第4話

「がっはっは! 相変わらず変わった嬢ちゃんだな!」


 書類を提出し騎士隊の詰め所に戻ったノルトルドは、目撃したシャボンダマの一連の流れを上司であるゲオルクに報告すると、彼は大柄な体格に見合った声量で豪快に笑った。


「隊長はそう言いますが、彼女の態度はメイドの域を超えていて目に余ります」

「相変わらずお堅いなぁ。お前は。殿下が楽しんでいるし、陛下や殿下の周囲の者が咎めないなら、構わないってことじゃないのか?」


 そう。リディアの言動や態度はノルトルドから見れば不敬極まりないのだが、なぜか初めから大目に見られ、咎められたことがない。

 陛下の乳母も務めたモルタナの推薦だとしても、彼女に対する処遇はあまりにも寛容だ。過ぎるほどに。


「なんだよ。お前はまだ怒っているのか?」


 眉間にシワを寄せて考え込んでいると、ゲオルクは呆れたようにやれやれと嘆息した。


「私からすれば、隊長や他の方々がなぜこうもすんなりあのキツネ…いえ、リディアを信用するのか理解に苦しみます」

「キツネねぇ。まあ確かに同じ色の尻尾をぶら下げちゃあいるが」


 リディアが跳ねまわる度に揺れる橙色のポニーテールを思い浮かべるゲオルクに、ノルトルドは何かを思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔で虚空を見つめた。


「決して忘れませんよ。あのキツネのせいで私は酷い目に遭ったのですから」

「あー…、アレか。アレはまあ、なんて言うか……ぷ…災難だったな」


 ゲオルクが口では災難だとノルトルドを気の毒がりながらも、つい吹き出してしまっては意味がない。案の定メガネの奥の切れ長の目にギロリと睨まれ、彼は慌てて咳払いをして誤魔化した。


「災難の一言で済まされるものではありません。結果を確信したうえでの犯行いやがらせです」


 そう告げると、苦笑いするゲオルクを放って置き、ノルトルドは書類の積み上がった自分の机へと着いた。インク壺の蓋を開けてペンを手に取ると、出掛ける直前まで取り掛かっていた事務仕事を再開した。

 普段と何ら変わりない表情でサクサクと書類を片付けていくノルトルド。すっきりとした細身の長身に知性を感じる面差しは整っており、色素の薄い髪と冷静沈着で落ち着いた性格も相まって”氷の貴公子”とも呼ばれている。

 何事にも動じないと言われている彼だが、思い出すも腹立たしいあの忌まわしい出来事だけは未だ薄れることなく、沸々と腹の奥で怒りが煮えたぎっている。

 ゲオルクなどはいい加減許してやれというが、あれほど腹の立つ思いをしたのは初めてで、大人気ないとわかっていてもリディアの顔を見るとつい撃してしまうのだ。

 その、ノルトルドの冷静さを失わせるほどの嫌がらせというのは、殿下失踪事件の数日後にリディアがライオネルに遊具だと言って進呈したある物・・・のせいだ。紙飛行機とそれ・・のおかげで一気にライオネルは明るくなり、子供らしく笑うようになったが、ノルトルドは彼女を敵認定することとなった。

 それ・・とは、大きな板に顔の輪郭と髪だけを描き、目は鼻や口は個別に作り、それらを目隠しをして輪郭の中に配置するという、たったそれだけの単純な遊具だ。単純だが配置次第でなかなか芸術的・・・な顔に仕上がるため、笑わずにはいられないという。

 誰でも簡単に出来て、素朴に楽しめる。確かに素晴らしい発想だと思う。―――それが自分の顔で作られていなければ。


 彼が異変に気が付いたのは、ゲオルクの遣いで訪れた第一騎士隊の詰め所でのことだった。すれ違う者たちがなぜか顔を背けて肩を震わせていることを訝しく思い、単刀直入、第一騎士隊の隊長アンドレに訊ねたところ、リディアがライオネルに贈った”フクワライ”なる遊具が、どうもノルトルドをモデルに作られたようだと教えられたのだ。

 自分の知らないところで笑い者にされていると知り、慌ててリディアを問い詰めに行ったところ、彼女はしゃあしゃあと空似だと宣った。


『いやですわ~、シェーンバッハ副隊長様ったら。被害妄想ですよぅ』


 淑女らしくなくケラケラと笑って否定するリディアは、更にこう付け加えた。


『あの日わたしの首根っこを捕まえてメイド長に突き出したことなんて、もう怒っていませんよ~。しかも書付を紙飛行機にして遊んだことを告げ口されたなんて、まったく! これっぽっちも! 気にしていませんから~』

『…』


 根に持ってるじゃないかと言い返したかったが、一応その時はグッと我慢した。そのうえで”フクワライ”の使用差し止めを申し入れたが、リディアは白々しくも悩む素振りでそれはできないと断った。


『殿下方がとても気に入ってくださっているので、わたしからは…』

『な!』


 残念そうに伏せた睫の向こう、澄んだ空のように清々しい瞳は、言葉とは裏腹に楽しそうに細められていたのを見逃さなかった。

 その瞬間からノルトルドはリディアを油断してはならない相手だとみなし、キツネと呼ぶようになったのだ———―――


  


 バキィッ!

「!」


 手の中から破壊音が鳴り響き、ノルトルドはハッと我に返った。思い出しているうちについ手に力が入り、うっかりペンを折ってしまったようだ。

 手に馴染んだお気に入りのペンだったのは残念だが、いつまでも惜しんでいても仕事は終わらない。ノルトルドは折れたペンを屑入れに放り込むと、抽斗から予備のペンを取り出し、続きに取り掛かった。


「おいおい、ルド。さっきのペンは前にプレゼントされたものだと言っていなかったか?」

「ええ。よく覚えておいでですね。あれは私がこの第二騎士隊の副隊長に任命された折に、許嫁…いえ、元許嫁に頂いたものですね」


 何の感慨もなくそう答えると、ゲオルクははあっと嘆息した。


「お前、婚約解消した相手に貰ったものを、ずっと使ってたのか?」


 もしかして未練か? と問われたノルトルドは、あっさりと否定した。


「使い勝手が良かっただけですよ。そもそも未練以前に、彼女に何らかの情を抱いたことは一度もありません」

「…だろうな。さすがは氷の貴公子だ」


 肩を竦めたゲオルクはそのまま話を切り上げて書類仕事に戻り、ノルトルドも釈然としないまま同じく手元の書面と向かい合った。





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