1-29 ギルド酒場で昼食を
背中に伝わる柔らかい感触――恐らくルアネだ――で眠りから覚めた。
瞳を開けると、目の前ではクロベニが添い寝している。
……どうしてこうなった。
修道院から帰り、宿をとったところまではよかった。
前回の反省も生かし、人数分のベッドがある部屋だ。ベストともいえる準備をしていたはず。
後は素直に寝るだけという段階で、クロベニが爆弾発言をしたのだ。
「あたし、お兄ちゃんと一緒のベッドに寝たいなー!」
本人の言い分としては、
「修道院でお兄ちゃんが『後でお願い聞いてあげる』って言ってたもん!」
とのことだった。
ノワールに話させるために、そんなこと言った気もする。
なら仕方ないかとベッドに入るよう促すと、次の爆弾が炸裂した。
火付け役は言うまでもない、ポンコツことルアネだ。
「それじゃあ、私もお邪魔させてもらおうかな」
いやなんでそうなるんだよ。
俺はそうツッコんだし、クロベニなんて、
「お兄ちゃんどいて! そいつ呪い殺すから!」
なんて物騒なことを言っていたが、ルアネは号泣したうえ、結局押し切ってベッドに入り込んできた。
つまり結果として。
俺たちは三人で同じベッドに入っているのだ。
ノワールの冷ややかな目線と「ふしだらです」という言葉が忘れられない。
「んん」
クロベニが寝息を立てるたびに、ドキドキする。
少し……いやかなり気恥ずかしい。
クロベニもルアネも死神だが、かなり美人だし、身体もだらしがないということはなく、よく引き締まっているのだ。
そんな彼女たちが俺に密着し、挟んでいる。
ふにふに。
胸や腹ではクロベニの幼さゆえの、柔らかい身体を感じる。
たぷたぷ。
背中ではルアネの十分立派な胸の感触と…………
どうしてだろうか、人の身体にはないような、とても硬い
「ふーー。フーーーー!」
耳元からルアネの荒い吐息が聞こえる。
……絶対何かやってるだろ。
まだ眠っているクロベニを起こしてしまうかもしれないが、致し方ない。
無理やり寝返りを打ち、背を向けていたほうに身体を向ける。
「あっ」
するとそこには、黒い短剣を腰だめに構えたルアネがいた。
「や、やぁ。キエル。いい朝だね」
黒い短剣を慌てて霧散させ、汗まみれになりながらルアネがすっとぼける。
「おう、もう昼だけどな」
「そ、そういえばそうかもしれないね。ハハハ」
こいつ……。俺のこと刺し殺そうとしてただろ。
クロベニがくれたカインの刻印があるからいいものの……。
呆然としていると、また背中に刺激があった。今度は暖かい。
嫌な予感がしつつも、再度クロベニのほうに顔をむける。
「消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ」
案の定、クロベニが
「……その、クロベニ?」
「あ、お兄ちゃん! おはようだね!」
思わず声をかけると、クロベニは全く動じることなく、ニパーと笑い挨拶をしてきた。
「……昼だけどな」
「あれー! そうだっけー? まぁいいや!」
クロベニはどうでもよさそうにそういうと、元気よくベッドから飛び出した。
その時ぼそりと、
「やっぱり呪いで死なないなぁー」
というのが聞こえる。
んー。なんかなぁ。
ノワールの加護で得た呪いをも跳ね除ける精神力があるとはいえ、お試し感覚で呪いをかけるのはやめてほしいものだ。
「キ、キエル。もう一度試してみても……いい?」
ルアネは諦めがつかないようだ。なぜか赤面しながら、アホなことを尋ねてくる。
「却下だ」
「そんな~」
普通に考えて、刺していいなんて言うわけないだろうが。
「先っぽ、先っぽだけでいいから~」
「駄目なもんは駄目だ」
◇
「ルアネーチャン、ニンジン食べたくない~! キライ!」
「ははは、食べないと私みたいに大きくなれないよ」
「む~」
ルアネに諭され、クロベニがしかめっ面をしながらニンジンを食べる。
俺たち四人はガヤガヤと賑わう酒場で朝食兼昼飯を取っていた。
が、俺はほとんどご飯を食べられていなかった。
「キエルさん。食欲がないのですか?」
「そういうわけじゃないが……」
腹を満たすことよりも、気になることが起きているのだ。……主に目の前で。
「その割には、食事の手が進んでいませんが」
俺の前に座る
彼女の隣には鳥を模したマスクが置いてあった。
「本当にノワール……なのか?」
「ええ、そうですが」
まるでサファイアのような青く澄んだ瞳をこちらに向けながら、白髪の美少女――ノワールは頷く。
驚くべきことに、ノワールのマスクの下には天使のような顔が隠れていた。
「なんでマスクを……」
「外さないと、食事が取れないからですが」
質問の意図がわからないですね。とでも言いたげにノワールが首をかしげる。
聞きたかったのはむしろ逆で、なぜずっとマスクを着けているのかということなのだが。
「そのようなことは、どうでもいいでしょう」
そこまでは読み取ってくれないようだ。
「それよりもキエル。その食事は美味しいですか?」
「ん?」
事務的な口調で、次の話題に移る。
三人には自分の食べたいものを頼んでもらったが、俺はギルドでしなければいけない手続きがあったので、ノワールに任せたのだ。
そんな彼女が選んでくれたのは、魚が丸ごと入ったトマトスープだった。
ピリ辛の香辛料がふんだんに使われており、食欲を誘う味なのがとても良い。
もしかしたら、俺の口に合うのか気にしているのか。
「あ、あぁ。おいしいぞ」
そうだとしたら、口にしないのも悪いな。急ぎ、食べ始める。
するとノワールは満足そうに頷き、
「それはよかったです。その魚、
などと、とんでもないことを言い始めた。
「ぶっ! ゴホン、ゲホゲホ」
思わず吹き出しそうになるが、すんでのところでこらえる。
幾ら死神といえど、女性なのだ。口に含んだものをかけるのは憚られた。
「あれれ、キエル。吹き出しそうなのかい? 私の奇麗な服を汚すのはよしてくれよ」
ルアネが明らかに馬鹿にした顔で、煽ってくる。
こいつ!
ぶっかけてやろうか。
思わず睨むが、どこ吹く風といった様子だ。
「まぁ別にいいじゃあないか。キエルは病気にならないんだから」
そう言いながら、ルアネが俺のスープにパンを浸し食べる。自分で頼んだステーキだけでは腹がいっぱいにならなかったようだ。全くためらいがない様子から察するに、どうやら死神も病気に罹らないらしい。
「まぁそりゃあそうなんだけど……」
ルアネとの契約で強化された俺の身体は病気にならないが、それでも気持ちの問題としてどうなんだ。
「それにしても……キエルさんは凄い状態になっていますね」
「そうだよー!」
「いやぁ。まいったねぇ」
三人は呆れたように言う。
俺は何もしていないんだがな。
結論から言おう。俺の死ぬ運命はぐちゃぐちゃになっているようだ。
それは彼女たちが俺に授けた力と、代償のせいで起こっている。
戦死の運命は、呪死の契約による「戦傷を負わない刻印」のせいで。
呪死の運命は、病死の契約による「呪いが効かない精神」のせいで。
病死の運命は、戦死の契約による「病気にならない身体」のせいで。
互いが互いを打ち消しあってしまっているようだ。
宿屋から酒場に来るまでの間に、説明を受けたが、なんともまぁ小難しい。
「なぁ。それって俺が死ななくなったってことでいいのか?」
いい機会だったので、さっき聞きそびれていたことを尋ねる。
すると三人とも何とも言えない表情を浮かべた。
「うーん、分からないやー!」
「何とも言えませんね……」
要領を得ない答えだけが返ってくる。
彼女たちもよくわかっていないようだ。
「その、何というんだろうね。私たち死神には『自分の担当の死因で死にそうな人の気配を感じ取る能力』があるんだけども」
「視えるわけではないのか?」
「あぁ。視えるのは君だけのものさ。ともかく、その能力をもってしてもキエル。君の死因を全く感じ取れないんだ」
ルアネが困り顔で、そう告げる。顔の割には、食欲は尽きないようだ。いまだに俺のスープにパンを浸し食べ続けている。
俺の分が不安なので、皿を手前に引く。
「それって死ななくなったってことじゃ」
「それがそうとも言い切れないのさ」
俺の話を遮り、ルアネが断言する。
だが続きを話さない。どうやらスープをご所望のようだ。
ため息をつきながら、スープを渡す。
まぁ瘴気入りだったし、金ならたんまりあるしな。
目に見えて上機嫌になったルアネが、話を続ける。
「死因で死なない人間の場合も、なんとなく感じるんだよ。『この子は戦死しないな、するとしても当分先だ』みたいなね」
「それがキエルさんの場合、全く感じないんです」
「だから死ぬのか、死なないのかも、わからないのー! 不思議だねー!」
「そ、そうなのか」
三人がコクリと頷く。
かなりイレギュラーなことが起きているようだ。
「まぁなんだい。あまり気にするんじゃあないよ。案外明日には死ぬかもしれないしね」
無意識のうちに、渋い顔でも浮かべてしまっていたのだろう。
ルアネが凄く微妙なフォローをしてくれた。
だが考えすぎだという指摘はあながち間違えでもない気がする。
状況は思っているよりも単純かもしれない。
「なるほど。つまり他の人間と違いはないってことか」
死ぬ日にちがわからなくなった。要はそれだけのことなのだ。
それなら他人と変わらない。
そう思い、言い切ったのだが。
「…………」
「…………」
「ふふふ」
ノワールとクロベニは目が点になり、ルアネは笑いをこらえていた。
「なんだよ。何か変なこと言ったか?」
「いいや、そんなことはないよ。やっぱり君は。ふふふふ、私の期待を超えてくれるねぇと思っただけさ」
「?」
ルアネはツボに入ってしまったようだ。つかみどころのない話をしている。
そんな俺たちを見かねてか、クロベニとノワールが話しかけてくれた。
「お兄ちゃん凄いねー!」
「なんていえばいいのでしょうかね。死を免れた人間というものは、普通もっと喜んだり、あるいは不安を隠しきれなかったりするものですが。キエルさんからは、全くそう言った雰囲気を感じなかったもので。驚きました」
「そうなのか?」
「そうなんだよー! お兄ちゃんってば変なのー!」
変ではないと思うんだけどな。
「ふふ……ふぅ。いやぁ笑った。それでキエル。この後はどうするんだい?」
ようやく笑いが収まったルアネが、この後のことを尋ねてくる。
「どうするって……そもそもみんなはどうするんだ?」
「どうとは?」
「だって、三人とも契約自体は終わったわけだろ。なら無理に俺に付きまとわなくてもいいんじゃないのか」
契約を結びはしたが、逆に言えば契約だけの仲だ。別に今後ずっと一緒にいるという内容があるわけでもない。
それでも一緒に冒険にも来てくれたルアネはともかく、ノワールとクロベニに関しては引き留める権利もないはずだ。
「あぁ。そのことでしたら、ご心配なく。ついていきますので」
「あたしもー!」
だが俺の予想に反して、二人とも行動を共にしてくれるようだ。
なんだ。俺って意外と人望でもあるのか。
「ルアネーチャンに横取りされそうだしー!」
「ほっとくと抜け駆けされそうなので」
ずっこけそうになった。
人望もくそもなかった。
「いやぁ。キエル君は大人気だねぇ。みんなで取り合いというわけかい」
ルアネがくつくつ笑いながら茶化す。
だがその赤い眼は爛々と輝き、俺をどう仕留めるか考えているようだった。
今の会話だけ切り取れば、恋愛喜劇のようなセリフだがとんでもない。
こいつら全員俺の
……どうしてこうなった。
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