1-26 死神は高らかに笑い、策に溺れる

「……いきなりどうしたのですか。貴方には関係ない話のはずですが」


 不機嫌そうにノワールが応じる。

 横やりを入れられたのだ、面白くないのだろう。

 関係ない話だと、ルアネを蚊帳の外に置こうとするが……。


「いいや、私にも関係ある話なんだよ。遅れて伝えることになって、大変申し訳ないんだけれどね。私もキエルと契約を結んでいるのさ」


 ルアネがようやく、これまで隠していた事実――――を伝える。

 もう秘密にしてなくていいようだ。

 だが何故に今?


「なる、ほど。そうですか。だからどうしたのです?」


 ノワールも今頃になって言われたのがわからないようだ。不可解そうに尋ねる。


「いやね。彼は一年後に戦死する契約になっているのさ」


 ルアネがそう答えるとくくっと、くぐもった笑い声が聞こえる。ノワールが思わずこぼしたのだろう。


「それは残念でしたね。自分の病死のほうが先に来てしまいますから」


 そうだ。

 病死は二週間後、対して戦死は一年後。

 話にならない。

 だというのに、ルアネは自信満々のままだった。


「ははは、先に試してくれて大いに結構。だが徒労に終わるのがかわいそうだから、そろそろ教えてあげようねぇ。なぁキエル、君は私からどんな力を受け取ったか覚えているかい?」

「あ? えっと……」


 話をいきなり振られると思っていなかったので、多少しどろもどろしつつルアネとの契約で得た力を思い出す。

 一つ目は靄を見ると集中力が増す力だろ、二つ目は相手によって力が増す身体。

 そして最後が……。

 あっ。


……」

「……なんですって?」


 ぽつりとつぶやいた瞬間、ノワールが目に見えて動揺する。


「ふふふ。あははははは」


 もう耐えられないとでも言わんばかりに、ルアネが高笑いを始める。


「キエルの言った通りだよ。彼は病気にならないよ。決してね」

「そんな……」


 ノワールが俺の腕を手に取り、ナニかを測り始める。


「病死の気配が…………ありません」


 目に見えてがっくりした口調でそういうと、へなへなとその場で座り込んでしまった。

 ルアネはそんなノワールの周りをぐるぐると歩く。その顔はどこか誇らしげだ。


「いやぁ。君は実によく働いてくれた。で、早い者勝ちではなく、そもそも呪死の可能性をつぶしたほうがいいと気がつくなんて」


 そういえばそんなこと契約を結ぶ前に聞いてたな。

 なるほど、もうあそこから仕込んでいたのか。


「さすがだよ。でも無意味に終わってしまったねぇ」


 くつくつと笑う。

 自分の予想通りに事が運んだのが楽しくて仕方がないのだろう。

 あまりの言いように思うところがあったのか、ノワールが声を荒げる。


「これが……これがシュバルツ家のやり方ですか! 戦士の誇りなどと普段から言っているくせに!」


 マスクの呼吸口から、これでもかというくらい靄が溢れている。

 だが靄を浴びてもルアネは涼しい顔だ。


「何を言っているんだい。私たちは確かに戦士のありようを肯定するけどね。戦士だからこそ戦いには頭を使うものなんだよ。ずる賢くて結構。それで勝てるのならね。戦死の死神をなめてもらっては困るよ。だいたい、君が言ったことだろう。騙されるほうが悪いって。なら反省したまえ。ふふふ」

「ぐぐぐぐ……」


 ノワールは悔しそうな声を出しながら、押し黙る。

 本人もわかっているのだ。自分の言っていることがただの負け惜しみということを。


「というわけで、キエル。君はこれで安心して戦死することができたわけさ。感謝したまえ」


 ドヤ顔を浮かべながら、ルアネはそう言い放つ。

 それでも俺が死ぬことには変わりないのだよなぁ……二週間から、一年に伸びたのは嬉しいけどさ。


 ともかく、この場はルアネの一人勝ち。

 そう思った矢先だった。


「えー、ルアネーチャンって戦死の死神だったのー!?」


 途中から二人のやり取りを見守っていただけのクロベニが、とことことルアネの隣まで近寄ると、じっと下からその黒い瞳で見つめる。泣きはらした目が酷く痛ましい。


「そうだが、なんだい。クロベニはシュバルツ家を知らないのかい」

「だからさっきも知らないって言ったよー! でもそれだとごめんなさいしないとー……」


 もじもじとするクロベニ、どうやらかなり悪いことをしてしまったらしい。

 有頂天になっているルアネは、そんなクロベニの雰囲気に全く気がつかない。

 勝ちを確信したような笑みを浮かべたままだ。


「どういうことだい。言ってみたまえよ」

「お兄ちゃんにあげたカインの刻印だけどー。それねー! 恨みつらみを集める以外にも、があるんだよー!」

「だから何だい」

「これあたししか知らないのかなー? カインって人はねー! 7人の復讐者と戦っても、死なないひとだったんだよー! だからねー! 刻印があるお兄ちゃんには。7ー!」

「…………え?」


 ルアネの笑顔が固まりたらたらと汗を流し始めた。

 ギギギと首を動かすと、やたらギクシャクした動きで俺の眼の前まできた。


「殺さないから、手を出してくれるかい?」

「ほんと」

「本当だから!」


 聞く前に断言される。

 迫真の勢いにたじろぎ、思わず腕を差し出す。

 するとルアネは黒い靄でナイフを作り、いきなり俺の腕に突き立てた!?

 だがそれが刺さることはなかった。すんでのところでピタリと止まる。

 目を凝らすと、なにか障壁のようなものが見える。

 クロベニの言っているカイルの刻印によるものか。


「…………」

「………………ねぇ。キエル」


 気まずい沈黙の中、ルアネがぽそりと俺の名を呼んだ。


「……なんだよ」

「ど、どうじよう……」


 ルアネはぼろぼろと涙を流していた。

 そんなの俺に聞かれても困るんだが……。

 つまりどういうことだよ。


 ◇


「看病ありがとうございましたぁ。頑張って体調回復させますねぇ」

「……それもありますが。

「むむむ。キエルさんがそういうならぁ。気を付けますぅ」

「それじゃあ。カリオトさん。また今度来ますね」


 ベッドで身を起こすカリオトさんと話を済ませると、修道院を後にした。

 すでに日は昇り、街は喧騒にあふれている。


 朝になってもカリオトさんが死ぬことはなかった。

 俺は無事彼女を助けることができたのだ。


「なぁキエル。これからどうするんだい」


 げっそりした様子でルアネが尋ねてくる。

 いつも爛々と輝く赤い眼も、今日ばかりは弱弱しい。

 彼女の後ろにはノワールとクロベニが当たり前のようについてきている。二人もまた憔悴しょうすいしきっていた。

 死神たちは俺への契約の結末に、精も根も尽きたようだ。


「そうだな……とりあえず寝ないか」


 かくいう俺も疲れ切っていた。契約の件もなかなか頭が痛くなる話だったが、その後聞いた二つの話。

 死神たちに教えてもらったカリオトさんに迫る魔の手がある話と、カリオトさん本人から聞いたガイルに関する話もかなりの衝撃だった。


 どうして一度にそういう難しい話がくるのか……。

 勿論、話の理解などできていない。一睡もせずに一夜を過ごした頭に期待するのも無理な話だ。

 一度休み、整理する必要があった。


「私もそう言おうと思っていたところさ……」

「お兄ちゃんの意見に賛成ー。あたしねむーい……」

「そうですね。自分も一度頭を冷やしたいです」


 だよな。

 心は一つのようだった。もっとも彼女死神たちは、俺とは違う悩み俺をどう死なせるかなのだろうが。

 ともかく俺たちはふらふらになりながらも、宿を探しさまようのだった。

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