第14話 これより行うは古の儀

「エッダ湖の竜って、竜神さまじゃねえか!」


 潜り込んだ家の二階で、クリフは絶叫した。


 恐怖のあまり、とても面白い顔になっているのだが、それをうまく表現できない自分が悔しい。


「どうすんだよ腕だけとはいえ竜神さまを敵に回しちまって! これ、万が一倒したとしても国規模で呪われんぞ! この国に一生雨が降らない、とかそんな感じの!」


「そうだろうな……」


「そうだろうな……って」


「勝った後のことは、勝った後に考えれば良い」


 俺は自信を込めて言った。


 腕しかないとはいえ、神獣とも称される本物の竜に戦いを挑むなど、愚かなことをしているのはよく分かっている。


 だが、やるしかない。


 戦うより他にどうしようもないのだ。


 矜持の問題ではなく、現実的な問題として。


「はっきり言って、奴の弾幕を掻い潜りながらこの場を離脱するのは、奴を倒すのと同じか、それ以上に難しい。近距離ならともかく、遠距離は奴の独壇場だ」


 俺がそう言うと、クリフは黙りこんだ。


 このあたりの地形は主に平地、山、丘、森、川となっており、どれも人が竜から逃げるには不利な土地である。


 俺が村人もクリフもスクルドたちも見捨てて、背後に気を配ることもせず、長距離を全力疾走し続ければ逃げられるかもしれない。


 だが、そんなことは考慮にも値しない。


 十年来の親友を見捨てるくらいなら、俺はそいつと命を投げ捨てて戦に行く方がいい。


 その方が、絶対楽しいだろう?


「今なら距離を詰めることは簡単だ。だが、一度距離をあければ、もう詰められん」


 現状、距離を離せば離すほど、戦況は悪化する。


 今なら踏み込み一つで届く剣も、距離が離れ過ぎればダメになる。


 竜の腕は手負いの獣であり、熟練のハンターでもある。

 無茶苦茶に弾幕をばら撒いているように見えて、常に一定の警戒心がある。


 俺が防御をやめ、攻撃に移る"かもしれない"。


 それだけで止められている攻撃がある。


 俺がここで、大立ち回りすればするほど、奴は攻撃に全力を尽くせない。


 ところが距離を取れば、剣を振るしか能がない俺の攻撃は届かなくなり、攻撃は完全にスクルドとクリフ任せになる。


 ただでさえ少ない攻め手が減れば、竜はより攻撃に専念するようになり、攻撃の激しさは増す。


 そうなれば完全にジリ貧だ。遠からず大技を貰って全滅するだろう。


「まだ戦った方が生きる目がある。博打を打つなら今しかないんだ。時間が経てば経つほど、竜の腕は強くなる」


 俺が目を向ける先には、顔の半分まで波打つ砂浜のような謎の文様に侵された男がいた。


 白目を剥き、歯を食いしばった男は、元はただの人間だったが、今では本来末端であるはずの腕に身体を乗っ取られている。


「A......aaa......!」


 黒い文様は徐々に侵食を深めているらしく、最初は肩までだったはずの竜の腕が、胸まで来ている。片足だって黒い竜の鱗に包まれていた。


 首元も鱗に覆われており、頭の中まで竜になるのも時間の問題だ。


 そのうち口からプレスでも吐きそうな、嫌な予感もしている。


「団長たちと合流……は無理だろうな……」


「ああ……心配だが、向こうも向こうで切り抜けてくれることを祈るしかない」


 親父たちが捜索に行った森は、竜の本体がいるエッダ湖のある森だ。


 上手くいげば合流してくれるかもしれないが、期待は出来ない。


 救援要請をしてからかなりの時間が経った。


 親父たちがこれほどまでに連絡を遅らせたことはない。


『軍の強さとは速さだ』


 そう豪語するほど足回りを重視する親父たちの行軍スピードは、駆け出しの俺たちよりずっと速いのだ。


 ことここに及んでも、何の連絡もない状況からして、向こうもトラブルに巻き込まれている可能性が非常に高い。


「エッダ湖の竜……ただの伝説だと思っていたが、まさか本当にいるとはな……」


「なんとも団長が言いそうな台詞だな……やっぱお前ら親子だぜ」


 茶化すクリフの言葉にもいつものキレがない。


 まあ、当然だろう。


 敬愛する家族と師匠は行方不明で、頼みの綱だった増援も来ない。

 そしてここを突破されれば、一番近い人里は傭兵団が根城にしている灯台だ。拠点にはミディやソフィもいる。


 進めば死、引いても死。


 初陣にしては過酷過ぎる状況かもしれない。


 だが……いやだからこそ、俺は迷わない。


『過酷な時こそ、頭を上げろ』


 だよな、親父。


「やるぞ、クリフ」


「アーク……」


 クリフが俯いていた顔を上げた。


「ここを抜かれれば、次に死ぬのはミディやソフィだ。負けるわけにはいかない」


「……やるったってよアーク。こりゃあ勝っても負けても地獄だぜ?」


「引き分けに持ち込めば良い。どうせこの世は地獄なんだ。だったら楽しく地獄を乗り切ってやろう」


 竜の強さや呪いの恐ろしさは、様々な本や物語に伝わっている。


 有名なのは竜狩りの騎士シグルズやアーサーだろうか。


 生きた場所は時代は違えども、公明正大な騎士として知られた彼らは、長い旅の末に魔剣を使って竜を倒し、竜の血と財宝を奪い、拐われた姫を娶って不死身の王となった。


 だが艱難辛苦の甲斐はなく、彼らは呪いによってわずか数年で死んでしまった。


 赤子は殺され、妻は奪われ、守ったはずの国は疫病と戦争で滅んでしまったという。


 あくまで伝説だから、真実はどうだったかは知らんがな。


「アーク、考え直せよ。人が乗れるようなちゃちな飛竜だって、戦場の悪魔って呼ばれてんだ。

 竜神と呼ばれるような奴を殺した奴は、作り話の中にしかいねえんだぞ……!」


 声を潜めてクリフが説いた。


 そうだ。


 人類の歴史上、完全に成熟した竜を殺せた奴はいない。


 アーサーやシグルズだって、ただの伝説。複数の話を誇張し、繋ぎ合わせた作り話だという説が濃厚だ。


 ドラゴンナイトたちが騎乗している飛竜のような幼年成熟してしまい、数は多いが大きくならない種を除いて、人は竜に勝ったためしがない。


 人間は竜に、負け続けている。


 彼らは自然の化身。


 雄大で、過酷で、神秘に溢れていて、一度勝ったように見えても、必ず復活を果たす。そういう存在だ。


「アーサーやシグルズがいるじゃないか」


「ありゃ作り話だ! それに二人とも最後は呪いで死んでんじゃねえか!」


「それは通説だろう。俺は二人が王というしがらみを逃れて、家族と一緒に田舎で幸せに暮らしましたって説を推してみることにしたんだ」


 俺が敢えて馬鹿馬鹿しいほどの楽観論を語ると、クリフは諦めたように帽子に手をやり、それはもう深いため息をついた。


「本気か?」


「ああ」


 俺は本気だ。


 道は一つしかない。


 俺たち傭兵団も、スクルドも、村人も、あの竜も、みんな助けてみせる。


「……やれやれ、分かったよ。まったく、お前は生まれつき贅沢なんだよな」


 ホルストやアシッドのような口ぶりで、クリフは言った。

 コートのポケットから野菜タバコを取り出して火をつけると、そのまま咥えてくゆらせた。


「一本いるかい?」


「いや、魔力は消耗していない。回復薬はとっておいた方がいい」


 帽子にコート姿の兎が葉巻を勧めてくるのは、客観的に見るとイカれた光景かもだが、俺にとっては見慣れた姿だ。


 中身も魔力回復を促す乾燥野菜だし、中毒になるようなものも入ってない。むしろ、火をつけたまま食える。


 よく麻薬の類と誤解されるから、あんまり外では吸いたがらないのだが、今は吸いたい気分のようだ。


「それで? そこまで言うんだ。見つけたんだろ? あの腕野郎と戦う理由をさ」


「ああ。あの竜はな……」


 飛んでくる瓦礫と透明な砲弾を弾きながら、俺が夢で見た内容を話すと、クリフは唸った。


「なるほど……子連れドラゴンか。どうりであんな状況でも生にしがみついているわけだ」


「お前もあの夢は真実だと思うか?」


「ああ。状況と矛盾しねえし、夢がこの世とあの世の境目に近いのも本当のこった」


 俺の問いに難しい顔でクリフは頷きを返すと、柱から身を乗り出して銃をぶっ放した。

 本日三十八発目の雷の弾丸が尾を引きながら飛んでいくが、敵の弾幕の内のいくつかを貫通した所で止まってしまった。


「そろそろまた、川岸を変えるか」


「おう」


 そろそろ敵の攻撃で足場も壁もバラバラになりそうだったので、兎に戻ったクリフを懐に入れて、その場を離脱する。


 物は試しと音もなく、埃も立てずに移動してみたが、奴はやはり目や音ではなく、力を感知しているのだろう。

 透明の嵐が容赦なく飛んでくるのを、ステップやジャンプを挟んでなんとか躱しながら走り続ける。


 危険だが、少しでも攻撃を担当するスクルドに注意が向かないようにしないといけない。


 彼女の電磁鉄弓。竜狩りの騎士神の力が宿ったアレが、俺たちの中で一番強い希望なのだ。


「さっきの話だが……」


「ああ」


「たぶん、共鳴現象だ」


「共鳴? 俺と水竜が?」


 何かを考えこんでいたクリフが話すには、こういうことらしい。


 俺は生命力に溢れた千年杉から力を奪った。


 千年杉は風と水と大地の力で生きる植物であり、特にこの辺りのものは、エッダ湖から流れてくる水で生きている。


 この場には、そのエッダ湖と森の化身である水竜の腕が降臨しており、歪んではいるものの竜の神聖な気で満たされていた。


「そんな状況で自分の気を空にしたんだ。周囲から流れ混んでくる気に、お前の中の水と大地の力が共鳴してもおかしくない」


「水の力はなんとなく分かるが、大地の力ってなんだ?」


 人間の体の大半は水だと聞いたが、大地の力ってなんだ? 俺は首を捻った。


「血だよ、血。あと筋肉と骨。お前も血や骨肉を作るのが何かくらい知ってるだろ。お前の出す剛力は大地の力の賜物ってわけさ」


「なるほど、それで……ん?」


 竜は水と大地の力の化身。このフレーズが何故か頭に引っかかる。


 こういう時、俺の勘は大抵当たってることが多い。


 なんだ? 何が引っかかってる?


 ーール、ォオオオ……!


「……ッ!」


 その正体を確かめようとした時、頭の中で恐ろしい声が響いた。


 咄嗟に肩のクリフを抑えて横っ飛びに転がる。


 それとほぼ同時に、すぐ近くに強い魔力の塊が矢のように突き刺さり、大爆発をおこした。


 爆風に逆らわず、ごろごろと転がってでも爆心地から距離を取る。


 散弾銃のように飛び散る破片がいくらか俺たちを掠めたが、所詮は破片なので俺も懐のクリフも大事には至らなかった。


 起き上がり、振り返った先を見て、俺は言葉を失った。


「なっ……」


 顔を出したクリフも何か言おうとして絶句している。


 さっきまで俺たちがいた場所は消し飛んでいた。


 粉砕とか、木っ端微塵とかのレベルではなく、千年杉と煉瓦で作られた家々と路地が文字通り消滅していたのだ。

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