第33話

 朝焼けに包まれる街に、危機感を煽る鐘の音が響き渡る。

 壁の上では兵士達が震えた声で叫んでいる。

「東側に住む市民の皆様は、至急、避難を開始してください! 繰り返します——」


 眩いばかりの陽が覗き出す東の山。その下で雄大な自然を讃える、まだ名前を持たない樹海に、無数の赤い光が蠢いている。


「……なにがあったんだ」 

 中央街セントラルへ逃げ惑う市民達の波を掻き分けて、ジェネスは東の防護壁へと走る。

 

 彼が壁の登り口に近づくと、兵士の一人が血相を変えて駆け寄ってきた。彼は膝を震わせ、恐怖に塗れる思考をなんとか取り繕って話し出す。

「ほ、報告します! ひ、東の樹海に、む、無数の装甲怪物の出現を、か、確認! 街に、む、向かってきている、も、模様です」


 ジェネスはそれを聞き、顔を顰め、唇をきつく噛んだ。

 

 しばらく考え込んだ後、その兵士の両肩を掴んだ。彼はひぃ、と声を漏らし、自分の肩に置かれたその手を見つめた

「……お前は逃げたいか?」

「い、いい、え……」

 真っ直ぐに自分を見つめるジェネスの瞳から、男は目を背ける。

「……それはお前の本心か?」

「い、いい、え……ち、違い……ます」

「そうか。ではお前にとって大切な者はいるか?」

「お、居ります……気立ての良い妻と三つの娘と生まれたばかり息子が……」

「そうか」


 ジェネスはそういうと男の肩を離し、防護壁の上へと登った。遠くに見える樹海の中に、無数の怪物達が動き、木々が騒めいている。


 彼は懐に入れていたペンダントを取り出し、ぐっと握り込んだ。


「……お前と暮らしたこの街を……守って……みせる」


 ジェネスは真っ直ぐに前方に広がる光景を見た。大きく息を吸い込み、声を張り上げる。

「総員! 聞け! 君達の中には恐怖に怯える者がいるだろう! だが、それは一人の人間として普通のことだ!」ジェネスは自分の意識外で震える手を力強く握る。「恐怖を感じぬ人間などいない! 逃げたいのであれば、逃走することを許可しよう! 愛する者を連れて街を出ることも、今なら間に合うかもしれない」


 兵士達はピタリと動きを止めた。


「しかし、私達の暮らすこの街を、家族を、友人を、 恋人を守れるのは君達しかいない。故に兵士諸君一人一人に問おう! 目の前の脅威から逃げるか……立ち向かうかを!」


 

 砂の城、王の間に差し込んでいた月の光は次第に力を失っていき、この場所を照らすのは壊れたクリスタルランタンの小さな明かりだけになった。


 部屋に響くのは血肉を打ち付ける生々しい音と、感情に任せた言葉。

「かえ、して……かえしてよ……ねぇ」

 吹き出した感情は男の顔面が失くなっても消えない。


 真っ黒な闇だけが彼女を包み込んでいる。誰もいない孤独に飲み込まれる。

「あ、アー……だい……?」

「……ろ! ……んでいる!」

「……い……ーリ!」

 聞き慣れた声が聞こえてくる。それは闇に反響し、視界を揺らす。


 意識がスッと遠のいていく。


「あ、あれ……」

 アーリは気がつくと、天井を見上げていた。先ほどまで戦っていたはずの部屋、その隅で寝そべっていた。外からは依然として、怪物達の行進する音が聞こえてくる。

 心配そうな表情を浮かべていたミリナがアーリを覗き込んでいる。

「お、起きました! バレントさん、ループさん!」

「ミリ、ナ……さん?」


 横を見ると、ループもそこにいた。床に座り込んでいて、白い毛の一部が赤く染まっている。

「大丈夫か、アーリ」

「ループ、どう、なったの? あの、人は……?」


 アーリが起き上がろうとすると、全身がギシギシと痛む。

「無理はするな、ゆっくりでいい」

 苦痛に顔を歪め、それでも力を入れて起き上がると、バレントが歩み寄ってきていた。彼は額から血を流し、それを布で抑えている。


「大丈夫か? かなり暴れまわったようだが……」

「え……っと」


 アーリがバレントの後ろを見ると、大きな血溜まりを床の絨毯が吸い上げていて、その上に大柄の男だったものが置かれている。


「少し、やり過ぎだが……お前が生きているなら、いい」

 そういうとバレントは、小さくはにかんだ。

「バレント、血出てるの……?」

「ああ、気にするな、少し切っただけだ」バレントは布を拭って、額の傷を見せた。「それよりもアーリ、体は大丈夫か、かなり能力を酷使したらしいが」

「う、うん。ちょっと……疲れちゃったけど」


 アーリは自分の右腕に視線を写す。そこにはいつも通り、自分の右腕がだらし無く垂れ下がっていた。

「……な、ナーディオさんは?」

 バレント達は揃えたように首を横に振った。

「そっか……止めなきゃね」

「ああ」

 バレントはそういうと、部屋の奥へと歩いて行き、壁に飾られた絵画をランタンで照らす。

「ここが入り口だ」


 バレントが絵を外すとその後ろには小さな空洞があり、レバーがあった。彼がそれを引き下げると、扉がガコンと音を立てて、ゆっくりと動き始める。

 その奥には下へ降りるための階段が、静かに待ち構えていた。

 

「なるほど、こんな所があったとはな」

「ループ、行くぞ。ミリナはアーリを看ていてくれ」

 バレントはその奥へと歩き出そうとし、ループはその後ろを付いていく。


「ま、待ってよ!」アーリは痛む体に鞭を打ち、立ち上がった。「わ、私も行く!」

「ちょ、ちょっとアーリちゃん!」

 バレントは振り返り、何も言わずに首を振った。

「アーリ、私達はお前が心配なんだ。これ以上危険にお前を巻き込みたくない」

「でも! 街の人達の命が掛かってるの! バレントとループがダメって言っても行く! そのためにここにいるんだもん」


 とても十二歳だとは思えないほど、決意の篭った言葉であった。

 

「だがな、お前はかなり疲れて——」 

「疲れてない! それにバレント、言ったもん! 私の責任で能力を使っても、狩りしてもいいって! だから行く」

「うん、そうだよね、アーリちゃん。 あたしも、師匠の顔面を殴らなきゃ!」

 

「……ったく、誰に似たんだか」

 ループはそう呟くと後ろに立つバレントを見た。

 バレントは大きく溜息を付いて、そのまま何も言わずに階段を降りて行った。


「アーリちゃん、歩ける?」

「うん、大丈夫」


 四人はバレントを先頭に、一列になって階段を降りていく。冷たい壁がコツコツと靴の音を反響させる。

 永遠に続いているようなその階段を一歩一歩下がっていく度、ひんやりとした空気に混じって、機械と獣、そして薬物の匂いがしてくる。かと思うと、真っ暗だった階段の先が青白い光に照らされ始めた。

 

 ゆっくりとその光の中に踏み込むと、階段は終わりると、そこは巨大な空間が広がっていた。見たこともない巨大な重機、巨大な怪物でも乗せられそうなスペースや意味の分からない数値を映し出す光る箱の乗せられたテーブルが並んでいる。

 部屋全体が青白いのは天井からの光ではなく、目の前に置かれた数十本の巨大な筒状のガラスケースが輝いていたからだった。そして、その中では小さな怪物が液体の中に浸って浮かんでいる。


「な、なんか……すごい場所……」

「ああ、少し下がっていろ」

 そういうとバレントは部屋の中心に向かって歩き出す。

「どこにいる、ナーディオ! 姿を見せろ!」

 その声が空間全体にこだまし、薄れて行ったかと思うと、空間の奥の暗がりから靴の音が聞こえてくる。

「来たのか、バレント。遅かったじゃないか!」


 光の中に姿を表したのは、ナーディオ本人であった。こんな状況だというのにも関わらず、いつものあっけらかんとした態度であった。


「師匠!」

 ミリナはバレントの後ろまで駆け出した。

「おう、ミリナも来たのか。そうだよなぁ、お前は来るよな。して、後ろにはアーリとループか……ガードベルのやつはやはり役立たずだったか」

「な、なんでこんな事——」

「お前には理解できんさ、馬鹿だからな!」

「馬鹿って……師匠のほうが馬鹿じゃないですか! 怪物なんか街に送り込んで、本当の馬鹿!」


 ミリナは駆け出しそうになるが、バレントはそれを制止し、ナーディオにライフルの銃口を向ける。

「止まれ」

「ば、バレントさん、どうして!」


 白髪の老人はそれを見て、高らかに男らしく笑った。


「よく、命の恩人に銃口を向けられるな? ミリナもバレントもだ! 路地裏のゴミみたいなお前らを俺が拾って育てたんだ。そのゴミにまさか銃を向けられるたぁ、思ってもみなかった。こりゃあ傑作だぁ、ハロウッド映画もびっくりだ」

「ああ、お前がナーディオ師匠ならこんな事をする必要はなかったんだがな……。お前の正体はブリゾズ、だろ?」

「おっと、そこまで気付いてたか! 見た目以上の知能はあるらしいなぁ。流石俺の一番弟子だ!」

 男はニヤリと不敵で気味の悪い笑みを浮かべた。ナーディオの顔や体はどろどろと沸く。


「ひ、ひぃ……」

 ミリナは変わっていくナーディオの姿を見て、顔を引きつらせた。


 背丈は高く、すらりとした体型。面長で目のくぼんだ顔。

 温厚で無骨、筋肉質な印象のナーディオとは、真逆の紳士的な姿であった。

「如何にも、わたくしがムッシュ・ブリゾズ」男は深々とかつ紳士に頭を下げた。「いやー、楽しかったですよ。いろんな人間を演じ、いろんな人間や怪物を殺す駒遊び。わたくしが作り上げた楽しくも儚い舞台。そして、フィナーレを飾るのは怪物の大行進、うーん、なんとも言えぬ絶望!」


 男はそう喋りながら、自分の言葉にうっとりとしている。


「おい、死にたくなければ、怪物を止めろ!」

 痺れを切らしたバレントは、引き金に指を掛け、ゆっくりと歩み寄る。

「私を殺してもあなた方の家族は戻ってきませんよ?」ブリゾズはわざとらしく目を見開き、おちょくるように腕を広げた。「特に後ろのお嬢ちゃんはそう思ってたんじゃないんですか?」

「それは——」

「貴方が地下牢で静かにしていれば、その子は今もきっと偽の母親、偽の貴方と慎ましく暮らしていたはずでしょう? それを踏みにじってまでやる事がそれで——」


 銃声が言葉を遮る。

 引き金を引いたのは、静かに事の成り行きを見守っていたアーリだった。彼女は苦虫を潰したような、軽蔑と批難の混じった顔でブリゾズを見ている。

 男の顔面にめり込んだ弾丸は、筋肉の中にめり込んでいき、内側で爆発を引き起こす。吹き飛んだ肉片は地面へ落ちるが、顔面の組織は蠢き、自らを修復していく。


「突拍子もない性格ですね。流石はあの——」

「うるさい! 私の事は私が決めるの!」まだ煙の伸びる銃口を向け、アーリはきっぱりとそう言った。「他人の人生を勝手に変えるなんて、酷い……どうやって責任を取るの⁉️」 

「はて? 責任、そんなもの必要ないですよ。幼い貴方には分からないでしょうがねぇ!」男は打たれてもなお、へらへらと笑っている。「怪物を作り出し、それを自由に操る技術……強大な力さえ持っていれば、好きなだけ人を操り、屈服させ、従える事が出来る! 責任など必要ない、全部壊してしまえば、それでいいのだよ!」


 バレントはそこで、小さくフッと笑った。


「何がおかしい、バレント・レンクラー! この状況で何故笑っていられるんだ。そんなの私のシナリオには無いのだ! これは悲劇なのだ、喜劇じゃない!」


「お前は今、自分の口で言ったんだ『怪物を自由に操る技術』とな」バレントの手に握られた二つの銃がブリゾズを見据える。「お前を殺しても、怪物は止められるって言う事、だろ? 怪物が街に行くまでは、まだ十分時間がある」

「なーるほど、バレントさん、頭いいですね! あたしの新しい師匠になってくださいよ!」そう言うとミリナは二丁の拳銃を取り出した。「前の師匠と兄弟子は怪物を止めるために……死んじゃったんで!」

「ああ、生きて帰ったらな」

「ったく、呆れるな。これだから、人間は嫌いなんだ。反吐がでる」

「もし、能力使いすぎてまた倒れちゃったら、ごめん」

「うん、アーリちゃんが倒れても私が守るよ!」


 ブリゾズは頭を抱え、なにか譫言を呟く。

「こ、こんなのはシナリオにはない……こいつらはここで絶望の淵に落ちて……いや違う、違うぞ……こいつらを潰せば史上最高の悲劇の完成だ! 意気揚々と掛かってきた人間達を叩き潰し、平和しボケした街の市民は怪物達に噛み殺される。そうだ……そうだ……これこそが……」


 男の体はまたぼこぼこと沸き立ち始める。

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