第12話 優しさの固まりは残酷すぎる

 ロイドの聴取が終わり、ひとまずお開きとなったのでナオたちは部屋に戻った。

 朗報があり、明日の午後には天気が晴れるらしい。嬉しいような寂しいような、ナオは複雑な気分だった。

 明日になれば、リチャードとお別れしなくてはならない。それはほぼ永遠の別れと言っても過言ではない。片方は大学生で、片方はFBI捜査官。接点がなく、親友のお兄さんという間接的な関係でしかない。

「どうかした?」

「いえ…………」

「なんだか、会った数日前に戻ってしまったな」

「え」

 リチャードはナオの座るベッドの横に腰を下ろした。

「目が合ってもすぐに反らす。しかもセシルの後ろに隠れるときたもんだ。俺が怖い?」

「ま、まさか! そんなこと……」

「嫌われてるわけじゃないんだな。良かった」

「嫌いだなんて……その逆です。あなたに……ずっと憧れてて。いつも優しいから」

 勘違いしそうになる。

 そう言いかけて、ナオは口を閉じた。

「憧れてる? 俺に?」

「紳士的だし、初めて会ったときも僕にスモアを作ってくれました。それに……ゲイだって言った後も、あなたは変わらず優しくしてくれる」

「それは関係ないだろう。同性愛者だろうが異性愛者だろうが、君は君だ」

 泣きたいほど嬉しかった。ひとりなら、枕に顔を伏せて泣いているところだった。それどころか黙っていられなくて一晩中、動物園の熊のようにうろうろするかもしれない。

 外から大きな物音が聞こえた。強風の影響で、どこかの木が折れたのだろう。反射的にリチャードはナオの二の腕を掴み、胸に小さな身体を閉じ込める。

「大丈夫?」

「は、はい…………一瞬、銃声かと思いました」

「いきなり大きな音は驚くよな」

 リチャードは腕を離そうとしない。リチャードの手は暖かで、筋肉質で大きい。ナオは頭に血が上っていく。

「そういえば、小説読んだよ」

「あれは……読まないでほしかったです」

「どうして? とても素敵だった。主人公が体験した初恋って、もしかして君の体験談を入れてるのかな?」

 小さな笑いを漏らしながら、リチャードは腕に込める力をさらに入れた。

「いや……そ、そうですね……それは、なんというか……」

 苦し紛れの言い訳をしても、リチャードは逃がす気はないらしく、一向に力を緩める気配がない。

「あ、あの……緊張しちゃって……喉が渇きました」

「キッチンに行く?」

「そうですね……紅茶を飲んでから寝たいです」

「じゃあ一緒に行こう」

 リチャードは手を差し出してきたので、ナオはおもむろに重ねた。

 本当は、抱きしめる腕から逃れたかったのだ。なんのつもりで手を繋いだのか知りたいが聞く勇気もない。抱きしめられるよりはいいかと思い、彼が離すまでそのままにしておいた。

 キッチンはカップも皿も綺麗に片づいていて、ステラの性格そのままが表れている。彼女はとても綺麗好きだ。

 キッチンに来てもリチャードは手を離さないので、仕方なくナオ自ら手を解いた。

 冷凍庫の製氷室を開けると、ほとんど氷が残っていない。はみ出るくらいにグラスへ四つずつ入れた。

 リチャードは紅茶缶を持って固まっている。

「あの……僕が作りましょうか」

「すまない」

「ミルクを入れてもいいですか? 日本式で、ロイヤルミルクティーって言うんです。ミルクと水と紅茶を沸騰させて、たっぷり氷の入ったグラスに注ぐんです」

「チャイみたいなもの?」

「はい。チャイはスパイスを入れるので苦手という方も多いですけど、ロイヤルミルクティーは甘くて癖がないんです」

「君の作ったものならどちらでもいいかな」

「こ、光栄です……」

 ミルクを多めに入れると濃厚になるが、今日は水と半々にした。スプーン山盛り四杯の茶葉を入れ、沸騰したら鍋から零れる前に火を止める。

 茶漉しへ鍋を傾けるとミルクティーが流れ落ち、氷はすぐに溶け始めた。

「いいね、こういう音好き」

「僕も。夏って感じですね。冬はあったかいロイヤルミルクティーが最高なんですよ」

「また作ってくれる?」

 真剣な目を向けるものだから、ナオは反射的に頷いた。

 「また」があればいい。もし流れ星が落ちたなら、迷わず「また」がありますようにと願うのに。

 氷がカランと音を立てたとき、心にすとんと収まった。

 彼が好きだ。隠しきれないほどに膨れ上がっている。初恋は一度しかなくても、あのときの高鳴りを二度も味わっていた。

 どうしても触れたくなって、後ろ姿の彼の背中をつん、と触れてみた。

 リチャード手を後ろに回し、人差し指ごと包んだ。

「悪戯っ子だな」

 リチャードは笑い、ナオの手の甲にキスをする。

 またもや手を繋がれてしまい、飲み終わるまでずっとこのままだった。

 洗い物のときはさすがに手を離してくれたが、終わった途端にまた繋がれる。

 リチャードは何を思って手を繋ぐのか。ゲイだと明かしてたときの意外そうな顔は、何を意味していたか、考えても答えは出てこない。血の繋がりがある家族ですら分かち合えないというのに、数回しか会ったことのない彼は理解してくれるのか。

「ふー……まずは殺人事件だな」

「明日には迎えが来るみたいですが……名乗り出るでしょうか」

「出なければ問いただす。ギリギリまで言うかどうか、見極めないといけない。相手は銃を持っているし、内面には誰もが何を抱えているのか分からないんだ」

「そうですね。僕のように」

 ベッドの中でリチャードが顔を向けてきたが、目を合わせる勇気がない。

「君だけじゃないさ。俺もいろいろ抱えてる」

「お仕事大変ですしね」

 僕が癒してあげたい。そんな言葉を呑み込み、誘惑に負けて顔を向けると、リチャードはまだナオを見つめていた。

「彼氏に連絡しなくていいのか? 今日はほとんどスマホを弄ってないだろう」

「元々あまり弄らないんです。ゲームとかもやらないし」

「セシルとは大違いだ」

「課金大好きですからね、セシルは」

 リチャードは何か言いたそうに、一瞬だけ目を逸らす。

「あと、彼氏はいないです」

「ずっと?」

「ええ、ずっと。同じ性癖の人に出会う確率なんて、ほとんどないです」

「案外近くに潜んでいるかもしれないよ」

「そうでしょうか……」

「どういう人がタイプなの?」

「優しくて、……ヒーローみたいな人」

 それはあなたです、と言いたくても言えない。もどかしい。

「僕は……初恋をこじらせすぎているから」

 どうせ困らせてしまうだけだし、告白はできない。勘のいい彼なら気づくだろうが、優しさの固まりである彼は、深く突っ込んではこなかった。

「優しいって残酷ですよね。回りを振り回して、手放すときは簡単に手を離す。遠心力があるので、簡単に飛んでいってしまいます」

「優しさは遠心力か……確かにそうかもな。君もそういうところがあるよ」

「僕がですか?」

「気づかないものだよ。ちなみに俺は真逆だ。好きな子にしか優しくできない。必要なもの、そうでないものとはっきり別れている」

「あなたが……?  全然そうは見えませんが」

「そういうものだ。さて……もう寝よう。おやすみ」

「ひっ…………」

 リチャードはナオの頬にキスとウィンクを残し、目を閉じた。

 好きな子にしか優しくできない人は、爆弾投下が得意らしい。

 ナオはなかなか眠れず、結局寝たのは深夜を回った頃だった。

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