第3話
一年ほど前のある日、突然ライオネルが姿を晦ました。
朝食後、家庭教師による授業が始まると呼びに行った侍女が目にしたのは、空っぽの部屋。
はじめは側仕えだけで探したが見つからず、とうとう城を上げての大捜索に発展した。
当時まだ六歳であったライオネルはとにかくおとなしく、物心つく頃からたくさんの勉強や習い事を強いられても文句一つ言わない真面目で素直な性格であった。だからこそそんな王子が自分の意志で授業をサボるとは考えられず、事故と事件の両面で捜査が開始された。
誘拐の可能性を考えると、王や王妃の護衛にあたる第一騎士隊の担当者は当然ながら護衛対象から離れるわけにはいかないため、ノルトルドが所属する第二騎士隊が中心となり、城中をくまなく探索することになった。
ライオネル探索の本部となった議会室に、第二騎士隊の隊長であるゲオルクを押し込めると、ノルトルドは城内の探索班に参加した。城の敷地内をあちこちと探し回り、陽が傾きつつある頃、少し離れた北の別邸の庭の片隅、亡き皇太后の形見であるバラを栽培している温室の裏から、ぼそぼそと話声が聞こえてきた。
「―――…なのにどんなに勉強しても父様は褒めてくれないし」
「あ~~~、それはダメダメですねぇ」
「同じくらいの子供たちは両親や兄弟と一緒に食事をしたり、遊びに連れて行ってもらっているそうなんだ」
「陛下方はともかく、アンナマリー様ともご一緒にお食事なさらないのですか?」
「…姉様とはたまに。でもほとんど会話はない」
「う~~~ん」
一つはライオネルの声。もう一つは若い女性のものだ。
ノルトルドは気配を消して近づき、そっと耳を欹てた。
「確かに王子様って大変そうですものねぇ。常に側に誰かがいますし」
「うん…」
(当たり前だ。ライオネル殿下は次期国王だぞ)
「気軽にお出掛けもできませんし」
「…うん」
(気軽に出掛けられてたまるか。スケジュールの調整が大変なんだから)
「想像していたほど甘いお菓子って出ませんものねぇ」
「……うん」
(毒物の警戒や健康管理のためには仕方がないだろう)
女性の言葉に対し、ノルトルドは心の中で反論していた。
「う~~~ん。早い話、殿下は今不満がいっぱいってことですね」
「不満…って言うか、きっと羨ましかったんだ。お茶会で聞いたみんなの話が。勉強やお稽古事は嫌いじゃないけど、もっと自由な時間が欲しいと思ったことはこれまでにもあるし、ボクも皆みたいに遊んでみたいって思って…」
女性の率直すぎる言い方に、ライオネルは素直に心情を吐露した。
「…でも今日、こうして飛び出してきても、罪悪感で隠れることしかできない。ボクは何にもできないんだ」
そんな落ち込むライオネルに、女性はけろりと不敬なセリフを口にした。
「それは仕方がないですよ。だって殿下はずっとサボってましたから」
「! ボクはサボってなんかない! いつもちゃんと勉強してた!」
彼女の言葉に怒ったライオネルがそう言い返すが、彼女はけろりとした声でこう続けた。
「殿下は確かにものすご~く勉強されてますけど、子供の大事なお仕事である”遊ぶ”をずっとサボってますよ」
「”遊ぶ”?」
(遊ぶ?)
ライオネルとノルトルドの思考がシンクロした。
「はい。”遊ぶ”です。我が家に生まれた子供は必ず『子供はよく食べ、よく眠り、よく学び、よく遊べ』と言われて育つのです。その考えに当て嵌めると、殿下は全然仕事をしてません。大サボり魔です」
きっぱりと言い切った彼女の言葉に、思わずポカンとしてしまった。
ノルトルドが呆然としている間にも、二人の会話は続く。
「遊ぶって…それは怠けるってことだろう。それはダメだ」
スケジュールに追われた息苦しい環境で育ったライオネルらしい反論に、女性はチッチッチッと行儀悪く舌を鳴らす。
「違いますよ。わかってませんねぇ、殿下。わたしは遊ぶのは仕事だと申しましたよ。怠けろなんて一っっっ言も言っておりません」
「?」
意味が解らず困惑しているライオネルの心情が手に取るようにわかる。ノルトルドも貴族家に生まれ育ったため、厳しい躾けを受け、勉強に明け暮れたこれまでの人生を疑問に思ったことは一度もない。
眉間にシワを寄せて耳を澄ませて次の言葉を待っていると、彼女は何かを思いついたらしく「あっ!」と声を上げ、ごそごそと何かをし始めた。
「それは何をしているんだ?」
「ちょっとお待ちくださいね。今イイものをご用意しますから」
(用意? ここで?)
彼女のセリフにものすごく興味を引かれた。本当なら今すぐにでもライオネルを保護し、城に連れ帰るべきなのだが、せめて彼女が何をしようとしているのかを確かめてからと、己に言い訳する。
気づかれるギリギリまで距離を縮め、枝葉の隙間から二人の様子を窺った。
「ふっふっふ。できましたー!」
立ち上がった彼女が頭上に掲げた物は、三角に折られた紙のようだ。
「??? それは何だ?」
再びライオネルとノルトルドの気持ちがシンクロした。折られた紙で何をしようというのか。
「まあまあ、見ててくださいよぅ。いいですか、そー……れっ!」
腕を振りかぶった彼女は、指先に抓んでいたソレを空に向かって放った。
「わあっ! 飛んだ!」
(!)
青い空を背景に、三角に折られた紙がまるで鳥のように風に乗る。スイースイッと空中を滑り、間もなく花壇の中に降りてきた。
「すごい! これはなんだ⁈」
大興奮で紙を拾いに走ったライオネルは、手にしたソレをまじまじと見る。すると彼の傍へと歩いてきた女性は、腰を屈めて目線を合わせ、慈しみの眼差しで彼を見つめた。
「これは”紙飛行機”と言います。殿下でもすぐに遊べます。やってみませんか?」
「やる!」
意欲に満ちた瞳で強く頷くと、ライオネルは空に向かって「えい!」と力いっぱい振りかぶった。
「? さっきみたいに飛ばないな」
べしゃっと足元に落下した紙飛行機を拾い上げて首を傾げるライオネルに、女性は身振り手振りでアドバイスする。
「殿下。遠くまで飛ばすコツは、こう、風の流れに乗せるように緩やかにです」
「こうか? ……あ! 飛んだ!」
そしてそれから何度も何度も紙飛行機を飛ばし、高枝に引っ掛かって取れなくなるまで、ライオネルはそれはそれは楽しそうに遊び続けた。
後日、彼女がメイド長宛の書付を紛失したとしてこっぴどく叱られたとの噂を聞いたノルトルドは、書付の在処に思い至り、つい遠い目をしたのだった。
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