第25話
「起きろ、アーリ、ミリナ」
「……んーどうしたの、ループ」
「なー、なんすか、師匠」
声量を絞ったループの声に、ベッドで眠っていたアーリとミリナが目を冷ます。
部屋の中はもとより周囲はしんと肌寒い。日はまだ登っておらず、辺りはまだ暗闇に包まれている。
「……静かにしろ。聞こえないか?」
気が付くとベッドの脇に置かれている本棚が、小刻みに揺れているのが分かった。更にピリピリと大気全体が震えている。重たい物が砂を踏みしめ、移動しているガシャガシャという音が、外から微かに聞こえてくる。
寝起きのぼんやりとしている頭にも、何が起きているのか、そしてなぜループが彼女達を起こしたのか分かった。
「……例の改造された怪物だ。間違いない。前の二体と同じ匂いがする」
「い、行きますか、倒しに?」
ミリナはループとアーリを交互に見遣った。
「うん、また街に行っちゃうかもしれない」
「いやダメだ、止めておこう。近くに怪物達の巣が、あるかもしれないのだろう? 戦闘中に別の怪物に乱入でもされたら、幾ら私達でも対応できない」ループは近づいてくる足音に注意を向けた。「だが、怪物がこちらに気づいてしまったら……その時は最悪、戦闘になるぞ、準備だけはしておけ」
「分かった。出来るだけ静かにね」
彼女達は寝起きの頭をなんとか働かせ、戦闘の準備を整える。
金髪の少女の左手には銀色の腕甲、右手にはライフル、太腿の横のホルダーにはナイフが差さっている。
ミリナはコートの胸ポケットに弾丸を詰め込み、アーリと同じようにナイフとライフルを身につけた。
「行きましょう、師匠」
「準備、できたよ」
「怪物の動向を伺いに行く。見て取れる情報は、全て集めておきたいからな。ただし、あまり近づかないように遠くからだ。分かったな?」
「……うん、今度は一人で勝手な事、しない」
「大丈夫です、今度はあたしがアーリちゃんを抑えますから」
釘を刺されたアーリは大きく頷いた。みんなを危険に巻き込む訳には行かないのだと、アーリは強く心の中に刻んだ。
「……行くぞ」
彼女達はその家を後にし、静かに素早く、怪物の近くに移動する。
アーリが砂の上を歩くと、小さい粒が擦れ合う音が鳴る。体重で革のブーツが沈み込み、かなり走り辛かった。
怪物の足音、もとい地響きは近くなってくる。
戦わないと決めたはいえ、アーリは緊張を覚えていた。
ループは度々、鼻をヒクつかせ、怪物の正確な位置を探っている。
「どうやら、昼間に進んでいた道を逆方向から進行してきてるらしい。家のどれか一つに身を隠して様子を伺うぞ」
そういうとループは静かに駆け出し、壁のみが残った家の残骸へ身を隠す。
「行こ、アーリちゃん」
「うん」
アーリ達もその後ろを付いていき、その中へ入った。
怪物の通るはずの道はこの家がある場所から二軒先だが、それら二軒も破壊されているため、壁から少し頭を出せば怪物の姿は見れるだろう。
誰も何も言わずとも、静かにしなければいけない事は分かった。
近づいてくる機械の駆動音と、それによって振動するアーリの足元の砂粒。
少女の手のひらがじんわりと湿り始めた頃、絵の具を塗りたくったように真っ黒だった空の色が、少しずつ橙色を帯び始める。
「……来るぞ」
ループが小声でそう言うと、怪物の駆動音と地響きが最高潮に達する。
少女の視界が左から真っ黒に染まっていく。かと思うと真っ赤な光を放つ球が、ゆっくりと小さく上下しながら彼女達の前を横切った。黄色いぼこぼことした鱗質の肌、ゴツゴツとした鎧のような甲羅、丸太を踏み潰せそうなほど太い機械の脚部が続き、短い尻尾が最後に通り過ぎた。
「ギガントータスか……」
「あれは……流石に倒すのは厳しいですよね」
何も知らない人間がギガントータスを見つけると、山が動いているのかと見紛うほどの巨躯を有する亀の怪物だ。
その巨体ゆえ動きは決して機敏ではなく、明確な武器も持たないギガントータス。だが、体の殆どを覆う甲羅とその巨大な体は、他の怪物を戦わずして退けるのには十分であった。
基本的に気性は穏やかで、人間に危害を加えたり、街を襲撃するなどの事件も少ない。そのため、狩人達も例え見つけても駆除する事は少ないのだ。だからといって、簡単に駆除できる訳ではないのだが。
我が物顔で砂の道を進み、山の中を通る洞窟を目指している怪物は、例の二体に漏れず、怪物の四肢と頭部は鉄の装甲に覆われている。
怪物は見られていることなど微塵も気付かないで、遠くの方へと歩いていく。
その背中を見届ける彼女達。張り詰めていた緊張の糸が切れ、手にかいていた汗も引いてくる。
「おっきいけど、洞窟、通れるのかな?」
「ギリギリだろうな。そうじゃなくても、あの様子なら山を登って越えるはずだ」
「うん、本で読んだけど、見るのは初めて」アーリはもう遠のき始めている巨大な亀を見送った。「……でもあれが街に行ったら……倒せるのかな。普通のより力が強いし、防護壁だって——」
「大丈夫だ、街にはロッドやジェネス、それにたくさんの兵達がいるんだ。あんなの一匹どうって事ないはずだろう?」
「そうだよ、エイプロスはともかく、ギガントータスなら動きも遅いしどうにかなるって」
「……うん」
「お前がエイプロスを倒して稼いだ時間で、武器も兵力も整えているはずだ。ギガントータス一匹で壊滅する街は、あそこまで大きく成長していない、だろう?」
「そうだよ、アーリちゃん。あたし達の今の役割は、街の安全を気にする事じゃなくて、バレントさんと師匠、他のハンターさん達を探す事だよ」
不安を抱えているアーリは、しばらく悩んでいたが、コクリと大きく頷いた。
「うん、ロッドさんもジェネスさんも街のみんなも信じる」
「とにかく、あの怪物が来た方向に城があるんだ、確実に何か関係がある。バレントもナーディオもそこにいるはずだ」
「うん」
アーリ達は一旦家に鞄と馬を取りに戻る。
一晩しか泊まっていないのに、どこか安心感のある家。
少女が机の上に置かれた鞄を背負うと、なんだか少しだけ軽い気がした。
「……行ってきます、お母さん」
少女は家の前で振り返り、小さな声で言う。
勿論そこに母はいないのだが、少女にはなぜか母親が手を降っているように思えた。気のせいだろうか。
池のほとりに止めていたオクトホースの背中を撫で、餌の人参を与える。
「行くよ、ルズ。もう一踏ん張り、よろしくね」
愛馬のルズは任せろと言わんばかりに、ブルブルと唇を振るった。
馬に跨り、彼女達は城を目指す。
砂の街を見下ろす城が、東の空の紺と橙が重なる朝焼けの中に、その輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。
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