第11話 ロイドの葛藤

「落ち着いた?」

「ええ」

 ハンカチを目元に当て、アビゲイルは話せるまでには安定してきた。

 リチャードは、優しい。それは誰に対してもで、困っている人がいれば手を差し伸べるし、泣いている人がいればハンカチを渡す。自分だけじゃない。むしろ喜ばしいことだ。初恋の人がこんなにも素敵なのだから。

 胸の痛みに目を背けていると、アビゲイルは鼻をすすり顔を上げた。

「取り乱してごめんなさい」

「構わないよ。落ち着いたのなら話してもらえるかい?」

「そうね……。私ね、ロイドが犯人なんじゃないかと思うのよ」

「ロイド?」

 リチャードは怪訝そうに聞き返す。

「それはどうして?」

「イーサンが死んでから、おかしなことばかり言うのよ。次は俺が殺されるとか、やられる前にやり返すだの」

「殺人事件が起これば誰だっておかしくなるものだ。顔に出やすいか出にくいかは人それぞれだけどね。他には何か心配があるんじゃないのか?」

 アビゲイルはまたしても口を閉ざしてしまった。今度は待たずにリチャードは続けて質問をする。

「イーサンが亡くなった晩の話だ。君は深夜に廊下にいた」

「そ、れは…………」

「見ていた人がいる。力になると約束するから、正直に話してほしい」

 目が泳ぐが、やがて観念したのかぼそぼそと話し出した。

「まさか……本気でバカなことをしないだろうなって思ってて……それで彼の部屋に行ってみたんです。そしたら……」

「ナオの部屋に入ったのか?」

「……ドアが開いていたのよ。覗いたら、イーサンが倒れてて……。どうすることもできなかった。ナオは部屋にいないし、何か証拠隠滅でもしてるんじゃないかって。戻ってきたら殺されると思って、すぐに出たの。怖くなって……」

「それは何時くらい?」

「ええと……夜中の三時くらいだったかと」

「もう一つ。部屋は異常に寒かったりした?」

「……確か、冷たい風が吹いていた気がする」

 アビゲイルはナオを犯人だと思っていた。だがナオからしたら、しっくりこないというか、彼女の行動や声や目線が噛み合わないと感じていた。

 ナオのせいにしたい。ナオであればいい。そう、アビゲイルの両親であるカールとハンナのように、決めつけた言い方なのだ。

「分かった。他に気になることは?」

「……話せることは全部話せたわ」

 またもやアビゲイルの目が泳いだ。やはり何か隠していると、ナオは曖昧な確信を持つ。

「話してくれてありがとう。何か思い出したことがあるならまた話してほしい」

「ええ……そうね」

 リチャードは廊下まで出て、彼女を送り出した。階段を下りるのを確認すると、再びソファーに座り直す。

「さて……どう思う? 腑に落ちない顔をしているね」

「分かりやすいでしょうか?」

「君は俺と違って素直だからな。顔に出やすい。何か感じた?」

「ええと……、ロイドを犯人だと決めつけていた態度は、そうであってほしいと願望に感じました。まるで、本当に怪しんでいる人、もしくは犯人を隠そうとしているように見えます」

「なるほど。素晴らしい観察眼だ。人間行動学を学んでいるだけはあるな。心理学も勉強するのか?」

「はい。アジア人、ヨーロッパ人と、人種によって嘘を吐いたときの目や手の動きが違うんです」

「元々彼女に対しては何か知っていると踏んでいた。今回の殺人事件はおそらく内輪揉めだ。イーサンが亡くなった朝、俺は彼女たちにイーサンを見なかったかと尋ねたら、アビゲイルはリンダと一緒だったと言った。質問に対しての答えじゃなかったから」

「……全然気づきませんでした」

「犯人ではなくても、事情は知っていると睨んでいた。さて、もう一人に話を聞こう。いつまでも甘い顔はしていられない」

 FBIの顔なったリチャードの後をついていくと、リビングで大人たちはポーカーを楽しんでいた。

 アビゲイルはいない。おそらくリンダと一緒だろう。

「ロイド、話がある」

 リチャードが肩を掴むと、ロイドの肩が大きく揺れた。

 虚勢を張ってはいるが、所詮見せかけでしかない。リチャードはまったく気にする素振りを見せず、堂々とした態度でついてくるよう促す。

「何も君を犯人だと決めつけるために呼ぶんじゃない。少し話が聞きたいんだ」

 扉を開ける前に諭すと、ロイドの目が揺らいだ。何か、と聞かれれば分からないが、話したくても話せないことがあると、ナオは考える。

 ソファーへ腰を下ろす頃には多少は落ち着きを取り戻して、リチャードが何か言う前にロイドが先に口を開いた。

「俺は犯人じゃねえぞ」

「それを知るために、少し話をさせてくれ。君はイーサンが殺された現場に入った?」

「入るわけねえだろ。お前が止めたんじゃねえか。寝室もハリーと一緒だったし」

「ではなぜ、イーサンを殺害した道具が包丁だと言ったんだ?」

「……………………は?」

「俺は昨日、刃物でイーサンが背中を刺されたとは言った。だが包丁とは一言も言ってないんだ」

 ナオはハッと気づき、ステラの言葉を思い出した。

 聴取のとき、ステラは気になることがあると言った。包丁が一本足りなくなっている、と。

 ロイドは開いた口を閉じもせず、固まっている。

「なぜ包丁だと分かったんだ?」

 リチャードは逃がさないとばかりに、足を開き少し前のめりになって問いただす。

「全員の聴取をして、包丁だと知り得る可能性があった人間は、四人だけだ。第一発見者である俺とナオ、その場に居合わせたセシル。一人で現場に入るのはまずいと、俺が呼んだクラークドクターのみ。君はなぜ知った?」

「そ、それは……」

「正直に話してほしい。必ず力になる」

 ナオも薄々感じていたが、犯人に近い人間となるとやはり大学生組だけだ。揉み合いになり階段から落ちた話じゃない。れっきとした怨恨のこもった殺人事件だ。その証拠に犯人はわざわざキッチンから包丁を持ち出し、イーサンを刺している。

 言葉を濁していたが、リチャードもおおよそ同じ考えだろう。

「し、しらねえ……本当に俺は犯人じゃねえんだ。寝ぼけて包丁持ち出して刺したってなら分かんねえけどよ。でも起きても服に血が一滴もついてなかったんだ」

「君たち四人は部屋で一緒だったんだろう?」

「なっ……なんで……」

「何を話した?」

 部屋に四人がいたことは、ナオも知らない事実だ。

 多分、リチャードは勘を頼りに問いつめたのだ。リチャードだって知り得る情報ではないのだから。

「……あの日、あいつはマジで酔ってたんだよ。けどな、酔っててもそれなりにやっちゃいけないことはわきまえてる奴だ」

「ああ」

「本気で……そいつの部屋に忍び込む方法を考えてた。多分、日本人の血が混じってるって話したからだろう」

「日本人? それがどうかしたのか?」

「日本人はレイプされても被害者は訴えたりしないって言うし、脅せば言うことを聞くだろうって。隙のあった被害者が責められて終わるだけだって豪語してた」

 ナオは怒りと悲しさで身体が熱くなった。怒りに任せて動けば、今なら壁に穴を空けられそうだ。

「それで?」

 リチャードは冷静に聞き返す。

「言い訳ととってもらってもいいが、俺たちは本気で止めたんだ! 酔いすぎだから寝ろって、俺はアビゲイルたちの部屋からイーサンを無理やり連れて部屋に戻った。イーサンは酒が入り過ぎてて、すぐにいびきをかいた。それ以降は本当に知らないんだ。俺もワインを浴びるように飲んでたし、朝まで眠ってた。同室だったイーサンは死んじまったし、証拠は証明できねえけどよ」

「話してくれてありがとう。ここから突っ込んだ内容になるが、君が怪しいと思う人物は?」

「そ、それは……言えねえ」

「誰にも言わない」

「言ったら……俺は殺される。あいつは銃を持ってるんだ」

 演技かと思ったが、ロイドは恐怖で小刻みに震えていた。テーブルの上のティーカップがかたかたと音を鳴らしている。

「君は今日も安眠できる。俺の父と同室で、内側からしっかり鍵をかけている。それに、マスターキーの在処は誰も知らない。誰も取れやしない」

 穏やかに語りかけ、リチャードは辛抱強く待った。

 時計の長針が刻む音は、いつもより遅く感じる。誰かの呼吸や布の擦れる音が、妙に耳に残った。

 やがてロイドは観念し、独り言のような小ささで言葉を口にした。

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