第15話

 ロッドから貰った銀色の腕甲を外し、アーリは鞄の中から買ったばかりの新品の鍋を取り出した。鍋と呼ぶにはあまりに簡素な作りで、金属を器の形に変えて取っ手を付けただけのものだったが、水を沸かすには十分だった。

「何を作るんだ?」

「うーん、あんまりうまくできないと思うけど、野菜スープと塩漬け肉の串焼きとパンかな?」

「美味しそう! あたしも手伝うよ!」

「ミリナは……アーリ以上に心配なのだが……」


 それから彼女達は慣れない手つきながら野菜を切って水が沸く鍋の中に放り込み、串に刺したシールドボアの塩漬け肉を火の脇に置いた。 

 沸騰し始めた鍋の中からは野菜の旨味が溢れ出し、辺り一帯を包み込む。塩漬けシールドボア肉からはジューシーな油が溢れ出し、焚き火の中に垂れていく。


「うむ、美味そうだな……最初はどうなるかと思ったが」

 側で見守っていたループは匂いを嗅いでそう言った。

「簡単な料理ですから! これなら私もできますよー!」

 ミリナは自信満々だ。


 アーリは鍋のスープをスプーンで掬うと、それを味見した。

「んーちょっと薄いけど、美味しい!」

「贅沢は言ってられないだろう。それに、塩漬け肉が濃いから丁度いいのではないか」

「は、早く食べましょ!」

 ミリナは口を開けて、今にも涎を垂らしそうだった。


 木製の食器によそった黄金色こがねいろのスープ、脂したたる肉の串、そして小麦のパンが並べられた。

「いただきます!」「いただきまーす!」「いただくぞ」

 

 ミリナは豪快に肉に食らいつき、パンを片手にスープを飲んだ。

「うめぇ! うめぇっすね!」

 

 シールドボアの肉はモウルカウの肉よりも脂身が多く、噛みごたえもある。

 長持ちするためと、臭みを消すために塗り込まれた、大粒の塩のガリガリとした食感も相待って舌と歯の上で踊る。天日干しにより濃縮された素材本来の持つ脂の旨味や甘みと、大きな塩の塩辛さが口の中で絡み合う。


「おいしい……」

 口の中に残った脂と塩気をスープで流し込むと、溶け出した野菜の優しい美味さが全てを包み込んで疲れた体の中へ流れ込む。後からパンをかじれば小麦の柔らかな甘みが心地よい。

「ああ、今度は上手くできたな」

「うん、ミリナさんも手伝ってくれたし、元々の素材が美味しいから」

「いやー、あたしはただ野菜を切っただけだよー」


 火を囲んでの食事は、彼女らの抱える不安を搔き消す様に過ぎていった。スープの入っていた鍋が空になる頃には、焚き火以外の光がないほど暗くなっていた。


「だあー、うまかったぁ」

「はーおいしかった」アーリは立ち上がると食器類を纏めた。「洗ってくるね」

「あたしも行く、オクトホースに水をやらなきゃ」 

 鞄の中からクリスタルランタンを取り出して点灯させると、二人はまた川の方へと歩き出した。

 

 漆黒に包まれた森の中に、ランタンの光が一つ。川の方へと歩いていく。


「アーリちゃんって本当にバレントさん想いなんだね」

「え? どうして」

「だって、普通にこんな所来ないよ? あたしならいいかもだけど、まだ十二歳でしょ?」

「うん……だけどバレントも助けてくれたし、いなくなっちゃったらやだもん……」

「そっか、そうだよね。いつも師匠は口煩いし、厳しい時もあるし、いない方がいいって思うこともあるんだけどさ。いなくなったらなったで、なんか寂しい感じがしちゃって……アーリちゃんが行くって言ってなかったら、もしかしたら一人でも探しに来てたかも」

「ミリナさん……」

「一人だったら無理だったけど……アーリちゃんもループさんもいるし! 見つかる気がしてきた!」

「うん! 見つけよう、絶対!」


 ミリナはいつにもなく、真面目なトーンで喋っていた。彼女もまた、家族が居なくなったことを気にかけていたのかもしれない。


 そんなことを話していると川の音のすぐ目の前まで来ていた。大きな石の上にアーリがランタンを置くと、橙の光を受けて川が宝石をばら撒いた様に輝きを帯びた。

「ほら、水飲み場だぞー」

 首を垂らし、川の水を飲むオクトホースの横で、アーリは食器類を洗う。


「ん?」

 轟々と流れる真っ暗な川の流れの中に、小さな青い光の玉が見えたかと思うと、川全体が空のような紺碧こんぺきの光を帯び始めた。淡く艶やかな光を帯びる幻想的な光景を前に、二人の少女は言葉を失った。

 彼女達の体は川の光を受けて、同じく淡い光で満たされる。

 

 青く発光するものの正体は人間に驚いた小さなエビ達だった。本来は捕食者である魚達から目を眩まし、驚かせてから逃げるための機能であった。


「綺麗……」

 アーリはぼんやりと

「こんなところがあるなんて信じられないねー、街にいたら一生——」


 そしてそれは、警告を知らせる天然のサインでもあった。ゆっくりと明転を繰り返していた青い光がびかびかと強い光を放ち出し、散り散りに川の下流へ逃げていく。

 途端、鳥達がざわめき出し、ミリナの連れているオクトホース達が怯えて唇を震わせ、後ろへ下がろうと手綱を持つ手を引っ張る。


「アーリ! ミリナ!」

 森の奥の方でループの叫ぶ声が聞こえる。がさがさと木々をかきわけ、彼女が近づいてくる。

「何か来るぞ!」


 ループの叫びが森にこだました後、巨大な機械構造の駆動音と森の木々がひしゃげる音が近づいてくる。地面が小さく振動を始め、岩の上のランタンがカタカタと揺れる。


 音の方に目を向けると、赤い二つの光が大きく揺れながら、ゆっくりと近づいてきている。 

 恐怖で少女の足がすくむ。


 正体を知りたくはなかったが、彼女の生存本能が暗闇でも敵対生物の姿を捉えようと、夜目の利く鳥の黄色い目を発動させた。

 彼女が捉えたのは二百メートルほど先の木々の合間で揺れ動く、全身がごつごつとした人型の輪郭であった。見ようによっては、破壊されたゴーレム達の様にも見えるが、それよりも明らかに線が太く若干の丸みを帯びている。頭部の二本の角と、下半身に比べて大きな上半身、腕を振り回して木々をなぎ倒している様。


「エイプロスだ……なにか探してる……?」 

「も、もどろう、アーリちゃん!」 

 微動だにしないアーリの手を掴み、ぐいと引っ張るが、少女はその場で動かない。


「無事か」

 彼女達のすぐ後ろにループが飛び出してきた。 


「ループ、エイプロスがいる! 街を襲ったやつみたいに機械が埋め込まれてる」

「え、あ、や、やばいんじゃ⁉️」

「一体どうなってるんだ……とりあえず身を隠すぞ、ランタンを消せ」

「うん……」


 アーリがランタンと手に取り、スイッチを切ると辺りは闇に包まれた。木々の間から落ちてくる月の光を頼りに、川から離れて野営地の方向に向かう。


 先程までの穏やかな樹海は、今や怪物が蹂躙する恐怖に包まれている。彼女達の背後で鳴り響く機械生命体が闊歩する音は、一歩一歩こちらに近づいてきている様な気がする。

 目的もわからない、もしかしたら自分達を攻撃しようと移動してきているのかもしれないし、街へ向かっているのかもしれない。

 

「ループ! 倒さないと!」

「何言ってるんだ、まずは自分の身を——」

「でも! 私達が逃げ延びても、街に行っちゃったら皆が……危ないんだよ」

 

 それは幼い心の中に生まれた正義心だった。

 私にしかできない、私がやらないと。少女の心が、右腕が、叫んでいた。


「アーリちゃん、本気なの?」

「うん、止めなきゃ!」アーリは心の声をそのまま口にした。「それにあの怪物がバレント達を探す手がかりになるかもしれない!」

 そういうと少女はランタンを捨てて、走り出した。

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