1-36 君の中で眠る可能性

 窓から見える満月はとても綺麗だった。

 俺は宿屋の待合室に置いてある長椅子へ座り、月を眺めていた。

 起きているものは俺を除き、一人もいない――。


「どうしたんだい、キエル。一人で月なんか見て」


 いや、どうやら勘違いだったようだ。

 振り返ると、そこにはルアネが突っ立っていた。

 喪服のような寝間着ネグリジェは、絹のようなルアネの金髪と大変似合う。


「あ、あぁ。ちょっと考え事をな。ルアネこそこんな時間に起きてるなんて珍しいじゃないか」

「今日はクロベニがノワールと寝たいとねだってね。いやぁ、寂しいもんだよ」


 ルアネが大げさに肩をすくめる。その様子からは決して寂しそうな雰囲気を感じない。


「それより考え事とは何だい? 折角だ。私が眠くなるまで付き合ってあげようじゃあないか。どうせ今日の昼のことでも考えていたんだろう?」


 どうやら、ここに来るための口実だったようだ。

 目をきゅっと細めながら、本題に触れる。

 昼間の件だと看破されてるようだ。


「はは、かなわないな。ルアネの言う通り、ザフールのことを考えててさ」

「あのつまらない男のことをねぇ」


 ルアネの加減のない評価に、思わず苦笑いする。


「随分な言いようだな。勘弁してやってくれ」

「別にいいじゃあないか。まぁ彼についてはどうでもいい。とりあえず、君が何を考えているのか。それを教えたまえよ」


 ルアネには以前、パーティーを追い出された話はしている。

 だからだろう、どんどんと核心迫ってくる。

 ここまでお膳立てしてもらっているのに、話さないは失礼だろう。

 俺はぽつりぽつりと話す。


「ルアネにとっては有象無象の存在かもしれないけど、俺にとっては違うんだ。あいつとは長い付き合いだし、同じパーティーとして色々な冒険に行っていたんだ」

「けれど追い出されちゃったんだろう?」

「……あぁそうだ。俺は役立たずって追い出された。あんときのショックは今でも忘れられない。本当にお先真っ暗って感じだったんだ。戻れたらどんなにいいだろうって」


 そしてその機会は、幸運にも訪れた。


「でも今日会ってさ。戻れって言われてもなんとも思わなかったんだ」


 けれど俺は断ったのだ、二度とないチャンスを。

 間違った選択だとは思わないし、後悔もない。

 だが疑問がずっと胸でくすぶっていた。


「おかしいよな。まだ一週間とちょっとぐらいしか経ってないんだぜ?どんだけ心変わりが速いんだよって話だよな。しかもなんでそう思ったのかの理由を俺は言えないんだ。自分で言ったことなのに」


 渇いた笑いが出た。けれどルアネは笑うことなく、ただ静かに耳を傾けてくれていた。


「それが不思議でな。ずっと考えてるんだ」


 別にやましいことなど何もないのに、声が自然と尻つぼみになり、そして途切れる。そしてルアネに話しても、やっぱり納得のいく理由は出てこなかった。


「なるほどね……。隣に座っていいかい?」

「あぁ別に構わないけど」

「じゃあお邪魔するよ」


 スッと腰掛けるルアネ。

 二人とも黙ったまま月を見上げる。


 思えば、ルアネと二人きりになるのも久しぶりだな。

 最近はクロベニとノワールが加わり、常に四人でいることが多かった。

 そんなことを思っていると、彼女はおもむろに口を開いた。


「キエルは、君は強くなれて嬉しかったかい?」

「嬉しかったさ。もっとも一年後に死ぬーとか言われたのはびっくりしたけどな」


 本当に驚いたものだ。死神と契約するということがこんな大変なことだとは思っていなかった。

 ルアネが思い出したかのように、くつくつと笑う


「ふふ、あの落ち込みようは今でも笑えるよ」

「俺もルアネの下手な慰めを思い出すとほほえましくなるな」

「もう! 茶々いれないで!」


 恥ずかしそうに、ルアネが怒る。

 その様子を見るに、やっぱりあの時はかなり無理して慰めてくれてたんだろうな。


「ごほん。話を戻そうじゃあないか。ということは強くなれたのに、そしてそれが嬉しかったのに、君はあの男の誘いを断ったわけだ」

「……あぁ」


 その通りだ。わかっている。わかっているからこそ、より疑問は増す。


 追い出された理由は色々あるんだろうが、一番大きいのは俺が戦えなかったからだろう。

 特別な眼を持っていることを信じてもらえなかったのも、元はといえば俺が戦えないからだ。

 つまり今、すでに戦う力を手に入れている俺が戻らない理由はない。

 だというのに、俺は断ったのだ。


「なんでなんだろうな。別にルアネたち三人には姿を消してもらってればいいのに」


 死神の三人にとって、パーティーを組むことは重要なことではない。

 仮に魂を取り合うために俺から離れられないにしても、姿を消してついてきてもらえばいいだけなのだ。


「なんで戻らなかったんだろうな」


 俺にはどれだけ考えてもわからなかった。


「なんとなくだが私にはわかるよ」


 だというのに、ルアネは迷わず強く断言した。


「教えてくれよ」

「教えてあげない」


 そこまで言うなら、何かわかっているのだろうと思い問うが、ルアネは首を横に振る。


「なんでだよ」

「キエルが見つけるべきことだから」


 じっと俺のことを見つめる赤い、紅い目。

 そこには嘘偽りなどなく、本心で言っていることが伝わった。


「とはいえ、ヒントぐらいはあげようか」


 ルアネはフッと目じりを下げると、話を続ける。


「二人で初めてダンジョンに潜った日のこと覚えてるか?」

「あぁ、あのノワールとクロベニに会う前の」


 スケルトン討伐をした日だ。

 コクリとルアネが頷く。


「そうだ。なら私が契約内容を変えようと提案してキエルが断ったことも覚えてるはずだね」

「あぁもちろん」


 身体能力が相手に応じて変わるというのが初めて分かった後に、常に最強になれるようにしてあげようかと言われたんだっけか。

 どちらにせよ戦死する運命は変わらないと聞いたので、断ったはずだ。


「断った後に私が笑って、キエルは不思議そうにしてただろう?」

「そういえばそんなこともあったな」


 結局、笑った理由をごまかされたな。


「あれはね。私は

「は?」

「俺が?」


 そこで俺が笑う理由がわからないが……。

 ルアネは驚いたような、でも愛しむような目線を向ける。


「やっぱり無自覚だったのかい……全く君というやつは。ともかく私から言えるのはそれだけさ」

「それだけか? もっと教えてくれよ?」


 そんなフワッとした話だけじゃ、俺が戻らなかった理由はわかるはずもなかった。


「いつもより欲張りだねぇ、君らしくもない。でもいい傾向かもしれないね。それに免じてもう一つだけヒントを教えてあげよう」


 ルアネがウインクしつつ、手を差し出してくる。


「キエル、冒険者カードは今持っているかい?」

「そりゃあ、持ってるけど」

「なら貸したまえよ」


 拒否権はないようだ。

 俺は素直にカードを手渡す。


「ふうん、Aランクだからといってカードの質が上がるとかはないんだね」

「Sランクとかになると違うって聞いたことあるけどな」


 月光で照らされたカードをルアネはじっと見る。

 何が面白いんだろうか。

 そしてヒントをくれるという話はどこに行ったのだろうか。


「君はあの男のパーティーでAランクの評価を貰えたんだよね?」

「あぁ。もっとも罠を解除したりとか、バックアップだけだったけどな」

「ふぅん……それらは満足した日々だったかい?」

「そりゃあ、勿論。金だってそれなりにもらえてたし――」

「金なんて低俗なものの話をしているんじゃないんだ」


 話を遮られる


「君はその冒険の数々が満足できるものだったのかと聞いているんだ」


 ルアネの身体から、靄が漏れ出す。

 彼女が興奮した時の癖だ。

 出会ってから、まだ一週間ちょっと。

 それは世間一般で言えば、きっと日が浅い付き合いだろう。

 だが癖ぐらいならわかる仲でもある。


「それは……」


 そして俺はなぜか答えにきゅうしていた、満足でないはずがないのに。


 罠を解除して。

 パーティーの支援を行い。

 働きに見合った金が手に入って。

 それが冒険者だ。

 最後が追い出されたという悲しい結果でも、それまでの過程が満足でないなんてことはなかった。


「…………」


 なのに、何も言うことができなかった。

 そんな俺の様子を、ルアネはなぜか嬉しそうだ。


「ほら。もう君の中には答えがあるじゃあないか」


 そう言いつつ、ルアネが椅子から立ち上がる。

 さらりと金髪が揺れる。


「いやドキドキしたよ。もしここで満足だと言われたら、どうしようかと思っていたところさ」


 カードを返してくる。

 どうやら話は以上のようだ。

 俺は何も言わずに、受け取る。


 冒険者カード。

 俺の名前と一緒に刻まれたAの文字。

 これまでの俺の歩み、そのものだ。

 それがなんでか今だけは心もとない。


「これでおしまい。さて、そろそろ寝ようじゃないか。明日は大詰めだろう?」

「あ、あぁ。……っと、ルアネ!」


 すたこらと部屋に戻ろうとするルアネを呼び止める。

 正直、二つ目の話を聞いても、俺の疑問――ザフールの元に戻るのを断ったことの理由――はわからないままだ。


「その……ありがとな。話聞いてくれて」


 だが、それでも俺のために時間を割いてくれたルアネに、感謝はするべきだろう。


「ふふ。どういたしまして」


 嬉しそうにルアネが笑う。

 月夜に照らされた彼女はとても美しかった。

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