第5話
「それじゃあ、いきますよー! …そおれっ!」
カコッ!
少し離れた場所にいるライオネルへ声を掛けたリディアは、彼が頷いたのを確認すると、コルクに鳥の尾羽を取り付けたお手製の
「よし、来い!」
青い空を背にし、緩やかな弧を描いてライオネルへと向かった羽根を、待ち構えていた彼が同じく柄のついた板で打ち返す。
「せいっ!」
ポコッ!
気の抜ける間抜けな音を立て、羽根は二人の間を行ったり来たりと飛び交う。側仕えや護衛、その他にもたまたま通りかかった城勤めの者たちというギャラリーがハラハラと観戦する中、白熱した戦いが繰り広げられている。
戦いなどというと些か物騒な響きだが、血腥いことは一切ない。なぜならば戦いの方法が、今回リディアが持ってきた”ハネツキ”だからだ。
いつも通り勉強や鍛錬が終わったとリディアを迎えに行ったライオネルは、ニマニマと意味深な笑みを浮かべる彼女に誘われて、中庭へと移動してきたらしい。
今回もじゃじゃ~ん! とよくわからない叫び声と共に差し出された”ハネツキ”の道具は変わった形をしており、初めこそ戸惑っていたライオネルだったが、あっという間に遊び方を覚えラリーができるほどに上達してしまい、リディアを焦らせたようだ。
発案者という矜持を守るために本気になったリディアは、はしたなくも袖をめくり上げ、スカートの裾が翻るのも構わず、羽根を追って右へ左へと走り回っている。
「相変わらず慎みがないな」
ノルトルドは眉を顰め、苦々しく呟いた。
乗馬の練習がてら城の外に出ていたノルトルドと、彼と同じく第二騎士隊の部下たちは、中庭のすぐ近くを通った際、ちょうどリディアとライオネルの激闘(?)を目撃し足を止めた。これは何事かとすぐそばで観戦していたメイドの一人に訊ねれば、彼女は顔を赤らめてこの状況に至る話をしてくれたのだ。
「それにしても彼女、次から次へといろんなことを思いつくなぁ」
「ああ、この前は長いロープで”ナワトビ”をしてたし、その前は”カンケリ”とかいう追いかけっこだったよな。あの時は副隊長が…」
「おい!」
ノルトルドの背後で話していた部下たちは、話の途中で何かを察知したらしく、慌てて口を噤んだ。
「私がなんだって?」
「いえ! あの、その…」
「そんなに気を使う必要はない。好きなだけ私の間抜け話で盛り上がればよかろう」
「いや、えっと…先に馬を返してまいります!」
「し、失礼いたします!」
ひやりと冷気が漂う
その場に残ったのは、
(腹立たしい。それもこれもあのキツネがやたらと私に突っかかってくるのが悪い)
ギリリと奥歯を鳴らす。
部下たちが言いかけていたのは、どちらもノルトルドがライオネルの遊びに巻き込まれ、煮え湯を飲まされる結果となったものだ。
”ナワトビ”ではどちらがより高難度の技を成功させられるかを競って負け、”カンケリ”という追いかけ合いでは、一度も”カン”なる銅板を丸めた物を守り切ることができなかった。
カーン! と清々しいほどの甲高い音を立てて宙を舞う”カン”と、したり顔で振り向いたリディアの顔が目の奥に焼き付いて離れない。
確かに遊びを提案したリディアと違い、当然ノルトルドは初心者というハンデはあるものの、体力や運動神経で騎士がメイドに負けるなど、決して許されるものではない。
冷静が服を着ているようだとゲオルクに揶揄されるノルトルドをこんなにも熱くさせるのは、きっとリディアだけだろう。
ムカムカと過去の負け戦を思い返していると、ノルトルドに気が付いたのか、今回もリディアが満面の笑みで声を掛けてきた。
「副隊長様ー! また負かされに来たんですかー?」
「なっ! きぃぃさぁぁまぁぁぁっ!」
わかりやすい挑発にまんまと乗せられ、ノルトルドは連れていた馬の手綱を近くにいた文官に押し付けると、鼻息を荒くして宿敵の元へ走っていった。
*
「で?」
「……」
ペンを手に取ることすらせず、執務机に突っ伏して身動きできずにいるノルトルドに、部屋に入ってきたゲオルクは呆れを含んだ視線で見下ろしている。
昨日ハネツキにて死闘を繰り広げたことは、既に城中に知れ渡っている。もちろんその勝敗も。だからあえてその部分には触れてはいない。
ゲオルクが聞きたいのは、どうしてそんなにムキになるのかという、ただその一点のみだ。
「氷の貴公子らしくねぇなぁ。いつもなら馬鹿な手合いの挑発なんざするりと躱して相手にもしねぇのに、なんであの嬢ちゃんだけは別なんだろうなぁ?」
「…自分でもわかりません。ただあの小憎らしい笑顔と橙色の尻尾を見ると、かあっと頭に血がのぼるのです」
のろのろと顔を上げたノルトルドの表情は苦悶に充ちており、それを目の当たりにしたゲオルクは、
「ぶほっ! ぎゃはははははははははっ! なんだ? その顔!」
ゲホゲホと噎せる勢いで笑い出したゲオルクを、ノルトルドは恨めし気に睨みつける。しかしその顔は更にゲオルクの笑いを誘うだけとなった。
それはなぜか。
理由はリディアがハネツキの最後の一戦で、ミスするごとにバツを付けようと提案したせいだ。
『バツだと?』
『はい。ただ勝ち負けが決まるだけでは面白くないではないですか。ですから新ルールで、ミスするごとにバツをつけるのです!』
それは言葉通り顔に墨でバツ印を書かれることで。―――現在ノルトルドの顔には、黒いバツがそこかしこに書かれている。
「げひゃひゃひゃひゃひゃ! ひー、あははははははっ、や、やめてくれ! 腹がよじれるぅぅぅ」
「…死ね」
詰め所に戻ってから何度も洗ったものの墨は落ちず、一晩経った今日、結局バツ印だらけの顔のまま出勤した。
今朝はここに来るまでに何度笑われたことか。
「しっかし、お前がやられっぱなしなんて珍しいなぁ」
滲んだ涙を手の甲で拭いながらそう言ったゲオルクに、ノルトルドは眼鏡を押し上げながら、ふふんと鼻を鳴らした。
「まさか。そんなわけありません。私も特大のバツをお見舞いしてやりましたとも」
その時の光景を思い出してニヤリと笑う。
最後の最後にリディアが羽根を打ち損ねた時、彼は機を得たとばかりに墨の器に手のひらを浸すと、彼女の顔を真正面から掴んだ。
リディアの小さな顔は手のひらにすっぽりと覆われ、ほぼ全面が真っ黒に染まっていた。
「ふふふ…」
「うわぁ…」
不気味に笑いだした部下を、ゲオルクは遠巻きに見ていた。
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