第32話

 アーリ達が城に戻ると、銃声は鳴り止んでいた。弾丸によって穴の空いた扉は半開きになっていて、中からは誰の気配もしない。


「バレントー!」

 少女が中を覗き込むと、巨大なシャンデリアの下敷きになる三人の男達、地面に散らばるガラス細工が目に付いた。そこにバレントも母親の姿も見えない。少女の声が閑散としたホールに虚しく響き渡るのみだ。

 中に入ると床に散らばるガラス片が、靴の下でパキパキと鳴る音が耳に響く。そして左側の鍵が閉まっていた扉が、開け放たれている事に気付くことができる。


「バレントもこの付近にいる、匂いは追える。それよりも早く武器を取りに行くぞ」

「はい!」ミリナは男達の傍に落ちていた小さな黒い銃を拾い上げた。「あ、これも貰っていきましょう!」

「お前、使い方は知ってるのか? 私は見た事ない武器だが……」

「あ、さっき、この人たちが撃ってるの見ました! なんとなくは分かりますよ」

 彼女は見た事ない銃をまじまじと見て、虚空目掛けてそれを構えている。

 ループは訝しげにその様子を見ている。

「そんなんで撃てるわけがない——」


 乾いた銃声がホールに響いた。放たれた弾丸が武器部屋の扉にめり込むと、衝撃で扉がキィと少し開いた。


「う、撃てました! これも普通に銃みたいですね、師匠!」

「……ったく、まぁいいか。それも貰って行こう」

「はい、三個あるからあたしが二個持つ! アーリちゃんも一個持ってて」

「うん」アーリはそれを受け取るとジャケットの内側ポケットに押し込んだ。「早く武器、取りに行こう。ナーディオさんを止めなきゃ」


 部屋に戻り、武器を装備すると、より一層の緊張感が彼女達の背に襲いかかる。ランタンが暗い部屋を照らす。


 ナーディオを止めるためにどうすればいいのか。そして、止めたとしても街に向かっている怪物がどうにかできるという保証はないのだ。

「準備はいいな?」

「はい、いつでも行けます!」

「うん!」アーリは銀色の腕甲を手に付けた。「それで、ナーディオさんはどこに?」

「それがな……この階のようなのだが、お前らが寝ている間に探してもどこにもいないんだ」ループは部屋から早足に出て行く。「とりあえず付いてこい」


 二階中央にある部屋の前で立ち止まると後ろの二人を振り返った。

「この部屋で痕跡は途絶えてるんだが、ここからはどこにも繋がっていない」

「ここって……王様の部屋だったよね」

「あたし達もさっき見たけど……」ミリナが扉を開けて中に入るが、先ほどとは何も変わっていない。「王様の椅子があるくらいで……」

「すまない、あいつがここに入った事は確かなんだが」

「とりあえず探してみよっか」


 彼女達はその部屋を探るが、一度も人が入った事がないと語りかけてくるようだ。

「うーん、本当にここなんですか?」

「ああ、私の嗅覚がそう言っている」ループは今一度床の、そして部屋全体の匂いを確かめる。「どうやらここには何度か入っているらしい。ナーディオのうさんくさい匂いで鼻が曲がりそうだ」

「もう一回きちんと調べて——」

「……待て、誰か来るぞ」

 ループが叫んだその時だ。部屋の外から階段を登る音が聞こえてくる。

 ぺたり、ぺたりと裸足が階段の石材を貼り付けている。かと思うと、スゥースゥーと荒い鼻息が聞こえてくる。

 アーリとミリナが銃を構えた、その瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。衝撃で留め具が外れ、扉だったものが宙を舞う。


「見つけたぜぇ? クソ狼としみったれたガキ供!」

 部屋中の埃が吹き飛ぶほどの声量。

 月明かりを背後に、扉に入ってきた人物のシルエットが浮かび上がる。怪物かと見紛うほど暴力的なまでの筋骨、長い髪の毛、そして歪に欠けている頭部。

 ランタンの光の中に男が入ってくると、その全貌が露わになった。


「くそ……ガードベルか」ループは咄嗟に背を低くし、飛びかかる体勢を取った。「バレントはどこだ!」

「ああ? あのおいぼれかぁ」男の残っている右頰がニタリと笑う。「ブチのめして、怪物の餌にしてやったぜ⁈ さぞかし不味いメシだろうがなぁ!」

「ふざけないで、そんなの嘘よ!」アーリは叫び、ライフルを向ける。「ナーディオさんはどこ⁈ 答えて!」

 何も言わず、ミリナもほぼ同時に銃を向けた。


「おー、可愛い可愛い私の娘! そんなものは降ろして? 一緒にここで暮らしましょう?」

 ガードベルはおちょくる様に、わざと下手な女の声を真似ながら、大袈裟な役者のように腕を動かしている。


 アーリは一切の躊躇なく、引き金を引いた。

 弾丸は男の肩を貫くが、ガードベルは平然とした様子で肩の銃創を見ている。

「やっぱり、お前もクソジジイに似て——」

「うるさい! ナーディオさんはどこ! 教えなさい!」

「おいおい、俺のことを嘘つきと呼んだのは誰だっけか。それに今から行っても、もう遅いんだぜ、だったらお前らに出来る事はない!」ガードベルは拳を握り込む。「お母さんの言う事を聞ける娘は……ベッドでおねんねする時間だぜ!」


 男の脚が生み出す爆発的な力が、床の石材を粉々に砕くほど力強く地面を蹴った。

「アーリ!」「アーリちゃん!」

 ミリナの放った弾丸すらも分厚い筋肉に納め、男は少女に近距離戦闘を仕掛ける。分厚い拳が少女の腹を殴りつける。


 うぐっ、と少女の唇から声が漏れたかと思うと、アーリの体は背後の壁に叩きつけられていた。

 暴風の中に置かれた一本のろうそくの灯火が如く、少女は今にも意識を手放してしまいそうになる。そして、落雷を受けたかと思うほど、重たく痺れるような痛みが全身に走る。今、ここで意識を飛ばしてしまった方が楽だとさえ思うほどだ。


「手加減したんだけどなぁ。じじいでも二発は耐えたのに……やり過ぎちまったかぁあ」

 ぐわんぐわんと脳に響くような男の声に、少女が視線をあげると、ループとミリナが男を止めようと動き出していた。


「——だ、だめ」

 少女のか細い声は届かない。


 ミリナは赤く発熱するナイフを、ループは毒の滴る爪と牙を男の体に突き立てる。

 ナイフは男の脇腹に深く入っていき、刃に触れる筋繊維全てを焼き焦がす。肉の焦げる匂いと真っ黒な煙が立ち上る。

 ループは男の腕に飛びかかり、肩に牙を突き立て、爪で筋肉を引き裂いた。


 それでも男は苦悶の表情すら浮かべない。寧ろ、この状況を楽しんでいるかのように、猟奇的な笑顔を浮かべている。

「クソ邪魔な虫どもめッ!」

 背後にいたループの顔面を掴んで引き剥がし、ミリナ諸共巻き込んで投げ飛ばす。肩の筋肉は引き千切れ、その下の毒に塗れた黒光りする骨格が姿を見せる。

「雑魚はすっこんでろ! 俺はこいつだけに用があんだよ!」


「……ループ、ミリナ……さん」

 少女の目には壁に投げつけられて、ぐったりと項垂れる二人が映る。キンとする耳の内側で、自分の体に流れる血がドクドクと弾けんばかりの鼓動を紡ぐ。

 

「あぁ? まだ意識があったのか!」男は高笑いを部屋いっぱいに響かせる。「こりゃあ、いい! 通りでナーディオのおっさんが欲しがるわけだ!」


 少女の心の中にドロドロと歪んだ感情が湧き上がる。捉えられる特定の形状を成さないそれは、幼い彼女には理解し難い物だった。しかし、決して気持ちの良い物ではない、持っていてはいけない感情であることは判る。

 そして、それを引き起こしている原因が、目の前にいるあの男であることも。


 気がつくと少女は立ち上がっていた。


「……さない」

「は? 聞こえねぇな、やっぱり寝ちまってん——」

「ゆる、さない!」

 

 そう言葉を放った瞬間、少女の右手が光を放つ。内側から皮膚を突き破らんとするほどの痛みが走る。

 アーリの右腕が彼女の感情に呼応するように蠢く。針の様な黒い毛皮に包まれ、まるで棘のついた鎧のように幾本もの鋭く短い角が生え出す。

 瞬く間に、少女の右腕全体が怪物のものへと変わっていく。

 そしてその変化は少女の右半身を飲み込み、顔面の右半分が怪物へと変わる。狼のような鋭い目つき、爛々と輝く赤い瞳、そして尖った耳。

 半人間半怪物と化した彼女を見て、ガードベルは一瞬戸惑い、そしてニタリと満足げに笑う。

「なるほどなぁ、その姿がブリゾズの野郎がお前を欲しがった理由——」

 

 ガードベルが言葉を終えるよりも早く、アーリは男の間合いに突っ込んでいた。黒い拳が男の胸を撃ち、無数の棘が筋繊維を抉り取るように引っ掻く。返り血が少女の顔を、そして黒い毛皮を赤く染める。


「ざっっけんじゃねぇ!」

 男は少女を捕まえようと手を伸ばす。だが、少女の動きは目に捉えられるものではなかった。彼女はすでに男の体を切り裂きながら、側面に回り込んでいた。


 アーリは自分を傷つけようと振るわれる拳を躱し、怪物の爪と発熱する腕甲の爪を振るう。

 男の腕を、肩を、首筋を。目に見える男の全てを破壊するために。


 彼女の体を突き動かしているのは、既に彼女の意識ではなかった。

 憎しみ。怒り。苦しみ。悲しみ。湧き出る全ての、行き場のない感情がこの男を殺せと叫んでいた。


「く、クソがッ!」

 男は脆く剥がされていく自分の肉体に、そして目の前で暴れる少女に向けて吐き捨てるように言った。流れ出す血液が、床に敷かれた朱色の絨毯に染み込んで、外の朝焼けの様に紅蓮に染め上げた。

 

 男が振り抜いた拳を、少女の右腕の棘が逆撫でる。細切れになった人工筋肉片が地面に落ちていく。そして、冷たい鉤爪が男の首を抉った。

 流れ出した血が少女の腕に生えた毛皮を伝って、床に流れ落ちる。発熱する人工の鉤爪が、一切の躊躇なく男の心臓に深くめり込んでいく。


 焦げ付いた血の匂いが鼻を刺しても、ガードベルが膝をついて後ろに倒れ込んでも、男の残されている片目から生気が失せても少女は力を緩めなかった。

 

 この男はまだ生きている。まだ人間の形を保っている。母親を偽っていたこの男——。


 殺す——、引き裂く——、体全て——、もう二度と——。


「バレントを、返せ! お母さんを、返せ!」

 少女が気がつくと、地面に力なく寝そべる男の顔面を、首を、体全体を思いのままに殴り続けていた。

 目は涙で溢れ、目の前で血溜まりに寝そべっている男の姿が霞んでいく。


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