細めながら、おぞましいことを口にする。

 信じられないことに、目の前の化け物はザフールだというのだ。


「嘘をいうな!」

「ほっ! 信じるも信じないも貴殿の勝手にせい。どちらにせよ死ぬのじゃからな」


 そう言い捨てながら手を振ると、白い化け物がぬるりと動き始める。

 ギルド長の指輪がきらりと光る。ただの指輪ではなくマジックアイテムなのだろう。

 どうやらそれで化け物操っているようだ。


「谿コ縺励※繧?k谿コ縺励※繧?k」


 人型の化け物が動き始め。暴れようとしたその時。


「気持ち悪い! 近寄らないでよ!」


 クロベニが氷の魔法を唱えた。

 すると瞬時にギルド長と、化け物の四方八方に氷の壁ができ閉じ込めた。


「驍ェ鬲斐□驍ェ鬲斐□驍ェ鬲斐□!」


 内側から氷の壁を殴る音が聞こえるが、すぐには壊れない。

 だが一時的なものでしかないようだ。


「うう、もってちょっとだよー!」


 クロベニが忌々しそうに言う。

 だが十二分の働きだった


「よくやったクロベニ!」


 俺は振り返る。

 武器を構えるカリオトさんと目が合った。


「カリオトさん! ここは危険です! 早く外に!」

「そんな! キエルさんたちはどうするんですか!」

「ここで戦います!」

「それなら私も!」


 肩を並べようとするカリオトさんを、手で制する。


「外に被害が出るかもしれません! 彼らの避難の指揮を任せられるのはカリオトさんだけだ!」


 ギルドハウスの外には、職員や冒険者がたむろしているのだ。冒険者ならともかく、職員が残っているのが危険なのは明らかだ。

 カリオトさんは苦悶の表情を浮かべる。


「……分かりました」


 渋々といった様子ではあるものの、納得してくれたようだ。

 出口に向かい始める。だが一度足を止めると、俺のほうへ振り返る。


「キエルさん……絶対に死なないでください」


 心配で、労わるような声。

 こんな時でも、他人を思いやれる人。

 カリオトさんはやっぱり優しい人だ。


「分かりました。信じてください」


 だからこそ、期待に応えなきゃな。

 力強く頷くと、カリオトさんは覚悟を決めた顔で今度こそ外へと出ていく。


 それを確認し、振り返る。

 いつの間に近づいたのか、死神三人が周りにいた。


 彼女たちの背後には氷の壁がある。

 まだ砕けそうにない。


「まさか私たちにも、逃げろなんて言うつもりかい?」

「たとえキエルさんが言ってもお断りします。貴方にはキエル病で死んでいただかなければ、ここで死なれては困ります」

「お兄ちゃんと遊ぶために頑張るよ~!」


 不純な理由ではあるものの、手伝ってくれるのは心強い。


「ありがとう。助かる」

「早速、作戦会議をしようじゃあないか」

「そうだな。まず確認だが、あの化け物は本当にザフールなのか?」


 ギルド長が動揺を誘うために嘘を言っているとも予想したのだが……。


「あれは昨日会った彼で間違えないよ。魂の質が同じだから違いないね。」


 どうやら本当だったようだ。


「そう……か。なぁクロベニ。あの化け物からわかることはないか?」


 あの白い肉塊はザフールの成れの果てということだが、まさか自力でああなったとは考えられない。

 呪いや魔法の類で姿を変えられたのだと考えるのが普通だろう。

 ゆえに呪死の死神であるクロベニに聞いたのだが。


「うーん。多分呪いー? けど、人のじゃないねー! もっと面倒な呪いだと思うー!」

「人以外の呪い? モンスターとかか? あんなに姿を変える呪いを使う奴なんて聞いたことないが」


 スコーとマスクの呼吸音が響く。ノワールだ。


「いいえ、モンスターではありません。そしてあれは呪いではありますが、より神聖なものです」


 その声には棘があった。

 どうやら知っているようだ。


「あれは神の祝福です」

「神? あれがか。しかも祝福?」


 なにを考えたら白い化け物になることが祝福になるんだよ。


「ええ、そうです。祝福と言ってもそれは神にとってはの話です。人間に必ずしもいいことではないのです」


 マスクが傾き、氷の壁のほうを向く。

 壁を殴る音が、不気味に響き続ける。


「現状、彼は神の化身になっています。しかしその一方で人のままです。自分たち死神にはどうすることもできません」


 死神は人を殺すことはできない。


「ですから、キエルさんに戦ってもらうしかありません。どの神なのかまで分かれば、弱点などもわかるのですが――」

「アレは狂神さ」


 ノワールの悩みに断言したのはルアネだった。


「知ってるのか?」


 ルアネはコクリと頷く。


「あぁ昔、シュバルツ家の関係で戦ったことがあってね。恐らく、あれは狂神の一片だろ。まさか人に宿るとは思ってなかったけれどね」

「狂神ってなんだよ」


 聞いたことがない神様なので聞いたが、答えは返ってこなかった。


「悠長だね、キエルは。そんな説明している暇はないよ」


 ぴし!


 何かが割れる乾いた音が聞こえる。

 見れば氷の壁にヒビが入っていた。なるほど確かに時間はない。


「すまん。要点だけ教えてくれ」

「理解が早いのはいいことだ。あいつは生命力の塊さ。だから倒す手段は一つだけ、死神の武器を心臓に突き立てるしかない」


 心臓に突き立てる?

 人の心臓に?

 それって……。


「つまり……俺はザフールを、殺さないといけないのか」

「そうさ。さて君にはできるかな。昔の仲間を殺すことが?」


 なんてことはないように言うが、難しい選択だった。


「俺は……」


 思わず言い淀む俺に、ルアネが笑う。


「ふふふ、あんな大立ち回りしたというのに、まだ躊躇っているのかい?」


 その声は穏やかだった。


「助ける人を助けたいと大見得を切ったのは、君じゃあないか。なら覚悟を決めるべきじゃあないかい」


 それだけいうと、手を差し出してくる。

 あの日の契約の時みたいに。


 ルアネの言う通りだ。

 俺は助ける人を助けたいと確かにいった。

 それは一見すると綺麗な言葉だけれど、裏の意味とも向き合わなければならない。


 誰かを助けるということは、誰かを犠牲にするということ。


 これまで考えてこなかったことだ。力のない俺には考える余地もなかった。

 だが力を得たからには、そしてそれを使っていくのであれば、どこまでも付きまとうことだ。

 

 ルアネは俺を試している。

 そういう気概を持って、それでもなお自分の信条を貫き通せるかを試しているのだ。

 そのための握手なのだろう。


 恐らくいいことだけではない。

 むしろ険しく、厳しい出来事の連続になるだろう。

 後悔することもあるかもしれない。


 でも、それでも。


 ぎゅっとルアネの手を握る。


 それでも俺は誰かを助けたい。


 ルアネも握り返してくる。彼女の手は相変わらずひんやりと冷たい。


 心に迷いはなかった。

 ……いや嘘だ。一つだけ。

 どうしても今済ませておかなければならないことがあった。

 ルアネの手を取ったまま話しかける。


「一つだけお願いがある」

「ほう。時間がない。手短に頼むよ」


 せかすようにルアネが応じる。


「俺とルアネの契約って一回だけ変えられるんだよな」


 力を得る代わりに、戦士として戦死する契約。

 ルアネと交わした契約は、本人曰く一度だけ変更することができるらしい。


「そうさ」


 それは今でも変わらないようだ。


「なんだい。今さら力が欲しいのかい?」

「いいや違う。変えてほしいのはそこじゃない」


 ルアネの言葉を否定する。


「戦士という箇所を訂正してくれ」


 俺が変えてほしいのはその一言だけだ。


「戦士? 別に構わないけれど。それだと特に何も変わることはないよ」


 ルアネが奇妙そうに聞き返す。契約という点からは、意味がない箇所なのだろう。


「あぁ。良いんだ」


 でもそれで構わなかった。


「ふぅん。それで? 何に書き換えるんだい?」


 そんなの決まっている。

 俺のなりたい存在を、それを目指すという覚悟を残すのだ。


 俺が本当になりたい、なりたかったもの。

 それは――。


「英雄」

「!」

「ルアネ、俺は英雄に……英雄になりたい」


 大切な人に認められ、助けたい人を助ける。

 それを英雄と言わず何というのか。

 もしかしたら、他の人は違う言葉で表現するかもしれない。

 でも自分にとってはそれこそが英雄なのだ。

 俺が願い、望むものだった。


 ルアネが虚をつかれた驚きの表情を浮かべるが、次の瞬間には大笑いを始める。


「あはははははは! いやいやいや! これは凄い! 私の予想を超えてくるとは! ククク。私はてっきり君が戦士になりたいと思ってたんだがねぇ。ふふ。そうか英雄になりたいのか。君は」


 赤い眼が爛々と輝き、黒いもやが俺たちを一瞬包む。

 何かが書き換えられる感覚があった。

 ルアネの愉快そうな声が響く。


「それじゃあ。ここで死ぬわけにはいかないね」


 もやが散る。

 戦死の死神ルアネはくつくつと笑っていた。


 バキン!


 そんな彼女の背後でついに氷の壁が壊れ、飛び散る。


「驍ェ鬲斐′縺?●繧薙□。縺ゥ縺?▽繧ゅ%縺?▽繧ら嚀谿コ縺励↓縺励※繧?k」


 そこからぬるりとブクブクに肥った人型の化け物――ザフールが出てきた。

 俺たちを視認すると、二本の肉まみれの腕を振り下ろしてくる。

 だがその攻撃が届くことはない。


 ザン!


 ルアネが振るう槍の一振りで、ザフールの腕は二本とも切り落とされる。


「繧ッ繧ス縺! 縺?※縺医□繧阪≧縺!」


 ザフールが声にもならない大声を上げると、瞬く間に腕が生えてくる。恐ろしい再生力だ。

 だがルアネはそんなこと全く意にも介さず、負けじと大声を張り上げる。


「栄光あるシュバルツ家が一人、ルアネ・シュバルツ!」


 ルアネはクルリくるりと槍を回転させ構えると、

「一人の英雄見習いが今飛び立とうとしているんだ! 縛りになっている君には悪いけれど、ご退場願おうじゃあないか!」

 獰猛に笑った。


 ルアネの槍とザフールの腕が交わる。

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