第13話 一つの真実
背中の暑苦しさから、ナオは目が覚めた。
冬なら恋しくなる暖かさでも、今は真夏だ。いくら山奥で涼しくても、閉ざされた空間は暑い。
ナオは手探りで冷房のリモコンを取り、スイッチを入れた。
「起きた?」
かすれた声が後ろから聞こえ、身体をびくつかせた。
「リ、リチャード……」
「おはよう」
「おはようございます……」
腹部に回る腕に力がこもり、さらに密着した。
石鹸と体臭の混じった香りが鼻に届き、無意識に内股を擦り合わせた。
小さな笑い声が聞こえナオは後ろを振り返ったが、リチャードの顔が目の前にあり、元の体勢に戻ろうとする。
「ちょっと嫌な夢を見たんだ。家が火事になって、逃げ出す夢」
「それは……夢でも怖いですね」
「ああ。夜中に起きたんだが、君の手を握ったら落ち着いたんだ」
手まで握られていた。
淡々と伝えられる現実に、ナオは鼻で息ができずに口で息を吐いた。
「まだ怖いんだ。だから、こっちを向いてくれないか」
恐る恐る振り返ると、整った顔が目の前にある。ナオはどうしていいか分からず、視線をさまよわせた。
リチャードはナオの胸に耳を当てた。
迷子になっていた手をリチャードの頭に持っていき、優しく撫でた。リチャードの息を呑む声が聞こえる。髪の毛は柔らかく、身長の高い彼の頭に触れるなんてそうそうない。
「頭に触れられることってほとんどないんだ」
「そうでしょうね。背が高いから、触れたくても触れられないです。きっと、今までもそういう女性が多かったんじゃないでしょうか」
「君も?」
「えっと……はい……」
ここは素直に答えた。
気をよくしたリチャードは、少しずつナオの身体に触れていく。
密着し、股間にリチャードの足が当たった瞬間、ナオは身を固くした。
「……う…………」
「どうしたの?」
「あ、あの……足…………」
「ああ……ごめんね」
離れる瞬間、するりと足が擦りナオは悲鳴を上げた。
「ナオは良い香りがして安心するよ。昔食べたコットンキャンディーの香りに似てる」
「ええ? そんな良い香りですか? 最近だと家庭でも作れる機械があったりしますよね。あれ欲しかったなあ」
「欲しいの? プレゼントに贈ろうか」
笑っているリチャードを見るに、本気かどうか疑わしい。それに、早くとも今日でさようならになる。午後には警察も来るし、事情聴取へと入るだろう。
「会えるかどうか、分からないじゃないですか」
「そんなことはない。君の住んでいるところへ会いに行こう」
「本気で言ってます? リチャードは仕事が忙しいのに」
「有給くらい取れるさ。それとも俺に会いたくない?」
「……会いたいです。すごく」
「俺も」
気持ちを伝えたわけではないのに、見透かされたようでひどくこっぱずかしい。リチャードは機嫌が良さそうに、鼻歌を歌っている。と思ったら、いきなり真顔になった。
「歌うって雰囲気じゃないな。今日で解決に導かないといけない」
「うまくいきますかね……」
実は、ロイドを二度目の聴取に呼んだとき、リチャードは犯人を割り当てた。十中八九と言っていたが、あの顔は確信があるとナオは感づいている。
「ロイドを信じる。疑われている立場で、彼に嘘をつく動機がない」
「あの人は殺める人に見えませんけど、信じていいんでしょうか」
「ロイドは追いつめられていた。彼は良くも悪くも嘘がつけないタイプと見ている。君はセシルと共にいなさい」
「いやです。あなたと一緒にいます」
「これ以上君にトラウマを植えつけたくない。何かあれば、俺は迷わず引き金を引く。そんな姿を見せたくないんだ」
そう言われてしまえば、黙るしかない。
「そうだ、セシルの面倒を見てくれないか? 体調は良くなっているだろうが、本調子じゃない。それにせっかく親友と来たのに、ほとんど話せてないだろう?」
「それはちょっと寂しく思ってました。セシルとあれしようこれしようって計画を立てていたのに」
「今回だけじゃないさ。また来ればいい」
「そのときは……あなたも来てくれますか?」
勇気を振り絞って聞いてみた。リチャードは、魅惑的な笑みで答えた。
「別荘にも来たいが……別にここじゃなくても、会えるだろう?」
「……ほんとに? あなたがそんなことを言うなんて……夢みたいです」
悪夢と幸せな夢を同時に見ているようだ。殺人事件があったなんて信じられないし、初恋の人に出くわすなんて幸福以外のなんでもない。
最奥にしまったはずの初恋は、ふつふつと小さな泡を作り、やがて割れていく。すると甘ったるいものや切ない感情が広がり、離れたくないとリチャードに抱きついた。
何を感じたのか、はたまた子犬のじゃれつき程度に思っているのか、体臭の混じり合う布団に潜り、ナオをおもいきり抱きしめた。
言葉は何もなかった。抱きしめて抱きしめ返して、まるで最期だと言わんばかりに──。
朝食の後、リビングでナオとセシルはポーカーをして楽しんでいた。ナオはルールを詳しく知らないので、セシルの横で真剣に聞いている。そこを変われと言いたいが、リチャードはぐっとこらえた。
「これは外でいいの?」
「リチャード様、手伝って下さるんですか?」
「料理はあの通りだけどね」
両手にゴミ袋を持ち、リチャードは裏口へ出た。
キッチンから勝手に拝借した手袋をはめると、前日までに出た生ゴミの袋の中に手を入れる。手探りで動かしていると、何か硬いものが手の甲に当たった。
「これだ」
携帯端末だ。おそらくイーサンの持ち物だが、下手に何かするより鑑識に持っていくべきだろう。
リビングに戻ろうとしたとき、上から大きな物音がした。
階段を飛ばして駆け上がり、物音がする部屋の前で立ち止まる。イーサンの部屋だった。
リチャードは腰に差した銃に手をやり、隙間から覗いた。
中ではアビゲイルとリンダが何やら争っている。
アビゲイルがリンダに詰め寄ると、肩を掴む。手が震え、違うそうじゃないと何度も繰り返している。
「お願い……警察に……」
あのアビゲイルが。気が強くて負けん気の強いアビゲイルが。
顔中をぐしゃぐしゃにして涙を流していた。
リチャードはドアを数回叩くと、二人ははっと顔を上げてドアを見る。
「どうかした? 何があった?」
「あ……その…………、」
「なんでもないわ」
「アビゲイル、君のお父さんが捜していたぞ」
「ええ……もう戻るから」
リチャードの横をすり抜ける直前、アビゲイルと目が合った。助けて、と言っているような気がした。
リンダは不安そうに、目を伏せる。けれどもう遅い。遅いのだ。すべてを知ってしまった。
「そんな顔をしなくていい」
「犯人は捕まるんでしょうか……私……怖くて……」
「リンダ、お願いだ。真実を話してほしい」
「イーサンのことなら、私は知らないわ」
「イーサン? 俺はアビゲイルが泣いていた理由を聞いたんだが」
リンダは息を詰まらせた。一瞬見えた気の強そうな目は、すぐに気弱な目に変わる。
「君とイーサンは、恋人同士だったんだな」
「なぜそう思うの?」
「イーサンのスーツケースだ。番号は〇二二一のまま鍵が開いていた。君たちのことを調べたら、この数字と一致しているのは君だった」
リンダは肩の力を抜き、目を伏せた。
「お願いだ、リンダ。イーサンを殺めた理由を話してほしい」
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