第24話

 アーリの手から写真がするりと滑り落ちる。

 彼女をそれまで奮い立たせていたなにかが、プツリと音を立てて切れる。全身の毛が逆立つようなピリピリとする感覚。

 ぐらぐらと揺れる視界。崖から突き落とされるような絶望。胸の辺りがなにかにキュッと締め付けられる。


 一瞬にして全てを理解した。おかあさんは私を捨てて、ここで暮らしていたんだ。どうしてなの。

 お父さんはどこに行っちゃったの。お母さんも私も捨てちゃったの。

「お母……さん……おとう……さん」 

 先ほどまで他人事であった日記の文字、一文字一文字が急に現実味を帯びてくる。

「……どういう、こと、なの」

 例え母や父の顔が朧げな記憶の中で薄らいでいても、自分の幼少期の顔は覚えている。写真の中でみる自分の両親は、一人の小さな子供の両脇で幸せそうな笑顔を浮かべているのだ。間違いではない。


 目の上が重く、熱い。

 彼女の中でぼこぼこと湧き上がる感情。今までひっそりと押し殺していた寂しさ。それらの全てが彼女の頬を伝う涙となって流れ落ちる。

「……なんで……なんでなの」

 彼女の啜り泣く声が部屋にこだまする。

 外にいるミリナやループに気付かれないように、口を押さえて咽び泣く。

 

 両親に捨てられた悲しみ。母の日記から伝わる孤独。薄暗い記憶。溜めに溜め込んだ寂しさ。

 家族とはなんなのだろうか。彼女の中の家族という枠組みがぼろぼろと崩れる。


 しばらく、声を抑えて泣いていたアーリだったが、耳のいいループが気付かないはずもなかった。

「……」

 何も言わず、静かに家の中に入ってくる。

 その後ろに付いてくるミリナも心配そうにアーリの顔を覗き込もうとするが、少女は涙を隠すように顔を背けた。

「あの……」

 なにか言いかけるも、ミリナはそれ以上喋らず、アーリの隣に腰掛ける。

 床に落ちている一枚の写真を目に止めるループ。

「そうかメルラは……アーリの母親はここに居たんだな」

「……うん」

 アーリは咽び泣きながらも返事を返した。

「お前そんなに泣くなんてあの日以来だな」

 ループはどうにか泣きじゃくる少女の機嫌を取ろうとするが、あまり上手くは行かない。

「おか、あ……さんは……ど、どこに、い、行っちゃ……ったんだろう」

「……それは分からないな」

「……うん、だ……だよね」

 アーリはどうにか無理矢理泣き止もうとしているようだが、言葉がすらすらとは出てこない。


 心配そうに見つめるミリナと、どうにかしようとするが首を捻るのみのループ。

 少女が鼻を啜る音のみが、ランタンの灯る部屋に、そして静寂の砂の街に響く。


「ゆっくりでいいよ」ミリナはアーリの背中を摩りながらそう言った。「どうしたの?」

「……う、うん」

 少女の背中に伝わるぬくもりのあるミリナの手の感触。ループの吐息。

 周りに誰かが居てくれる。

 それだけで少しずつ気持ちが安らいでいく。


「……ご、ごめんな、さい」

 アーリは濡れた頰を拭った。

 目は赤く、腫れぼったい。だが、先ほどより内側から湧き出す感情が収まってきた。

「大丈夫だよ」

 ミリナはいつになく優しく言葉を掛けながら、アーリの背中を摩っている。

「ああ……大丈夫だ」

「……これ、お母さんの日記だった。ここに、お母さんは居たんだって、全部書いてあった」そういうとアーリは母の残した日記を膝の上に広げた。「私の事、お父さんの事。お母さんが私を心配してた事、お父さんを待ってた事」


「……メルラの事はよく知らないな。だが、メルラにはメルラの……お前をバレントに預けなければいけない事情があったんだろう」ループはそういうと写真を咥えて日記の上に置いた。「……お前を心配してなければ、写真も持って行かないし、お前の事も日記に書かないだろう?」

「うん……そう、だよね」

 

「アーリちゃんがよければ、私達がずっと側にいるからね。ね、師匠?」

「ああ、家族……と呼んでいいのか分からないが、私達はもう既に家族だ。勿論、バレントもば」

「……うん、ありがとう」

 

 泣いてばかりでは前に進めない。もう一つの家族、そしてその一員のバレントすらも守れなくなってしまう。

 アーリはもう一度写真を見つめた。

 笑顔の美しい母親と、端正な顔立ちで小さく笑う父親。間にいる自分。

 それらをもう一度目に焼き付け、彼女はパタリと日記を閉じた。


「ちょっと顔、洗ってくるね」

 アーリは立ち上がると鞄に、日記を仕舞い込んで、家の外へ出て行った。

「今日はもう遅い、アーリが戻ってきたら休もう」

「はい、師匠!」

「師匠では……まぁ、いいか……」


 砂の街にある家から橙色の明かりが消えると、辺りは月の光にのみ包み込まれる。

 静寂。たまに吹く風とそれに流される砂の音。


 ごちゃごちゃと色々な物が混ざり合う感情を胸に、少女は疲れに身を委ねて眠りに落ちる。

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