第31話

「ば……バレント!」「バレントさん!」

 突然の出来事に呆気を取られているアーリとミリナの目の前で、バレントは地面に倒れ込んでいる。瞳孔は大きく開き、体からはだらしなく力が抜けて、糸の切れた操り人形のようにホールと扉の間で寝そべっている。


 外から砂を踏みしめる音が聞こえた。

 アーリ達がゆっくりと顔を見上げる。

 黒い革のブーツ。くたびれたジーンズ。薄汚れた深緑色のジャケット。手に握られたライフルからは硝煙がまだ薄く伸びていて、背にはもう一本、銃を背負っている。


「ば、バレント……⁈」

 

 彼女達の目の前に立っていたのは、殺されて倒れているはずのバレントであった。

 顔は黒く汚れ、傷だらけ。殴られた様な痣もできている。

「行くぞ」バレントは低くはっきりとした口調で言った。「街を救うんだろ?」

 

 彼は手を二人に向けて手を差し出した。

 死んだバレントと殺したバレント。訳の分からない状況に戸惑う二人。

「どういう——」

 

 カチャリ。彼女達の後ろ、バルコニーから四つの音が聞こえる。

 ミリナが振り返るより早く、バレントは二人を扉の外に引き摺り出した。

 火薬の音がホールに鳴り響いたかと思うと、彼女達の背後の扉を銃弾が貫く。分厚い木製の板から木片が弾け飛び、穴を開けた。


「どういうこと⁈」

「説明は後だ! 行け! ループと合流しろ!」

「ちょっと待っ——」


 アーリは入り口に寝そべっているバレントの体を見た。驚くことに、皮膚がドロドロと溶け出し、それはバレントでは無くなり始めていた。

「早くしろ!」

「い、行こ、アーリちゃん!」

「……う、うん」


 異様な光景。訳の分からない状況。信じられるのは目の前にいるミリナだけだ。

 アーリはミリナに手を引かれながら走っていった。


 二人が去った後に残されたバレントは、銃を握り締め、弾を込めた。

 じっとりとした手汗、冷たい鉛弾。 

「少女が逃げた! 追うぞ!」

 ホールに声が響く。ドタドタと階段を降りてくる足音が続く。


 バレントは自分だった物を跨いで中に入る。

「散々、殴ってくれたな……」

 怒りの篭った静かな呟きは、ホールに降りてきた全員の足を止めさせた。メルラ、そして三人の手には拳銃が握られていた。


「ば、バレント! アーリが行ってしま——」

 一発、銃弾が天井に放たれる。

 ぴしゃりと張り手を打たれたように、空気に緊張が走る。

 

 銃をリロードする甲高い音が響き、空薬莢が地面に落ちる。

「あの子は騙せても、俺はもう騙されない」ライフルに弾を込め、淡々とした口調でバレントは続けた。「動くなよ、お前らもこいつらの威力は知ってるだろう?」

「ど、どうしたの? バレ——」

 バレントは背負っていたダブルバレルショットガンを左手に持ち、メルラに銃口を向けた。

「化けの皮を脱いだらどうだ? メルラの真似事は疲れただろう?」

「何を……言ってるの」

 メルラは表情を引きつらせ、震えた声を出す。

「そんな物騒な物を自分の娘に向ける母がどこに居る」 

 

 メルラは一瞬ハッとしたかと思うと、項垂れて高らかに笑い出す。

「そうよねぇ……」

 女の甲高い声に、低い男の声が混じる。ボコボコと彼女の皮膚が溶岩のように湧き出したかと思うと、それは細い女の体を飲み込んでいく。

「お前にはバレてるよなぁ……こいつの体を演じるのは苦しかったぜ」

 完全に男の声になったかと思うと、エイプロスの様な筋肉が隆起し、身長が二メートル近くある大男が姿を表した。


 メルラの服はビリビリと裂け、生まれたままの姿の男。髪は腰まで伸びるほど長い金髪。岩の様なゴツゴツとした男らしい顔。全身を覆う鎧の様な筋肉。


「やはりお前だったか、ガードベル」

「どっかのお人好しのジジイが、トドメを刺さなかったおかげで助かったぜ?」

「ふん、お前に女装趣味があるとはな……流石の俺でも知らなかった」

「クソッが! 減らず口は変わんねぇな」大男は腕を組み、苛だたしそうに奥歯をギリギリと鳴らす。「お前ら! このジジイをもう一度捕まえろ! 安心しな、抵抗しなければ殺しゃしねぇさ」

 

 大男の号令に、三人の狩人達が拳銃を構えてジリジリとバレントに歩み寄る。

 バレントはそんなことも気にかけず、ぽかんと天井を見ていた。


「おい」バレントはふと、近づいてくる三人に視線を移した。「上、気を付けろ」

 男達が上を向くと、吊り下げられていた巨大なシャンデリアが左右に大きく揺れていた。

 バレントの言葉を合図にしたかの様に、シャンデリアがぐわりと揺れ、重力に引っ張られて落下してくる。

 

 無数のガラス飾りが施された照明器具は、重たい鈍器となって、男達の上に振り落とされた。

 ガシャンと音を立て、宝石箱をひっくり返した様に煌びやかに輝く。

 下敷きになった男達は、痛みに堪えるように唸り声を出している。


「さあ、決着を付けようか、女装趣味の元団長様」

「うっせえぇなああ! くそがあああ!」

 ガードベルは足元に散らばるガラス片など気に留めず、バレントに向けて突撃をする。


 バレントは冷たい表情を崩さずに、ショットガンの引き金を引いた。

 発砲音は二度鳴り響いた。

 男の顔面に向けて放たれた弾丸は、頰と眼球にめり込んだかと思うと、爆発が巻き起こる。

 皮膚を焦がすほどの熱風と、視界を奪う黒煙が男の顔面を覆う。それでも男は突撃を止めない。


「いってぇえなあああ!」

 男は拳を振り上げ、力の限りに振り抜いた。


「力任せか」バレントは体をすっと横に逸らす。「変わらないな!」

 拳はバレントの顔面すれすれを抜け、背後にあった木製の扉を打ち抜いた。拳は扉を貫通し、めり込んでいる。


 男の顔が黒煙の中から露わになると、焼け焦げた皮膚と眼球の下から、黒みを帯びた骨格と千切れた筋肉が見えている。黒ずんだ機械油のような血が流れ出し、丸見えになった口腔内に流れる。


「避けてんじゃねぇえええぞお!」

 ガードベルの残った顔の半分が、般若のような怒りの表情を浮かべている。左腕を大きく振りかぶった。

 だが、拳が振り上げられるよりも早く、黒い銃口が突きつけられたかと思うと、引き金が直ぐさま引かれた。

 発砲音がしたかと思うと、弾丸がガードベルの顎下を突き破って喉の奥を貫通する。

 大男の体は動きを止め、がっくりと項垂れ、巨躯が膝を付く。

「体を弄り回されているお前でも、人間の骨格は保ってるんだな」

 バレントは太もものナイフホルダーからナイフを抜き、発熱スイッチを押し込んだ。


 城を離れ、来た道を戻ろうとするアーリとミリナは、息も絶え絶えになりながら一心不乱に走った。

「み、ミリナさん、ちょ、ちょっと!」

 アーリは手を引くミリナを止めようとするが、彼女は止まらない。シールドボアのように真っ直ぐ走っていく。

「ごめん、アーリちゃん! でも止まれない、止まっちゃいけない気がするの!」

「ど、どうして……」

「見たでしょ、あのバレントさんみたいな物が溶けてたの! 私の知ってる人間はああはなら無い、それだけで十分止まれ無い理由になるでしょ⁈」


 二人の前にループが駆け出してくる。

「来たか」ループは短くそう言うと、城壁の外に目をやった。「すまないな、お前らには言わずに飛び出してしまった」

「な、何が起きているの、説明して⁈」

「……落ち着け」ループは足元に視線を落とす。「……うむ、どう伝えればいいのか」

「ループさん! はっきり言ってください、どうなってるんですか!」

 言い淀んだループに、ミリナは語気を荒げた。

「難しい話だが……よく聞いてくれ。ミリナもアーリもだ」ループは二つの黄色い目玉を二人に向けた。「はっきりと言おう、お前らが慎ましく一緒に飯を食っていたバレントは偽物だ。そして……メルラも……だ」


 二人は険しい表情で見つめ合う。お互いに先ほどの記憶を頭に浮かべているようだ。

「あ、頭を撃ち抜かれたバレントが溶けているのを見たけど……お母さんは……」

「ああ、絶対に偽物だ。本物のバレントがそう言っていた」

 ループの真っ直ぐな瞳は、嘘を付いている様には見えない。


「そ、そんな……」

 少女の目から生気が消え失せる。

 やっと出会えた母親が偽物だった。どろどろと溶けたバレントの死体のように、彼女の心の支えが溶けていく。

 彼女の膝から力が抜け、地面にへたり込んだ。


「あ、アーリちゃん……」

「すまない。後もう一つ、言わなければいけない」ループは一瞬顔を背けたかと思うと、今度はミリナを真っ直ぐに見つめた。「機械の怪物を、誰が、作ったのかだ」

「……はい」

「う、うん」

「……ナーディオだ。アイツはこの城内のどこかで怪物を生み出し、砂の街に放っている。……方法は分からないが」

「し、師匠が……なんで、そんなこと……」

「理由は分からない。だが、この辺りのどこかにいるはずだ。捕まえて理由を吐かせるのは、怪物を止めてからでもおかしくはないだろう?」


 ループの言葉を受け、二人は口を噤んだ。

 信じていた人間に裏切られ、手にした幸せは虚構。誰を信じればいいのか、誰が信じられないのか。

 理解しがたい情報が一気に脳に押し込まれ、悲しみを覚える暇すらもない。感情を吐き出す言葉すらも見当たらない。

 何を探しにきたのか、自分達がここに理由さえ揺らぐ。


「お前らはここに居てもいい、私とバレントが——」

「……行く」

 アーリは俯いたまま、ゆっくりと立ち上がる。

「お母さんはここに居なかった、でもバレントは居た。それでいい」稚拙だがはっきりとした言葉だ。「私はこれ以上……私の周りの人間を失いたくないの!」

「ミリナは……どうする?」

「行きます」ミリナは唇を噛んで、湧き上がる感情を押し殺しているように見える。「師匠を止めるのも……弟子の仕事、です、から!」


「……分かった。まずはバレントと合流しよう、お前らの武器も取りに戻らねばな」

「うん」「はい」


 彼女達は元来た道を、一度は逃げ出してきた城へ向かって走る。

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