第2話

 待ち合わせの四阿に後から来たリディアの手には、木製の簡素なコップが握られている。


「リディア、待ちかねたぞ!」


 待たされたというのに、苛立ちではなく期待に満ちた弾んだ様子で駆け寄ってきたのは、待ち合わせの約束をした幼い王子。最近のライオネルは常にリディアに興味津々で、彼女の一挙手一投足に目を輝かせている。


「はいはい、申し訳ございません。ちょっと準備が必要でしたので。さ~あさてさて殿下、今日の遊戯は”シャボン玉”ですよー」


 じゃじゃ~ん! と盛大な掛け声に反し、中身が零れないように、そっとコップの中をライオネルに見せた。


「シャボンダマ? なんだそれは?」


 コップの中を覗き込むも、中には水が半分ほど入っているだけだ。

 主人と共にコップを覗き込んだデリラとマーチスも、不思議そうに首を傾げている。


「ふっふっふ。これはただの水じゃないんですよ。何を隠そう実は魔法の水なのです!」

「魔法?」


 リディアの言葉にライオネルが驚いて訊ねると、彼女はにやにやと笑いながらエプロンのポケットを探り、限りなく細くて長い筒を慎重に取り出した。


「これはアシ・・という植物の茎なのですが、これをこうして…」


 先端をちょいちょいとコップの中の液体に浸すと、今度はその反対側を口に咥えた。


「? リディア、なにを…」


 しているのだと?と訊こうとしたライオネルの頭上に、突然いくつもの透き通った球が現れた。

 透き通った球はふわふわと風に流され、上空へと浮き上がってゆく。


「わあっ! なんだこれは⁈ 飛んでる! 飛んでる!」


 無意識であろうが、彼はぴょんぴょんと飛び跳ねて、ふわふわと揺れるシャボン玉を捕まえようと手を伸ばす。

 そんな無邪気な主の姿と得体のしれない透明な球体を、彼の従者たちはポカンと間の抜けた顔で見ている。


「リディア! リディア‼ そのシャボンダマ、ボクにもできるのか?」

「もちろん。とーっても簡単ですよ」


 そう言って腰を屈めると、手にしていたコップとまだ口を付けていないアシの茎をライオネルに差し出した。


「そうそう、ストロ…じゃなくてアシの茎の先をちょんちょんと魔法の水につけて…」

「こうか? こんな少しでいいのか?」

「はい。あとは息を吹き込むだけです」


 教えられるままに茎の先をシャボン液に浸したライオネルは、大きく息を吸い込んで反対側を咥えると、力いっぱいに吹いた。


 フシュ―ッ!


 当然シャボン玉は一つもできず、液が飛び散っただけだ。


「??? できない…」


 首を傾げたライオネルは、再び茎の先を液に浸し、またしても勢いよく吹いた。


 フシュ―ッ!


「なぜだ…」


 眉をㇵの字にして落胆している彼に、リディアは苦笑して助言した。


「殿下、力いっぱい吹いてはなりません。そっと、そーっと吹くのですよ」

「そっと?」


 こっくりと頷いたリディアの言葉に則り、ライオネルは今度はゆっくりゆっくり息を送り込んだ。


「!」


 彼の眼前で、茎の先端からシャボン玉が膨らみ、徐々に大きくなってゆく。目を丸くしつつそれでも息を送り続けていると、大きく大きく育ったシャボン玉は、唐突にパチンと弾けて消えた。


「おおおっ! 殿下、出来ました!」


 本人よりも先にマーチスが大興奮で叫ぶと、茎を咥えたまま固まっていたライオネルはガバッと従者たちを振り返り、そして同じ勢いでリディアを振り仰いだ。


「できた⁈ できてたのか⁈」

「はい。できてました。今の調子です」


 ちゃんとできたと認められたライオネルはみるみる顔を紅潮させると、にぱっと嬉しそうに笑った。 

 その後王子である彼に遊戯に避ける時間は少ないが、それでも許される限り、心ゆくまでシャボン玉を楽しんだ。


 そしてシャボン玉遊びでキャッキャとはしゃぐその一団を、城の渡り廊下から見下ろしていた第二騎士隊副隊長であるノルトルドは、眼鏡の奥の切れ長の目を細め、何とも言えない表情を浮かべた。


(平和な光景だな)


 こんな風に王子や城勤めの者たちが楽しそうに笑い声をあげるようになってから、まだそれほど月日は経過していない。それ以前の城内は厳格で静粛な王の人柄が具現化したかのように、静かで厳かな雰囲気だったのだ。

 ライオネルは手のかからない物静かでおとなしい模範的な王子こどもで、大きな声で笑うどころかほとんど声を発することもなく、ましてや廊下を駆け、侍女の腰に飛びつくなどという行動をとることもなかった。

 すべての変化は先王時代から仕え続けていたばあや・・・兼メイド頭のモルタナが高齢を理由に城を辞する際、自分の代わりにと補充人員として彼女を連れてきたのが始まりだった。

 リディア・オースティン。夕焼け色の髪に澄んだ空色の瞳。顔立ちは取り立てて美しいわけではないが、醜いわけでもない。十人並みよりやや可愛らしいといったところだろうか。

 来たばかりの頃の彼女は身なりこそきちんとしていたものの、酷く痩せていて顔色は悪かった。今のようにふざけた言動はせず、言われたことを淡々とこなす、物静かで存在感に欠ける少女だった。

 きっとモルタナを知っている人はみんな思ったであろう。なぜ彼女はリディアを推したのだろう、と。

 それくらいテキパキとした肝っ玉ばあやとは正反対のような彼女だったが、ただいつもあちらこちらに視線を巡らせ、いろいろな物事や人を観察し、何かを考えているような感じはしていた。


 そしてみんなの考えを一転させたのは、とある騒動が切っ掛けだった。





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