第23話

「アーリちゃーん、そろそろ出来るよ! ご飯たべよー!」

「うん、いま行くね」

 アーリはベッドの上に腰掛け、ランタンの明かりの下で残されていた本を読んでいた。


 本の全体はかなり黄色味を帯びて風化している。赤い厚紙の表紙は接着が外れ始めているのか、雑に扱えばページがばらばらになってしまうだろう。さらにページの端がぼろぼろと崩れているが、丁寧に扱えば読めないことはなかった。


 アーリが入り口に掛けられた布を潜って家の外に出ると、先ほどミリナが壊した机を薪にした焚き火が静かに燃えていた。暗い闇を明るく照らす炎を見ると、少し心が安らいだ気がする。


「うむ、いい感じだな。久々にまともな飯が食える気がする」

 その日の夕食はミリナが用意した、エイプロスの肉と玉ねぎとトマトを煮込んだスープだ。鍋の中でぐつぐつと煮立つ赤みを帯び、気泡が弾けるたびに酸味のある匂いが空気中に溶けていく。

 溶け出した玉ねぎとトマトの栄養が、スープの中に溶け込み、若干ドロドロとした液体へと変貌させている。

 

「これは師匠に習ったレシピなんです! 材料も少なくて済むし、どんな怪物の肉とでも合うって。まぁ、本当は塩とかスパイスがあればもう少し美味しく出来るはずなんですけど」そういうとミリナはスープを少し掬い上げて味見した。「ちょっと薄いけど……まぁいい感じ!」

 ミリナは火から鍋をおろし、それぞれの器によそった。


「いただきます」

 三人の声が砂の街に響く。


「おいしそう」

 アーリはスープを一口啜る。

 玉ねぎとトマトの甘みが口いっぱいに広がる。それにエイプロス肉から染み出した脂の旨味が溶け込んで舌を優しく包みこむ。

 スプーンで肉を掬って口に放り込むと記憶の中にある筋肉質で歯ごたえのある肉は、ほろほろと崩れるほど柔らかな肉になっていた。溢れ出んばかりの雄々しい獣臭さも、トマトの酸味が中和して、肉本来の持つ旨味だけが鼻を抜ける。


「すっごくおいしい!」

「ああ、バレントのより上手いかもしれんな。エイプロスの肉もあながち、食えるもんだ」

「ミリナさんって料理得意なんだね!」

「いやーなんか嬉しい! 師匠から教えてもらったり、見よう見まねだけどね……」


 ミリナはどこか恥ずかしそうに頭の後ろをかいた。彼女の頰は暗闇の中で少し赤く染まったようだが、彼女は器を持ち上げて自分の顔を隠すように、豪快にスープを食べている。

 アーリはミリナがこそばゆそうにしているのを見て、微笑ましそうに笑った。


「ところで家の中の机は使わないのだな?」

 中程まで食べ進めた所で、思い出したかのようにそう言った。

「まぁ……誰が住んでるみたいだし、机、壊しちゃったら申し訳ないですから!」

 ミリナが先ほどの出来事を思い出して言った。

 アーリはスープを飲みながら、ふふふと笑っている。

「すでに此処には居ないだろうが……ふむ、まぁいいか。アーリは本を何か読んで分かったか」

「ん、ううん」アーリは口に入っていたスープを飲み込む。「あんまりかな……読んでたのはおとぎ話の本だったみたい」

「なるほどな、ちなみにどんな話だ?」

「まだ全部読めてないんだけど……」


 アーリは本の内容を喋り始めた。

「ある所に欲張りな王様がいたの。その王様は世界中の宝物を集めては身に付けることが趣味で、食事も豪華なものばかり。国中の人々がどれだけ苦しんでも、どれだけ飢えても、王様は金や銀、高いアクセサリーを手放すことはしないほどにね。国民が王宮の前で怒り任せに叫んでも、王様の耳には届かないの」アーリはそこで足を伸ばして楽な姿勢を取った。「ある日、王様が宮殿の外を見ていると、外で叫んでいる人民達の中にいた一人の女性に目を留めた。宝石のように輝く目、高級な布のようにしなやかな髪。とても美しい女性で王様は彼女に恋をしてしまうの」

「ほう……」

「それでそれで⁉︎」

 ミリナは目を輝かして、まるで子供のようにはしゃいだ。

「うん、それで王様はすぐ女性を王宮に呼びつけて、豪華な食事を振舞ったり、綺麗な洋服をプレゼントしたり。あらゆる手を尽くしてその女性と結ばれようとするんだけど、彼女は首を縦には振らなかった。『じゃあどうすればいいのだ』と王様が言うと、女性はハッキリと『私は人々に富を分け与えられる心の優しい人と結ばれたいのです』って言うの。王様は三日三晩考えて、結局集めていたお宝も豪華な食事も諦めて女性を取ったんだ。一人の勇敢な女性のおかげで、国民は飢えから解放されたんだってさ」


 アーリはそう話し終えると、スープを飲んで喉を潤した。


「ふむ、なるほどな。まぁありがちな展開だが、まぁおとぎ話にしては上出来か」

「おー、面白いお話だね! もっと他のお話も聞きたいなー」

「また今度でいい? まだ別の本があったからそれを読みたいんだ」

 アーリはスープを飲み干した。

「うん! お皿は洗っておくから!」

「ミリナさん、ありがとう。ごちそうさまでした」


 アーリはまた家の中、ベッドのある部屋に戻ってベッドの上に腰掛ける。ランタンの明かりに照らされた本棚から一番新しそうな茶色の背表紙の本を手に取った。

 表紙に題名などは記載されていないが、先ほどの本より状態はよく、ページが取れかかったりはしていない。


「これは……?」

 少女は細い指で本を開いてみると、日数やその日の出来事が記載された、誰かの日記のようであった。

 アーリは人の思考を盗み見るという背徳感を覚えたが、文字の羅列を指でなぞりながら、小さな声で自分に染み込ませるために読み上げる。

「一日目、一番いい家を見つけたの。少し汚いけれど掃除をすればなんとかなるわね。水はあるけれど食べ物はあまりないけれど、どうにか見つけなきゃね。兄に預けたあの子は大丈夫か心配だけれど、あなたが言った事を信じるわ」

 その日記はかなり長い間、綴られ続けているようだ。ページが数枚に渡って、ヨレている。

「五日目、すぐそばにある池のほとりの木に果実がなっているのを見つけたわ。これで食事は平気よ。街は恋しくないけれど、あなたの事は待ち遠しいわ」

 アーリはさらに読み進めていく。

「二十日目、雨が降ってきたわね。早く屋根を直さなくちゃいけないわ。池の魚を釣るのはまた今度にしましょう。ああ、あの子が嫌いだった魚。あの子は兄の元で元気に暮らしているのかしら」

 魚嫌いな子供。妻、そして彼女が待つ貴方。アーリは三人の顔を頭に浮かべ始めた。段々と筆跡の薄くなっていく日記を彼女は読み進める。

「三十日目、今日で一ヶ月ね。この場所での生活も慣れてきた。ねぇ貴方はどうしているの? きっともうすぐ私に会いに来てくれるのよね。待ち遠しいわ」

 それからはほとんど毎日何を食べたか、何をしたかという事ばかりが綴られている。

 最後のページ以外は。

「三百四十日目、誰かがこの場所を見つけたみたい。見つかれば何をされるか分からない。逃げなければ……」

 少女がページを捲ると、何かがペラリと床へ落ちる。

「えっ……」

 アーリがそれを拾い上げると、それは写真であった。


 若い男女と小さな子供の写真。

 朧げに残る幼少期の記憶。蘇ってくる父と母の顔。

 そして、自分の顔が写っている。

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