第34話

 ブリゾズは痛みに苦しみ、悶えるような声を上げた。みるみるうちに男の体は二倍ほどの大きさになっていく。その輪郭は歪で、様々な生物の特徴を切り貼りしたような異形の姿へ変わっていく。

 体と頭部は鎧のような黒い外殻に覆われ、右腕は毛深く丸太のように太い。左腕はドロドロとした粘膜が滴る無数の触手へ、そして巨大な蜘蛛のような脚部がそれ全体を支えている。背中からはさらに数十本の触手が生え出し、それらの先端には鋭く青く光るナイフが手招いている。

 思いついた全ての怪物の特徴を詰め込んだ、異形の姿であった。それはまるで子供の落書きか、はたまた悪い夢に出てくる得体の知れないものか。目にするのも憚られるほどの姿で、ある事は確かだった。


「き、気持ち悪い……あんなのが師匠だったなんて」

 ミリナは少し目を逸らしながら、変わり果てた師を憐れむような表情を浮かべている。

「……どっちが怪物なんだかな」

 蔑むような視線を送っているバレントは、そう言うと躊躇なくショットガンの引き金を引いた。

 重たい銃声が鳴り響き、触手が数本弾け飛ぶ。

 赤黒い血と粘膜が染み出し、水槽から溢れた青白い光が混ざり合って、気味の悪い色の液体が床に散乱する。

「だあお、ぉろああがざ」

 空間全体に響き渡る、洞穴のような声。怪物と成り果てたものは、カサカサと多脚を動かして、近づいてくる。


「下がれ!」

 バレントは後ろに下がりながら、ショットガンを撃ってはリロードし、また撃つ。

 だが、足の一本や二本吹き飛んでも、怪物は止まらない。ミリナやアーリが放った弾丸は、怪物の腕にめり込んで行き、体の一部に成り果てるのみだ。

 やがてミリナとアーリが撃っていた拳銃はカチカチと音を立て、弾が撃てなくなった。

「……この銃、効かないです!」

「うん、ショットガンじゃないとダメみたい!」


  怪物はそんなこと歯牙にもかけず、触手をアーリに向かって伸ばす。 

「ごおぢ、じごおおい」

「クソッ……下がれ、アーリ!」

 間に入ったバレントの手にあったショットガンを鞭のように絡め取って、投げ飛ばす。

「一旦距離を取れ——」

「じがざんぞごご……」 

 怪物はバレントの足首に触手をからみつけ、転ばせ、そのまま自分の方へ引き摺り込もうとする。

 バレントはそれを蹴りつけて引き剥がそうとするが、粘膜でかかとは滑り続け、力がうまく伝わらない。 

「ば、バレント!」

 アーリは前に駆け出し、鉄の鉤爪で触手を切りつける。近づくのは危険だ。アーリもそれを分かってはいるが、バレントを失うのはもっと嫌だった。

 触手はぶつりと切れ、根元の方はずるりと引き下がっていく。未だバレントの足首に纏わり付いている触手は、まだ生きているようで、ばたばたと動いている。

 怪物は近づいて来たアーリに向けて、これ見よがしと触手を伸ばす。

「ごがげご、ぢがががごじぎ」

 怪物は数十本の触手でアーリの右腕を絡め取る。肩から先がもげてしまいそうなほどの力に引っ張られていく。なんとか怪物の力を使って、力で対抗する。

「は、離して!」

「ごぎ、ごぎ、ごぎ!」

 怪物の目に好奇の色が映る。彼はアーリを取り込もうとしているのが、言葉を発さなくてもわかった。


 アーリは気色の悪い触手を掴み、ハンマーのように横へ力一杯振るった。ナーディオ相手だったなら、こんな事はしたくなかったが、今の彼は意思疎通のできない怪物だ。

 脚を数本吹き飛ばされていた怪物は、地面で踏ん張る事もできずに、壁の方に投げ飛ばされ、装置の一つにぶつかって、鈍い打撲音と共に止まった。

 それでも怪物は、アーリを引き込もうとするのを諦めてはいないようだ。それどころかむしろ、先ほどよりも強くなってきているようだ。


 ループとミリナはアーリに駆け寄り、引き摺り込まれないように引っ張った。

「ば、バレントさん! ショットガンを!」

 ミリナが慌てて、叫んだ。

「ああ、分かってる!」

 バレントは前に飛び出し、アーリの右腕に絡みついている触手に、ショットガンを向けて、引き金を引く。近距離で打ち込まれた火炎散弾フレイム・シェルが、赤黒い触手の束を、汚らしい肉片へと変えた。

「あ、ありがとう!」

「ああ、早く下がれ! まだあいつは動いてるぞ」


 怪物は切れた触手を見て、わなわなと震え出した。

「ぐがげ、ずが、だああ!」

 金切り声が全員の鼓膜を揺らす。

 大気が、そして水槽のガラスが震え出す。メキメキとヒビが入り、中で青白く光っていた蛍光色の液体が漏れ出し、床に広がっていく。

 駄駄を捏ねる子供のように触手や無数の腕が、地面を叩く。頭を振り、暴れ出す。体が膨れ上がり、触手が周りの機械類を手当たり次第に引き寄せ、どろどろに溶けた体がそれらを飲み込んでいく。

 筋繊維と機械と触手。全てが一つとなり、目にするのもはばかられる形へ変化する。あえて、形容するなら子供が五分で粘土で捏ねたものに、金属片を混ぜ込んだと言うのが一番正確だろう。

 人間だったナーディオの影も形もなく、ただただ暴れ狂う怪物がそこにいるだけだった。

 足など無く、地面をずるずると移動している。両腕は機械の部品に覆われ、その中で触手が蠢いていて、辛うじてその腕と呼べるほどだ。頭部と思われる部分はドロドロの体に埋め込まれていて存在しない。

 

 その光景を前にアーリは絶望に包まれ、足がすくむ。そして一つの事を思い出す。

「……ねぇ、きっと私が狙いなんだ。あの人も言ってたんだ、ナーディオさんは私が必要なんだって。だから、私が捕まれば——」

「お前が捕まってどうする? それで街が救われるわけじゃないだろう、下がれ!」


 ループはアーリの服を噛んで、無理矢理後ろに下がらせた。

「バレント、あいつを倒すのはもう諦めろ!」ループはそう言って前に出る。「私があの化け物を惹きつける! お前はあの奥へ行ってどうにか、怪物達を止めろ!」

「分かった、ミリナ、アーリ、お前らも手伝ってくれるな?」

「はい、新師匠!」

「俺は右から回る、アーリとミリナは、一緒に逆から回ってくれ」

 バレントはライフルを怪物に向けて撃ちながら、走っていく。

 怪物はその行動に気が付いたのか、機械に塗れた腕を振るい、バレントの行く手を阻もうとする。

「こっちだ、化け物!」

 その声に気が付いたのか、化け物はごぼごぼとなにか声にならない言葉を叫びながら、腕を振るう。

 ループはそれを華麗に避ける。

 勢いのあまった攻撃は一つの水槽にぶつかり、弾け飛んだガラス片や液体が腕に飲み込まれていく。

 

「行こ! アーリちゃん」

「……ごめん、私はあの人を止めなきゃ」

 アーリは走り出す。自分の家族を、そして街を、友達を守りたい。

 それが彼女の信じた道だからだ。止められたとしても、ダメだと言われても彼女は止まりたくなかった。


 たとえ、自分の命に変えてでも。


「ループ! 私も、一緒に戦う!」

「なんで来たんだ! お前は——」

「聞かない、責任は取るの! 私がやる! やらなきゃだめなの!」

「ったく……仕方ないな」


 少女の中に溢れる信念や正義感、守りたいという意志に彼女の右腕が呼応する。燃え上がるような力が彼女の中に湧いてきたかと思うと、彼女の右半身は変化していく。

 若干の青を帯びた銀色の毛皮、二回りほど太い腕と鋭い鉤爪、そして守りたいという意志を反映したかのように前面を覆う甲殻のような鎧。狼のような右半面では、鋭い眼光は赤く煌めいている。

 先ほどまで痛んでいたことが嘘のように、全身に力が湧き上がってくる。

 

「行くよ、ループ!」

「ああ……死ぬなよ」

「うん、絶対生きて帰る! みんなに会うって約束したんだもん!」

 化け物は変化したアーリを見て、ごぼごぼと、嬉しそうに呻いている。そして、少女を飲み込もうと、触手を伸ばす。


「来るぞ! 飛べ!」

「分かってる!」

 湧き上がる力は、軽やかに足を動かしてくれる。少女は化け物の腕を飛び避け、鉤爪が触手の表面を抉り取る。

 斬撃を受けた場所は、即座にぼこぼこと泡立ちはじめ、自らを修復しているようだ。

 ループは怪物の毒を帯びた爪で腕の内側を切り裂くが、あまり効いてはいない。


「どこまでも気持ちの悪い化け物だ……」

「……どうすれば」

 アーリはそう呟き、化け物の姿をもう一度確認する。なぜだか、ぼろぼろになったガードベルが思い浮かぶ。

「……もしかして、ループ! 待ってて!」


 アーリは化け物が引き抜こうとする腕に飛び乗り、金属片の上を軽々と駆け上がっていく。


「何をしてる! アーリ!」

「ちょっと待ってて!」

 巨大な化け物の腕を形作る触手は、上を走る少女を飲み込もうと伸びる。

 だが、少女はそれが足を絡め取る前に肩まで駆け上がると、二つの形の違う爪で腕の付け根を搔きわけるように切り裂いていく。

 アーリの足元では触手が脚を巻き取ろうとしている。


「は、早く離れろ!」

 ループはそう叫ぶと化け物の腕を軽やかに駆け上がり、どうにか腕の動きを止めようと爪を、そして牙を突き立てる。

 だが、化け物も黙ってはいない。残ったもう一方の腕を振り上げ、腕の上に登っているアーリとループを弾き飛ばそうとする。

「アーリ! 飛ぶぞ——」

 逃げようにも足に絡みついた触手で身動きは取れない。真っ黒な影が彼女達の頭上から落ちる。


「くっ……」

 ループは思わず、痛みを想像し目を逸らす。


 その時、彼女の上空で爆発が巻き起こる。

「旧師匠! あたし、こっちですよ!」

 ミリナが叫んでいる。

 怪物がごぼごぼと唸ったかと思うと、標的をミリナに変えたようで、振り上げた腕を彼女に振り下ろす。


「え……うわ!」

 巨大な腕が振り下ろされる。だが、ミリナが避ける間も無く、その腕はぐわりと揺れ、彼女のすぐ側の地面を叩きつける。

 ループ達の足元で蠢いていた触手達が動きを緩めた。かと思うと、足元はぼとぼとと崩れ始めた。

「お、おい、アーリ!」

「平気! 降りよう!」

 彼女達は崩れゆく化け物の右腕から飛び降りた。

 地面に足がついたかと思うと、化け物の肩から先がもげ落ち、衝撃と共に打ち付けられる。かと思うと、落ちたそれは動きを止め、太陽の下の氷がごとく溶けていく。

 片腕のなくなった化け物は体勢を崩すが、辛うじて残った腕が巨体を支えた。


「……やった、こうすればいいんだ!」

「アーリ、一体なにをしたんだ?」

 アーリが右手を開くと、その手の中には紫色の小さなクリスタルが握られていた。

「……多分だけど、これがあいつの力の源だと思う!」アーリはぐっとそれを握り込む。「感じるの、同じ波長を私の右手から。きっと体の色んなところ埋め込まれてるはず」

「そうか、分かった。全て取り除けば、化け物は止まるんだな。やってみる……しかないな」


 化け物は呻き、どうにかなくなった腕を修復しようとしているが、上手くいってないのは一目瞭然だ。

「……行こう、ループ」

「ったく、母親の前にいた気立てのいいお前はどこへ行ったんだか……」

「もう! うるさい!」

 語気は荒いが、アーリは気恥ずかしそうな笑みを浮かべていた。

「……フッ、行くぞ!」

 

 アーリは化け物の腕を駆け上がり、ループは首根っこに食らいつく。

 ドロドロとした気色の悪い触手達は、彼女達を飲み込もうと伸びてくる。



 バレントは空間の奥にあったもう一つの小さな部屋に辿り着いた。この場所はよくわからない機械が所狭しと並べられ、意味不明な数値や波紋のような模様が映し出されるスクリーンが幾つも置かれている。

「……くそっ」

 バレントにはどれがなんの役割を果たしているかも分からなかった。

「お、遅くなりました!」

「ミリナ、お前は機械に詳しいか?」

「いえ、全く……」

「そうか」バレントは機械の乗せられた台を殴りつける。「一体どれが——」

 その時、機械の一つがノイズ混じりのジリジリとした音を放つ。

 バレントとミリナがそちらの方を向くと、意味を成していなかった音に、彼らが聞いた事のある声が混じる。

<……い、……こえる……、こち……ッドだ!>

「えっと? どう言う事ですかね」

「おい、ロッド! 聞こえるか! バレントだ!」

<……あ、聞こえる……よかっ……そっちは大丈夫か>

「ロッドさん⁈ この中に居るんですか?」

 ミリナはそう言うと、音を発する機械をコツコツと叩く。

<ミリナも……るのか、おい、やめ……繊細なきか……なんだ!>

「ミリナ、やめてくれ」バレントは機械に興味を示すミリナを引き剥がす。「これが何かは後で話す。まずはロッドに怪物を止める手段を聞くんだ!」

「……は、はい!」

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