変わり者メイドが気になる堅物副隊長様

nobuo

第1話

「あ。」


 思わず声が漏れた。

 上司から提出するよう言いつかった書類を役室へ持っていった帰り、第二騎士隊に属する彼は広い廊下の遥か前方をほてほてと歩く小柄な人影を見つけ、うっかり声に出してしまったのだ。

 中庭に面した窓から差し込む陽の光を反射する夕焼け色の髪は、後ろで一つに束ねてレースのカチューシャできちっと留めてあり、濃紺色の足首まであるワンピースに、シンプルな白いエプロンを纏っている。

 彼女は城で働くメイドだ。王城に勤める大勢のメイドの中の一人にすぎない。

 だが彼女は最近城で一番注目を集める存在となっている。


「…今日は珍しくサボっていないようだな」


 小さな手にぶら下げた桶と、反対側の手に持ったモップ。

 無意識に呟いた嫌味にも聞こえるセリフが静かな廊下に反響し、彼女の耳にも届いてしまったのだろう。くるりと振り返った彼女は、そのセリフが誰から発せられたのを確認したのち恭しくお辞儀した。


「これはこれはシェーンバッハ副隊長様。本日ご機嫌は麗しくございませんようで」


 所作は王城に勤めるだけあってきちんと精錬されたものだが、返された言葉は礼儀もヘッタクリもないものだった。

 しかしそれも仕方がないこと。なぜなら副隊長と呼ばれた彼ノルトルド・シェーンバッハは、初対面から彼女の前では常に眉間にシワを寄せているのだから。


「ああ。たった今まで普通だったのだが、いたずらキツネの姿が見えた途端にな」

「まあ! このアルスローランのお城にキツネが入り込んでいるのですか? 警備されている方々は何をしているのでしょう!」


 橙色の髪をキツネの尾に譬え、言外にお前に会ってしまったせいで機嫌が悪くなったと言ってやれば、空色の瞳を丸くし、城を守る護衛たちの職務怠慢だと返してくる。

 本当に可愛くないことこの上ない。


「陛下や殿下方が噛まれでもしたら大変ですわ。早くお仕事にお戻りくださいませ」


 にっこりと笑顔で急かされたノルトルドは、行儀悪くも舌打ちした。


「そういう君も早く仕事に戻った方がいい。まだ掃除の最中なのだろう。普段サボってばかりなのだから、たまにはしっかりと従事するのが良かろう」

「いえいえご心配なく。掃除は終わったところですの。道具を片付けたらきゅ」


 彼女が何かを言いかけたその時、ノルトルドの背後からバタバタと複数の靴音が聞こえてきた。と、次には喜色を含んだ幼い声が、ノルトルドと対峙しているメイドの名を叫んだ。


「リディア——————ッ!」


 放たれた矢のように駆けてきた小さな人影は、ノルトルドの横を通り抜け、その勢いのままメイドに突進した。


「ぐふっ!」


 両手が塞がっているメイド…リディアは成す術なく、お腹に抱きついてきた人物と共に後ろに吹っ飛び、そのままゴロゴロと廊下を転がった。


「殿下!」


 慌てたのはノルトルド…ではなく、リディアに抱きついた男の子、アルスローラン国国王ゼロウスの嫡男であるライオネル(7)を追いかけてきた彼の護衛と侍女で、侍女は廊下に横たわるリディアからべりっとライオネルを引っぺがすと、どこにもケガが無いかを確認し、護衛は主人の無事にホッと胸を撫で下ろしている。


「殿下、危ないので廊下を駆けてはいけません。それに護衛を置き去りになさるのもダメですよ」

「ごめんデリラ、マーチス。リディアに会うのが楽しみで、つい…」

「ええ、わかっておりますよ。その為に殿下は懸命にお勉強を終わらせてきたのですものね」

「うん!」


 素直で可愛らしい主と、主思いの側仕えたち。微笑ましい場面だが、お忘れではないだろうか。ライオネルが無傷だった理由を。


「……キツネ、無事か?」


 ほんの少しだけ気の毒になったノルトルドが、クッション役を立派に果たしたリディアに声を掛けると、彼女は腰を擦りながらのろのろと起き上がり、ぶすっとした顔でノルトルドを睨んだ。


「無事かとお訊ねになるくらいなら、殿下が飛びつく前にお止めしていただきたかったです」


 よろよろと立ち上がったリディアは、改めてライオネルへと向かい、深々と頭を垂れた。


「ライオネル殿下。力及ばずお支えできなかったことをお詫び申し上げます」

「いいんだよリディア、顔を上げて。ボクこそか弱いレディに飛びついたりして、悪かったね」

「か弱い…?」


 ライオネルの返答にやや疑問を感じたノルトルドが首を傾げると、つつつ…と器用に横移動して隣に並んだリディアの足が、踵をぐりぐりとにじるようにしてノルトルドの靴先を踏んだ。


「ぃつ!」

「あらシェーンバッハ副隊長様、いかがなされたのですか? それはそうと殿下、わたしにご用事だと?」


 白々しくほほほと笑ったリディアに、今度はノルトルドが睨みつけたが、彼女には全く効力はなく、さっさとライオネルへ話を戻した。


「そうだ! あのねリディア、今日の勉強は全部終わったんだ。剣のお稽古も午前中の内に済ませているから、”遊びをサボらない”ように急いで来たんだよ!」


 子供らしい満面の笑みでそう言うライオネルに、リディアも優し気な笑顔で嬉しそうに頷いた。


「まあまあ、そうでしたの。では殿下、リディアもこの掃除道具を片付けてから急ぎ参りますので、中庭の四阿あずまやにてお待ちいただけますか?」

「うん!」


 目をキラキラと輝かせたライオネルは勢いよく頷くと、今度は側仕えたちを置き去りにしないように侍女の手を握り、早く来てね! と念を押して廊下を駆けて行った。


「…ありゃりゃ、結局走ってるし」

「後で侍従長殿に叱られねばよいが」


 殿下一行を見送った二人は互いに顔を見合わせて嘆息すると、ノルトルドは騎士隊の本部がある訓練棟へ向かい、リディアは放り出してあったモップと桶を拾いあげた。





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